「排尿目視が必須」「緊張して尿が…」ドーピング検査員が明かす知られざる検査の実情

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2020.09.25

スポーツをしたことがある人はたくさんいる。ある程度の競技レベルを経験した人もたくさんいるだろう。しかし、ドーピング検査を受けたことがある人はあまりいないのではないだろうか。一部のトップアスリートにとっては日常、知らない人はまったく知らないドーピング検査の世界とは? いまやスポーツの価値、競技のフェアネスを守るために必須となったドーピング検査の知られざる実態について、日本アンチ・ドーピング機構(JADA)の岩間秀子検査員、JADA検査部の五十嵐麻子さんに話を聞いた。

(インタビュー・文=大塚一樹[REAL SPORTS編集部]、写真=Getty Images)

365日、早朝から夜中まで。ドーピング検査は突然に……

朝の5時、チャイムが鳴り突然誰かが訪ねてきたら……。トップレベルで活躍する世界中のアスリートは1年365日、毎日こうした来訪者を念頭に生活している。

「突然訪ねていくわけですから、『こんにちは、はじめまして』とごあいさつするところから始めます」

訪ねてくるのは、各国のアンチ・ドーピング機関が認定するドーピング検査員。いつ検査員が訪れるかをアスリートは事前に知らされていない。アスリートたちは自らの所在を明確にしておかなければならない。

「ドーピング検査って、いきなり自宅に来ることがあるらしいよ」
「夜中でも早朝でも突然来るみたい」

ちまたでは都市伝説のように語られるドーピング検査。スポーツの公平、公正を守るためにはなくてはならない存在であるにもかからず、その実態を知る人は少ない。

ここからは、JADAのドーピング検査員(Doping Control Personnel; DCP)を務める岩間秀子さんと、検査員との連絡窓口の役割を担うJADA職員の五十嵐麻子さんのお話をもとに“知られざるドーピング検査”の実際を紹介していこう。

――ドーピング検査は本当にいつ来るかわからないんですか?

岩間:365日、いつでもドーピング検査が実施される可能性があります。大会や競技会で行われるドーピング検査では、メダリストや表彰された選手、競技によっては予選の順位に応じてドーピング検査の対象者が決まることがあります。しかし、競技会以外での検査の場合は、いつ検査のためにお伺いしますよと事前に伝えることなく、アスリートがいる自宅や職場、トレーニング場所などに検査員が訪問して検査をすることになります。

――ということは、ドーピング検査の対象になっている選手は居場所を常に知らせておかないといけない?

岩間:そうですね。Web上のシステムで居場所情報を前もって提出してもらっています。トップアスリートとして指定された選手たちは、居場所情報の提出が義務化されています。予定が変われば随時更新していくような形で、トレーニング場所や、参加する競技会の情報のほかに、5時から23時のなかで確実に検査員に会えますよという、60分の枠を登録します。もちろん、指定した60分の枠以外の時間に検査が行われることもあります。指定した60分間に検査員が検査対象選手に会うことができないと、「検査未了」という扱いになってしまい、12カ月間に3回検査未了になってしまうと、正確な居場所情報を提出する義務を果たさなかったとして、選手はアンチ・ドーピング規則違反が問われる可能性があります。

――世界陸上2019の男子100mで金メダルを獲得したクリスチャン・コールマン(アメリカ)選手が、3回目の違反で出場停止処分を受けていましたね。居場所を知らせているとはいえ、競技会以外で実施される検査だといろいろなことが起こりそうです。

岩間:そうですね。いろんなことがありますよね。対象になっているアスリートの中には、もう慣れていらっしゃる方もいて、例えば朝6時から1時間と指定をしているときに、だいたい皆さん早朝ってトイレにいらっしゃるので、ちょっとこう外をのぞいて今日は検査員がいないなということを確認してからトイレに行くなんてお話を伺ったこともあります。

「今からあなたは検査対象ですよ」と通告されたアスリートは、ドーピング検査が完了するまで、検査員が確認できる範囲で行動しなくてはなりません。なので、尿検査の場合、アスリートに通告した後、アスリートが尿意を感じるまでアスリートの勤め先へ一緒に出勤したなんてこともありました。

検査の大原則! 尿が体から出ているところを目視しなければいけない

――検査の手順についてお聞きしたいのですが、あいさつをして、身分を名乗って、その後は?

