
「厚底シューズ」具体的な効果とは? 100万レースの記録を検証した結果…
日本でも箱根駅伝で旋風を巻き起こしたナイキの厚底シューズ「ヴェイパーフライ」。ワールドアスレティックス(世界陸連)が禁止を検討していると報じられ、各方面で混乱が生じているこの問題だが、実際のところ、このシューズには具体的にどれほどの効果があるのだろうか? 海外で報じられた検証結果を紹介したい。
(文=川内イオ、写真=Getty Images)
次々と記録を更新する厚底シューズ
2020年の東京五輪イヤーが明けて早々、マラソン界が混乱している。1月半ば、ワールドアスレティックスがナイキの厚底シューズ「ヴェイパーフライ」の使用を禁止する見通しであると、イギリスの複数メディアが報じたのだ。
ソール(靴底)に反発力の強いカーボンファイバーのプレートを内蔵する「ヴェイパーフライ」の実績は、ここ数年、マラソン界で独走していた。
2018年9月にベルリンマラソンで世界記録を出し、昨年10月にウィーンで行われた非公式レースでは前人未到の2時間切りを達成したエリウド・キプチョゲ(ケニア)、同じ10月に開催されたシカゴマラソンで16年ぶりに女子新記録を出したブリジット・コスゲイ(ケニア)、11月のニューヨークシティマラソンで優勝したジョフリー・カムウォロル(ケニア)の3人ともが、同シューズを履いていた。
日本でも、2018年2月、16年ぶり日本新記録を出した設楽悠太、その記録を同年10月に更新した大迫傑が同シューズを着用していたことで、記録破りの厚底シューズとして話題になった。今年の年始に開催された箱根駅伝では約8割の選手が着用し、区間賞を獲得した10選手中、9選手が「ヴェイパーフライ」シリーズのユーザーだった。
マラソン界を席巻するこのシューズに対して、昨秋からワールドアスレティックス(世界陸連)が調査しているのは事実ながら、まだ正式な発表はなされていない。それだけに、イギリスメディアの先行報道は、マラソン界を大きく揺るがしている。
エネルギー消費量4%削減で、走行速度3.4%向上
あまり知られていないことだが、正式名称「ZOOM VAPORFLY 4%」は、ナイキから資金提供を受けたコロラド大学とナイキの研究者が開発した。その過程で、被験者がナイキのシューズ「ZOOM STREAK 6」と「ZOOM VAPORFLY 4%」試作品を履いてランニングの速度を比較すると、後者のほうが平均4%、ランニングによるエネルギー消費量が削減されるという結果が出た。その成果を記したコロラド大学の研究論文が、2018年11月、学術誌『Sports Medicine』に掲載されている。
この研究ではまず、31分間で10 kmを走り(1マイルあたり約5分のペース)、サイズ10の靴を履いた20代の男性ランナー18人を集めた。テストは3日間にわたって行われ、会場にはZOOM VAPORFLY 4%のプロトタイプ、ZOOM STREAK6、およびアディダスの「Adios Boost 2」が用意された。アディダスのシューズは、デニス・キメット(ケニア)が2014年に世界記録(2時間2分57秒) を出したときに、履いていたものと同型である。
被験者は各日、3組の靴をそれぞれ2回ずつ着用し、5分間のトレッドミルトライアルを6回実施した。その間、酸素消費量を測定する装置に息を吹き込み、ランニング中の1秒あたりの消費カロリーを計測した。プロトタイプを着用したときのエネルギー節約量は2〜6%で、平均4%だった。
この数字が何を意味するのか。研究によると、エネルギーコストを4%削減した場合、世界記録のマラソンペース(1マイルあたり4.41分)での走行速度が3.4%向上し、フィニッシュタイムが1時間58分54秒に短縮されるという結果が出ているのだ。
※研究の詳細はこちらを参照⇒https://www.colorado.edu/today/2017/11/16/new-shoe-makes-running-4-percent-easier-2-hour-marathon-possible-study-shows
この論文が掲載された数日後、アメリカの女子選手、シャレーン・フラナガンが当時新製品の「ZOOM VAPORFLY 4%」を履いてニューヨークシティマラソンを制した。
100万レースの結果を検証
アメリカのニューヨークタイムズは、イギリスメディアが使用禁止の可能性を報じる1カ月以上前の12月3日、「ZOOM VAPORFLY 4%」と、改良版の「ZOOMX VAPORFLY NEXT%」について大規模な検証記事を掲載した。
そのタイトルは「ナイキの最速シューズは、私たちが考えたよりもさらに大きな利点をランナーにもたらす可能性がある」。同社は、データが公開されている国際的なレースの結果はもちろん、2014年以降に数十カ国で行われたマラソンとハーフマラソン、約100万レースについて、世界に4800万人のユーザーを持つフィットネスアプリ「Strava」ユーザーのうち、マラソン参加者が投稿しているデータを集計。 レース名、終了時間、全体的な標高プロファイル、使用しているシューズなど膨大なデータを、詳細に分析している。
その記事は、「ZOOM VAPORFLY 4%、またはZOOMX VAPORFLY NEXT%を履いているランナーは、平均的な靴を履いているランナーよりも4〜5%速い。ナイキに次ぐ効果を持つシューズを履いているランナーよりも、2〜3%速い」と結論付けている。
ほかにも、「同じ能力を持つ2人のマラソン選手の間で比較すると、ナイキのシューズを履いているランナーは、履いていない競技者に比べて大きな利点がある」「ナイキのシューズはあらゆる種類のランナー(男性と女性、速いランナーと遅いランナー、愛好家、頻繁なレーサーにかかわらず)に利点をもたらす」としている。
※同社の検証記事はこちらを参照⇒https://www.nytimes.com/interactive/2019/12/13/upshot/nike-vaporfly-next-percent-shoe-estimates.html
この検証結果を見ると、コロラド大学の論文がほぼ裏付けられていることがわかる。ちなみに、昨年10月、非公式ながら1時間59分40秒の記録をたたき出したキプチョゲが履いていたのは、3層のカーボンプレートと4つのエアクッションでソールが構成される最新版のヴェイパーフライのプロトタイプとされる。「ZOOM VAPORFLY 4%」、改良版の「ZOOMX VAPORFLY NEXT%」を経て、さらに進化していることがうかがえる。
ナイキは、ランナーが速く走るためのシューズを開発し、実際に、多くのランナーに恩恵をもたらした。この革新的な技術について、ワールドアスレティックスがどういう判断を下すのか。世界中のランナーが、固唾を呑んで見守っている。
<了>
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