日本のアイスダンスは飛躍すると確信した。髙橋大輔の覚悟、小松原/コレトの誇り、そして…
2020年のNHK杯は、日本のアイスダンス史上で最も注目を集めた大会だといっても過言ではないだろう。長きにわたり日本のフィギュアスケート界をけん引してきた髙橋大輔がアイスダンス挑戦を表明して以降、その状況は確実に変わりつつある。競技の盛んな国では高い人気を誇るアイスダンスだが、日本ではシングルに比べて人気でも実績でも見劣りするのは否めない。だがNHK杯で確信した。日本のアイスダンスは、間違いなく飛躍する――。
(文=沢田聡子、写真=Getty Images)
世界トップレベルで活躍した髙橋大輔が挑戦したくなるほど、魅力的…
「ね、やっぱりアイスダンスってかっこいいでしょ?」
これは、NHK杯のアイスダンスで優勝した小松原美里&ティム・コレトの小松原が、この大会でアイスダンサーとしてデビューした髙橋大輔にかけたいという言葉だ。メダリスト会見で、「髙橋のアイスダンスへの転向をどう思うか?」という質問に答えて出てきたこの言葉には、小松原のアイスダンサーとしての誇りが凝縮されている。シングルスケーターとして世界トップレベルで活躍した髙橋が異例の挑戦をしたくなるほど、アイスダンスは魅力的なのだ。
これが初めての試合となる村元哉中&髙橋大輔にとり、リズムダンスの1番滑走者としてリンクに入った瞬間は「特別な瞬間」だったという。
「グランプリシリーズのキャンセルも続いていましたし、チームとしてのデビューで日本の母国のお客さまの前で滑れる、これは本当に特別なことですよね。楽しかったです。演技の前には『楽しもうね』『とにかく、この瞬間、瞬間を味わおう』と(髙橋に)言いました。本当に特別な瞬間でした」(村元)
「2人ともいろんな世界を経験してきていると思うので、そういった経験値はすごい強みになるんじゃないかな」と村元は自負する。2018年四大陸選手権で3位になり(パートナーは故クリス・リードさん)、日本のアイスダンサーとして初めてISUチャンピオンシップのメダルを獲得した村元と、日本男子シングル初の五輪メダリスト・髙橋が組む、期待値の高いカップルがデビューした記念すべき瞬間だった。
村元を魅せる黒子となる。髙橋がデビュー戦で見せた意識の高さ
村元&髙橋は、リズムダンス『マスク』を大きなミスなく滑り切る。髙橋のコミカルさ、村元の華やかさが強い印象を残し、64.15という点数以上の存在感があるデビューだった。特に、男子シングルのスケーターとしては大スターだった髙橋が、村元を魅せる黒子となる姿が印象的だ。女性が華麗に見えるよう、時には“縁の下の力持ち”になることが求められるアイスダンスにおける男性の役割をきっちりと果たそうとする髙橋の意識の高さは、さすがとしかいいようがない。
「村元選手はアイスダンスでも活躍されていて、華やかなスケートがすごく魅力的だなと思っているので、僕も負けないように。カップルですけどライバルという気持ちを持ちながら、これからいい化学反応を起こせればなと思っています」(髙橋)
村元の魅力を熟知する髙橋は、彼女と切磋琢磨(せっさたくま)し合うパートナーになろうとしている。
2位発進となったリズムダンス後の記者会見で、髙橋は「シングルからアイスダンスへの転向で一番難しかったところ」を問われ「全部難しいです」と笑った。「本当に『滑る』ということが一緒なだけで、やることがまったく違うので」と口にし、隣に座る小松原&コレト、深瀬理香子&張睿中に敬意のこもった視線を送る。
「大変ですね、アイスダンスって。本当に、大変だなと思って。今まで何も考えずに見ていたアイスダンスをまた違う目で見るようになって、本当にさらにアイスダンサーを尊敬しております。そのぐらい大変です」(髙橋)
髙橋の、アイスダンス、そしてアイスダンサーに対するリスペクトが垣間見える発言だった。
ティム・コレトの涙。日本国籍を取得して初めての大会
このリズムダンスでは、約1週間前にコレトの日本国籍取得がかなった小松原&コレトも「特別な瞬間」を味わっている。「小松原尊(たける)」という日本名を得たコレトだが、大会の準備に追われており、長期間の手続きを経て実現した朗報についてまだ消化できていなかったという。ウオームアップの際、会場に流れた自身の日本国籍取得を告げるアナウンスを聞き、コレトは感極まった。
「ちょっと涙が出てきて、美里は僕が泣くんじゃないかと思って心配していたようですけれども、非常に特別な瞬間だったと思います。皆さんが困難な状況にある中で、この喜ばしい知らせを、美里だけじゃなくスケートを愛してくださっている方々、そして日本の皆さんの前で披露できたのはうれしい」(コレト)
私生活では夫婦でもある小松原&コレトが、2022年の北京五輪で日本代表となるために欠かせないステップを経た後、初めて迎えたのがこのグランプリシリーズ日本大会だったのだ。昨季から継続して滑るリズムダンス『ドリームガールズ』を一体感を増したスケーティングで演じ切った小松原&コレトは、貫禄さえ漂わせて首位に立った。
村元&髙橋の一つのほころび。それでも実り多きデビュー戦
