「勝利至上主義よりむしろ、その奥に潜んでいる根源的問題を見極める」。町田樹と考える、日本フィギュアの未来と衰退危機

Opinion
2022.07.21

次から次へと優れたスケーターが生まれ、オリンピックや世界選手権といった国際大会では常に好成績を残す。競技会からアイスショーに至るまで、多くのファンが現地に足を運び、各テレビ局がこぞって放映する。今や日本のフィギュアスケート界は、これ以上ないほどの繁栄を見せているように思える。だが、元フィギュアスケーターで現在はスポーツ科学の研究者である町田樹さんは、このままの状況が続けば、衰退していく可能性は十分にあると危機感を募らせている――。

(インタビュー・構成=沢田聡子、撮影=浦正弘)

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「見るスポーツ」として隆盛を誇るも…フィギュアスケート界の危うい産業基盤

――フィギュアスケートは「見るスポーツ」としての人気はある反面、全国的にリンクが減少しているという問題があります。町田さんは、人気の恩恵がリンク運営や競技の普及に十分反映されておらず、経済的に好循環となる産業構造になっていないことを指摘していますね。

町田:一昔前とは違って、スポーツ界も公的資金に依存しない形で各競技を運営しなければいけない状況になってきています。もちろん、スポーツ界には今も選手育成、スポーツ環境の整備、スポーツ産業の規模拡大等を企図して、多額の公的資金が投入されています。しかし、これからの時代、公的資金に依存し過ぎると財政難に陥る可能性があります。2013年に東京五輪の招致が決定して以降、官民のスポーツに対する経済支援はかなり増加したのではないかと推察していますが、東京五輪が終了した今、同じ水準の支援や助成が得られるとは限りません。だからこそ、各競技団体が自らで資金を稼いで、それを自らの競技の環境整備や競技力向上、教育普及などにつなげていくことが必要なのです。

フィギュアスケートは、選手たちの活躍によってメディアバリューという意味ではメジャースポーツにひけをとらないところにあると思います。私が提唱した「スポーツ産業の三次元構造モデル」(下図参照)でいうと、フィギュアスケートは見る人がたくさんいることで、前方リンケージに対する経済効果を高めることができていますが、そうした前方リンケージによって生み出された利益を後方リンケージまでうまく循環させることはできていないような気がしています。そのため、「するスポーツ」としてのフィギュアスケートを根本的に支えているスケートリンクや、スケート靴などの道具を製造している事業者などの「スポーツ手段産業」は苦戦を強いられる傾向にあります。

(C)町田樹(『アーティスティックスポーツ研究序説』253ページから引用

――昨年1月に高田馬場のシチズンプラザが48年の歴史をもって閉鎖したことに、多くの関係者が危機感を募らせました。<同行編集者>

町田:今の日本のスケート環境は、リンクをこれ以上減らせないという崖っぷちの状態にあり、死活問題だといえます。日本は今、素晴らしい選手を次々と輩出しており、選手育成は本当に素晴らしいものがあります。ですが、リンクの問題は選手育成だけでは解決できません。選手人口は約5000人しかいないわけですから、どれだけ選手育成に力を入れて素晴らしい選手を育てたとしても、それだけではスケートリンク環境は一向に改善していかないわけです。

明らかなのは、後方リンケージが廃れていくと、前方リンケージもゆくゆくはそれに伴って衰退していくということです。後方リンケージは、素晴らしいパフォーマンスや豊かな文化を築き上げる上での基盤、いわばフィギュアスケート文化の生産工場です。例えば、いくら卸売業者が商品をどんどん売って潤ったとしても、経済的な恩恵が工場まで流れてこずに製造業者が倒産してしまえば、もう商品を生産することはできなくなります。スポーツ界もまったく同じです。ですから、スポーツ文化の生産基盤である後方リンケージをいかに守っていくのか、競技連盟を筆頭にスケート界の人たちで真剣に考えていく必要があります。そうでないと、後方リンケージの衰退に伴って前方リンケージでもお金が生み出せなくなり、負のスパイラルに陥る可能性が非常に高くなってしまいます。

全国的に減少し続けるスケートリンクはどうすれば運営を成り立たせられる?

――スケートリンクを維持していくためには、何が必要になると考えますか?

町田:スポーツとしてのフィギュアスケート以外に、どのようなフィギュアスケートの価値を社会に提供できるのか、がとても大事になるでしょう。例えば、生涯スポーツとしてのフィギュアスケートをもっと振興して老若男女に楽しんでいただければ、それだけスケートリンクへの来場者は増える。スケートリンクを守っていくためには、スケートという文化が社会に提供できる価値を多様化させることが極めて重要です。

――それはレジャーとしての「するスケート」ということですか?

