「次世代につなぐキャプテンシー」 元ラグビー日本代表・廣瀬俊朗の次なる挑戦

Opinion
2020.08.06

記憶に新しい、2019年のラグビー日本代表の快進撃。日本ラグビー界の大きな盛り上がりは、この一大会だけでは成し得なかったものだろう。日本代表、東芝ブレイブルーパスでキャプテンとして着実にチームをまとめ上げ、時にはプレーヤーとは違う角度からのアプローチでチームを鼓舞し、ファンとラグビーの距離を縮めることに成功してきた廣瀬俊朗氏。廣瀬氏と親交の深いスポーツドクター・辻秀一先生とともに当時を振り返っていくと、彼には大きな試練の数々を乗り越えながら培ってきた、自分自身の心をマネジメントするスキルがあった――。

(インタビュー=辻秀一、構成=REAL SPORTS編集部、撮影=末永裕樹)

大きな試練を乗り越えながら培った「キャプテンシー」

辻:東芝ブレイブルーパスで、キャプテンとして苦労したことや学んだことなどを教えてください。

廣瀬:キャプテン1年目は苦労しました。僕の前に冨岡(鉄平)さんがキャプテンだった時にすごく強かったので、「東芝のキャプテンはこうあるべきだ」というのを追いかけ過ぎて自分らしさを失ってしまい、みんなもサポートしにくい状況になって。僕が東芝に入ってずっと冨岡さんがキャプテンで、僕がキャプテンになった時に、彼は選手として残っていました。前のキャプテンがいる中で、自分のリードが良くなかったので、誰がキャプテンかわからないというような状況になってしまったんです。

辻:監督は誰だったのですか?

廣瀬:瀬川(智広)さんです。瀬川さんも僕のように、前の監督を追いかけてしまって2人そろってどこを向いているのかわからないような状況になってしまいました。結果、チームは弱くなってしまったし勝ってもうれしくなくて。

辻:そこからどうやってスランプを抜け出していったのですか?

廣瀬:同期に相談してフィードバックしてもらったり、チームメートにもアンケートでいろいろな意見をもらって申し訳ない気持ちになりました。「なんでこの人たちついてきてくれへんねん」って自分が苦しいと思っていたんですけど、みんなのコメントを見たら、みんなが一番苦しかったんだなって気づいて。それでも頑張ろうとしてくれていたんだと思った時に、「本当にごめん」と思って……。そこから、前のキャプテンのことをあまり気にせず、「自分らしくやっていけばいいや」という気持ちになっていきました。

辻:自分らしくキャプテンとして振る舞えるようになって、チームに変化はありましたか?

廣瀬:チームとしても、結果も、前向きにいい方向に行ったと思います。最後に2回ぐらい不祥事があったのですが、それも乗り越えて優勝して。

辻:どんな不祥事でしたっけ?

廣瀬:1回目は、1年目の選手がタクシーの運転手さんからお金を盗ったっていう話が流れて捕まりましたが、本当かどうかはわからないです。2回目は、カンナビノイドという大麻の成分がドーピング検査で出たということがありまして。

辻:キャプテンとして、それらの不祥事に対してどのように対応したのですか?

廣瀬:正直最初は、何を信じていいのかわからないような感じでした。2人とも外国人選手だったので言葉的にも日本語が流ちょうではなかったですし、チームメートが本当に悪いことをしたと思えなくて。誤解されたのかなとか、いろんなことを思いました。それこそ、キャプテンとしては「何で自分がキャプテンの時にこんなことが何回も起きるんだ」と相当悩みましたし。

チームメートとも話し合って、1回目の時に「もう一度何のためにラグビーをするのか考えよう」「プレーで見せるしかない」というような話をしてチームがいい方向にまとまってきたところで、また2回目が起きてしまって……。

今思えば大変でしたけど、この経験があったからこそ自分の中で「何のためにやるのか」という目的が確固たるものになったと思います。

辻:チームメートも含めそこで体験的に学んだおかげで、大変な試練も乗り越えていけたのですね。

廣瀬:本当にそう思います。当時のことを思い出すと、話している今でさえぐっとくるんですよね。去ってしまった仲間を未然に助けられなかった悲しさもありつつ、みんなで乗り越えてチームを守れたという達成感や喜びも。言葉にできないような感情がミックスしているから、すごい感情が湧いてくるかものしれないですね。だから自分にとってすごく大きな経験だったと感じます。

辻:その経験は大きな財産ですね。

廣瀬:そうですね。

2015年、キャプテンを外されたからこそ見えた大躍進した日本代表

辻:2012年には5年ぶりに日本代表に選出されてエディー・ジョーンズさんがヘッドコーチとなり廣瀬くんがキャプテンに任命されましたが、そこから次の2015年までの思い出を改めて振り返ってみていかがですか?

