
羽根田卓也が「勘違いしない」理由。ブレない信念と「マツコさんが張ってくれた伏線」への感謝
2016年、カヌー競技ではアジア人として初めてのメダリストとなり、一躍脚光を浴びた羽根田卓也。「ハネタク」の愛称、イケメン選手として特集されることも多い羽根田は、リオ以降の“フィーバー”をどう捉えてきたのか?
(インタビュー・構成=大塚一樹[REAL SPORTS編集部]、写真=Getty Images)
想像以上のメディア露出。それでも「チャンス」と捉えて
――リオデジャネイロ五輪での銅メダル。ものすごい快挙だったと思いますが、ご自身でメダルを獲得したとき、ここまでメディア露出があると思っていましたか?
羽根田:いや、していなかったですね。過去の大会のメダリストの方々を見ていて、オリンピック後のメディア露出とか、何となく想像はしていたんですけど、ここまでとは思っていませんでした。途中から「これは、次に東京五輪があるからなんだろうな」ということがわかり始めて、自分としても東京五輪に向けてよりカヌー熱を高めたかったし、東京五輪に向けて頑張っている姿を伝えようともしていたので、リオの熱を、なるべく東京に向けてより高めていくという努力はしました。
――メダル獲得以降、一気にメディア露出が増えて、何が何だかわからないうちにわっと巻き込まれたなみたいな感覚はなかったんですか?
羽根田:メダリストの方の中にもメディアには一切出ない方がいたり、いろいろな考え方があると思うんですが、自分は自分のやってきたカヌーという競技、自分だけじゃなくて先輩や後輩、みんなで取り組んでいるカヌーを、どうにかして世間に知ってもらいたいという思いが人一倍強かったので、これだけのチャンスを与えてもらっているから、そこはもう最大限に生かしてアピールするのが、カヌー代表としての仕事だと思ったんです。
だから、とにかく人の目につくように、カヌーという文字や映像が人目につくように自分が求められるなら出させてもらおうということでやっていました。正直、今じゃちょっと出演をちゅうちょしてしまうような番組とかメディアとかというのも、もうほぼ断らずに。
――切り口がスポーツ、競技ではない番組にも、カヌーの露出の可能性があるなら出演しようという。
羽根田:さすがにクイズ番組とかは出演しませんでしたけど、とにかく自分やカヌーを取り上げてもらえるというのをベースに置いていました。周りから見れば「むやみやたらなメディア出演」というところもちょっとあったかもしれませんが(笑)、大前提はカヌーを取り上げてくれる、掘り下げてくれるなら、僕は出ますという感じでいました。
「ハネタク」と呼ばれて。マツコ・デラックスへの感謝と反響への葛藤
――中でもマツコ・デラックスさんが「ハネタク」というニックネームをつけたことが、スポーツやカヌーに関心のない人に知ってもらうきっかけになりました。羽根田さん自身もマツコさんへの感謝、メディアの影響の大きさについて話していますよね。
羽根田:マツコさんが番組で取り上げてくれたのは、リオ五輪の前だったんですね。今にして思えば、マツコさんが絶妙な伏線を張ってくれたんですよね。オリンピックで自分が結果を出すことができて、伏線の回収に至ったという(笑)。
――注目のされ方としては、注目のイケメン選手というくくりで、「ハネタク」という愛称にしてもそうですけど、そういう取り上げられ方を嫌がるアスリートもいると思います。例えば競技に関係ないのに「上半身を脱いで撮らせてください」というリクエストもあったりすると思うんですけど、そのへんはどうですか? 葛藤とかはなかったんですか?
羽根田:ありますね。今もあります。「それはちょっと」と思うこともあるし、実際に断ることもたくさんあります。あるんですけど、やっぱり自分の中では、やっと注目していただいたという思いが強くあったので、特にリオの直後なんかは、自分の好き嫌いでそういうチャンスを断ってもいいのかなとか、もったいないことしているんじゃないかなという責任感みたいな思いがありましたね。
それまで本当にメディアに取り上げてもらえない中でやってきたので、多少「違うかな?」と思ってもやってみようと思っていました。もちろん「やっぱり違った」ということもたくさんあって、メディア露出とかテレビ出演を重ねるごとに、自分にふさわしい、カヌーにとってよりプラスになる露出、出演の仕方をこの4、5年で学んできたということもあります。
――日本では特にメディア露出が増えると、「調子に乗ってる」とか、「いい気になっている」みたいな声も出てきますよね。競技で結果が出なかったら、「テレビばかり出ているからだよ、練習しろ」みたいなことを言う人もいます。
羽根田:そこの葛藤はすごくありますね。やっぱり言われますし、僕なんかその最たる例だと思いますけど、もう自分でも信じられないくらい華やかな商品のPRに起用してもらっているので。結果が出なかったらやっぱり言われるし、取り上げられ方も含めて今でも葛藤はすごくありますね。
その中で自分が心がけているのは、自分が求めていることを自分で理解して取り組むこと。東京五輪という目標に対して常にブレない自分がいる。一番大切なのは競技で、メディアに出るのもカヌーの露出や普及につながるという目的があるということを理解した上で出る。自分で理解するだけじゃなくて、SNSなどを通じて皆さんにも競技に向かう姿勢や自分が求めていることを見せるように心がけています。
言葉で詳しく説明するわけじゃなくて、華やかな場でこういう写真も撮っているのも自分だけど、競技に没頭して、オリンピックに向かってまい進している姿は、必ず見せる。そこは裏切りようのないようにしています。
「後輩に対して、夢を持ってもらいたくてやっているという意識は一切ない」
――競技の普及、「子どもたちに夢を」みたいな文脈では、例えばカヌー競技をやってメダルを取れれば、こんなにいい車に乗れて、こんなにいい時計をつけられてみたいなことで憧れの対象になるみたいなアプローチもあります。その善しあしは別にして、羽根田さんは、あまりそういう風に考えていないなと感じるのですが、そこはどうですか?
