
坂本花織が乗り越えた、1年前の試練。紀平以上の演技構成点、辿り着いた“自分の戦い方”
1年前の姿とは、まるで対照的だった。力強く繰り出したガッツポーズ。その握り締めた拳には、この1年間に彼女が歩んできた道程が詰まっているように見えた。
昨季失意の6位に終わった全日本選手権の舞台で2位。坂本花織は、見事に雪辱を果たした。だがその結果以上に手にしたのは、暗闇から抜け出してたどり着いた、“自分らしい戦い方”だった――。
(文=沢田聡子)
「笑える元気がなかった」。精魂尽き果てるほどハードだった『マトリックス』
「ジャッジさんの声、聞こえました。『オーッ』って……。自分も『危ないな』と思いながら、もうギリギリを狙いました」
昨年12月の全日本選手権で2位になった坂本花織は、フリー当日に出演したテレビ番組で、スパイラルで足を上げたままジャッジの前を横切る『マトリックス』の振り付けについてそう語っている。スピード感あふれる坂本の本領が発揮された、圧倒的なフリーだった。
同じプログラムを滑り浮かない顔で終わった1年前とは対照的に、演技終了後の坂本は大きなガッツポーズを繰り出している。いつも演技の出来が表情に分かりやすく表れる坂本だが、会心の出来にもかかわらず表情を緩めなかったのは、精根尽き果てていたからだ。
「ここ(全日本の会場・ビッグハット/長野市)に来てからフリーを通すのが本当にきつかったので、なんか笑える元気がなかった」
ハードなプログラムを全力で駆け抜けた坂本は、ようやく1年前の雪辱を果たした。
ミスが続き、まさかの総合6位に終わった昨季の全日本・フリー後、坂本は涙が乾かないままミックスゾーンに現れた。そして不調の理由として、大学生になった昨季から自主性を重んじた練習をするようになったことを挙げている。
「これをきっかけに、次はしっかり勉強して、来シーズンは自分にとっていい方向に考え直さないといけないなと思いました」
連覇を懸けて臨んだ全日本で味わった、思いがけない屈辱だった。
コロナ禍の中で続けてきた地道なトレーニングが花開いた
そして今季、ショート・フリーとも完璧な演技で優勝した昨年11月のNHK杯で、坂本は前シーズンの反省を生かして練習してきたことをうかがわせる発言をしている。苦戦した昨季と何が違うかという問いに「(新型コロナウイルス感染拡大による)自粛で1カ月半滑れなかった分、いつもできていなかった体づくりをしっかりやることができたので、そこがまず大きな違い」と答え、言葉を継いだ。
「今シーズンはまだこけてはいないので、そこは1カ月半トレーニングを頑張ってきた成果が出たかなと思います」
スケーターとしては歯がゆいはずの氷に乗れない時期に、体をつくる地道なトレーニングに励めた原動力となったのは、それまで勝負強さを見せてきたはずの全日本で味わった悔しさだったのかもしれない。
そして昨季との違いは、高難度ジャンプへのアプローチにもある。4回転やトリプルアクセルを持つロシア選手がジュニアからシニアに上がった昨季を前に、坂本はトリプルアクセルをプログラムに入れようと試み、シーズン後半からは4回転トウループにも挑んだが、習得には至らなかった。大技への過剰な意識から、本来強みとして持っていた大きな3回転ジャンプまで崩れてしまったのが、昨季の不調の原因だったといえるだろう。
NHK杯からショートの構成を変更。その意図は?