町田:1980~90年代はレジャーとしてのフィギュアスケートが隆盛していた時期で、リンクは全国各地にたくさんありました。大手スーパーマーケットやテーマパークがこぞってスケートリンクを造っていましたね。この事実一つ取ってみても、当時はどれだけスケートがレジャーとして受け入れられていたかが分かりますよね。実際、私自身、日用品を買いに行くような近所のスーパーにスケートリンクが併設されていて、3歳の時にそこのスケート教室に入ったことが選手になったきっかけです。当たり前のことではありますが、リンクの数と選手の数はある程度比例していて、減れば減る、増えれば増える、という関係にあると考えられます。また、現在は一つのリンクに許容範囲を超えるほどの選手が押し寄せてきており、過密状態となっています。リンクが増えるほど、一つのリンクに対する選手人口が下がりますので、スケーターが活動する環境も当然良くなります。実は今、練習したくても練習する場所がないというリンク難民となってしまっているスケーターもたくさんいるのです。

――リンクの運営を成り立たせることを考えると、リンクに人を集める施策を考えるべきか、それとも人が集まっている場所にリンクを造るのか。町田さんはどのように考えますか?<同行編集者>

町田:スケートリンクを人が恒常的に集まるような楽しい場所にする。滑るという運動はそう簡単ではないため、他のスポーツに比べて需要が低くなるのは当然です。しかしながら、スケートリンクはスケートを提供する以外にも役割があるはずです。このような暑い夏の日に涼やかな氷の上でスケートに限らないイベントを開催したり、カフェテリアでお茶をしながら選手の練習を見られるようにしたり、いろいろな策を打ち出して、とにかくスケートリンクを人が集まる場所にできれば環境改善の活路が見えてくるかもしれません。北海道日本ハムファイターズが建設中の新スタジアムのように、今スポーツ界全体でスマート・ベニュー(※)が推進されるようになってきましたし、それがスケートリンクでもできるようになるといいですよね。
(※スマート・ベニュー:競技をする単一施設として考えるのではなく、ホテルやアミューズメント、ショッピングなど複合的な機能を組み合わせることで競技のない日にも住民が交流できる場にする、街づくりの中核となるスポーツ施設)

また、スケートに身近に触れてもらうためには、人通りが多いところにリンクを造らなくてはいけません。冬に期間限定で屋外スケートリンクを造る動きは、東京スカイツリーや東京ミッドタウン、赤坂サカス、グランフロント大阪など徐々にいろんな場所で見られるようになりました。夜景もきれいでデートスポットとしても人気になっていますし、人通りの多い場所にリンクを設置してマスマーケティングにつなげることも大事です。

このように既存のスケートリンクに人を集める取り組みと、そもそも人通りの多い場所にスケートリンクを設置する取り組みの両面からスケート振興を推し進めていくことが理想だと考えています。

スケートリンクの運営を考えれば、アイスホッケーの振興が重要になる

――アメリカでリンクが豊富なのは、やはりNHL(世界最高峰の北米アイスホッケーリーグ)の拠点となっていることが大きな要因でしょうか?

町田:そうですね。アイスホッケーはリーグスポーツで、シーズンに入れば定期的に試合が行われます。そうして定期試合が開催されることが決まれば、どれほどの利益が得られて、どれだけの支出が必要なのかといったことなど、毎年、安定したキャッシュフローを形作ることができます。リンク経営において、それは極めて重要なことで、安定的経営に直接つながる要素の一つになり得ます。したがって、リーグスポーツであるアイスホッケーをさらに振興していくこともまた、スケートリンクを定期的に人が集まる場所にしていく上では得策になるでしょう。

――その話を聞いて、卓球界で2018年に開幕したTリーグのことが頭に浮かびました。卓球は個人競技で大会ごとに運営されることが多いのですが、Tリーグでは団体戦のリーグ戦とすることで定期的に各チームの本拠地で試合が行われています。フィギュアスケートではなかなか難しいかもしれませんが……。<同行編集者>

町田:そうですね、フィギュアスケートでもJAPAN OPENのような地域対抗戦もありますし、2014年のソチ五輪からは団体戦も正式種目として導入されましたが、うーん、どうなのでしょう。個人スポーツである卓球がリーグ化したというのは一つのターニングポイントであることは間違いありませんね。あ、個人スポーツでもリーグ化することが可能なのだ、という新しい発見がありました。そう考えれば、フィギュアスケートも不可能ではないかもしれませんが、現状では選手人口が少な過ぎて難しいような気がします。

