![](https://real-sports.jp/wp/wp-content/uploads/2023/07/60d8f360ca1b11ea98153f55f48c680d.webp)
「右SBだったら右目が見えなくてもやれる」失明の危機の只中・松本光平、復帰への挑戦
「『失明の危機』を乗り越えて競技復帰を目指す」。昨年のFIFAクラブワールドカップに出場を果たしたサッカー選手・松本光平が切実な思いを託したクラウドファンディングの設立は多くのサッカーファンを驚かせた。現在プレーするニュージーランドの自宅でのトレーニング中の事故で失明の危機に直面し、それでも「再びクラブワールドカップの舞台に立つ」ため動き始めた31歳。鋼のようなメンタリティを持つ“決して諦めない男”のルーツと決意を聞いた。
(文・トップ写真=宇都宮徹壱、写真提供=11aside)
クラファンで知ったフットボーラー
「右目はまったく見えていなくて、左目はぼんやり見えてはいるんですよ。視力で言ったら、0.01もないくらいですね。目の前にある料理も、そこにあることは把握できるんですが、どんな料理なのかは口に運んでみないとわからない。そんな状態で2週間、ニュージーランドでひとり暮らしをしていました。食事も自分で作っていましたよ」
あらためて声の主を間近で見ると、その右目はばんそうこうで塞がれている。松本光平、31歳。ニュージーランド1部、ハミルトン・ワンダラーズに所属する、現役のプロフットボーラーだ。昨年12月には、期限付き移籍していたヤンゲン・スポート(ニューカレドニア)のサイドバックとして、カタールで開催されたFIFAクラブワールドカップにも出場している。そんな彼は、不慮のアクシデントにより、失明の危機の只中にいる。
私が松本の存在を知ったのは、彼の所属事務所が立ち上げたクラウドファンディングがきっかけだった。手術費や入院費やリハビリなど、必要な費用を賄うための目標金額300万円は、わずか3日で達成(7月10日現在で470万円を突破している)。私もわずかながらの寄付をさせていただいたところ、当人の状況を伝えるメールマガジンが毎日届くようになった。手術当日、6月8日の松本のメッセージを引用する。
《ニュージーランドや他の日本の専門医にも回復する可能性は0%と言われ投げ出されていた中で、まだ数%の可能性があると言っていただき、手術をしていただける病院と巡り合えただけでも僕にとっては大きな一歩です。どれだけ時間がかかっても絶対に競技復帰を果たします!》
右目の回復の可能性が数%しかなく、左目も失明のリスクがある中、これほどまでに前向きなメッセージが発信できる、鋼のようなメンタリティ。私は松本光平というフットボーラーに、無性に会ってみたくなった。実際にインタビューを始めてみると、私の想像をはるかに超えるポジティブさに、思わずのけぞりそうになった。
「手術前、右目の黄斑部に空いた穴は1カ所と思われていたんです。それでも厳しい状況でしたが、実際に手術してみたら穴が3カ所あって、先生からも『こんな症例は見たことない』と。普通だったら眼球が破裂しているそうで、先生も『これは奇跡だ』と言っていました。眼球が破裂しなかっただけでも、僕の勝ちだなって思いました(笑)」
コロナ禍のさなかに悲劇は起こった
運命の日は、5月18日であった。松本が暮らすニュージーランドは、新型コロナウイルス対策で「勝利宣言」したことで知られているが、それでも国内リーグは中断を余儀なくされていた。クラブの施設も使えず、松本は自宅のガレージで自主トレーニングをしていた時、悲劇は起こってしまう。
「チューブで引っ張る器具で、背筋を鍛えるトレーニングをしていたら、留め金が外れて右目に命中したんです。距離的には、1メートルくらいでしたかね。僕はわりと痛みに強いほうで、相手に削られても声が出ることはなかったんですけど、さすがにその時は叫びました。というか、変な声が出た(笑)。あまりの衝撃に、しばらく動けませんでしたね」
ようやく落ち着いて鏡を覗き込んだら、なぜか曇っている。布で擦ってみても、曇りは取れない。ここでようやく松本は、左目もチューブでダメージを受けていることに気が付く。この時、彼の脳裏をよぎったのは不安や絶望よりも「もし失明していたら、パラリンピックに切り替えんとあかんかな」であったという。
「そのあと、向こうの医師に診てもらったら『申し訳ないが、手の施しようがない』って言われましたね。左目はたぶん大丈夫だけど、右目はどうしようもないという話でした。そうしたら僕の事務所が、眼科の大家(たいか)といわれる先生を日本で見つけてくれて、手術の予約を取り付けてくれました。ただし、眼圧が落ち着くまでは飛行機に乗れなかったんです。結局、帰国できたのは(事故から13日後の)5月31日でしたね」
日本を飛び出してオセアニアで転戦
