「今こそプロ意識が問われる」 バレー清水邦広、33歳。大ケガ乗り越え手にした“準備期間”
大学4年生時に出場した2008年北京五輪以来の五輪出場を目指す、バレーボール日本代表・清水邦広。2018年2月に負った選手生命をおびやかされる大ケガから見事復活し、所属するパナソニックパンサーズでも好調を維持していた。その矢先の新型コロナウイルス感染拡大による東京五輪の延期決定。これまで数々の困難を乗り越えてきた33歳のベテランは、いまをどう過ごし、未来についてどのように考えているのだろうか。
(インタビュー・構成=米虫紀子、写真=Getty Images)
<本インタビューは、4月15日に実施>
バレーから頭を離すというのも大事
――現在の生活や練習環境はどのような状況ですか?
清水:大阪に緊急事態宣言が出てからは、僕が所属するパナソニックパンサーズは活動が休止になったので、基本的には自宅で過ごすことになっています。ただ代表選手は、この先、合宿が再開される可能性があるので、少人数ごとに時間を分けて、体育館で密にならないような形で練習しています。そうはいってもボール練習は、ボールの感覚をなくさないように少し触る程度で、筋力を落とさないようにトレーニングをメインでやっています。
それ以外の外出は避けて、病院など外出しなければいけない時は、何時何分にどこに行ったというのをチームに提出し、体調についても報告を徹底しながら生活しています。
――家で過ごす時間が増えていると思いますが、どんなふうに過ごしていますか?
清水:今は本当に家にいる時間のほうが長いので、お風呂に入ったり、ストレッチをする時間がすごく増えて、体のメンテナンスに時間をかけています。外に出られないということで、今はみんながストレスのかかる状況だと思うんですけど、もともと僕はお風呂が好きなので今のところは大丈夫です。1時間半から2時間ぐらい入って、サウナに切り替えたり、交代浴をしたりしてしっかり汗を流して、お風呂から出たら1時間半ぐらいストレッチをします。
――そんなに時間をかけるんですか。
清水:はい。今こうやって時間がたくさんある中で、その時間を有効に使って、しっかりと自分の体を見つめ直し、パフォーマンスを上げられるように。ただ、ずっとバレーのことばかり考えてしまうと疲れてしまうと思うので、バレーから頭を離すというのも大事かなと。オンとオフを切り替えながらやっていけたらと思っています。
ベテランにとっての1年はすごく長い
――清水選手は、大学4年生の時に出場した2008年北京五輪以来の五輪出場を目指してきましたが、東京五輪の1年延期が決まりました。それについてはどのような思いでしょうか?
清水:そうですね……。難しいな、とは思いますけども、今はまずコロナ(ウイルス感染症)の収束が一番なので、こればっかりは仕方がないことだと思います。アスリートもそうですけど、オリンピックを開催するにあたっては、いろんな人が積み重ねてきたもの、準備してきたものがあるので、それが延期というかたちになって、僕が、とか、選手が、落ち込んではいられないな、という気持ちのほうが大きいです。それに、中止にならなかったというのは一つの希望なので、1年延期という中で、今できることをしっかりと積み重ねていくことを心がけています。
――ベテラン選手ほど“1年”というのは大きいのではないかと想像するのですが……。
清水:正直、やっぱり年齢(33歳)のことはあります。僕たちの、ベテランにとっての1年というのはすごく長いですし、またそこにトップのパフォーマンスを持っていくのは並大抵のことじゃないと思います。いろんな若い選手が出てきている中で、自分の持ち味をしっかりと出して、メンバー争いに勝っていかなきゃいけないという意味では、難しい、きつい1年になるな、とは思いました。
ま、でも、僕自身はまだまだ競技生活を続けていく中で、東京五輪が1年延びたということだと思っているので、諦めるとかいうよりは、「もっと成長できる」と思いながらやっています。今はマイナスのことを考えると、マイナスのほうにしかいかないので、無理矢理にでもプラスのほうに考えながら、前向きに日々過ごしていくことが大事だと思いますね。
――東京五輪の延期が決まった3月24日はまだ代表合宿に参加されていたんですよね?
清水:はい。合宿は4月6日に中止になったんですが、僕は、オリンピックの延期が決まったあと、1週間ほど先に大阪に戻ってきました。
――それはどうしてですか?