廣瀬:大変なことはたくさんありましたけど……それも含めてすごく濃い4年間でした。彼の苦労や情熱には本当に感謝しています。負けているチームを勝つチームにしたり、大人のマインドセットを変えるのって相当大変だったと思うんです、しかも日本代表レベルの選手を。ただやっぱりやり方もきつかったので、なかなかパンチは効いてました(笑)。

辻:その中で、キャプテンとして苦労したことは?

廣瀬:エディーさんはやっぱり「何かを変えないといけない」という強い思いもありましたし、やり方もハードだった中で、キャプテンの立場として「なぜまだ(チームは)変わらないんだ」と責められたりしました。僕らが良かれと伝えたことでも、エディーさんの方向性と違った場合には、きつく「なんでお前らはそういうことを言うんだ」みたいなことを言われたりもして。ただその中で、選手たちは本当にいい仲間だったので、選手に対してストレスがなかったのが一番よかったのかもしれないです。

エディーさんは自分を曲げない時もありましたけど、僕らも主張を曲げないでやっていたら、最終的には「俺がどう言おうと曲げなくなって、自分が求めていたチームになった」というようなことを言ってくれました。ぶつかり合っていた時は本当に大変だったんですけど(苦笑)、エディーさんも「あれがあったからチームがまとまったね」と言ってくれています。

辻:それから2015年のワールドカップでは、自身は出場できない状況で日本代表は強豪南アフリカに劇的勝利という誰も予想できなかったような偉業を成した中、どんなことを学びましたか?

廣瀬:エディーさんは、僕を日本代表メンバー31人の中に残すプランはない時期もあったと言っていて、苦しい時が多いと感じていたんですけど。エディーさんはたぶん、数字にできない価値みたいなものを僕に見出してくれて、試合に出すつもりはなくても31人の中に必要だと認識してくれたので、僕は日本代表メンバーに滑り込むことができたのだと思います。

キャプテンを外されたことで、試合を行うためにどれだけ多くの人がサポートしてくださっているんだという裏側を見られたことは学びになりましたし、メンバー外の人の気持ちもわかるようになったことは大きな経験でした。やっぱり、ずっと試合に出続けていたらわからなかったことがいろいろありました。

辻:2015年のワールドカップ初戦で南アフリカに勝利した時のことを思い出してみるといかがですか?

廣瀬:試合前はすごく緊張しましたし、大負けしたらどうしようとか、すごいプレッシャーを感じていました。だからこそ何かやりたいなと思って、日本の各トップリーグチームの選手たちからのビデオメッセージを企画しました。それを見てくれた選手は、周りの目を気にするよりも「自分たちにはこんな仲間がいるんだから、この人たちと一緒に戦おう」というようなちょっとしたきっかけの一つになってくれて、企画して本当によかったと思っています。

辻:素晴らしいですね。チームスローガン「JAPAN WAY」のジグソーパズルも話題になりましたよね。

廣瀬:ジグソーパズルは、2015年ワールドカップの前に始めたんですけど、試合の数日前にピースが配られて、自分の心の準備が整ったらピースを置いて、最後にキャプテンだったリーチ マイケルが置いて「JAPAN WAY」の文字を完成させるという儀式でした。あれは田中史朗選手のアイデアでした。これが唯一そろわなかったのが、スコットランド戦だったんです。

辻:それはなぜ?

廣瀬:予想していなかった事態が起きた後の試合で心の余裕というか正常心ではなかったと思います。あんな劇的に(南アフリカに)勝つなんて思ってもいませんでしたし。

辻:その試合でスコットランドに負けてしまってベスト8に進めなかった中で、サモア、アメリカにも勝利しましたね。

廣瀬:本当に、ブレずに戦ったのはすごいことですし、4年間いい経験を蓄積できたんだなと思いましたね。「ベスト8」という“目標”だけを大事にしていたら、ベスト8に行けなくなって「もういいや」となっていたと思うんですけど。僕たちの次世代、子どもたちに対して何を残せるかとか、憧れの存在になりたいという“目的”をすごく大事にしていたので、「(目標がかなわなかった)こんな時こそいいラグビーを見せよう」というところに矢印を向けられたのがよかったです。

ラグビーワールドカップ2019に捧げた1年間

辻:2019年のワールドカップ日本大会では、さまざまな立場で成功へ向けて貢献されていました。日本の大躍進をどのように感じていましたか?