岩間:お会いしたアスリートに対して、「あなたが検査対象になりました。私は検査員の岩間です。これから検査が終了するまではご一緒しますね」と、ドーピング検査を行うことを伝える“通告”を行って検査を始めます。検査には尿検査と血液検査があり、その日行うのが尿検査なのか血液検査なのか、それとも両方を行うのかも最初に伝えます。

検査対象が未成年の場合は、成人の同伴者の立ち会いが必要です。同伴者は本人が指定した成人であれば保護者以外でも大丈夫です。監督、コーチでも先輩でもチームメートでも成人していれば同伴者として認められます。また、本人確認も非常に大切な工程の一つです。確実にその選手であるか、こちらの思い込みで、取り違いがあってはいけないので顔写真付きの身分証等々で本人確認をした後に検査開始になります。

――検査ではまず何を?

岩間:尿検査の場合を例にとると、すぐに採尿ができる状況と、今すぐは難しいというケースがあります。ドーピング検査ではプライバシーが守られることが重要です。アスリートの自宅で行う場合、練習場で行う場合にもアスリートのプライバシーが守られている環境かどうか確認して行います。

尿を採取する採尿カップは未開封であること、カップに汚れなどがないことを確認して、3つ以上のカップの中から必ずアスリート自ら選んでいただきます。「はい、これ使ってね」って私たちのほうから差し出すことは絶対なくて、必ず自分で選んでいただきます。

採尿の際は、アスリート自身の体から確実に尿が出ているところを検査員がチェックします。ここはドーピング検査ではいろいろ話題になるところですが、とても重要なところです。

みなさんが行う健康診断等での尿検査は1人でトイレに入って、自身でカップに取った尿を提出すると思いますが、ドーピング検査では、アスリートの体から尿が出ているところをしっかりと検査員が目視するんです。

――結構センセーショナルに語られることもありますが、尿をすり替えたり、事前に用意した尿を使用しないための手順ですよね。

岩間:国内では聞いたことはありませんけれども、海外では実際にすり替えや泌尿器に別人の尿を満たして排出したりということがあったようです。女性ですと膣のなかに尿を仕込んでいたこともあったと聞いています。ですから、アスリートの体から直接尿が出ていることをきちんと目視できる、そして何にも触れないで尿がカップに入っているのを確認する。検査員の立つ位置も重要です。女性の場合は中腰になっていただいて。

――検査員の性別というのは?

岩間:同性です。これは厳守です。

慣れてるから大丈夫とサラッとできるアスリートもいれば、尿意はあるけど緊張してしまって出せないという人もいます。でも、これはルール上、どうしても検査員が目視している状況で、アスリートには対応していただけないといけないんですね。

採尿するだけがドーピング検査じゃない!? アスリートの検体を守るために

――採尿が終わったら、封印した後に誰もその尿検体に操作できないような専用のボトルに入れなければいけません。これもアスリート自ら?

岩間:検体の尿の量(90ml必要)、濃さ(比重)がルールで決まっているので、それが確実にクリアできたら検体をボトルに移し封印してもらいます。

採尿カップと同じように、3つ以上の検査キットから一つをアスリートに選んでもらい、キットの箱の番号、同封されているボトルの番号、ボトルキャップの番号、検査の際に記入する用紙に貼るためのバーコードシールの番号がすべて一致しているかを確認します。分析機関での結果は、すべてこの番号で管理されるので、番号の一致を確認することは、アスリートの検体を守るためにとても重要な作業です。採尿した尿をアスリート自身がボトルに入れて封印。私たち検査員が分析機関に発送するという流れになります。

場合によっては一度の排尿で量が足りない、90mlに満たないということもあります。そのときは仮封印という作業をして、誰も仮封印した尿に操作できないよう管理をしながら、追加で採取した尿を足しながら規定の量に達するまで続けます。

――検査員はいろんな飲み物を持って来ると聞いたのですが。

岩間:現在は新型コロナウイルス感染拡大を受けて飲み物は持っていきませんが、従来はそうですね。

――どんな飲み物を?

岩間:特に指定はされていませんが、ミネラルウオーターやスポーツドリンクという組み合わせが多いですかね。競技会以外で行う検査の場合、検査員が3本以上の飲料を持っていき、アスリート自身に選んでもらいます。アスリートの責任の範囲で検査員が持って行ったもの以外も飲むことができます。

人によっては、「他人からもらったものは口に入れません」と自分で準備することも考えられます。ご存じのとおりカヌー競技で混入事件がありました(カヌー日本代表候補選手がライバル選手の飲料に禁止薬物を混入させた事件)。自分で準備してもらうのもいいですし、提供する場合も必ず封が開いてないことを確認していただいて飲んでいただいています。