村元&髙橋のフリーダンスは、リズムダンスとは趣を異にするバレエ音楽『ラ・バヤデール』を使ったクラシックなプログラムだ。村元の優雅さと髙橋の滑らかな滑りがデビュー戦とは思えないような完成した雰囲気をつくり出したが、1カ所だけほころびがあった。アイスダンスのツイズルは、シングルでいえばジャンプのようにミスが分かりやすい技だが、そのツイズルで髙橋が転倒しかけたのだ。練習ではしない失敗だといい、演技後、髙橋は「これが試合なのかな、緊張感なのかな」と口にしている。
「会場に入ってきてから僕のツイズルが不安定で、ちょっと考えすぎちゃった部分があるのかなと。テクニカルというより、やっぱりメンタルのところなのかなと思います」(髙橋)
だが、フリー後のミックスゾーンでの2人の表情には、充実感があふれていた。
「特に今日のフリーはミスがあったのですごく悔しい部分はあったんですけど、デビュー戦を終えて課題になった部分、安心した部分、よりいっそうこれからのモチベーションが高まった部分……本当にいろんな気持ちをこのNHK杯では感じることができたので、そういった意味でいいスタートが切れたと思います」(髙橋)
「これは最初のステップの試合で、その先の全日本、その次には北京オリンピックも、もちろん私たちは目指している。チームとしては本当に始まったばかりなので、どういうチームになるんだろう、というワクワク感がある。(指導を受ける)マリーナ(・ズエワ)コーチも、新しい風を起こす、世界とも戦えるダンスチームになると言ってくれているので、その言葉を信じて練習あるのみだと思っています」(村元)
村元&髙橋は、総合3位で実り多いデビュー戦を終えた。
北京五輪への第一歩を踏み出した、小松原&コレト
小松原&コレトのフリーダンス『ある愛の詩』は一昨季にも滑ったプログラムで、彼らにしか創り出せない世界が広がる。リズムダンス後、コレトはこのプログラムに対する思いを語っていた。
「ここ(大阪・東和薬品RACTABドーム)は最初の優勝をした(2018年)全日本(選手権の会場)だったから、同じプログラム・同じ音楽でもう一回できるとは思わなかったので、とても楽しみにしています」(コレト)
「ぜひ新しい部分を見せたい」(コレト)と臨んだフリーダンスで、小松原&コレトはその言葉通り、より成熟したスケーティングを見せる。若くして病に倒れた妻と見守る夫を描くストーリーは、実際に夫婦である彼らの強みが生きるプログラムかもしれない。アイスダンスの醍醐味である、2人で一つのプログラムを紡ぎ出す一体感を惜しみなく見せてくれた小松原&コレトは、堂々の完全優勝を果たした。
フリーダンス後のミックスゾーンで、小松原は晴れやかだった。
「とても感動しています。ここまで来るのに長い時間がかかっているし、目標としていたことが達成できたこと、しっかり2つとも強いプログラムを見せられたことはすごく誇りに思います」(小松原)
コレトの日本国籍取得により、オリンピックへの道筋も見えてきている。
「日々、日本人としての誇りと意識をしっかり持って、小さい子たちでアイスダンスをしている子もいるので、その子たちが誇れるような選手、人間であり続けていきたいです」(小松原)
それは、日本アイスダンスのトップに立つ者としての自覚に満ちた言葉だった。
互いに尊敬し合い、切磋琢磨する関係性。アイスダンスは新たな時代へ……
そしてフリーダンス後の記者会見では、リズムダンス後の記者会見で髙橋が先達に示した敬意に応えるかのように、小松原&コレト、2位の深瀬&張から、髙橋がアイスダンスの世界に来たことへの歓迎の意が示されている。シングルスケーターだったコレトは、男子シングルのスター選手だった髙橋に憧れていた。コロラドスプリングスで行われた2012年四大陸選手権でボランティアを務めていた際に髙橋にサインをもらったエピソードを明かし、「(髙橋が)1年前にアイスダンスに転向した時、すごくわくわくしました」と語っている。
「だから本当にそういった意味では、(シングルからアイスダンスへの転向という)同じような道をお互い歩んできた。すごいことをやってらっしゃると思うので、私自身も誇りに思いますし、アイスダンスを楽しんでいただけている様子なので、本当に尊敬の念しかありません」(コレト)
そこで、小松原が「私も一言いいですか?」とマイクを握る。
「フィギュアスケートを始めた理由は、髙橋さんなんです。同じ地元(岡山県倉敷市)で、髙橋選手は憧れの存在だったんですね」(小松原)
そこで小松原の口から飛び出したのが、「ね、やっぱりアイスダンスってかっこいいでしょ?」という上記の発言だ。
「やっとアイスダンスが日本で注目を浴びて、そして光を当ててもらえる。本当は(髙橋に)インタビューしたいんですよね。『何が大変?』とか、いろいろ伺いたいなと思っています」(小松原)
日本のアイスダンスが強くなるためには国内での競争が不可欠であることを知る小松原は、その競争に髙橋が参入したことに喜びを抱いているのだろう。
NHK杯が終わってから4日後の12月3日、“Tim Koleto 小松原尊”(@Timkoleto)のTwitterに、小松原&コレト、髙橋&村元、深瀬&張に加え、ジュニアで活躍する新進の吉田唄菜&西山真瑚も一緒に写る写真がアップされた。添えられている言葉は、こうだ。
「日本アイスダンス頑張りましょう! もちろん写真入っていない方も」
2020年、コロナ禍の中で開催されたNHK杯は、日本のアイスダンスが発展していく契機になるかもしれない。
<了>
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