
なぜ三笘薫は「ハートマーク」を掲げたのか? J1新人最多得点時に“ヒーロー”が果たした約束
自らの決勝点で天皇杯制覇。最高の形で2020シーズンを締めくくった川崎フロンターレの背番号18、三笘薫。大卒1年目のルーキーながらMVP級の躍動を見せたJ1リーグでも堂々のベストイレブン選出。そんな充実したシーズン終盤の12月16日、J1新人最多得点記録に並ぶ13点目を決めた後、三笘は両手で「ハートマーク」を作ってみせた。その初めて見せたゴールパフォーマンスには難病を抱えた小学生とのある“約束”があったという。
(文=江藤高志、写真=Getty Images)
果たされたゴールパフォーマンスの「約束」
2020年12月16日。三笘薫が新人得点記録に並ぶシーズン13点目を決めたのが、明治安田生命J1リーグ第33節の浦和レッズ戦でのこと。山根視来からのクロスを頭で合わせたファインゴールだった。逆転ゴールにもなったこの得点後、三笘は自らの両手でハートマークを作った。初めて見るゴールパフォーマンスだった。
「勇太は、三笘くんが自分との約束を忘れずにやってくれたことを本当にうれしがっていました。病気のことを知って、ゴールパフォーマンスを約束してくれて、最初のゴールでしたから」
三笘のあのゴールパフォーマンスを見て、力をもらった少年がいた。ペルテス病という難病と戦う小学5年生の広木勇太くんだ。三笘は勇太くんに、あのゴールパフォーマンスをすると約束していた。約束通りのゴールパフォーマンスを見た勇太くんは喜びのあまり叫び、ご両親は涙した。勇太くんが担当医を驚かせる回復を見せたのは、このゴール後の診察の時のことだった。
三笘と勇太くんとの接点は、筑波大学蹴球部の地域貢献活動がきっかけだった。筑波大学蹴球部は地域の少年団を対象に選手を派遣しコーチを務めてきた。その絆もあり少年団は日程が合えば筑波大の試合を応援してきたという。
もちろん最初は、少年団に来てくれた学生コーチを目で追う子どもたちだが、次第に応援する選手は固定されていった。当時から圧倒的な存在感を示していた三笘が注目を集めるのは当然の流れで、三笘に教わったわけではない勇太くんも三笘のプレーに魅了されていった。
勇太くんが幸運だったのは父の広木仁さんが三笘と個人的なつながりが持てたということ。広木さんはラジオ番組でパーソナリティーを務めているのだが、2019年6月に三笘がゲスト出演。それがきっかけで広木さんが経営する整骨院で試合後のコンディション調整などの施術を受けるようになり、ともに食事をしたりサッカーをしたりする仲になった。
そんな勇太くんは5年生からが対象になる2020年の茨城県南トレセンに選ばれている。
「200人ほどが受けて50人ほどが受かります。そこで認められると、茨城全体のトレセンに入ることができます。GKの塩田仁史選手や曽ヶ端準さんはこのルートでJリーガーにまでなられていて、そういう意味で登竜門のステップの一つを踏めたわけです」(仁さん)
「まさかうちの子が」足の痛みを訴えた勇太くんの診断結果
勇太くんがトレセンでもらった背番号は偶然にも18。憧れの三笘と同じ背番号に練習へのモチベーションは高まっていた。そんな勇太くんが足の痛みを訴えたのは、2020年の9月ごろだった。
「最初はかかとが痛いと。ただ私の整骨院でもかかとの痛みから治っていく子どもたちを見ていましたし、整形外科でのレントゲンによる診察でも特に問題なしとのことでしたので、かかと用のインソールを作ったり、本人に無理がかからない程度にサッカーを続けさせました。ただその間に少しずつ症状が悪化してしまって。それが難病だとも思っておらず、まさかうちの子がという感じでした」
症状は11月に入り悪くなる。かかとに加え、股関節の痛みも訴え始めた勇太くんは、11月5日に行われた運動会で実力通りに走れなかった。徒競走が得意だった勇太くんは最下位という結果に悲しさや悔しさを見せており、またそんな勇太くんを見て、ご両親も何かがおかしいと考え始める。
14日には所属する少年団の最後の公式戦で2試合に出場する予定だった。ところが1試合目で足に痛みが出てしまい、2試合目は回避せざるを得なかった。この14日は川崎が県立カシマサッカースタジアムで鹿島アントラーズと対戦する試合日で、広木さんご一家は三笘が手配したチケットでスタジアム観戦している。ただ勇太くんは足の痛みがひどく、広木さんがおぶわなければならない状態だった。
川崎が1-1で引き分けたこの鹿島戦から6日後の11月20日。遠足に参加した勇太くんは今までにない足の痛みに襲われ、泣いてしまうほど。翌日に整形外科を受診したが、原因はわからなかった。
「この時、より高度な検査ができる筑波学園病院を紹介されて、その検査の結果、ペルテス病の疑いがあると告げられました。ただより確実に調べるために改めてMRIの撮影を行う必要があるとのことでした」(広木さん)
後日、学園病院でMRIを実施し、小児整形にも実績のある筑波大学附属病院への転院を勧められる。
「12月10日に筑波大学附属病院に行きまして、ペルテス病でほぼ間違いないだろうとのことで、診断されました。ただ勇太の場合、初期の痛みがかかとに発生していて、それがペルテス病の初期の症例と合致していなかったことも判断が難しくなった理由だそうです」
ハートマークを作りながら三笘は「ゆーた」と口にした
そんな勇太くんの病状について、広木さんが三笘に伝えたのが11月28日のことだった。
