なぜ内村航平は「引退を宣言する必要があるのかな」発言から翻意したのか? 絶対王者の揺るぎない美学
内村航平が現役引退を表明した。オリンピックと世界体操選手権で13個の金メダルを獲得。個人総合8連覇は、比類なき前人未到の記録だ。東京五輪でまさかの予選落ちした直後、「引退することが終わり方の正解なのかといわれると、ちょっと違う」「むしろ引退を宣言する必要はあるのかな」と発言していた。あれから5カ月半。なぜ引退表明を決断したのだろうか? そこには絶対王者だからこそ持つ、揺るぎない美学があった――。
(文=藤江直人)
引退を表明した体操界の絶対王者、内村航平の揺るぎない美学
己の道を究極まで究めた、ごく一握りのアスリートだけが臨める舞台。現役引退会見という一世一代のスポットライトを浴びながら、内村は穏やかな笑顔を浮かべ続けた。
引退が発表されてから3日後の1月14日に、都内のホテルで開催された記者会見。冒頭のあいさつを「特別な感じはそこまでなくて――」と切り出した内村は、代表質問の最初にあらためて心境を問われた。ひな壇から返ってきた言葉は、悲壮感とはかけ離れていた。
「体操をやめたいと思っていないというか、やれるものならいつまでもやりたいと思っているので。僕の中ではそこまで重くも、あるいはすっきりとも捉えていないというか、実際、あまりよく分かっていないな、というのが今の心境ですね」
種目別の鉄棒だけに絞って出場した、昨夏の東京五輪を思い出さずにはいられなかった。演技中盤のひねり技で落下し、まさかの予選落ちに終わった直後のテレビインタビュー。進退を明言しない代わりに、内村はこんな言葉を残していたからだ。
「引退することが終わり方の正解なのかといわれると、ちょっと違うかなと。競技をすることが大好きなので永遠にやめないかもしれないというか、いつ引退するのかは考えていない。むしろ引退を宣言する必要はあるのかなと思っています」
4度目のオリンピックを初めてメダルなしで終えてから約5カ月半後。内村はなぜ翻意するかのように、引退を宣言するに至ったのか。生まれ故郷の北九州市で昨年10月に開催された、世界体操選手権へ向けて調整を重ねていた過程に答えは刻まれている。
競技者ではなく演技者へ――「体が動く限りは体操を研究していたい」
「ちょっとしんど過ぎたといいますか、このままだと先が見えないと感じました。全身が痛いこともありますけど、日本代表選手として世界一の練習が積めなくなった自分に対して、心の中で諦めがあったというか、メンタル的な部分でモチベーションを上げていくのが非常に難しかった。すんなりと『もう無理だ』と思いました」
3歳から始めた体操と、距離を置くつもりは毛頭ない。しかし、2006年から背負い続けた日の丸には、もはや別れを告げなければいけない。競技者のレベルにないと自らを客観視した瞬間から、内村は引退の定義にあらためて思いを巡らせた。
「試合に出ない、もう競技者ではなくなるのが現役引退なのかなと思いました。ただ、競技者じゃなくても体操は続けられる。それならば、競技者でなくなったと表明しないでいるのは、世の中的にもそうですし、自分としても何かはっきりしない感じになるのではないかと。なので、競技者としては身を引きますと発表しようと」
人生とほぼ同義語で位置づけてきた愛してやまない体操に一度けじめをつけなければ、裏切り行為に等しいと結論づけた。これからの自分に対して競技者とは似て非なる言葉を当てはめることで、内村は自分自身を納得させながら会見に臨んだ。
「競技者ではなく演技者としてやっていくのもいいんじゃないかと。僕としては体が動く限りは、体操を研究していたいという気持ちが強い。体操の技の繰り出し方には答えがないんですけど、その中でも理想の方法がある。一番効率のいい方法を自分が動きながら見つけていきたいけど、試合に出るのはもう難しいと判断しました」
国際大会での優勝から遠ざかるも…リオ五輪からの5年間が「一番濃かった」
競技者として歩んできた内村の競技人生は、2017年以降で一変している。
オリンピックイヤーを除く年に世界選手権が毎年開催される中で、2009年の世界選手権(ロンドン)を皮切りに、2012年のロンドン五輪を経て2016年のリオデジャネイロ五輪まで、6種目で争う個人総合で前人未到の8連覇を達成した。
その間に団体総合でもオリンピックと世界選手権で1度ずつ頂点に立ち、さらに世界選手権の種目別で手にしたゆか、平行棒、鉄棒を加えた金メダル数は「13」に達した。
オリンピックの個人総合連覇は、1972年ミュンヘン五輪の加藤澤男以来、44年ぶり4人目の快挙だった。エースとして体操ニッポンをけん引し続け、いつしか“絶対王者”と呼ばれた内村は、自らが打ち立てた金字塔をこう振り返っている。
「世界チャンピオンになり続けましたけど、果たして自分は本物のチャンピオンなのかと疑い続けた中で、オリンピックの舞台で2回も証明できた。その意味で振り返ると、僕にとってのオリンピックとは自分を証明できる場所だったとあらためて思っています」
一転して2017年の世界選手権(モントリオール)で、2種目目の跳馬の着地で左足を負傷して途中棄権。国内大会を含めて、個人総合で継続してきた連勝が「40」で途切れた。