ただ私が現役選手の時に「リーグ化します」と言われたら、必ずや拒絶反応を起こしたと思います(笑)。私は個人スポーツをやりたいがためにフィギュアスケートを選んだのだ、と。オリンピックを含めて複数の団体戦に出場した経験がありますが、いつも苦手に思っていましたね。自分のパフォーマンスがチーム全体の勝敗に影響するわけですから。私はそういう心配をしたくないから、個人スポーツを選んだのであって、チームで連帯するようなことがしたいのだったら最初から野球やサッカーをやっている、と(笑)。

シニアの年齢制限引き上げには、「そんな規制ができること自体が恥ずべきこと」

――シニアの年齢制限の引き上げが決まりましたが、この決定前、町田さんは問題の抜本的な解決策にはならないのではないかと慎重な姿勢を見せていました。

町田:そうですね、今も考えは変わりません。なぜならば、今年行われた北京五輪に17歳の年齢引き上げが適用されていたとしても数人しか適用されず、ほとんどの選手が出場できていました。18歳まで引き上げた際にはかなり適用例が増えますが、17歳ではあまり抜本的な改善策にならないということがあります。

ただそれ以上に思うことがありまして、佐藤信夫先生・久美子先生(※編集注:多くの名選手を育てたフィギュアスケートコーチ)と対談させていただく機会に年齢制限の引き上げについてもお話ししました。佐藤先生たちは「そんな規制ができること自体が恥ずべきこと」というご意見でした。「本来であればそんな規制がなくても、コーチが倫理観と責任を持って健康的にアスリートを育成すべき。それができていないのがゆゆしき事態」という至極まっとうなご意見を述べられていて、私も全面的に賛同します。

――今年、全日本柔道連盟が勝利至上主義に陥ることは好ましくないとして、小学生の全国大会を一部廃止すると発表しました。ただ、子どものころから勝利を目指すことに問題があるのではなく、勝利至上主義に陥って子どもの健康を損なってしまう指導の在り方に問題があるので、全国大会の廃止が本質的な解決策ではないようにも感じます。<同行編集者>

町田:さらに言うならば、なぜ勝利至上主義がこれほど批判の的になっているのかということから、根本的に考えなければなりません。勝利至上主義それ自体は、それほど悪い思想ではないように思います。なぜなら、そもそも勝利を至上の価値として追い求めないとスポーツにならないからです。例えば、競技を行う二人の選手のうち、どちらかが「自分は勝っても負けてもどちらでもいいや」という態度で試合に臨んだらどうでしょうか。そのような試合は勝負になるはずがありません。あくまでもアスリートは、「勝利を一番に目指す」という価値観の下に競技に臨まなければ、スポーツは成立しないのです。

そして、さらに言えば、この資本主義社会も基本的に競争原理を基にして稼働しています。どれだけ経済を回せるか、独占企業でない限り、ライバル企業が多く存在する市場の中で自社の優位性を示さなければなりません。勝利至上主義はスポーツ界だけではなくて、資本主義社会にも共通している部分が多々あります。もちろん、勝利至上主義に関しては、何度でもクリティカルに検討し弊害のある部分は是正されてしかるべきですが、それがそもそも駄目なものだと盲目的に批判することは、この資本主義社会においてはナンセンスとも言えるのではないでしょうか。

勝利至上主義という思想そのものが害悪なのではなくて、例えば、指導者が勝利欲求にのまれて自分の理性を統御できずに体罰をしてしまうとか、選手の健康を顧みないような度を超えたトレーニングを課してしまうといったことこそが、見直されるべき問題点なのです。ですから、勝利至上主義というよりも、指導者や指導者を評価する者(親や雇用主など)の問題なのではないかと思います。確かに、資本主義のみを推進しすぎると、競争に歯止めがかからず、環境破壊や経済格差などのあらゆる社会問題が引き起こされる可能性があります。実際、そうした問題を防いだり、起こってしまった問題を解決へと導くために、SDGs(持続可能な開発目標)という価値観が登場し、資本主義社会の中でも「ルールを守って、倫理観を大事に競争しましょう」となっていますよね。スポーツ界においても同様に、いかに健全かつ持続可能的に競技ができるかという選手育成の観点で統一的なルールを定めることが必要になってきていますが、だからと言って勝利至上主義をかたくなに否定する必要はないのではないかと思います。