――検査キットにはボトルが2つありますね。

岩間:オレンジ色と青色のラベルが貼ったボトルがあって、最初の分析に使うのはオレンジのほうです。どちらも白い切れ込みがあって、この線が分析するのに必要な規定量の目安なのですが、青いボトルのほうに保管する尿量が若干少ないんです。オレンジのボトルに入っている検体を分析して、仮に陽性になった場合、アスリートの権利として青のボトルで再分析が要求できるようになっています。

――ドーピング検査が終了するまで、検査員はずっとアスリートと一緒にいなければいけないんですね。

岩間:はい。私は検査員ですが、競技会で行われる検査の場合、他にシャペロン(Chaperone:ドーピング検査対象のアスリートに検査の通告をし、アスリートに付き添いながらドーピング検査室まで誘導するスタッフ)もいて、そのどちらかがいつでも一緒という状況になります。

採尿後は、直近の1週間で摂取した医薬品やサプリメントの記載や、分析の結果、陰性であることが確定し、一定期間を経て破棄される段階になった際に匿名化したうえで自身の検体を今後のアンチ・ドーピングの研究のために利用することに同意するか? などのアンケートがあって、採尿時間、量や濃さ、立会人の有無などの記録に漏れがないか、書類をアスリート、検査員の双方でチェックしたあとに、最終的にアスリートからの署名をいただきます。

――分析結果はいつわかるんですか?

岩間:その場では何もわかりませんし、結果が出るのは「いつ」というふうに限定もできないんです。記録認定のために即日分析が必要なこともあったり、ケース・バイ・ケースなんですね。私たちがお伝えできるのは、「アンチ・ドーピング規則違反が疑われるなど、何かあった場合にはJADAから選手ご本人にご連絡がいきます」ということだけですね。

黎明期には検査断念も。アンチ・ドーピングの理解は飛躍的に進んだ

――検査の手順や様子については細かい点、厳密にやらなければいけないことなどたくさんあると思うのですが、やっと少し見えてきました。アスリート自身の尿を確実に採取することが重要だと思うのですが、相手の状況によって、今日はできないという判断をすることはあるんですか? 

岩間:JADA設立からまだ日の浅い頃に、ありました。アスリートが練習している場所に訪問したときのことです。アスリートが到着する前に会場に着いたのですが、指導者の方が「こんなところにドーピング検査が来るわけがない」「こんな記録のアスリートに検査が行われるわけがない」と、最初に少し行き違いがあって、検査員であることもなかなか信じてくれなかったんです。

もちろん私たちはJADAからの委任状や身分証を提示してご説明したんですけれど、「こういうのは偽造できるんだ」という話になってしまって……。そうこうしているうちにアスリートも到着したのですが、「こういう状況で、かなり誤解を招いてしまっています」とJADAに報告して、今日は検査はしない、という判断になったことがありました。(※現在のルールでは、このような指導者の行為はアンチ・ドーピング規則違反に該当する)

現在はアンチ・ドーピング活動、検査の認知や、その意義の理解など教育がすごく行き届いていて、アスリートにとって、「自分がクリーンな選手だと証明してもらえるもの」だと、各競技団体、指導者の方にもスムーズにご理解いただけるようになりました。「あ、今トイレに行ったばかりだ」とか、「これから学校行かなきゃいけない」とか、そういう細かい事は日常的に起きますけど、早朝であったり、交通の便が悪い合宿地に伺うと、「よくこんなところまで来てくれましたね」と、ねぎらわれることもあるんです。

――「こんな記録のアスリートが」というお話がありましたが、競技会以外で実施される検査の対象になるアスリートというのは?

岩間:JADAまたは国際競技団体の検査対象者登録リスト(RTP/TP)に登録されたアスリートをRTP/TPアスリートといいます。RTP/TPアスリート全員が、一義的に競技会外検査の対象となります。強化指定選手だったり、公的資金による強化費を受けていたり、国際競技団体から指定されているアスリートも含めると、現在は国内で数百名ほどいると思います。(※ルール上は、RTP/TPアスリート以外であっても競技会外検査の対象となることがある)

――検査部に所属されている五十嵐さんにお聞きします。このような競技会以外での検査が必要な数百人のアスリートに対して、JADAの検査員は何人くらいいるのでしょう?

五十嵐:岩間さんと同じように検体採取手続きを行うドーピング検査員のほかに、採血を行うためのお医者さんや看護師さんを含めてトータルで400人弱ですね。

――尿を検査するのは医療従事者ではなくてもいい?

五十嵐:そうですね。JADAが指定する講習会を受けて、認定証をとっていただいた方であれば、それ以外の資格は特に必要ないです。

――岩間さんはいつ頃、なぜ検査員になろうと思ったんですか?