リオ五輪後にコナミスポーツを退社し、2016年12月からプロ体操選手として歩み始めた直後から故障に悩まされ続けた。国際大会の優勝からも遠ざかったまま迎えた引退までの5年間を「実は一番濃かった」と内村は振り返る。
選手と指導者以上の関係性、佐藤コーチとの二人三脚へ巡る思い
「リオ以降は練習が急に思うようにいかなくなって、痛む箇所を気持ちでカバーすることもできなくなった。同時にプロ体操選手として体操の普及や価値向上など、いろいろなことを考えた中で、練習の段階で痛めないような体をつくる工夫や練習方法を含めて、体操そのものも突き詰めてこられた。結果だけを見ればリオまでと比べて程遠いものだったけど、体操に対する知識は逆にかなり増えた。今では世界中のどんな体操選手やコーチよりも、自分の方が体操を知っているという自負があるぐらいですから」
プロ体操選手になってからは、同じ1989年生まれの佐藤寛朗コーチとマンツーマンで歩んできた。もっとも、初対面が小学校2年生の夏休みにまでさかのぼる佐藤コーチとは、俗にいう選手と指導者の関係ではないと、内村は感謝の思いを込めながら振り返る。
「この場では語り尽くせないぐらいの濃い時間を、コーチと選手としてではなく、共に体操を研究する同じ立場で、時には迷惑を掛けながら過ごしてきました」
内村の中に占める競技者と探求者の割合を比較すれば、リオ五輪までは前者が、リオ五輪後は後者が並ぶか、あるいは上回っていたのだろう。
佐藤コーチとの二人三脚は内村に「体操には終わりがない」とあらためて気付かせ、引退宣言を経て演技者となるセカンドキャリアで貫く立ち位置へとつながっていく。
「今後もずっと勉強し続けていくし、当然ながら知識の幅ももっと、もっと広がっていくと思っています。そして、こうして引退を表明することで、それをいろいろな人に伝えていける。その意味で(引退宣言は)通らなければいけない道だったのかなと」
“2人の内村航平”のはざまには、感謝の思いと引退への美学がある
演技者としての内村を、最初に見せる舞台もすでに決まっている。
来る3月12日に「KOHEI UCHIMURA THE FINAL」と銘打たれた引退試合を東京体育館で開催する。採点なしのエキシビション形式ながら、苦楽を共にしてきた現役や元選手たちも参加する予定の舞台で内村は6種目全てに挑む。
スペシャリストになるよりも6種目全てでハイレベルの演技を披露する、究極のオールラウンダーに誰よりも強くこだわってきた。東京五輪を鉄棒だけに絞ったのも、満身創痍(そうい)の身体では個人総合で代表を目指せないと苦渋の判断を下したからだ。
「6種目をやってこそ体操だという思いがあるのと、あとは心の底から体操が好きなんですよね。最後は鉄棒だけやって終わるのも、自分が自分じゃないような気がして」
胸中に抱き続けた無念の思いが開催への原動力になった、体操選手では異例となる引退試合を、内村は「終わりでもあり、そして始まりでもある」と位置づけている。
言葉を補足すれば、3月12日をもって競技者としての人生にあらためて別れを告げ、同時に演技者の道を歩み始める。いわば“2人の内村航平”のはざまには、体操に抱く感謝の思いと、自問自答した末に決めた「引退」の二文字に込める美学が存在している。
「“ありがとう” とか、そんな軽い言葉じゃ感謝の思いを伝えられない。なので、体操についてはずっと勉強し続けたい。体操に対して、僕が世界で一番知っている状態にしたい。究めるといった次元よりも、もっと上のステージまでいきたいと思っている」
「今後も技は増やしていく予定」。いたずら小僧は永遠に体操を究め続ける
内村の引退会見が行われた14日に、日本体操協会は常務理事会を開催し、強化本部にアドバイザーコーチ部門を新設。ゆかと跳馬で「シライ」の名を体操の歴史に残し、昨年6月に24歳の若さで引退した白井健三さん、そして内村らの就任を承認した。
もっとも、体操ニッポンの未来を担う後輩たちに濃密な経験や、ピタリと止まる美しさにこだわってきた着地の大切さを伝えるだけではない。子どもたちに幅広く普及させる活動を含めて、体操に関わる全てに挑戦したいと第二の人生の青写真を描く。
「体操をやる子どもたちが増えてくれたらすごくうれしいけど、何せ僕はいまだに『体操はすごく楽しいんだよ』ぐらいしか言えない。体操をやるとこうなって、やがてはこうなるんだよと自信を持って勧められるように、体操を研究し尽くしてさまざまなデータを取った上で、子どもたちの前で言えるようになりたいと思っています」
引退宣言に至った思いをひも解いていけば、体操に注ぎ続けた愛情に行き着く。約800を数える技のうち496はできるとツイートで豪語したこともある内村は会見で、まるでいたずら小僧のような笑顔を浮かべながらこんな言葉を残している。
「今後も技は増やしていく予定なので、随時更新していこうかなと思っています」
体操に関わり続けるからこそ、引退会見を「特別な感じは――」で始めた。美しさをまとい、楽しさを伝えながら、締めは一糸乱れぬ完璧な着地にこだわる。伝道師とも置き換えられる演技者の道を、誰よりも内村自身が楽しみにしている。
<了>
大谷翔平が語っていた、自分のたった1つの才能。『スラムダンク』では意外なキャラに共感…その真意は?