松本は、オセアニアのサッカー界では、かなり知られた存在だ。ニュージーランドでは、オークランド・シティFC、ホークスベイ・ユナイテッド、ワイタケレ・ユナイテッド、そして現所属のハミルトン・ワンダラーズでプレー。その間、期限付き移籍で、フィジーのレワFC、バヌアツのマランパ・リバイバース、そしてニューカレドニアのヤンゲン・スポートを渡り歩いている。そんな彼のキャリアの原点は、セレッソ大阪U-15であった。
「今は違いますが、僕らの時代のセレッソの育成は、ガンバ(大阪)にむっちゃ水をあけられていたんです。ユース年代でも、ガンバに全然勝たせてもらえない。それでユースに上がる進路相談の時に、はっきりと『僕はガンバに行きたいです!』って言ったんです。そうしたら、親が呼び出されましたね(笑)。それまで、セレッソからガンバに移るケースってなかったらしくて、僕が初めてだったみたいです」
自分の道は自分で切り開く性分は、こうしたエピソードからも見て取れる。結局、ガンバのユースに移籍したものの、レベルの違いを思い知らされた(同期が安田晃大、上には倉田秋、下には宇佐美貴史がいた)。すると松本は、一躍イングランドに飛び、チェルシーFCコミュニティというユースチームで1年半プレーする。
その後、いったん帰国。四国リーグのヴォルティス・セカンド、JFLのジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズに所属したものの、足の骨折や肩の脱臼などのアクシデントが重なり、日本でのプレー機会はほとんどなかった。ようやく傷が癒えたのが2012年の6月。タイミング的には、10月にシーズンが始まるオーストラリアしか、選択肢はなかった。幸い、Aリーグのブリスベン・ロアーFCでプレーする機会を得て、そこからオセアニアを転戦する日々が始まる。
「オセアニアのサッカーですか? 基本的にフィジカルと身体能力がすべて、という感じですね。ニュージーランドが一番、技術があるといえますけど、日本に比べれば全然です。去年、クラブワールドカップに出場したヤンゲンは、オセアニアの中でも究極でしたね。地元の選手は、狩りをしながら暮らしているんです。本当ですよ(笑)! 普段から動物と戦っているから、筋力とか走力とか、すごかったですね」
再びクラブワールドカップに出場するために
この野性味溢れるヤンゲンの一員として、松本は昨年のクラブワールドカップへの出場を果たす。初戦の相手は、シャビ監督率いる、カタールリーグ覇者のアル・サッド。松本はベンチスタートだった。当人いわく「フィジカルだけで、うっかり1-1のまま延長戦までいってしまったんですね(笑)」。続きを聞こう。
「ところが延長前半にGKが味方のバックパスをキャッチしてしまって、間接FKから勝ち越されて、それで一気に集中力が切れてしまいました。さらにダメ押しの3点目を入れられて、終了です。僕自身は70分からの途中出場でした。クラブワールドカップを目指して、オセアニアで頑張ってきたので、その意味ではうれしかったです。でも、結果も内容も満足できなくて、ものすごく悔しかったですね」
オセアニア王者の一員として、クラブワールドカップのピッチに立った日本人といえば、5年連続で出場したオークランド・シティFCの岩田卓也がいる。松本自身、その話ぶりから、岩田のことを意識している様子が伺えた。年齢は向こうが6歳上だが、Jリーグ未経験のままオセアニアに渡り、まったくの無名からFIFAの国際大会までたどり着いたキャリアには、近いものが感じられる。ただし岩田は、5年連続でのクラブワールドカップ出場。2014年には、3位にまで上り詰めている。
もちろん当人には、前回大会での悔しさもあっただろう。その一方で、岩田という先達がいたからこそ、フットボーラーにとって致命的ともいえる目の負傷をものともせず、松本は再び世界の舞台に立つことにこだわり続けているのではないか。OFCチャンピオンズリーグ再開は10月、そしてクラブワールドカップ開催は12月の予定だ。
「とりあえず年内は、左目は手術をせずに視力回復を目指します。僕的には、12月までに復帰できるかなと勝手に思っていて、先生には何度も『いつ復帰できますか?』って聞いているんですけど、そのたびに『そんな状況じゃない!』って怒られるんですよ(苦笑)。でも『片目でもいいからウチに来てくれ』と言ってくれるクラブもあるし、右サイドバックだったら右目が見えなくても十分にやれると思っていますから」
手術翌日のメールマガジンで、松本はこんなメッセージを発信している。いわく《最悪の事態は免れ、現時点でまだ完全に失明はしていません。まだ希望は残っています!》。あらゆる人々が「希望」を求めている、この時代。失明の危機にあった松本光平が、クラブワールドカップのピッチに戻ってくることが、フットボールファンに希望の灯火をもたらすことは間違いない。その時、彼の右目に光が戻っていることを、心から願う次第だ。
<了>
小林祐希が“タトゥー”と共に生きる理由とは?「それで代表に選ばれなかったら仕方ない」
森保ジャパンに欠けているピースとは? 広島時代の栄光と失速に見る、日本代表の前途
J1で最も成功しているのはどのクラブ? 26項目から算出した格付けランキング!