岩間:検査員になったのは2003年です。当初は所属しているフェンシング協会からの推薦でした。なぜ検査員にというのは、私もアスリートでしたし、競技団体側の人間としては、正直に言って「アンチ・ドーピング活動の予算より強化費を充実させてほしい」という気持ちがあったんです。

日本でドーピングしてまで記録を作る選手なんていないという空気もありました。ただ、勉強していくうちに、世界で起きていることがいずれ日本にも影響を与えるかもしれないと考えるようになりました。

私もアスリートの経験がありますし(フェンシング日本代表として1976年モントリオール大会に出場、1980年モスクワ大会も代表に)、競技者を育成している立場もあります。アンチ・ドーピング活動なくしてスポーツのフェアネスは守れないということがだんだんわかってきたんです。

――検査員はボランティアではないんですよね?

岩間:はい。きちんと謝金はいただいています。交通費も出ています。

――全国に検査員がいて、それぞれの担当地域的でカバーされているのですか?

五十嵐:そうですね。北海道から沖縄まで検査員の方がいて、地域ごとで近隣の競技会や、アスリートの自宅、トレーニング場所へ行っていただくことが多いです。検査員は広く公募していて、書類選考させていただいた後、講習会に参加をしていただき、実地研修で先輩検査員と一緒に何度か検査を行い、正式に認定されるということになっています。

みなさんそれぞれ別にお仕事をされていたり、主婦の方もいますし、もう本当にさまざまですね。

――検査員がアスリートと接点があるとか、そういうことがあるとマズいですよね?

五十嵐:検査員の方々には、「この競技は関係あります」とか、「この選手は知り合いです」といった情報を事前に申告していただきます。各検査に検査員を配置する際は、そのような利益相反などのリスクが生じないよう慎重に調整をしています。

ドーピング検査はアスリートの義務であり「権利」でもある

――お話を聞く前は、「おしっこするところ見られるらしいよ」という断片や、「アスリートって大変だね」という負担面ばかりに目が行きがちでした。朝5時に突然自宅に来ると聞くと、警察官がやってきたみたいな怖さがあるのかと(笑)

五十嵐:捜査権があるわけでもない、民間の団体ですからね。岩間さんを見ていただければわかると思うのですが、こんなにも物腰柔らかい(笑)

――検査の詳細もそうですが、選手にとって「自分のフェアネスを証明する権利でもある」というのはアスリートだけでなくこれからオリンピアン、パラリンピアン、アスリートを目指す子どもたち、一般の人にも広く知ってもらいたいことだなと思いました。

岩間:ドーピング検査では、「今日が初めてです」という若いアスリートもいらっしゃいます。そういうアスリートには「ドーピング検査は各競技のトップ中のトップの人しかできないんだよ」とか、「あなたがこうやって検査を受けることで、競技全体のクリーンさが証明されますよね」みたいな話をするんです。

何か違反があればここまで先輩たちが、それこそ何トンっていう尿や血液を使って証明してきた信頼が一瞬で崩れてしまう。だからこそ、アスリートはクリーンでいなければいけないし、それを証明する私たち検査員もしっかり手順に従って、正確に検体を分析機関まで送り届けるという責任感は、みなさんお持ちなのではないかと思います。

最近世界ではドーピング検査の立案にAI(人工知能)を活用するアイデアや、送付された検査キットを使ってアスリートが自分で検査するという試みも実験的に始まっています。ドーピング検査において、AIが得意な領域もありそうですよね。でもやっぱり非常に繊細な部分を共有するところがあると思うんです。

スポーツが「人」なしでは成立しないのと同様に、アンチ・ドーピング活動も自分たちのスポーツを守るために、「人」が行っています。検査員の役割は検査に人の気持ちを乗せていくこと。検査手順の正確さや厳格さはもちろんですが、それとは別のところで、検査員とアスリートとの信頼感や、リスペクトも大切だと思っています。

前編記事はこちら⇒なぜドーピングはいけないのか? スポーツの価値を貶める行為と闘うアンチ・ドーピングとは

後編記事はこちら⇒風邪薬やサプリで意図せず違反? アスリートを守る「アンチ・ドーピングの駆け込み寺」とは

<了>

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PROFILE
岩間秀子(いわま・ひでこ)
1953年生まれ、東京都出身。2003年から日本アンチ・ドーピング機構の検査員として活動。若手の検査員からの信頼も厚く、年間約150件の検査に対応。自身も日本を代表するアスリートとしてオリンピック出場の経験を持つ。

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