なぜ福西崇史は「いつでもやめていいよ」と子供に委ねるのか? スポーツを通した“理想の子育て術”とは
REAL SPORTSでは11月14日にオンラインサロン『田村Pのココだけの話』(タムココサロン)とのコラボ企画として、『サッカーから学ぶ』と題したリアルイベントを実施。特別講師の福西崇史さんとともにサッカー教室で汗を流し、参加者を招いての公開インタビューを行った。大盛況となったイベントを通して福西崇史さんに“理想の子育て術”について伺った。
(インタビュー=岩本義弘[REAL SPORTS編集長]、構成=REAL SPORTS編集部、撮影=夏井瞬)
子どもの“差”はどこで生まれるのか?
――福西さんがサッカーを始めたきっかけについて教えてください。
福西:いつも遊んでいる友達がサッカーをやり始めて、その友達と一緒に遊びたいという理由で始めたのがきっかけで、全然胸を張って語るようなきっかけではないんです(笑)。
最初は周りの経験者に比べると全然うまくやれなかったんですけど、“みんなでやっている感”がすごくあって。それが楽しくてサッカーにのめり込みました。小さい頃から器械体操をやっていたので、バランス感覚や片足立ちでボールを蹴る感覚はサッカーにもすぐ役立ちましたね。
――子どもたちがサッカーをする上で、運動機能の差というのはどこで生まれると思いますか?
福西:真剣に続けられるかどうかじゃないですかね、まずは。言い方はよくないですけど、最初はみんな下手くそなので。そこでどれだけ努力できるか。やっぱり少しずつ個人差とか運動能力差というのは必ず出てきますし、人によってどれだけレベルアップするかの伸びしろもそれぞれ違うわけですが、まずはベースとしてどれだけ努力できるか、続けられるかが大事だと思います。
――小さい頃から器械体操をしていた経験は、サッカー選手としての高いレベルにおいても生きましたか?
福西:かなり生きました。というか、それがなかったらプロサッカー選手としてプレーできていないと思います。僕は小学校4年生からサッカーを始めたんですが、プロのレベルだと周りには幼稚園から始めたりという人たちがいっぱいいるわけじゃないですか。そうするとやっぱり、ボールタッチの細かい感覚では勝てないんですよ。足元の技術は小さい頃からどれだけボールに触っているかによって違うので、どうしても差がありました。
そうなるとうまさで勝つのは難しい。一方で、僕は器械体操をやっていて体を動かすことは長けていましたから、体を使う戦い方を意識しました。とにかく体をぶつけにいったりとか、ディフェンス力を強めたりとか。だから僕にとっては嫌な呼び名ですけど、現役中は「さわやかヤクザ」とか言われたり(苦笑)。そういうふうにプレースタイルが変わっていった感じですかね。
――小学4年生からサッカーを始めて日本代表までたどり着く選手はかなり特殊なケースだと思います。
福西:そこはやっぱり器械体操をやっていた経験が大きかったですね。今でも僕、野球、バスケットボール、バレーボール、最近だとYouTubeの企画でチャレンジしたバドミントンなど、体を動かす種目はある程度なんでもできるんです。何をするにも基本的な体の動かし方は同じなので。その動かし方というのは、器械体操を通して学びましたね。
サッカーのテクニックをつけたかったら、小学生のうちからできるだけボールに触るべきです。残念ながら僕はその頃あまりボールを触っていなかったので、テクニックではないやり方で、中学生の頃から意識的に取り組んでプロになることができました。
「いつでもやめてもいいよ」という教育方針
――今、お子さんは何歳ですか?
福西:男の子2人、大学4年生と高校3年生です。
――すでに子育てを一通り経験されているわけですね。子育てにおいて特に意識されたことは?
福西:スポーツに関しては、“動くために”というベースづくりとしてまず体操と水泳をさせました。その上で、やりたいスポーツを選ぶのは子どもに任せました。最終的に2人ともサッカーを選んだので、週1回サッカースクールに通わせていました。
――もう少し練習頻度も多くて試合も行うサッカークラブには入れなかったのですか?
福西:「サッカーがやりたい」と言ったから、サッカースクールに入れていたんですけど、「試合がやりたい」と言われたらクラブチームに入れようかなと思っていました。結局、上の子は言わなかったので、ずっとスクールだったと思います。下の子は小学5年生の時に、「周りの友達も試合をしているから自分も試合があるクラブチームに入りたい」と言ってきたので、クラブチームに入れたんです。
――それは自分で考えられる人間にするため?