久保竜彦「独特の哲学」から見る第二の人生 塩づくりと農業、断食、娘のスマホ禁止
なぜ高校出身選手はJユース出身選手より伸びるのか? 暁星・林監督が指摘する問題点
PROFILE
松本光平(まつもと・こうへい)
1989年5月3日生まれ、大阪府大阪市出身。ポジションはサイドバック・サイドハーフ。セレッソ大阪U-15、ガンバ大阪ユースを経て、高校卒業と同時にイングランドのユースチーム・チェルシーFCコミュニティに所属し海外経験を積むと、帰国後は徳島ヴォルティス・セカンド、ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズに在籍。2012-13シーズンにオーストラリアのブリスベン・ロアーFCで海外でのプロキャリアをスタートさせると、その後、ニュージーランドの強豪オークランド・シティFC、ホークスベイ・ユナイテッド、ワイタケレ・ユナイテッド、ハミルトン・ワンダラーズと渡り歩く。その間、OFCチャンピオンズリーグに出場するため2017年2月にはフィジーのレワFC、2019年1月にはバヌアツのマランパ・リバイバースと短期契約。2019年11月にはニューカレドニアのヤンゲン・スポートに期限付き移籍し、オセアニア代表としてFIFAクラブワールドカップに出場する。
この記事をシェア
KEYWORD
#INTERVIEWRANKING
ランキング
LATEST
最新の記事
-
指導者の言いなりサッカーに未来はあるのか?「ミスしたから交代」なんて言語道断。育成年代において重要な子供との向き合い方
2024.07.26Training -
松本光平が移籍先にソロモン諸島を選んだ理由「獲物は魚にタコ。野生の鶏とか豚を捕まえて食べていました」
2024.07.22Career -
サッカーを楽しむための公立中という選択肢。部活動はJ下部、街クラブに入れなかった子が行く場所なのか?
2024.07.16Education -
新関脇として大関昇進を目指す、大の里の素顔。初土俵から7場所「最速優勝」果たした愚直な青年の軌跡
2024.07.12Career -
リヴァプール元主将が語る30年ぶりのリーグ制覇。「僕がトロフィーを空高く掲げ、チームが勝利の雄叫びを上げた」
2024.07.12Career -
ドイツ国内における伊藤洋輝の評価とは? 盟主バイエルンでの活躍を疑問視する声が少ない理由
2024.07.11Career -
クロップ率いるリヴァプールがCL決勝で見せた輝き。ジョーダン・ヘンダーソンが語る「あと一歩の男」との訣別
2024.07.10Career -
なぜ森保ジャパンの「攻撃的3バック」は「モダン」なのか? W杯アジア最終予選で問われる6年目の進化と結果
2024.07.10Opinion -
「サッカー続けたいけどチーム選びで悩んでいる子はいませんか?」中体連に参加するクラブチーム・ソルシエロFCの価値ある挑戦
2024.07.09Opinion -
高校年代のラグビー競技人口が20年で半減。「主チーム」と「副チーム」で活動できる新たな制度は起爆剤となれるのか?
2024.07.08Opinion -
ジョーダン・ヘンダーソンが振り返る、リヴァプールがマドリードに敗れた経験の差。「勝つときも負けるときも全員一緒だ」
2024.07.08Opinion -
岩渕真奈と町田瑠唯。女子サッカーと女子バスケのメダリストが語る、競技発展とパリ五輪への思い
2024.07.05Opinion
RECOMMENDED
おすすめの記事
-
松本光平が移籍先にソロモン諸島を選んだ理由「獲物は魚にタコ。野生の鶏とか豚を捕まえて食べていました」
2024.07.22Career -
新関脇として大関昇進を目指す、大の里の素顔。初土俵から7場所「最速優勝」果たした愚直な青年の軌跡
2024.07.12Career -
リヴァプール元主将が語る30年ぶりのリーグ制覇。「僕がトロフィーを空高く掲げ、チームが勝利の雄叫びを上げた」
2024.07.12Career -
ドイツ国内における伊藤洋輝の評価とは? 盟主バイエルンでの活躍を疑問視する声が少ない理由
2024.07.11Career -
クロップ率いるリヴァプールがCL決勝で見せた輝き。ジョーダン・ヘンダーソンが語る「あと一歩の男」との訣別
2024.07.10Career -
リヴァプール主将の腕章の重み。ジョーダン・ヘンダーソンの葛藤。これまで何度も「僕がいなくても」と考えてきた
2024.07.05Career -
バスケ×サッカー“93年組”女子代表2人が明かす五輪の舞台裏。「気持ち悪くなるほどのプレッシャーがあった」
2024.07.02Career -
バスケ実業団選手からラグビーに転向、3年で代表入り。村上愛梨が「好きだからでしかない」競技を続けられた原動力とは?
2024.07.02Career -
「そっくり!」と話題になった2人が初対面。アカツキジャパン町田瑠唯と元なでしこジャパン岩渕真奈、納得の共通点とは?
2024.06.28Career -
西村拓真が海外再挑戦で掴んだ経験。「もう少し賢く自分らしさを出せればよかった」
2024.06.24Career -
WEリーグ得点王・清家貴子が海外挑戦へ「成長して、また浦和に帰ってきたいです」
2024.06.19Career -
浦和の記録づくめのシーズンを牽引。WEリーグの“赤い稲妻”清家貴子の飛躍の源「スピードに技術を上乗せできた」
2024.06.17Career