「もう自分の事なんてどうでもよくなった」。子供が産まれて変化した、パパ格闘家・若松佑弥&秋元皓貴の生き方
ONE Championship「ONE: WINTER WARRIORS」(日本時間12月3日[金]21時30分〜)に出場するONEフライ級3位の若松佑弥と、ONEバンタム級キックボクシング3位の秋元皓貴。ともにランキング3位につけ、タイトルマッチは目前という位置にいる。今大会に勝てば、いよいよベルトをかけた戦いが期待される。
そんな二人には一つの共通点がある。若松には2歳になる息子、秋元には3歳になる娘がおり、“パパファイター”という一面を持っている。子育てをしながら戦いに向かってトレーニングに励む二人は、子どもが生まれたことで何が変わったのか、そしてまだ幼い我が子にどんな思いを抱きながらリングに上がるのか。父親としての思いに迫った。
(文=篠幸彦、写真提供=ONE Championship)
子どもが生まれて人生がシフトチェンジされた
若松佑弥は18歳で地元の鹿児島から上京し、格闘家を目指して現在の「TRIBE TOKYO M.M.A」の門をたたいた。2015年、20歳でプロデビューし、関口祐冬とのデビュー戦で1ラウンド2分43秒のKO負け。いきなり洗礼を受けることとなった。
当時の格闘家としてのモチベーションは単純な“己の強さ”のためだった。「この世界で最強になって、いろんな人を見返してやりたい。そういう思いだけでしたね」。
そのデビュー戦から1年後の2016年8月、若松がパンクラス・フライ級トーナメント決勝を2週間後に控えた日だった。同じジムのチームメートである秋葉尉頼が、交通事故による急逝という訃報を受けた。
「あれは本当に大きなターニングポイントでしたね。このままじゃいけない。自分だっていつ死ぬかわからないって、それまで日々をテキトーに生きていた自分を変えることができました」
トーナメント決勝に勝った若松はその後も連勝を重ね、2018年2月にパンクラス・フライ級のタイトル戦に挑戦するまでに上り詰めた。
そして同年9月にONE Championshipに参戦。デビュー戦(対ダニー・キンガッド)、第2戦(対デメトリアス・ジョンソン)と2連敗したものの、その後、ジェヘ・ユスターキオとキム・デファンに連勝し、ようやくONEでの流れに乗ってきた頃。2019年12月に長男が生まれ、若松の人生は一変した。
「もう自分のことなんてどうでもよくなりましたね。子どもを立派に育てるため、ちゃんとした父親でいなければいけない。それが自分の核になったというか、人生観として確立されました。そこから自分の人生はシフトチェンジされましたね」
勝っても負けてもずっと生きていかなきゃいけない
子どもが生まれ、それまで自分の強さのために戦っていた若松だが、格闘技は他と変わらない“仕事”という意識にシフトしていったという。
「以前の自分だったら『これで負けたらもう終わりだ』って思っていたけど、今は『これで負けても日常は続いていくし』って。それはみんなと同じだなって思うんですよ。もし格闘技をやめたって、生きていくには普通に働かなきゃいけない。どうせ、勝っても負けてもずっと生きていかなきゃいけないし、格闘技で死ぬことってほとんどないと思うんですよ。死ぬ覚悟でいくっていう気持ちはあるけど、実際のところ死なないじゃないですか」
“仕事”と言われると、どこかリングに対して冷めたように聞こえるかもしれない。しかし、それはむしろ格闘技で家族に飯を食わせるという父親としての覚悟なのだ。そして、試合の結果に対しても捉え方は変わっていった。
「昔は試合をして勝ったら特別だなって思っていたけど、今は勝ったところで他の人からすれば他人事だし、人生はずっと頑張らなきゃいけないんだなって。そう思うようになったのは子ども生まれてからですかね」
家族を守り、子どもを育てるというところに軸が動いたことで、格闘技は他と変わらない仕事であり、自分は一家の大黒柱であるという意識にシフトしていったという。
父親として、日本男児として、素晴らしい父親でいたい
「自分が親になったことで、自分の親に言われてきたことがようやくわかるようになったんですよ」
その一つは強さの意味だという。