福西:どちらかというと子どもの選択に任せています。継続するということを考えると、自分がやりたいと思って始めないと、続けられないので。当時を振り返って僕自身も子どもの頃そうだったので。
――“やらされて”始めても意味がない。
福西:はい。そういった考えもあって、自分がやりたいならやりなさいと。だから「いつでもやめてもいいよ」ともずっと言っています。
――でも普通親って、どうしてもトゥー・マッチになってしまうものです。
福西:今はそういった親御さんも多いなと感じますね。僕もよくサッカー少年少女の保護者から「どうしたらいいですか?」という質問を受けますけど、「いや、子どもの好き勝手にやらせてください」と言っています。その代わり、いろんな方向を向いちゃうと、子どもはやるべきことがわからなくなるので、そこだけは大人が入って、やりたいことに集中できる環境を用意してあげるという感じですかね。
――実際2人の男の子の子育てをしてみて、改めて振り返ってどうですか?
福西:これはないものねだりになるかもしれないですけど、もう少し教え込んでもよかったかなと思う部分はあります。下の子は特に小さい頃からサッカーに対してやる気はあったので。
――下のお子さんが小学生の頃に何度か一緒にボールを蹴る機会がありましたが、大人に混ざっても全然大丈夫なぐらい、当時からすごくうまかった印象です。
福西:ガッツもありましたし、僕の周りにはサッカーの指導に関しても、選手との交流に関しても恵まれた環境があったので、もう少し教え込んでもよかったかなとも思いますけど、そこで教え込み過ぎてサッカーが嫌になるということだけは避けたかったというのはありました。
子どもたち自身がどういう道に進みたいか次第
――福西さん自身、器械体操も真剣にやられていた中で、最終的にサッカーを選んだ理由は?
福西:器械体操は個人競技なので、自分がやって、自分が結果を残さなきゃいけないところがありました。だけど僕はみんなで一緒に戦う団体競技のほうが好きになって、その中でも駆け引きが重要なサッカーに一番魅力を感じました。11人の中の1人としてどう動くかと常に考える部分も僕には合いましたし、さまざまな駆け引きを繰り返していかにして試合に勝つかというところがとにかく面白くて引き込まれていきました。
――サッカーを選んだことに対してご両親から何かアドバイスはあったのですか?
福西:僕は父親が野球のアマチュア選手だったんですよ。だから基本的には小さい頃は野球をやっていました。愛媛県出身で、野球土壌もあったので。多分プロ野球でもそこそこやれたんじゃないかと、いや、むしろ野球のほうが稼げたんじゃないかとも思っているんですけど(笑)。
だけど自分がサッカーを選んだ時に、普通に親が快く「いいよ」と言ってくれましたし、プロになる時も「お前が決めろ」という一言だけで、最終的には自分で決めたので。やっぱりそうやって僕も自分で決めてきたというところがあったから、子どもたちにも自分で決めさせるような方向にはしています。
――最終的にお子さんたちも進むべき道を自分で考えて選ばれたんですか?
福西:そうですね。もちろん相談されればアドバイスはしますし、枠組みは一緒に考えます。僕自身もそうでしたが、本人たちが自分だけで判断するとラクなほうに行きたがるところもあるので。その上で子どもたち自身が突き詰めて考えて何がしたいのか、どういう道に進みたいのか次第だとは考えています。最終的なところは自分で選択させますね。
<了>
東大出身者で初のJリーガー・久木田紳吾 究極の「文武両道」の中で養った“聞く力”とは?
