過去未来よりも「今に生きること」が大切 スポーツドクターが伝えたい、不安、ストレスに負けない生き方
新型コロナウイルスの影響により、私たちの日常はすっかり変わってしまった。先が見えない不安の中で、ブレずに前向きに生きる人もいれば、なかなかそうはいられない……という人も少なくない。また、このようなストレスフルな社会のもと、SNSなどで誹謗中傷によるトラブルも多発している。どんな時も前向きに生きていける人と、不安に陥りがちな人の違いはいったい何なのか? 今の時代をしなやかに生きていくためのヒントを、応用スポーツ心理学をベースにさまざまなトップアスリートや企業のメンタルサポートを行うスポーツドクター・辻秀一先生に聞いた。
(インタビュー・構成=阿保幸菜[REAL SPORTS編集部])
結果や評価だけを見ていると自己肯定感が落ちる
――コロナ禍で競技ができない状況の中で、アスリートたちは自分自身の存在意義について考えたり、ポジティブに振舞っていても心の中ではネガティブな感情を持っている人も少なくないのではないでしょうか。
辻:ありますね。認知的な脳だけで生きていると外界に依存します。社会的欲求と承認欲求をつかさどっているのがこの認知的な脳で、外界・行動・結果・意味しか考えておらず、人間はほとんどがこれだけで動いています。動物との違いですよね。そして評価や肩書きなどによってレッテルを貼っていきます。このような世界では、格差社会、肩書きの社会になっていくので自己肯定感が落ちるんです。だから、これまでスポーツの世界の中で自己肯定感のために認められながら生きてきた人は、そのような状況に陥る人もいます。肯定感には尺度が必要なので、自分の存在自体に価値があるということに気づくことが重要。では「存在」とは何かというと、「命」です。命には優劣ないですよね。自己肯定より自己存在感が大切です。
――はい。
辻:さらにいえば、誰でも「感情」は自由なので、自分の内側を認められてきた人たちは自己存在感が高い。「結果さえ出せば褒めてやるぞ」と言われている人と、「そんな気持ちにもなるよね、そんな考えにもなるよね」と言われている人だと、後者のほうが自己存在感も高く、そういった成長をしてきた人のほうがブレずに強くなるんです。それをスポーツ活動の中で育んでほしいなと思います。世の中はますますAI化して認知的になっていく中でも、やっぱりスポーツはリアルな体験を通してこうした考え方を学んだり感じたりすることができるはずなのです。
でも、今のようなリアルな体験ができない状況になってしまうとやっぱり弱いのと、ただ結果や評価だけを見ていくと自己肯定感につながり結果として落ちてしまいます。なので、ちゃんと自分の目的や感情を大事にしたり意識を向けている人は、自己存在感をキープしながら、その時々やれることを質高く、機嫌よく向き合えるようになります。
――アスリートに限らず、一般の人にもいえることですね。
辻:そうですね。われわれは教育において人間としての脳や心の仕組みを教わらないので、それを自分自身でマネジメントすることで、質やパフォーマンスにつながっていくという構造をみんなが教わる機会が増えればいいなと心から願っています。その仕組みを一番わかりやすく伝えられるのが、私の場合はスポーツだと思っているんです。
――このようなネガティブになりがちな状況において、少しでも機嫌よくいられるためのコツがあれば教えてください。
辻:残念ながら、簡単にできることはありません。朝日を見たり、深呼吸をしたり、ゆっくりとお風呂に入ったり、いわゆるストレスコーピングといわれる行動解決型の方法はあります。これらが悪いわけではありませんが、行動に依存していることになります。みんな教育の過程でずっと認知的な訓練をさせられてきているので「何をしたらいいですか?」と、すぐ行動解決の方向に行ってしまうんです。
そして、ポジティブシンキングをしても、実際には全然ご機嫌じゃないんです。自然体じゃない、とらわれているんですよね。トップレベルで活躍しているアスリートたちの中にはポジティブシンキングをしない人たちも増えています。もっと自然体なんですよ。自然でいればそれだけで前向きです。
そこでまず、自身の感情に気づくこと、自分の中にあるポジティブな感情に気づくとその感情は増え、ネガティブな感情なら減っていきます。つまり、その気づきの力を身につけるほうが、行動解決やプラス思考よりも自然に心をご機嫌な状態に持っていくことができ、メンタルマネジメントができるようになります。
