
紀平梨花が開けた、世界頂点への道程。ジュニアから研鑽を続けた“武器”でロシア勢に挑む
全日本女王の貫録を見せつけた。非公認ながら自身初の4回転サルコウを決め、自己ベストを上回った。だが近年その強さをさらに際立たせているロシア勢とはまだ大きなスコアの差がある。
それでも間違いなく断言できる、世界の頂点への道程が開けたと。なぜなら、彼女にはジュニア時代から研さんを積み続けてきた、唯一無二の武器があるからだ――。
(文=沢田聡子)
紀平が初めて4回転を成功させた一方で、ロシア選手権では…
昨年末に行われた全日本選手権・女子シングルでは、紀平梨花が試合で初めて4回転サルコウを決め、連覇を果たした。金メダリストとして臨んだ記者会見で、紀平は収穫と課題を振り返っている。
「今大会はショートもノーミスをすることができ、フリーでは決めたいと思っていた(4回転)サルコウを決めることができて、いい収穫もあります。それに課題もたくさん見つかって、いろいろなところで自分のベストではないジャンプもありましたので、そこを次の大会では修正して、完璧な演技を目指していきたいなと思います」
一方、全日本と重なる日程でロシア選手権が行われており、特に注目を集めた女子シングルでは目下世界をけん引するロシア女子スケーターたちのハイレベルな戦いが繰り広げられた。フリーで選手たちは4回転を次々と成功させ、優勝したアンナ・シェルバコワがルッツとフリップ、総合2位のカミラ・ワリエワがトウループ2本(単独とコンビネーション)、総合3位のアレクサンドラ・トゥルソワがルッツ2本(単独とコンビネーション)を決めている。どちらも国内選手権であることから単純に比較することはできないが、ロシア選手権を制したシェルバコワのフリーの得点は183.79、合計は264.10であるのに対し、紀平のフリーの得点は154.90、合計は234.24だった。
ロシアで3人が2本の4回転を跳んだことを、紀平はどう捉えた?
ロシア選手権で表彰台に乗った3人がフリーで各2本の4回転を決めたことを知っているか、また4回転とトリプルアクセルという武器を持った自身の立ち位置をどう考えているのか、全日本のメダリスト会見で問われた紀平は、次のように答えた。
「私も自分のことに精いっぱいでなかなか演技自体は見られなかったのですが、点数と順位は拝見させていただいて、私も目標としている(フリーの得点)160点台や、もっと高い点数の選手もたくさんいて、すごく刺激にもなりました。常に、もっと完成度の高い演技を目指していきたいなと思います。今回自分の中では、いろいろなところで大きなミスが多かったです。ステップなどの部分や着氷の乱れがあり、構成もちょっと落としていますので、その部分を修正して、私も世界選手権でロシアの選手とちゃんと戦っていけるレベルにもっていって、完璧な演技を目指したい」
冒頭の4回転サルコウ以降も大きなミスがなかった紀平のフリーだが、4回転の直後に跳んだトリプルアクセルは軽度の回転不足と判定されている。昨季まで安定感があったトリプルアクセルは、4回転の後に跳ぶことに慣れれば加点を得ることができるだろう。また、ステップシークエンスとスピンの各1つずつがレベル3と判定されたが、総合力の高い紀平であれば今後は最高のレベル4を狙えるはずだ。
紀平が明かしていた、理想の演技構成とは?