むしろ勝利至上主義を批判の的にすることで、論点とすべき問題がぼやけてしまうような気がしています。勝利至上主義が害悪となる理由は、先ほども言及した指導者や指導者を評価する者の問題かもしれませんし、スポーツのいき過ぎた政治利用や商業利用の問題かもしれません。はたまた、スポーツ推薦等の学校や大学の入試制度の問題である可能性もあります。何が言いたいかというと、勝利至上主義だけを盲目的に批判しているだけでは抜本的な問題解決にならないということです。勝利至上主義のさらに奥底に潜んでいる問題の根元にアプローチしなければ、何をしても無駄に終わってしまいます。

町田樹がファンにお願いすることはただ一つ…

――ここまでスポーツ界、フィギュアスケート界のさまざまな問題についてお話ししてきましたが、こうした問題解決は一部の人だけで達成できるものではないと思います。より多くの人たちの力が必要になると考えたとき、メディアには何が求められますか?

町田:競技結果を報道することは、大事な任務です。でもフィギュアスケートにはそれ以外にもたくさん語り口があるはずです。各メディアの皆さまには、ぜひ多様な語り口を開拓してほしいと願っています。

――フィギュアスケートのファンにはとても熱心な方がたくさんいますが、ファンの立場からフィギュアスケート界の問題に対してできることはあるでしょうか?

町田:とにかく関心を持ち続けていただくことが、最大の応援になると思います。それは先ほど言った「フィギュアスケートの問題に関心を持つ」という意味ではなく、「フィギュアスケートというスポーツそのものに関心を持って」見続けてください、ということです。決して安くはないチケット代を払って競技会に足を運んでくださることは、もちろんとてもうれしいことですし、大きな支援行動になると思います。そうしたチケット収入などは大事な競技普及の資金になるからです。ですが、テレビで見ることも、重要なサポートになります。なぜならば、視聴率が下がればマスメディアはフィギュアスケートの中継放送を手放します。そうすると放映権料という大事な活動資金を稼ぐ手段が一つ失われますし、フィギュアスケートが広く報道されなくなることで、多くの人に関心を持ってもらう機会がなくなってしまいます。そうなると前方リンケージも次第に衰退していくことは目に見えていますよね。ですから一番の応援は、関心を持って見続けてもらうこと、これに尽きると思います。

フィギュアスケート界の問題をどう改善するかについては、業界の人たちや私のような研究者がまず率先して、統括組織と連携して検討していく体制をつくっていかないといけません。ですから、ファンの方々はこのスポーツを応援してくれるだけで十分ありがたいのです。

――50年、100年という時間軸で見たとき、フィギュアスケート界がどんな姿になっているのが、町田さんの中での理想像ですか?<同行編集者>

町田:やはり「あそこで自分も活躍したい」と次世代の人たちが夢を抱けるような世界になっていないと、未来はないですよね。特に2000年以降、国際舞台で日本人スケーターが活躍してきました。日本のスケート界を盛り上げてきた私たちの世代がもう一踏ん張りして、そういう世界へとさらに変革していく。そのような使命感を持って、私も一人の研究者として活動していきたいと思っています。

前編:「日本のスポーツ界は結果が出てしまったらもうおしまい」。町田樹が募らせる危機感、スポーツアーカイブの現状とは?

<了>

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PROFILE
町田樹(まちだ・たつき)
1990年3月9日生まれ。3歳からフィギュアスケートを始め、2014年のソチ五輪で5位入賞、世界選手権で銀メダルを獲得するなど、トップスケーターの一人として活躍した。2014年12月に競技スケーターからの引退を発表。以後プロスケーターとして自ら振り付けた作品をアイスショーなどの舞台で実演を続け、2018年10月に引退した。2020年3月、博士(スポーツ科学/早稲田大学)を取得。現在、國學院大學人間開発学部助教。専門はスポーツ&アーツマネジメント、身体芸術論、スポーツ文化論、文化経済学、知的財産法。著書に『アーティスティックスポーツ研究序説――フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化論』(白水社)、『若きアスリートへの手紙――〈競技する身体〉の哲学』(山と渓谷社)。町田樹ブルーレイ作品集『氷上の舞踊芸術――町田樹振付自演フィギュアスケート作品Prince Ice World映像集2013-2018』(新書館)。日本最古のアイスショー「プリンスアイスワールド」アンバサダー。J SPORTSで放送中の『町田樹のスポーツアカデミア』で企画・構成を手掛ける。

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