羽根田:そこに関しては、僕は後輩に対して、夢を持ってもらいたくてやっているという意識は一切ないですね。カヌーの置かれている状況、現実が嫌というほどわかっているので、カヌーをやっている以上難しいと思うんですよね。
自分にテレビ出演や雑誌の撮影、スポンサーのお話をいただいたときに、「なぜこのお話が自分にきたのか?」はめちゃくちゃ考えるようにしているんです。できるだけ冷静に、客観的に、こういう理由、経緯があってお話をいただいている。メダリストだとか、東京五輪があって注目されているとか、決して自分だけの力とか魅力じゃない。現実をしっかり理解してお話を受けるようにしているんですよ。だから、自信を持って言うんですけど、調子にも乗っていないし、過信も慢心も絶対していない。
仕事が舞い込んでくること、スポンサーがつくことの厳しさとか現実は理解しているつもりなので、変に派手な姿を見せて、後輩に「お前もこういうふうになれるよ」なんて気持ちでやっているつもりは一切ないんです。
――環境が急に変わったり、ちやほやされたりすると、人間誰しも勘違いする面ってあるのかなと思うんですけど、羽根田さんは、そもそも勘違いしない人なのか(笑)、勘違いしないように自分を制御しているのか、それはどうですか?
羽根田:努めて制御するようにもしていますし、これ自分の中で幸運だったなと思うのが、こうやって結果が出て、注目されるようになったのが、割と年を取ってからということ(笑)。
――リオで銅メダルを取ったのは29歳の時でした。
羽根田:これが二十歳そこそことかで、これだけ注目されたり、スポンサーがついたりしたら、あまりよくなったなと思いますね。18歳でスロバキアに行って感じた壁だったり、それ以前からなかなか知名度の上がらないカヌー競技を続ける上での活動をしてきたこととか、自分の中でいくつもの壁があってつかんだものだし、その上でいただいているお話だということを自分なりに理解しているので。
自分が「現実を知っている」と言うつもりはありませんが、なるべく現実と向き合えるように競技と付き合ってきたところもあります。今の状況がずっと続くとも思っていないので、長続きする努力を続けながら冷静に客観的に周りの状況、自分のことも見ていますね。
――たしかに現時点では日本でカヌーが一気にメジャーになって、プロスポーツとして花盛りになるという状況は、実現が難しいですよね。羽根田さん一人が脚光を浴びて、仮にめちゃめちゃお金持ちになっても、カヌー界全体に対しての恩恵は少ないという可能性もあります。
羽根田:大いにありますね。実際にカヌーという競技を認知してくれる人は増えましたが、カヌー人口が増えてきたとか、カヌーを始める子どもが増えたというところまではいっていない気がします。それとこれとはまた別問題なんだという現実も勉強させてもらいましたし、今は「東京でオリンピックが開催される」という一つの盛り上がりに向かっていることも重々承知しています。
――社会でも企業でも、持続可能性の重要性が言われていますが、東京五輪以降もカヌーが持続可能な競技として残っていくために、種をまいているという意識もある?
羽根田:そうですね。実際にカヌー体験会をやったりとか、カヌーツアーとか、そういう模索、実行はしています。競技成績ありきのカヌー選手から少し離れて、自分に何ができるだろう? と考えたり、体と時間が許す限りは、自分の経験と知識を、できるだけアウトプットしたいと思いますし、それが自分の使命だと思っています。
例えば、カヌーのトップ選手に対して、国際的に活躍するためのコーチングもできると思いますし、ちょっと違う視点で、例えばカヌーを始めるきっかけづくりや、もっと広く、スポーツや体を動かすことの楽しさとか、何かに没頭することの大切さとか、そういうことも未来を担う子どもたちに伝えていきたいとも思っています。
どういう場で、どういうふうに求められるのかわからないですけど、自分が発信できることとか、自分が残せるもの、伝えられるものというのは惜しみなく、未来を背負う子どもたちに伝えていきたいなと思っています。
<了>
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PROFILE
羽根田卓也(はねだ・たくや)
1987年生まれ、愛知県豊田市出身。ミキハウス所属。9歳から父と兄の影響でカヌーを始める。高校卒業後に単身、カヌー強豪国であるスロバキアへ渡り、以降同国を本拠に国際大会で活躍。2008年北京大会でオリンピック初出場。ロンドン大会で7位入賞、リオデジャネイロ大会では、カヌースラローム競技でアジア初となる銅メダルを獲得。2018年アジア大会で金メダル、2連覇を達成した。東京大会でさらなるメダル獲得を目指す。
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