それから、新型コロナウイルス自体はただのウイルスであって、不安やイライラというのは全部僕らの脳がつくり出しているのです。雨が降ると憂鬱になりますが、憂鬱という雨なんて降っていないですよね。人間が雨に憂鬱っていう意味付けをしているんです。物事の意味づけを人間がしているだけで、もともとは意味がないんだという感覚を身につけると、ブレにくくなります。「雨が降っているから、今日は傘をさせばいい」というふうに考えられれば、アスリートのパフォーマンスは上がりますし日々の生活においてブレが減ってきます。
――なるほど。
辻:だからといって無感情になれというわけではなく、感情は大いに持っていいんです。ロボットではないので。けれども「意味はついていない」ということをよく理解すること。世の中に意味がないのではなくて、意味をつけているのが人間だということを理解したりすることをわれわれは教わっていないだけなんです。難しいトレーニングではなくて、日々意識しながら人と対話をしていくと、自然とそのような非認知的なライフスキル脳は育まれていきます。
それから、なぜ人は不安になるのかというと、人間は未来に思考を飛ばすから。試合が始まる前から「負けたらどうしよう」とか、シュートを蹴る前から「外したらどうしよう」とか、わからない未来に頭を突っ込むのは動物の中で人間だけなんです。なので、そういう時には、自分が未来に頭を突っ込んでいるなという自分に気づいて、今にフォーカスするようリセットしてあげると心は穏やかになります。さらに「コロナの前はこうだった」などと、変えられない過去に頭を突っ込むと人間はとらわれます。なので、人間は過去や未来に思考が行ってしまうものだという特徴を理解して、今に生きようと考える習慣を身につけることが大切です。
――やり方を聞いても、行動による解決ではなく脳の習慣だから、なかなかすぐにできるわけではないのですね。
辻:そうです。しかし、行動力よりも便利でいつでもどこでもできるはずです。ところが、スキルにするのが難しいのはそのような会話をする仲間がいないから。英語ができないよりできたほうがいいと思いますか?
――そうですね。
辻:でも、周りに日本人が多いと、日本語で会話が済んでしまうわけです。もし周りの人たちが外国人で、いつも英語だけで話しかけてきたら、英語を使うので英語ができるようになるんですよ。
――なるほど、わかりやすいですね。
辻:それと同じように、家庭や学校でも結果・行動・外界・意味づけの話ばかりをしがちですよね。だから、大事なのは一人でトレーニングするよりも仲間を探すこと。しかし大人になってからトレーニングしようとすると、どうしても時間かかります。
――そうなると、家庭で親子間のコミュニケーションにおいても、会話は重要ですね。
辻:そうですね。私が書いている『メンタルトレーナーが教える 子どもが伸びる スポーツの声かけ』という本で、親が日々の生活の中で、「今日は何があったの?」ではなく「何を感じたの?」と声かけしてあげられることや、目標、目標と言う前に、「なぜやりたいんだろうね」と目的に気づいてあげることなどについて書いています。そういう会話を声かけとして親がやってあげることがすごく重要なんです。
――何を感じたのかとか、何を考えているかなど自分の内側の部分を聞き出してアウトプットできるような声かけを習慣にしていくことは、子どもはもちろん親にとってもいい影響をもたらしそうですね。
辻:そうですね。そういった声かけが会話の中に増えてくると、家庭では親、企業でいえば上司や経営者、スポーツならコーチがそういう発想を持っていると声かけが変わってきます。「目標は大事だけど、なぜやっているのか目的を思い出そう」とか、負けて「悔しいけど、今やるべきことを考えて一生懸命楽しもう」とコミュニケーションしあえると、組織も家庭もチームも変わるんじゃないかなと思っています。
――今の日本社会において非常に必要とされることかもしれないですね。ただ、2割程度の人しかすんなり受け入れられないとなると、根本的に変わっていくにはすごくロングランにはなりそうです。
辻:そう思います。私もこのようにメンタルトレーニングについて取材を受けることは、20年前はなかったですから。着実に少しずつ何かが変わってきている感覚はありますね。
誹謗中傷との向き合い方
――最近、アスリートたちが積極的にSNSで発信している様子を目にしますが、影響力をプラスに生かしている一方で、SNSやインターネットでの誹謗中傷によるトラブルが問題になっています。誹謗中傷を受けたらもちろん不快な思いをすると思うのですが、そのような場合のメンタルコントロールはどのようにしたらよいのでしょうか?
