クリス・リードは、日本の誇りだった。日本の美を世界に魅せた、忘れ難き思い出の日々

Career
2020.03.20

日本時間3月15日、クリス・リードさんが亡くなった。10年以上の長きにわたり、日本のアイスダンスを背負ってきたスケーターの急逝に、世界中が悲しみに包まれた。日本のアイスダンスの未来をつくるために、日本へ旅立とうとしていた矢先のことだった。
日本を心から愛し、日本代表であることを誇りにしていた、クリス・リード。あなたこそが、私たちの、日本の誇りだった――。

(文=沢田聡子、写真=Getty Images)

日本を背負い続けた半生は、けがとの闘いの連続でもあった

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これから
キャシーといっしょに
日本の
アイスダンスを
ニューエイジにする
あたらしい
むずかしい
ジャーニーのはじまりです

たのしみだよ!
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クリス・リードはブログにこう書き残し、日本時間3月15日、30歳の若さで帰らぬ人となってしまった。クリスは最後となったこの記事で、アメリカから日本に荷物を送ったことをつづっている。2014-15シーズンまで競技上のパートナーだった姉キャシー・リードと共に、「木下アカデミーアイスダンススクール」(拠点は今年1月にオープンした木下グループ・関空アイスアリーナ)でコーチとして教え始めていたためだった。

日本人の母とアメリカ人の父を持つクリスは、姉キャシーとカップルを組んでアイスダンスを始め、2006年全米選手権ノービスクラスで優勝している。2006-07シーズンから日本スケート連盟に所属を変え、その翌季には全日本選手権を制した。リード姉弟はそこから全日本4連覇(2007~10年)、1年おいて3連覇(2012~14年)を果たし、計7回優勝している。国際舞台では2009年世界選手権で16位に入り、2010年バンクーバー五輪の出場枠を得た。アメリカと日本の二重国籍を持っていたが、日本国籍を選んでバンクーバー五輪に出場、17位の成績を残す。2011年世界選手権では、日本代表として最高タイの(当時)13位に入る。2014年ソチ五輪にも出場し、この大会で初めて行われた団体戦での日本5位入賞に貢献した。

数字上は順調に見えるクリスのキャリアは、実はけがとの闘いの連続だった。2007年から始まった全日本連覇が一度“4”で止まっているのは、2011年NHK杯フリーダンスの5分間練習で他の選手と衝突し、クリスが右足小指を骨折した影響で欠場を余儀なくされたからだ。

また右膝のけがは、競技人生を通してクリスを苦しめた。2014年ソチ五輪の出場枠がかかるネーベルホルン杯を1カ月後に控えた2013年8月、クリスはもともと古傷があった右膝の半月板を損傷している。加えて、当時クリスは骨挫傷の痛みにも苦しんでいた。ネーベルホルン杯ではフリーダンスの演技中に痛みを訴えるクリスをキャシーが励ましながら滑り切り、苦闘の末にソチ五輪出場枠を獲得している。

クリスはその後も、常に膝をいたわりながら練習を続けていくことになる。

「大好きなスケートを続けられるよう、今は膝の治療とメンテナンスに時間を割くようにしています。アイシングをきちんとして、45分から1時間おきに座って膝を休ませなければならないので」(カーニバル・オン・アイス2014 公式パンフレットより)

2017年に出演したテレビ番組『フィギュアスケーターのオアシス KENJIの部屋』(J SPORTS)で、クリスは「1億円もらったら何に使う?」という質問に「たぶん、新しい膝」と答えている。

平昌五輪で日本情緒を豊かに表現。日本歴代最高タイの成績に

けがに加え、2014-15シーズン終了時にキャシーの引退という出来事があっても、クリスは滑り続ける。新しいパートナー・村元哉中と組み、引き続き日本のアイスダンスを牽引し続けた。キャシーと組んでいる時は弟だったクリスが、村元とのペアでは兄のような表情を見せるようになっていく。アイスダンスの男性スケーターには、リフトの土台としてだけではなく女性を美しく見せるための包容力が要求されるが、優しく村元を支えるクリスには、優れたアイスダンサーが持つ雰囲気が漂っていた。