清水:代表合宿ではずっとチーム練習をやっていたんですけど、僕の場合は膝のケガのこともあるので、(東京五輪が延期になり時間ができたため)今は実戦練習をするよりも、いったんチームに帰って、もう一度、リハビリじゃないですけど、コンディションを整えることをやったほうがいいんじゃないかということで、先に帰りました。
「やっと自分の膝になってきた」
――なるほど。2018年2月に右膝に重傷(前十字靭帯断裂、内側側副靭帯損傷、半月板損傷、軟骨損傷)を負いましたが、そこから約1年でVリーグに復帰、その後、再び代表に招集され、2019-20シーズンのVリーグではレギュラーとして決勝まで戦いました。ケガからの復帰以降ハードスケジュールで、かなり負担がかかっていたのでしょうか?
清水:そうですね。膝を酷使し続けていたので、今のこの時間というのは僕にとってプラスに働いてるんじゃないかなと思います。パナソニックに戻ってきてからは、PRP(多血小板血しょう)療法を始めました。ケガをした右膝だけでなく、左膝もちょっと悪くなってきているので両方を。自分の血を取って、そこからPRPを抽出し、それを膝の関節内に注入して治癒力を高めるという治療です。今すぐに良くなるというわけではないんですけど、数カ月、半年というような長いスパンで、膝が悪くなるのを止めて、良くしていくために、今やっています。
――今年予定通りに東京五輪が行われ、それに向けてパフォーマンスを上げていかなければならない状況だったらできなかった治療ということですか。
清水:そうです。代表にいくと普通だったら1年中試合をしていて、体作りというのがなかなかできなかったので、こういう時間を有効に使いたいですね。僕らは年齢的に体のキレというのが、若い選手に比べたらだんだん落ちてきてしまうので、そこをトレーニングで補うこともしっかりしていかなきゃいけないと思っています。
――以前、2018年の手術の際に右膝に移植した靭帯は、馴染むまでに2年ほどかかって、そこからパフォーマンスも上がってくる、という話をされていました。今、手術してから約2年ですが、馴染んできましたか?
清水:はい、馴染んできたなと感じます。やっと自分の膝になってきたなーと。今までは“他人の膝”みたいな感じで、しっくりこなかったんですけど、だんだん筋力が戻ってきて、自分の思うように動かせる、力が入るというふうになってきています。これからはパフォーマンスももっと上げていけるんじゃないかなと思いますね。
こういう時期だからこそプロ意識が問われる
――先ほどもおっしゃっていたように、東京五輪が最後というわけではなく、まだまだその先も現役生活は続くんですね。
清水:そうです。代表は、東京五輪を区切りとして考えてやっていきたいなと思うんですけど、極力バレーボールはやり続けたい。僕はケガが多い選手で、たぶん合わせると2年間ぐらい、今まで棒に振ってきたと思うので、その分、みんなよりも長く、バレーボールをしていきたいなと思っています。
――改めて、今の状況下で感じていることはどんなことでしょうか?
清水:今までバレーボールができていたということは当たり前のことじゃないんだな、というのは、ケガをした時にも感じましたけど、今こういう状況の中でもすごく感じますね。今はアスリートにとっても難しい時期で、試合がないのでモチベーションが上がらなかったり、そういう面はどうしてもあると思うんですけど、こういう時期だからこそプロ意識が問われるんじゃないかなと思います。僕自身はプロ選手でもありますし、そうでない選手も、今ここで、自分で体を見つめ直したり、考えながらやるべきことを見つけて過ごしていくことが大事なんじゃないかと。この時間を有効に生かして、1年後に、「この時期があったからこそ」と思えるように過ごしていきたい。
コロナがいつ収束するかわからない中で、僕たちが今できることをやっていかなきゃいけない。例えばSNSなどで発信していくのも一つだと思います。暗いニュースが多い中で、少しでも、明るい動画であったり、いろいろなことを発信することで、誰かに元気になってもらえるように。何より、外出自粛を呼びかけていくことが一番なんじゃないかなと思います。そして、コロナが収束した時には、もう一度スポーツで元気づけられるようにやっていきたい。今はそのための準備期間でもあると思っています。
<了>
バレー福澤達哉、海外で新たな気付き 寄せ集め集団を「強い組織」に変えるプロセスとは
「出産後で一番良い状態」女子バレー荒木絵里香、代表最年長35歳が限界を感じない理由とは
「6歳の娘に寂しい思いをさせている」 それでも女子バレー荒木絵里香が東京五輪に挑戦する理由
内田篤人が明かす、32歳の本音「サッカー選手として、終わる年齢ではない」
ママ選手が復帰後、過去最高の数値? 産後復帰トレで専門家が再認識した「休息」の重要性
PROFILE
清水邦広(しみず・くにひろ)
1986年8月11日生まれ、福井県出身。パナソニックパンサーズ所属。ポジションはオポジット。2007年、東海大学在学中に日本代表に選出。2008年、北京五輪に福澤達哉とともに最年少の21歳で出場。2009年にパナソニックに入団後、数々のタイトル獲得に貢献。2009-10シーズン、2013-14シーズンには最高殊勲選手賞、スパイク賞、ベスト6を獲得。2019-20シーズンにはVリーグ通算得点数の日本記録を更新した。
この記事をシェア
KEYWORD
#INTERVIEWRANKING
ランキング
LATEST
最新の記事
-
子供の野球チーム選びに「正解」はあるのか? メジャーリーガーの少年時代に見る“最適の環境”とは
2024.04.24Opinion -
子育て中に始めてラグビー歴20年。「50代、60代も参加し続けられるように」グラスルーツの“エンジョイラグビー”とは?
