
上野由岐子は「投げ過ぎ」じゃない? 野球で問題視される肩肘の負担、ソフトボール・メダリストはこう見る
13年ぶりにオリンピック種目として復活したソフトボールで連覇を狙う日本代表は27日、数々の国際大会で覇権を争ってきたアメリカ代表と金メダルを懸け、決勝を戦う。熱戦を繰り広げてきた予選ラウンドで、ファンの間で大きな話題となったシーンがあった。それが「上野由岐子の金属バットへし折り」と「1死三塁からの連続故意四球」だ。また近年野球界で「投げ過ぎ」問題が取り沙汰されているが、「上野の肩肘は大丈夫なのか?」。シドニー五輪のソフトボール銀メダリストで、現在は淑徳大学で監督を務める増淵まり子氏に解説してもらった。
(取材・文=中島大輔、写真=Getty Images)
野球と「似て非なる」魅力を体現するソフトボール日本代表。話題の“あれ”を聞く
3大会ぶりに正式種目として行われている東京五輪で、7月27日夜8時、女子ソフトボール日本代表が決勝戦に挑む。相手は国際舞台の頂上決戦で何度も激突してきたアメリカだ。
ここまで予選ラウンドの5試合は、実に見どころが多かった。宇津木ジャパンがソフトボールの魅力として体現しているのが、野球とは「似て非なる」部分といえるだろう。
ソフトボール独特の見どころとして、よく指摘されるのがスピーディーな守備だ。実際、7月26日のアメリカ戦で日本は世界トップレベルのナイスフィールディングを連発した。ショートの渥美万奈は三遊間深くのゴロを逆シングルで捕球し、素早い送球でアウトにしている。5回裏、相手の送りバントに内野陣が猛ダッシュをかけ、投手→遊撃手→一塁手と転送してダブルプレーに仕留めたプレーにはソフトボールの面白さが凝縮されていた。
日本が見せる好守備の背景について、シドニー五輪日本代表として銀メダルを獲得した増淵まり子氏(淑徳大学女子ソフトボール部監督)が解説する。
「日本の守備には“見えないファインプレー”が非常に多くあります。アメリカ戦を見ていて、『この投手がこの場面で投げたら、こういう打球が来る』と野手陣はみんな分かっているんだなと感じられましたね。合宿を積み重ね、お互いを信頼し合っているからこそできる守備です」
プロ野球ファンを「たまらん」とほれぼれさせる好守備を連発する遊撃手の源田壮亮(埼玉西武ライオンズ)は、小学生時代はソフトボールに熱中していたことが知られている。ソフトボールでは小さなミスが命取りになるため、自然と華麗なグラブさばきや素早い送球が養われたのだろう。
メダリストはどう見た①:相手の金属バットをへし折った上野由岐子の投球
オリンピック史上初の無観客開催となっている今回、テレビ観戦するファンはSNSに投稿して楽しんでいる。その中で、ソフトボールで話題になったシーンも少なくない。
とりわけ“衝撃”として広がったのが、7月25日のカナダ戦の2回1死、39歳になったエース上野由岐子が相手打者の金属バットをへし折った場面だ。それだけ球威のある球を投げているのだろうかと前出の増淵氏に聞くと、こんな答えが返ってきた。
「球威がある証しだと思いますし、同時にバットも進化しているからだと考えられます。今のバットはボールに対して反発するために、以前より空洞が多くなり、飛ぶような構造になっているという特徴もあると思います。だから、折れやすくなっているのではないでしょうか。とはいえ、誰もが折ることはできませんけどね(笑)」
メダリストはどう見た②:Twitterでトレンド入り、1死三塁からの「連続故意四球」
同じカナダ戦の延長タイブレークでは、「故意四球」がTwitterのトレンド入りした。0対0で迎えた延長8回裏のタイブレークで日本が1死三塁とサヨナラのチャンスを迎えると、カナダは2つの故意四球で満塁策をとったのだ。野球ではよほど強打者が並ぶ状況くらいなどでしか見られない一方、ソフトボールでは決して珍しくないと増淵氏は語る。
「タッチプレーかフォースプレーで時間が全然変わるので、日本リーグでもよく見られます。理由としてはヒットエンドラン対策もありますね。二・三塁から故意四球で塁を埋めたら、ヒットエンドランを仕掛けられてもタッチのいらないフォースプレーでいいので、アウトになる確率が非常に高まります。しかも今はホームベースの前でキャッチャーが塁を隠すように待っていてはいけないというルールがあり、ブロックをできません。だから故意四球で塁を埋めるケースが増えています。ピッチャー心理からしたら、『満塁にしないでくれ』と思いますけどね(笑)」
元投手の増淵氏は、率直にそう話した。満塁なら四球や死球でもサヨナラ負けとなり、プレッシャーがのしかかる。しかし「ゴロゴー」、つまり打者がゴロを打った瞬間に走者が本塁突入するプレーを仕掛けられるリスクもあり、タイブレークのように1点取られたら負けという状況では、満塁策をとることが多いという。
メダリストはこう見る③:上野由岐子はあれだけ投げて肩肘は大丈夫なの?
ソフトボール独自の戦略といえば、投手起用も特徴的だ。2008年の北京五輪では上野が最後の2日間、3試合連続完投して「上野の413球」と伝説になった。
今回の東京五輪でも上野は初戦のオーストラリア戦、翌日のメキシコ戦と2日続けて先発している。現代野球では考えにくい起用だが、インターハイ経験者や日本ソフトボール協会で要職に就く者に聞くと、「野球とは肘にかかる負荷が異なるから問題ない」という。
そこで元投手の増淵氏に聞くと、付け加えたのが“ある条件”だった。
「野球と違い、ソフトボールでは投げるときに腰骨の辺りに前腕が当たるので、その衝撃が肘にきます。私は投手を20年やりましたが、関節唇(しん)になるなど消耗はありました。ただし野球と投げ方が違い、ソフトボールの投げ方は人間の構造的に理にかなっています。ストレートと変化球に関しては、負担はそこまでありません。でも、チェンジアップは別の話です。チェンジアップを多く投げるピッチャーは、肩を痛めるケースが非常に多くあります」
物体を上から投げられる生物は、人間だけだといわれる。もともと四足歩行だったのが進化の過程で二足歩行になり、肩甲骨の果たしている役割が大きいからだ。裏を返せば、野球の投げ方は極めて“不自然”である。
対して増淵氏の言うように、ソフトボールの投げ方は身体の使いやすさという意味で、理にかなっている。ただし、チェンジアップは“例外”だ。
「チェンジアップの場合、肩関節を内旋させて投げます。手の甲からキャッチャーに向かっていく投げ方が多く、肩で腕の動きを止めるようにして投げるんですね。だからストレートと違い、チェンジアップでは負担がかかります。上野選手もチェンジアップを投げますが、そこまで数多く使うわけではないので、それほどの負担はかかっていないと思いますね」
北京五輪で”伝説”が生まれた裏には、こうした事情もあったわけだ。
13年の時を経て、いよいよ迎える東京五輪決勝。次回のパリ五輪では再び正式種目から外れる中、選手たちは最高の舞台でどんなプレーを見せてくれるだろうか。日本とアメリカの頂上決戦を、じっくり堪能したい。
<了>
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