「地元でけんかとかしていた頃は、暴力的な力の強さが一番かっこいいって思っていたけど、そうじゃない。格闘技をやっているからすごい、偉いとかではなくて、人としてどうあるかが一番大事なことなんですよね」
その言葉の意味を知り、子どもに父親としてどんな姿を見せなければいけないのかを考えさせられた。
「子どもが生まれて、“人のために”って思うようになったんですよ。困っている人を助けられる人間でありたいし、それがかっこいいと思う。この世界って、UFCとか見ていてもヒール役が人気だったり、昔悪かったやつが成り上がることがかっこいいっていう風潮がありますよね。でも、今の自分にはそういうのがかっこいいとは思えない。自分も昔は不良だったけど、父親として、日本男児として、素晴らしい父親でいたい。そういう考え方に変わりましたね」
たとえ自分の力が弱かったとしても……子どもに求める価値基準
「相手にも家族がいたり、金が稼ぎたかったり、単純に強くなりたかったり、理由はどうあれ、そのために毎日必死にラクでもないトレーニングを日々こなしてくるんですよね。それをケージの中の15分でぶつけ合う。その結果、どちらかが負けるわけじゃないですか。だからこそ対戦相手をリスペクトするし、格闘技はただのけんかじゃないんですよ」
父親として人生観が180度変わった若松が、その格闘家としての人生を通じて子どもにどんなメッセージを伝えたいのだろうか。
「強い人間になってほしい。今っていじめられている人を見て見ぬふりをする人が多いと思うんですよ。自分も昔はそうだったと思う。でもそこで困っている人を助けられる人になってほしいですよね」
それは力の強さではなく、心の強さだという。
「たとえ自分の力が弱かったとしても一緒になっていじめたりする人間にはなってほしくない。弱い人間は自分が強いと思い込んでいて、弱いやつを見つけてやってみようとか思うんですよね。それってダサいことなんですよ。だから何をするにしても人間性をしっかりとしてもらいたいと思います」
そしてその心の強さ、忍耐力を若松は子どもが生まれたことでより強く持つことができていた。
「我慢できなくて殴ったらそれで人生終わりですからね。人なんて簡単に殺してしまうことだってあるんですよ。今でもムカつくことはたくさんあるんですけど、でも僕には家族がいるので人を殴りたいという衝動にはつながらない。そういう意味でも子どもがいてよかったなって思います」
そんな子どもが大きくなったとき、見せたい父親の姿を若松は日々積み重ねている。
「子どもができたことで、僕の人生はいい方向に向いたと思います。だからいつか子どもが物心ついて、自分がケージで戦っている姿を見てかっこいいなって思ってくれたらうれしいし、そういう日に向けてこうして子どもに向かっていろんなことを残していきたいと思っています。もちろん、いつか自分がチャンピオンになった姿を見せたいですね」
喧嘩で負けた相手を負かしたくて始めた空手
秋元皓貴がONEに参戦し、シンガポールに移住して3年、家族も迎え入れて2年半がたった。
「だいぶ慣れましたね。コロナ禍で出かけることができなかったり、練習に行けないこともあったり、大変な時期は多かったですけど、毎日同じことの繰り返しなので、慣れちゃいました。環境はいいですし、子どもが日常的に英語に触れられたり、いろんな国の子たちと遊んだりしている姿を見て、こっちに来てよかったなと思いますね」
シンガポールの生活になじみ、家族との時間を満喫しているようだった。そんな秋元が、格闘技を始めたのは8歳の頃である。
「小学2年生の頃、昼休みに友達とけんかをしたんですよ。それでボコボコにされちゃって。そしたらその子が空手をやっていたんです。悔しくて見返してやろうと思って自分も空手を始めたのがきっかけでしたね」
そして中学2年の頃にK-1のトラウアウトを受けて合格し、キックボクシングの道へ進むきっかけをつかんだ。
「最初はキックボクシングのジムではなく、ボクシングのジムに行ったんですよ。空手と違って顔へのパンチがすごく怖くて、最初はやりたくないなと思いましたね。1年くらいボクシングジムに通ってその恐怖心を克服して、MA(マーシャル・アーツ)キックのジムに通い始めました。だからMAのチャンピオンになりたいというが最初のモチベーションでしたね」