2024.04.23Career -
シャビ・アロンソは降格圏クラブに何を植え付けたのか? 脆いチームを無敗優勝に導いた、レバークーゼン躍進の理由
2024.04.19Training -
堂安律、復調支えたシュトライヒ監督との物語と迎える終焉。「機能するかはわからなかったが、試してみようと思った」
2024.04.17Training -
8年ぶりのW杯予選に挑む“全く文脈の違う代表チーム”フットサル日本代表「Fリーグや下部組織の組織力を証明したい」
2024.04.17Opinion -
育成型クラブが求める選手の基準は? 将来性ある子供達を集め、プロに育て上げる大宮アカデミーの育成方法
2024.04.16Training -
ハンドボール、母、仕事。3足のわらじを履く高木エレナが伝えたい“続ける”ために大切なこと
2024.04.16Career -
14歳から本場ヨーロッパを転戦。女性初のフォーミュラカーレーサー、野田Jujuの急成長を支えた家族の絆
2024.04.15Education -
J1でも首位堅守、躍進続ける町田。『ラスボス』が講じた黒田ゼルビアの倒し方とは?
2024.04.12Opinion -
遠藤航がリヴァプールで不可欠な存在になるまで。恩師が導いた2つのターニングポイントと原点
2024.04.11Career -
モータースポーツ界の革命児、野田樹潤の才能を伸ばした子育てとは? 「教えたわけではなく“経験”させた」
2024.04.08Education -
指揮官“怒りのインタビュー”が呼んだ共感。「不条理な5連戦」でWEリーグ・新潟が示した執念と理念
2024.04.04Opinion
RECOMMENDED
おすすめの記事
-
子育て中に始めてラグビー歴20年。「50代、60代も参加し続けられるように」グラスルーツの“エンジョイラグビー”とは?
2024.04.23Career -
ハンドボール、母、仕事。3足のわらじを履く高木エレナが伝えたい“続ける”ために大切なこと
2024.04.16Career -
遠藤航がリヴァプールで不可欠な存在になるまで。恩師が導いた2つのターニングポイントと原点
2024.04.11Career -
福田師王、高卒即ドイツ挑戦の現在地。「相手に触られないポジションで頭を使って攻略できたら」
2024.04.03Career -
なぜ欧州サッカーの舞台で日本人主将が求められるのか? 酒井高徳、長谷部誠、遠藤航が体現する新時代のリーダー像
2024.03.12Career -
大学卒業後に女子選手の競技者数が激減。Wリーグ・吉田亜沙美が2度の引退で気づいたこと「今しかできないことを大切に」
2024.03.08Career -
2度の引退を経て再び代表へ。Wリーグ・吉田亜沙美が伝えたい「続けること」の意味「体が壊れるまで現役で競技を」
2024.03.08Career -
リーグ最年長40歳・長谷部誠はいまなお健在。今季初先発で痛感する「自分が出場した試合でチームが勝つこと」の重要性
2024.03.05Career -
歴代GK最多666試合出場。南雄太が振り返るサッカー人生「29歳と30歳の2年間が一番上達できた」
2024.03.05Career -
高校卒業後に女子競技者が激減するのはなぜか? 女子Fリーグ・新井敦子が語る「Keep Playing」に必要な社会の変化
2024.03.04Career -
“屈辱のベンチスタート”から宇佐美貴史が決めた同点弾。ガンバ愛をエネルギーに変えて「もう一度、ポジションを奪いにいく」
2024.03.01Career -
なぜリスク覚悟で「2競技世界一」を目指すのか? ソフトテニス王者・船水雄太、ピックルボールとの“二刀流”挑戦の道程
2024.02.22Career