さらに、全日本前にテレビの報道番組で紀平が明かした理想の演技構成では、全日本・フリーの実際の演技で4回転サルコウの後に単発で跳んだトリプルアクセルが、後ろにトリプルトウループをつけたコンビネーションジャンプになっている。このトリプルアクセル―トリプルトウループは、紀平が2017年ジュニアグランプリファイナル(名古屋)において女子としては世界で初めて成功させた連続ジャンプで、紀平の切り札といえる。さらに理想の構成では、実際はダブルアクセル―トリプルトウループを跳んだ後半最初のジャンプはトリプルアクセルに、跳ぶ際痛みがあったルッツを回避してダブルアクセルにした最後のジャンプはトリプルルッツになっている。一番の目標は4回転成功だったであろうこの全日本に、トリプルアクセル2本ではなく1本の構成にして臨んだことは賢明だったといえる。しかし紀平が本当に目指すのは、4回転1本・トリプルアクセル2本を組み込む超高難度の構成なのだ。
伊藤みどり、浅田真央と、日本女子のエースが伝統的に世界で披露してきたトリプルアクセルは、紀平にとり2018年グランプリファイナルを制し、一気に世界のトップに駆け上がったシニアデビューシーズンの躍進を支えた武器でもある。今回の全日本・フリーで、紀平が4回転を初めて成功させた直後に、回転不足とはいえトリプルアクセルを着氷させたことには大きな意味がある。紀平自身「今回、ショートの朝練ではすごくトリプルアクセルの調子がよかったのですが、それ以降は疲れもあってか、はまるジャンプが少なくなっていて『アンダー(ローテーション/軽度の回転不足)かな?』というようなジャンプしか、試合では決められなかったです」と反省しつつ、手応えも得ている。
「それでも、あの調子の中でちゃんと着氷できたのは自分の自信にもなりますし、4回転と(トリプル)アクセルを一応どちらも試合で決められたというのは、すごく自分の中で大きなものかなと思います」
ジュニア時代から研さんを積んだトリプルアクセルは、大きな武器になる
ちなみにロシア女子の中では、昨季グランプリファイナル女王のアリョーナ・コストルナヤが高さのあるトリプルアクセルを武器にしており、エリザベータ・トゥクタミシェワも継続的にトリプルアクセルを跳んでいる。しかし今回のロシア選手権では、新型コロナウイルスに感染したコストルナヤが欠場。また同じくコロナに感染したトゥクタミシェワはいつもの体の切れを欠き、トリプルアクセルをきれいに決めることができずに7位に終わっている。また優勝したシェルバコワはトリプルアクセルを構成に入れておらず、2位のワリエワはショートで両手を上げた姿勢でのトリプルアクセルに挑んだものの、転倒。3位のトゥルソワは試合でトリプルアクセルに挑んだことはあるが、今回は回避している。男子顔負けの高難度構成が多く見られた今回のロシア選手権・女子ですら、加点のつくトリプルアクセルは一本も見られなかった。
また、現状のルールでは4回転を跳ぶことができない女子ショートでは一番難しいジャンプであることも、トリプルアクセルの価値を高めているといえる。紀平が全日本のショート冒頭で決めたトリプルアクセルには、2.17の加点がついている。紀平がジュニア時代から失敗を重ねながら挑み続け、シニアデビューシーズンでようやく自分のものにしたトリプルアクセルは、これからもロシア女子と競う際の大きな武器となるはずだ。
「リンクの中では一人で戦うということは変わらない」
3月にスウェーデンで開催される予定である世界選手権の日本代表に選ばれた紀平は、会見で「ショート・フリーともに修正できるところは全て修正して、ロシアの選手とも戦っていけるようなもっともっと高い点数を目指して、頑張っていきたい」と意欲を語っている。
また、世界選手権で自分のライバルになりそうな選手、または気になる選手、最終的に自分が目指す順位を問われ、紀平は「世界選手権で海外のたくさんの選手と戦うことになりますが、やっぱりリンクの中では一人で戦うということは変わらないと思いますし、私も今回全日本でも、本当に周りの選手の点数をまったく気にせず自分の演技だけを考えてやっていた」と答え、言葉を継いだ。
「世界選手権になってもどんな試合であっても、目指すのは自分の理想の演技だと思うので、特に気持ちも変わらず、しっかり集中できれば世界選手権でもちゃんと自分の目標となるような演技ができると思う。あとは、意識している・気になっている選手というのは、やっぱりロシアの選手かなと思っています。自分は今回初めて4回転を決めることができましたけれども、まだまだたくさんもっと難易度の高い4回転を跳んでいらっしゃったり、確率良く毎回の試合で安定感のある高い得点を出している選手ばかりなので……。私ももっと高い点数を安定して出すということが課題かな、とも思っている。今回の反省点や修正するポイントを、世界選手権でしっかり直していきたい。世界選手権には、『修正するどのポイントもない』と思えるような、自分が満足いく演技を目指して、自分のことだけに集中して挑みたいと思います」
「世界選手権が開催されたら、ショート・フリーともに、自分で『もうこれ以上できない』というような演技ができたらいい」と前を向く紀平。4回転サルコウの成功は、コロナ禍のシーズンで紀平が積んできた努力のたまものであると同時に、世界の頂点へ近づく道程の始まりでもある。
<了>
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