2015~17年の全日本選手権で3連覇を果たすことになる村元&クリスは、日本のアイスダンスの歴史を変えていく。平昌五輪があった2017-18シーズンは、二人にとり躍進のシーズンとなる。四大陸選手権では銅メダルを獲得し、アジアのアイスダンスカップルとして初めてISUチャンピオンシップのメダリストになった。

そして平昌五輪団体戦では、個人で金メダルを獲得することになるバンクーバー五輪金メダリスト・ソチ五輪銀メダリストのテッサ・ヴァーチュ&スコット・モイアをはじめとする、世界トップクラスのカップルと同じグループで滑っている。団体戦のフリーダンスではクリスが転倒するミスがあったものの、ひのき舞台で名立たるスケーターたちと同じリンクに立つことで、五輪期間中にも日ごとに成長しているように見えた。個人戦では、ショートダンスではラテンのリズムに乗って、フリーダンスでは日本情緒を豊かに表現して力を出し切り、日本歴代最高タイの15位に入った。

その後、村元&クリスは、2018年世界選手権でも日本歴代最高の11位という好成績を残して、充実したシーズンを終えた。

未来のオリンピックで日本がメダルを取るために…

同年夏に村元とのカップルを解消することを発表したクリスは、昨年末に現役を引退。姉キャシーとコーチのチームとして本格的に活動するため、日本に拠点を移そうとしている矢先の早すぎる逝去だった。

「木下アカデミーアイスダンススクール」設立を告知するYouTubeの動画で、真新しい木下グループ・関空アイスアリーナのリンクを背にしてキャシーと並んだクリスは力強く決意を語っている。

「私たちの目標は、未来のオリンピックでメダルを取ることです」

クリスは長い現役生活の中で、ニコライ・モロゾフ、マリナ・ズエワといった、一流のアイスダンスコーチの教えを受けている。カップル競技の強化が課題である日本のフィギュアスケートにとり、世界トップクラスのアイスダンス指導を体験しているクリスはこの上なく貴重な存在だった。彼が元気に日本に戻っていれば、引退後は振付師としても活躍している姉キャシーと共に、日本のアイスダンスにおける新たな才能を育ててくれただろうと思うと、その急逝が惜しまれてならない。

日本を背負い続けてきたクリスに、心からの感謝を

10年以上の長きにわたり日本のアイスダンスを背負ってきたクリスは、キャシーと組んでいた現役時代、「日本に来ての楽しみは何ですか?」という質問に次のように答えている。
「来日じゃありません、日本に戻ってくるたび、ファンの皆さんに会えるのが楽しみです。日本の食べ物も大好きです」(カーニバル・オン・アイス2014 公式パンフレットより)

クリスは、日本代表であることを誇りにしていたという。ミックスゾーンや記者会見で、可能な限り日本語を使って話そうとする姿から、その思いはいつも伝わってきた。バンクーバー五輪のオリジナルダンスでは『さくらさくら』を使い、着物を身につけ扇子を使って日本情緒を演出したが、クリスの衣装には母方の家紋があしらわれていたという。また、ソチ五輪シーズンのフリーダンス『Shogun』は、けがをしながら将軍になることを目指す武将・クリスをキャシー演じる姫が助けるストーリー。実際の競技生活が重なって見えるこのプログラムにも、“和”を前面に押し出す意識が感じられる。

クリスにとり現役最後となった平昌五輪シーズンのフリーダンスは、桜をテーマにした『坂本龍一メドレー』だった。国際的に活躍する日本人音楽家の曲を使ったこのプログラムは、どんな強豪国のカップルにも醸し出せない、村元&クリスならではの日本的な美しさに満ちていた。演技途中の衣装替えで桜を咲かせ、艶やかに滑る村元を、濃紺と薄紫のグラデーションの衣装をまとったクリスがしっかりと支える。桜の花びらが舞うようなリフト、繊細な音を拾うステップは、日本独自のアイスダンスを世界に向けて見せてくれるものだった。けがに苦しみながら3度五輪に出場した競技人生を、日本の象徴である桜になぞらえて表現するこのフリーダンスは、クリスの競技人生の結晶といえる。

クリスに、今年も日本の桜を見てほしかった。ただ、彼が築いてくれた日本のアイスダンスの歴史は、これからも引き継がれて続いていく。けがと闘いながら滑り続けてくれたクリス・リードに、心から感謝したいと思う。

<了>

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