「当時はまだ病名は確定していなかったのですが、ほぼペルテス病だとのことで、そう伝えました。病気の説明を聞いた三笘くんは困惑していましたが、『だけど僕にできることはやります』と言ってくれました」
電話越しに会話していた三笘は、次に点を決めた時のゴールパフォーマンスを勇太くんが希望するものにすると約束する。
「妻がハートが好きで、そういう服をよく着ていることもあり、指でハートマークを作るポーズをやってもらおうと。三笘くんも『簡単でわかりやすいものがいいです』と言ってて。それで勇太にそのポーズを取らせた動画を撮影しました」
勇太くんが実演したこのゴールパフォーマンス動画は三笘に送信された。
そもそも、ペルテス病とはどんな病気なのか。10万人に数人の確率で発症する原因不明の難病で、血行障害により大腿骨頭が壊死するという。発症から完治までは通常3〜5年ほどの時間が必要で、痛みが収まっても患部が変形した状態で骨が再生することが多いという。その影響は大人になって現れ、30〜50歳ごろに変形性股関節症を発症し痛みや歩行障害が生じてしまうという。
12月10日にペルテス病と診断された勇太くんは、その日のうちに歩行用の装具の型取りを実施。この2日後の12月12日は勇太くんの10歳の誕生日だったが、車椅子でのお祝いとなった。
ちょうどこの日、三笘はアウェイでサガン鳥栖戦を戦っている。先発出場した三笘だったが、前半8分と後半61分の決定機をミス。三笘には誕生日のことは伝えていなかったとのことだが、改めて見返す画面越しの表情の中に、ゴールパフォーマンスを届けられなかった悔しさが込められているようにも思えた。
決定機を逃していただけに、この鳥栖戦から中3日の浦和戦のゴールは喜びに満ちていた。三笘は鳥栖戦でのミスを繰り返すことなく頭で逆転ゴールを押し込む。約束通りのゴールパフォーマンスは勇太くんの動画そのもので、ハートマークを作りながら三笘は「ゆーた」と口にしていた。そして噛みしめるように、喜んだ。
2020年、三笘が高い評価を受けた理由
三笘が浦和戦で決めた得点は、先制された試合の逆転ゴールで、さらに日常的に質問され、意識させられてきた新人選手の最多タイ記録の得点だった。つまりJリーグの歴史に残る得点で、ゴールできた喜びは強かったはず。約束のゴールパフォーマンスが抜けてしまったとしてもおかしくはなかった。それでも三笘は勇太くんとの約束を忘れなかった。
「忘れてました、また今度で、ではなかったですね。ちゃんとゴールを決めて、パフォーマンスしてくれるその優しさに、三笘くんはサッカーだけではないんだなと感じました。すごい選手だなと思いました」
うれしさの余り叫んでしまったという勇太くんは、このゴール後の診察で担当医を驚かせたという。
「治るまでには年単位でかかる病気なのですが、先週(2020年12月24日)の診察時に順調に回復しているとのことで先生から驚かれました。今は勇太に合わせて作られた装具を付けて歩いているんですが、装具がなくても痛くないというくらいにまで安定しています」
勇太くんの足がこれから先、どこまで治るのかはわからない。ただ勇太くんは、三笘がそのゴールとゴールパフォーマンスとで自分を励ましてくれたように、自分も人を勇気づけられる選手になりたいと言い始めたのだという。
「正直な話、治ってサッカーができるようになるのか、先生はわからないと言います。でも勇太と一緒にそこを目指したいと思っています。そうしないと難病で夢を諦めている人に夢をあげられないじゃないですか。せっかく三笘くんに力を与えてもらって、症状が安定して。だから自分も三笘くんみたいにいろんな人を元気にするんだと。サッカーを通して元気にするんだと勇太は言ってます」
新人得点記録にあと1点と迫る12点目を決めた30節(11/18)の横浜F・マリノス戦以降、三笘が貪欲にゴールを狙っていたとしても誰も文句は言わなかった。それでも三笘は自らの得点と同じか、それ以上にチームプレーを考えていた。それは優勝を決めた29節(11/25)のガンバ大阪戦からのアシスト数でも明らかだ。G大阪戦で2アシスト。31節(12/5)清水エスパルス戦が1アシスト、浦和戦が1アシストで最終節(12/19)柏レイソル戦は2アシスト。三笘は自分で打てた場面でも冷静に状況を判断して、ラストパスを出し続けた。
ルーキーながらMVP候補とされ、ベストイレブンにその名を連ねた三笘は、ドリブルが得意な、得点に絡めるサッカーがうまいだけの選手ではない。周りを生かせる選手だからこそ、ここまでの高い評価を受けた。
受け取った手紙と、ヒーローの言葉。
2020シーズンを自らのゴールで締めくくる天皇杯での優勝後、オフを利用して勇太くんと再会した三笘は「11月28日の約束後、ゴールを決めてポーズをするんだと強く思っていたよ」と勇太くんに話したのだという。
そして勇太くんからのお礼の手紙を受け取った。
「この前、サッカーの試合でおねがいしたポーズをやってくれてすごくうれしかったです。ありがとうございました。今、足のちょうしが悪いけど、今は、自分の足を治すのをがんばります。なのでみとま君も、サッカーでいっぱいかつやくしてね」
こう書き出された手紙を読んだ三笘は、勇太くんが手紙に書いた「みとま君みたいに、みんなに元気をあたえて、みんなが喜ぶサッカー選手になりたいです」という思いに対し「勇太ならできるよ」と励ました。ヒーローのその言葉に、勇太くんは笑顔で応えたという。
<了>
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