廣瀬:2016年3月に現役を引退して、次の道を模索しながら東芝でコーチをやらせていただいていましたけども、「2019年のワールドカップを迎えるにあたって自分が一番やりたいことは何か?」と考えたことがあって。東芝のコーチとしてワールドカップに携わっているのでは中途半端かなと思ったので、会社を退社して1年間はすべてをワールドカップに費やすことにしました。その中で『スクラムユニゾン』という、世界中からやってくるラグビーファンを国歌またはラグビーアンセムを歌っておもてなしするプロジェクトをというのを発案できたのは、すごくよかったです。

今までワールドカップはイングランドやフランス、ニュージーランドなど「ティア1」と言われる強い国で開催されてきましたけども、今までの開催都市ではできなかったことができたので。何でも受け入れてやってみよう、みたいな日本人らしさにもすごくマッチしたので、海外のファンや選手たちにも喜んでいただけました。

辻:日本人ならではの「ホスピタリティ精神」の表れでもありましたよね。

廣瀬:本当におっしゃるとおりです。「なんで日本人、歌えるの?」みたいな感じに驚かれました(笑)。

辻:そのアイデアを思いついたきっかけは?

廣瀬:エディンバラで開催されたスコットランドの試合で、スコットランドのアンセムをみんなで歌っていて、途中から演奏がなくなってアカペラなんですけど、ファンも選手もみんなで大合唱している雰囲気が素晴らしいなと感動して。日本でワールドカップが開催された時には、各国の国歌を聴いているだけではなく一緒になって歌えたらものすごいインパクトが残るんじゃないかと思ったんです。

辻:2019年のラグビーワールドカップの盛り上がりに一役買ったドラマ『ノーサイド・ゲーム』(TBS系列)はどのように出演が決まったのですか?

廣瀬:ドラマは自分が東芝を辞めることが決まってから話が来ました正直、あまり前向きではなかったです。役者経験もなく、不安なことばかりでしたし。でも、「ドラマの目的がワールドカップのため」というところと、「日曜日の夜にドラマを見たら月曜日から仕事を元気に頑張れる」というテーマがいいなと思って、挑戦することにしました。実は脚本は書き下ろしで池井戸(潤)さんが書いている途中だったので、最初はストーリーの全体を知らなくて、どの役をやるのかもわからないまま飛び込んでいった感じで。

辻:実際、廣瀬くんと通じるところがある役でやりやすかったのでは?

廣瀬:監督の福澤克雄さんが慶応ラグビーのOBで、僕のことを知っていただいていたので、うまく演出してくれましたね。

辻:出演者として、あのドラマは2019年のラグビーワールドカップ成功に役立ったと感じますか?

廣瀬:はい。特に女性ファンが一気に増えましたし、実際の試合を見て、稲垣(啓太)選手の人気上昇のように、選手それぞれの魅力を知ってもらうきっかけになってすごくよかったと思います。

辻:俳優にチャレンジしてみて、どんなことを学びましたか?

廣瀬:新しい世界に入るといろいろなものが得られるということもありますし、ラグビーってやっぱりいいなとあらためて思いましたね。キャストにはラグビー選手が半分ぐらいいたんですけど、本当にみんな、仲間も裏方の人も大事にするし、一瞬で仲良くなれる。違う世界に行っても、これがラグビーらしい良さなんだと実感しました。

あと、福澤監督は視聴率の話は一切せず「いいドラマをつくろう」と目的の話をしてくれたのもよかったですね。

「自分自身がロールモデルになれるように、さまざまなことに挑戦したい」

辻:2019年のワールドカップが終わってひと段落ついて、今後はどんな活動をしていこうと考えていますか?