中村憲剛「重宝される選手」の育て方 「大人が命令するのは楽だが、子供のためにならない」
なぜサッカー選手になるため「学校の勉強」が必要? 才能無かった少年が39歳で現役を続けられる理由
育成年代にとっての「最良の食事」とは? Jユースと高体連、それぞれ取り組む新たな境地
バイエルンはなぜU-10以下のチームを持たないのか? 子供の健全な心身を蝕む3つの問題
PROFILE
福西崇史(ふくにし・たかし)
1976年9月1日生まれ、愛媛県出身。新居浜工業高校を卒業後、1995年にジュビロ磐田に加入。不動のボランチとしてJリーグ年間王者3回、アジアクラブ選手権優勝など磐田の黄金時代を支える。日本代表としても、2002年日韓ワールドカップと2006年ドイツワールドカップに出場。2007年にFC東京、2008年の東京ヴェルディを経て、2009年1月に現役引退。引退後は、主にNHKサッカー解説者として活動。2018年に南葛SCで現役復帰し、翌年には監督を務めるなど活動の幅を広げており、現在はサッカー普及のために「【公式】福西崇史福ちゃんねる」のチャンネル名でYouTube活動も行っている。
この記事をシェア
RANKING
ランキング
LATEST
最新の記事
-
ラグビー欧州組が日本代表にもたらすものとは? 齋藤直人が示す「主導権を握る」ロールモデル
2024.12.04Opinion -
卓球・カットマンは絶滅危惧種なのか? 佐藤瞳・橋本帆乃香ペアが世界の頂点へ。中国勢を連破した旋風と可能性
2024.12.03Opinion -
非エリート街道から世界トップ100へ。18年のプロテニス選手生活に終止符、伊藤竜馬が刻んだ開拓者魂
2024.12.02Career -
なぜ“史上最強”積水化学は負けたのか。新谷仁美が話すクイーンズ駅伝の敗因と、支える側の意思
2024.11.29Opinion -
FC今治、J2昇格の背景にある「理想と現実の相克」。服部監督が語る、岡田メソッドの進化が生んだ安定と覚醒
2024.11.29Opinion -
スポーツ組織のトップに求められるリーダー像とは? 常勝チームの共通点と「限られた予算で勝つ」セオリー
2024.11.29Business -
漫画人気はマイナー競技の発展には直結しない?「4年に一度の大会頼みは限界」国内スポーツ改革の現在地
2024.11.28Opinion -
高校サッカー選手権、強豪校ひしめく“死の組”を制するのは? 難題に挑む青森山田、東福岡らプレミア勢
2024.11.27Opinion -
スポーツ育成大国に見るスタンダードとゴールデンエイジ。専門家の見解は?「勝敗を気にするのは大人だけ」
2024.11.27Opinion -
「甲子園は5大会あっていい」プロホッケーコーチが指摘する育成界の課題。スポーツ文化発展に不可欠な競技構造改革
2024.11.26Opinion -
なぜザルツブルクから特別な若手選手が世界へ羽ばたくのか? ハーランドとのプレー比較が可能な育成環境とは
2024.11.26Technology -
驚きの共有空間「ピーススタジアム」を通して専門家が読み解く、長崎スタジアムシティの全貌
2024.11.26Technology
RECOMMENDED
おすすめの記事
-
10代で結婚が唯一の幸せ? インド最貧州のサッカー少女ギタが、日本人指導者と出会い見る夢
2024.08.19Education -
レスリング女王・須﨑優衣「一番へのこだわり」と勝負強さの原点。家族とともに乗り越えた“最大の逆境”と五輪連覇への道
2024.08.06Education -
須﨑優衣、レスリング世界女王の強さを築いた家族との原体験。「子供達との時間を一番大事にした」父の記憶
2024.08.06Education -
サッカーを楽しむための公立中という選択肢。部活動はJ下部、街クラブに入れなかった子が行く場所なのか?
2024.07.16Education -
14歳から本場ヨーロッパを転戦。女性初のフォーミュラカーレーサー、野田Jujuの急成長を支えた家族の絆
2024.04.15Education -
モータースポーツ界の革命児、野田樹潤の才能を伸ばした子育てとは? 「教えたわけではなく“経験”させた」
2024.04.08Education -
スーパーフォーミュラに史上最年少・初の日本人女性レーサーが誕生。野田Jujuが初レースで残したインパクト
2024.04.01Education -
「全力疾走は誰にでもできる」「人前で注意するのは3回目」日本野球界の変革目指す阪長友仁の育成哲学
2024.03.22Education -
レスリング・パリ五輪選手輩出の育英大学はなぜ強い? 「勝手に底上げされて全体が伸びる」集団のつくり方
2024.03.04Education -
読書家ランナー・田中希実の思考力とケニア合宿で見つけた原点。父・健智さんが期待する「想像もつかない結末」
2024.02.08Education -
田中希実がトラック種目の先に見据えるマラソン出場。父と積み上げた逆算の発想「まだマラソンをやるのは早い」
2024.02.01Education -
女子陸上界のエース・田中希実を支えたランナー一家の絆。娘の才能を見守った父と歩んだ独自路線
2024.01.25Education