坂本は昨夏も4回転トウループを練習していたものの、シーズンに入り大会が始まると、既に持っている3回転ジャンプを効果的に点数につなげる方法で戦ってきた。さらに昨年11月のNHK杯からは、ショートの構成を変更。3回転ループの代わりに、エッジエラーが多いことから今まで回避していた基礎点の高い3回転ルッツを入れ、3回転フリップ―3回転トウループを基礎点が1.1倍になる後半に跳ぶ3本目のジャンプとして組み込む構成にグレードアップしている。振り付けを担当したブノワ・リショーから、NHK杯の約2週間前にLINEで来た指示による変更だった。
NHK杯で、坂本はショートで跳ぶのは「5年ぶりぐらい」だという3回転ルッツを2.01の加点がつく出来栄えで決め、後半に入れたコンビネーションジャンプもきっちりと成功させた。さらにフリーでも、全ての要素を加点がつく出来栄えで滑り切り、ショート・フリーとも1位の完全優勝を果たす。もともと飛距離があり加点を得られるジャンプを持つ坂本が、その強みを効果的に生かす勝ち方を手に入れたように見えた。
演技構成点で全選手中トップのスコア。坂本の魅力に満ちたスケーティング
雪辱を期して臨んだ今季の全日本、坂本は練習の時に「勝手に涙が出てくるぐらい緊張」していたという。ショートでは、3回転フリップ―3回転トウループを予定していたコンビネーションのセカンドジャンプが2回転になるミスをしている。それでも結果的には2位発進となったものの、ミックスゾーンの坂本は悔しそうだった。
「これだけ練習したのに本番でできないっていうのは、本当に情けないことなので『悔しい』の一言です」
「(ジャンプの)入りのカーブがちょっと違ったら、ちょっとずつ崩れ出したなって思ったんですけど、なんとかこけずにこらえただけましかなと」
「(失敗した)ジャンプもあれが最後で、後のリカバリーを考えることもなかったので『あとはステップとスピンでしっかりレベル4をとって加点を稼ぐしかないな』と思って、必死に頑張りました」
「点数は思ったより出たので、フリーをどうやってやるか次第。このミスを引きずらずに、あさってのフリーをしっかりしたいなと思っています」と言って臨んだ2日後のフリー。昨季から滑る『マトリックス』は、継続が正解だったと思える、坂本ならではの魅力に満ちたものになった。1年前の全日本ではセカンドジャンプをつけられなかったことから全てが狂いだした2番目のジャンプ、3回転フリップ―3回転トウループを決めると、勢いに乗る。3回転ルッツがエッジエラーと判定された以外は、全てのステップ・スピンでレベル4を獲得し、ほぼパーフェクトな滑りを見せた。何より、坂本の魅力であるスケーティングのスピードがプログラム全体に疾走感を醸し出し、演技構成点は5項目のうち4項目が9点台で、全選手中トップの74.23という高得点をマークしている。フィギュアスケートの根幹であるスケーティングの大切さを再確認させてくれる、素晴らしいフリーだった。
自分よりもライバルの方が上。坂本が見つめる現状の立ち位置
「何個か危なかった部分はあったんですけど、この全日本で去年のリベンジができたので、それが今は一番うれしいです」
フリー後のミックスゾーンで、坂本はうれしそうだった。
「ショートが終わってから、先生に『勝ちにいっちゃだめ』って言われて。やっぱり勝ちにいこうとすると変に力が入ったりとか、本来の演技ができなかったりするので『いつも通り肩の力を抜いて、自分の演技に集中しなさい』とショートの後に言われました。それから1日空いたんですけど、そこからしっかり切り替えて『自分の本来やるべき演技をやろう』という気持ちで臨めたのがすごくよかったかなと思います」
フリー後、テレビのインタビューに答えながらモニターを見ていた坂本は、直後に滑走した紀平梨花が4回転サルコウを決めたのを確認し、思わず「降りた!」と漏らしている。坂本は、今までも他の選手が跳ぶ高難度ジャンプへの意識を隠さなかった。銀メダリストとして臨んだこの全日本の記者会見でも、現状ジャンプの難度で勝る紀平が自分よりも上にいるという認識を示している。ミックスゾーンで紀平の234.24という合計点を聞き「すっご」と口にしていたことについて、坂本がショートとフリーをノーミスでそろえた時の点数(NHK杯での坂本の合計点は229.51)とさほど離れていないのではないかという質問に、坂本は「うーん、どうなんだろう」と少し考えてから、言葉を継いだ。
「でもやっぱり今回自分がマックス、最高の演技をして(得点を)出せたとしても、4回転を跳んだ梨花ちゃんの方がやっぱり(点数は)高かったのかなって思う。やっぱり大会によって点数の出す基準とかもどんどん変わってきちゃうので……。今回は、と考えると、4回転もトリプルアクセルも跳んだ梨花ちゃんが上だなと思いました」
高難度ジャンプを意識し過ぎて崩れた昨季。今の4回転への意識は…?
さらに、この応答を受け「夏の合宿では4回転を練習していたが、あらためてこの試合が終わって、4回転への意識は変わったか」と問われると、坂本は複雑な胸中を明かした。
「そうですね、やっぱり今シーズン、NHK杯でショートもフリーもほぼノーミスでできてあの点数、となって、それ以上を狙うとやっぱり4回転とか必要になってくると思うので……。4回転だけを考えてしまうと、自分を見失ったまま、気持ちだけが先走ってしまう去年みたいな状態になるので、現状を保ちつつ、プラスアルファで4回転とかの練習もできたらいいかなと思います」
紀平の4回転ジャンプ成功を目の当たりにした坂本だが、NHK杯で自分の勝ち方を確認した今、昨季のように迷路に入り込むことはないだろう。
「今年1年、きつくても自ら追い込めたのがよかったかなと思うので、来年はもっと自分を苦しめて、いい結果につながるように頑張りたいなと思っています」
記者会見を力強い言葉で締めた坂本は、自らの強みを磨きながら北京五輪へと向かっていく。
<了>
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