廣瀬:まずは「スポーツがもっと広まってほしい」という強い思いがあるので、そのためには自分自身がロールモデルとなれるように、いろいろなことに挑戦していきたいと思っています。

具体的には、ずっとリーダーをやってきたので、学生に向けてリーダーシップをサポートできるようなことができればいいなと考えています。辻先生たちと一緒に関わらせてもらっているDi-Sports研究所(※以下、Di-Spo)の活動もそうですし、いろいろなスポーツを体感できるようなアカデミーみたいなものをつくりたいです。

(※Di-Sports研究所:アスリートの持つ自らの心をマネジメントするスキルを社会へ伝えながら、「対話」「ごきげん」「スポーツとアスリート」の価値向上、「スポーツは文化だ」と言える日本を目指すために立ち上がった社団法人)

それから、ラグビーはまだまだ試合以外のエンターテインメントコンテンツが充実していないので、試合以外も楽しんでもらえるような施策を考えていかないといけないと思っています。例えばスタジアムグルメもB級グルメだけでなくちゃんとした食事を提供したり、女性と一緒にデートでラグビー観戦に行けるような環境づくりをするなど。

他にもたくさんありますが、今計画中の「ヘルシー食品」と「日本」を掛け合わせた、みそ汁を広める「みそカフェ」の事業も頑張りたいなと思っています。先日、試作でアイスのみそ汁を初めて飲んだんですけど、意外とおいしくて。レモンやかつお節などが入っていておいしいんですよ。

辻:タピオカブームの次は廣瀬版みそドリンク、それいいですね。

廣瀬:狙っています(笑)。

辻:発酵食品は体にもいいし、新型コロナウイルスなどにも負けないように免疫力アップにも役立ちそうですね。そういった、アイデアの芽はどこから生まれているのですか?

廣瀬:掛け合わせから生まれることが多いですね。例えば、今こうして辻先生と話している中でもポンと出てきたりしますし、自分と違う分野の人と話すとアイデアが生まれることが多いです。あとは朝方だったり、走ったり散歩したり運動中に突然浮かんでくることも多いです。運動中や目覚めたばかりの時は、あまり無駄にいろいろなことを考えていないからかもしれません。

辻:Di-Spoの活動にも理事として関わってもらうことになりましたが、一緒にやろうと声をかけた時に、Di-Spoのどんなところに魅力や可能性を感じていただいたのでしょうか?

廣瀬:Di-Spoが伝えようとしている価値は、自分自身が大事にしているものでもあったので、辻先生のお話を聞くまでぼんやりとしていたものがクリアになったのがすごくうれしくて。さらに辻先生とお会いしている時の空気感がすごく居心地がよく感じたので、そういった感覚が一番ですね。

辻:Di-Spoメンバーのアスリートたちは、みんないい雰囲気ですよね。

廣瀬:そうですね。先日のZoomミーティングととてもよかったです。なかなかこういう雰囲気になる仲間が集まる場っていないですよね。

辻:みんなそれぞれに個性があって、お互いに言いたいことを言いながらもちゃんと配慮して傾聴しながら受け入れる。そして、みんなで決めたことは協力しながら一つのことをみんなのためにやるというスタンスが、なんだか心地いいんですよね。自分が属しているあらゆるコミュニティの中でも間違いなく、すごく誇りに思えるコミュニティの一つです。

自分たちも楽しみながら、子どもたちや世の中のためになったらいいなと思います。スポーツを広めたいと思っている仲間たちから、子どもたちに向けてさまざまなことを伝えていきたいですね。

<了>

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PROFILE
廣瀬 俊朗(ひろせ・としあき)
1981年生まれ。大阪府出身。北野高校、慶應義塾大学を経て東芝ブレイブルーパスに入団。高校日本代表、U19日本代表としてもプレー。2012年、エディー・ジョーンズ ヘッドコーチによって日本代表キャプテン任命されると、抜群のキャプテンシーを発揮。ラグビーワールドカップ2015では、一度もベンチ入りを果たせなかったにもかかわらず、関係者700人からの応援ビデオ作成などでチームの団結を促して南アフリカ戦の劇的勝利に貢献した。引退後はMBAを取得、株式会社HiRAKUを起業する一方で、ラグビーワールドカップ2019公式アンバサダー、TBS系ドラマ『ノーサイドゲーム』に俳優として出演するなど、ワールドカップの盛り上げに一役買った。

辻秀一(つじ・しゅういち)
1961年生まれ、東京都出身。北海道大学医学部卒後、慶應義塾大学で内科研修を積む。“人生の質(QOL)”のサポートを志し、慶大スポーツ医学研究センターを経て株式会社エミネクロスを設立。応用スポーツ心理学をベースとして講演会や産業医、メンタリトレーニングやスポーツコンサルティング、執筆やメディア出演など多岐に渡り活動している。志は『スポーツは文化だと言える日本づくり』と『JAPANご機嫌プロジェクト』。2019年に「一般社団法人Di-Sports研究所」を設立。37万部突破の『スラムダンク勝利学(集英社インターナショナル)』をはじめ著書多数。

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