キックボクシングに戻ったのは「子どものため」
キックボクシングの世界へ足を踏み入れた秋元は、2007年15歳のプロデビューから無敗でムエタイ日本フェザー級チャンピオンとなり、19連勝という記録を打ち立てた。2014年に空手へ転向すると、全世界フルコンタクト空手男子軽量級世界チャンピオンとなって、空手の世界でも結果を残した。
そんな秋元が2018年にONEと契約。空手から再びキックボクシングの世界へ復帰を決めた。この時、なぜ復帰を決意したのだろうか。
「その年に子どもが生まれたことで、変化の大きい時期でした。あの頃、仕事をしながら空手を続けていたんですよ。トレーニングと仕事で時間に追われてしまって、どうしても奥さんや子どもとの時間が取れなくて、これではダメだなと。当時26歳で、年齢的にも今後どうするかすごく悩みましたね」
格闘技は好きだけれど、仕事との両立には限界を感じていた。
「そうなると自分の選択肢としては“(格闘技を)やめる”、“格闘技一本に絞る”という二択になるんですよね。それで奥さんに相談したら『どうなっても、どこへでもついていくよ』と言ってくれました。その一言があって、今のジムの“Evolve”でトライアウトがあることを聞いて受けてみようと決心がついたんですよね。」
格闘技に絞ることを決心した秋元だったが、空手では生計を立てられず、キックボクシングへの復帰を選択した。
「だからキックボクシングに戻ろうと思った理由は、突き詰めると『もっと子どもと一緒にいたい』と思ったことですね」
子どもが生まれたことでストイックになれた
ONEと契約した翌年、デビューとなったジョシュ・トナー戦には勝ったものの、2戦目のジョセフ・ラシリにプロキャリア初の負けを喫した。しかし、それからは3連勝で現在のランキング3位というランカー入りを果たした。順調にキャリアを積み上げる秋元だが、父親になったことで格闘技の向き合い方に変化はあったのだろうか。
「結婚や子どもが生まれる前というのは、何事も勢いでやれちゃっていたところがありました。でも今はそれができないので、かなりストイックになったと思います。当時も練習はかなり追い込んでやっていましたけど、食事や私生活はまだまだでした。そういうところも含めて、すべてにストイックに向き合えるようになったのは家族を持ってからですね」
そんな秋元がいま格闘技をやる一番の理由は何なのか。
「そうですね……。一番は格闘技が好きだということだと思います。それから昔から応援してくれる人たちの存在ですね。特に両親の存在は大きいと思います」
自分が父親となり、改めて両親の存在のありがたみに気づくこともあったという。
「両親がここまでサポートしてくれたことは自分にとって大きいんですよね。子どもの頃は毎日送り迎えをしてくれて、練習の最初から最後まで見てくれて、『あそこがよかった』『ここがダメだった』と言ってくるんですよ。そういうものが全部ありがたかったなと思います」
秋元が格闘技を今でも好きでいられるのは、両親のそうしたサポートがあってのことだった。
「格闘技は子どもの頃に自分がやりたくて始めたことなんですけど、正直苦しいことのほうが多かった。やめたいと思うことも多かったけど、やめなくてよかったですね。やめずにやり続けたからこそ、今でも好きでいられるんだと思います」
最後に格闘技人生を通じて、子どもに伝えたいメッセージはあるのかを聞いた。
「正直、ないですね。格闘技は自分が好きでやっていることのなので、格闘技が好きな人が自分の試合を見て喜んでくれればいい。それくらいにしか思わないです」
父親であることと、格闘家であることは、秋元の中では別のものなのだ。
「父親であることは家の中だけでいいと思います。格闘技は半分趣味みたいなものなので、父親として格闘技で子どもに何かを残したいとは思わないですね」
そう言って笑った秋元だが、最後にこう付け加えた。
「ただ、今でも奥さんが子どもに試合の映像を見せたりすると、まねしたりするんですよ。だから、好きで格闘技をやっている姿をちょっとだけでも覚えていてくれるとうれしいなと思いますね」
<了>
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