羽生結弦、4回転アクセルで示す生き様。身体への負担、見合わぬ基礎点、それでも挑み続ける理由
なぜ日本は卓球強国に変貌できたのか? 次々生まれる才能、知られざる“陰の立役者たち”の存在
日本柔道“全階級金メダル獲得”には「10年かかる」? 溝口紀子が語る、世界の潮流との差とは
宇野昌磨とランビエールの“絆”に見る、フィギュア選手とコーチの特別で濃密な関係
この記事をシェア
RANKING
ランキング
LATEST
最新の記事
-
「自信が無くなるくらいの経験を求めて」常に向上心を持ち続ける、町田浩樹の原動力とは
2024.09.10Career -
「このまま1、2年で引退するのかな」日本代表・町田浩樹が振り返る、プロになるまでの歩みと挫折
2024.09.09Career -
「ラグビーかサッカー、どっちが簡単か」「好きなものを、好きな時に」田村優が育成年代の子供達に伝えた、一流になるための条件
2024.09.06Career -
名門ビジャレアル、歴史の勉強から始まった「指導改革」。育成型クラブがぶち壊した“古くからの指導”
2024.09.06Training -
浦和サポが呆気に取られてブーイングを忘れた伝説の企画「メーカブー誕生祭」。担当者が「間違っていた」と語った意外過ぎる理由
2024.09.04Business -
張本智和・早田ひなペアを波乱の初戦敗退に追い込んだ“異質ラバー”。ロス五輪に向けて、その種類と対策法とは?
2024.09.02Opinion -
「部活をやめても野球をやりたい選手がこんなにいる」甲子園を“目指さない”選手の受け皿GXAスカイホークスの挑戦
2024.08.29Opinion -
バレーボール界に一石投じたエド・クラインの指導美学。「自由か、コントロールされた状態かの二択ではなく、常にその間」
2024.08.27Training -
エド・クラインHCがヴォレアス北海道に植え付けた最短昇格への道。SVリーグは「世界でもトップ3のリーグになる」
2024.08.26Training -
なぜ“フラッグフットボール”が子供の習い事として人気なのか? マネジメントを学び、人として成長する競技の魅力
2024.08.26Opinion -
五輪のメダルは誰のため? 堀米雄斗が送り込んだ“新しい風”と、『ともに』が示す新しい価値
2024.08.23Opinion -
スポーツ界の課題と向き合い、世界一を目指すヴォレアス北海道。「試合会場でジャンクフードを食べるのは不健全」
2024.08.23Business
RECOMMENDED
おすすめの記事
-
「自信が無くなるくらいの経験を求めて」常に向上心を持ち続ける、町田浩樹の原動力とは
2024.09.10Career -
「このまま1、2年で引退するのかな」日本代表・町田浩樹が振り返る、プロになるまでの歩みと挫折
2024.09.09Career -
「ラグビーかサッカー、どっちが簡単か」「好きなものを、好きな時に」田村優が育成年代の子供達に伝えた、一流になるための条件
2024.09.06Career -
「いつも『死ぬんじゃないか』と思うくらい落としていた」限界迎えていたレスリング・樋口黎の体、手にした糸口
2024.08.07Career -
室屋成がドイツで勝ち取った地位。欧州の地で“若くはない外国籍選手”が生き抜く術とは?
2024.08.06Career -
早田ひなが満身創痍で手にした「世界最高の銅メダル」。大舞台で見せた一点突破の戦術選択
2024.08.05Career -
レスリング・文田健一郎が痛感した、五輪で金を獲る人生と銀の人生。「変わらなかった人生」に誓う雪辱
2024.08.05Career -
92年ぶりメダル獲得の“初老ジャパン”が巻き起こした愛称論争。平均年齢41.5歳の4人と愛馬が紡いだ物語
2024.08.02Career -
競泳から転向後、3度オリンピックに出場。貴田裕美が語るスポーツの魅力「引退後もこんなに楽しい世界がある」
2024.08.01Career -
松本光平が移籍先にソロモン諸島を選んだ理由「獲物は魚にタコ。野生の鶏とか豚を捕まえて食べていました」
2024.07.22Career -
新関脇として大関昇進を目指す、大の里の素顔。初土俵から7場所「最速優勝」果たした愚直な青年の軌跡
2024.07.12Career -
リヴァプール元主将が語る30年ぶりのリーグ制覇。「僕がトロフィーを空高く掲げ、チームが勝利の雄叫びを上げた」
2024.07.12Career