辻:自分の中にしまい込むとどんどんたまってしまうので「昨日あんなメッセージがきた」とか、その悲しさや嫌な気持ちをなるべく多くの人と共有して分かち合えるかということが重要です。
――ダルビッシュ有選手とかもそうですよね。
辻:そうですね、「おめでとうございます」って返していますからね(笑)。誹謗中傷をしてくる人というのは、人を攻撃して自己肯定感を高めることで相対的に自分の幸せをつくることしかできない人たちです。なので、それに乗って攻撃を返すと彼らの存在意義は増すので、反論したらだめなんです。だからダルビッシュ選手の「おめでとうございます」には反論のしようもないから、すばらしいなと思いますね。
――なるほど。
辻:それから、リアルな人間関係でも同じですが、何かを言われたりして悩むのは結局、その一つひとつに自分固有の意味づけをするからなんです。だって、(あまり身近ではない)フランス語で誹謗中傷されても落ち込まないですよね。
――確かに(笑)。
辻:つまり、同じ言葉を向けられたとしても、日本語で読んで意味づけをするから。「バカ」と書かれたら、「バ」と「カ」なのに「馬鹿にされた」というふうに意味をづけすることで落ち込むわけです。なので極論、ただの記号と文字ぐらいに捉えて、頭の中からゴミ箱に捨てていくような感覚にすることが大事かなと思います。簡単ではないですが。
心は脳がつくり出している単なる“状態”なので、心の状態がストレスになっている時は、脳が何かストレスをつくるように働いているわけです。誹謗中傷をする人はいつも心がNon Flow(揺らいでとらわれている状態=不機嫌な状態)だから、残念ながらこういう人の中には、人を攻撃するか、優劣をつくることでしか自分の幸せをつくれないという構造が備わってしまっているんです。
人間は寂しさや劣等感、悔しさ、落ち込みなどさまざまなものを、格差社会の中でつくり出してしまう。さらにAI化していく時代の中で、あえて自分の内側を大事にできる人間らしさみたいなものを私たちは持っていきたいなと切に願っています。これからの世の中がどうなるかはわからないけれど、ライフスキルを持って人間らしく生きる力のある人が、どの時代にも生き残れると確信しています。
――アフターコロナの時代を生き抜いていくためにも、重要なことなのですね。
辻:そうですね。どの時代でも、外部の環境はどんどん変わっていく中で、結局は進化した者だけが生き残るようにできているんです。つまり、Non Flowな人は生き残りにくい。一方でFlow(揺らがず、とらわれず自然体の状態)の人は今はやるべきことを機嫌よくやりながらも、アフターコロナのために何をやるべきかという革新的で創造的なことを考えているだろうし。「前はこうだったのに」と言う人はやっぱり生き残っていきにくい。「今」「ここ」「自分」にフォーカスして心の状態を整えながらしなやかに生きていく人が健康的でもあります。
だから非認知的な脳、ライフスキルがこれからの時代を生き抜くスキルとして獲得できるように、家庭でも、学校教育でももっと取り組んでほしいし、ビジネスの世界でも、スポーツの世界でも必須だというのが私の考えです。
<了>
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PROFILE
辻秀一(つじ・しゅういち)
1961年生まれ、東京都出身。北海道大学医学部卒後、慶應義塾大学で内科研修を積む。“人生の質(QOL)”のサポートを志し、慶大スポーツ医学研究センターを経て株式会社エミネクロスを設立。応用スポーツ心理学をベースとして講演会や産業医、メンタリトレーニングやスポーツコンサルティング、執筆やメディア出演など多岐に渡り活動している。志は『スポーツは文化だと言える日本づくり』と『JAPANご機嫌プロジェクト』。2019年に「一般社団法人Di-Sports研究所」を設立。37万部突破の『スラムダンク勝利学(集英社インターナショナル)』をはじめ著書多数。
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