やり投げ女王・北口榛花の勝負強さの原点とは?「強い国には全部行った」陸上界に生まれた新たな歴史
8月にハンガリー・ブダペスト行われた世界陸上2023の女子やり投げで日本人初の金メダルを獲得し、日本を熱狂させた北口榛花(JAL)。最終投てきで66メートル73のビッグスローを見せ、パリ五輪への切符も掴んだ。さらに、世界最高峰シリーズのダイヤモンドリーグ・ブリュッセル大会では今季2度目の日本新記録(67m38)を出し、同リーグで日本人初の年間王者に。今季の飛躍と勝負強さを支えた要因、やり投げ大国のチェコに拠点を移したキャリアの転機、アスリート社員としての活動についても話を聞いた。
(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真=森田直樹/アフロスポーツ)
今季の飛躍の理由。体の構造を見直してコンディションが安定した
――世界陸上、ダイヤモンドリーグでの戦いを終えて、怒涛の3カ月間だったと思いますが、少しは休めましたか?
北口:はい。ありがたいことに、いろいろなところに呼んでいただいて、貴重な体験もさせてもらいながら、少し休むことができています。
――10月には、世界陸連が選ぶ年間最優秀選手の候補11人にノミネートされました。それを聞いた時はどんな気持ちでしたか?
北口:本当に、周りの選手は世界記録保持者ばかりなので、この中に私が入って大丈夫なのかな?という感じだったんですが、選んでいただいたことがすごく光栄ですし、日本の皆さんが一生懸命投票してくださっているので、結果発表(12月11日)も楽しみです。
――今年は7月のダイヤモンドリーグ(DL)シレジア大会で日本新記録(67m04)をマークし、8月のブダペスト世界陸上で金メダルを獲得しました。そして9月のDLブリュッセル大会では今季2度目の日本新記録(67m38)、DLファイナルでは日本人初優勝と、大活躍の1年になりましたが、飛躍の理由を教えてもらえますか?
北口:東京五輪でケガをしてから、自分の体の構造をもう一度見直して、どうすれば自分の体を効率よく動かせるのかを教えてもらったり、考える機会を増やしました。体が元気じゃないとトレーニングを積むことができないので、その状態を維持できる期間が長くなったことが一番良かったんじゃないかなと思います。
――姿勢を安定させる「解剖学的立位肢位」に基づいたケアやトレーニングをされているそうですが、どのような考え方なんですか?
北口:投げるときだけ正しい姿勢を作ることはできないので、普通に歩くとか、立つ、座る動作など、そういう生活の根本から見直しました。いつもケアに通っているところがそういうことをすごく勉強して還元してくださるので、ケアに行ったときにアドバイスをもらって、動きながら実践して学んでいます。
勝負強さを支えるルーティン。「試合の合間に考えることを減らす」
――世界陸上でもダイヤモンドリーグのファイナルでも、投てきごとに記録を伸ばして、6投目のビッグスローで逆転優勝しました。どんなことがその勝負強さにつながっているんでしょうか?
北口:私の場合は1投目を投げてみないとその日の調子がわからないので、1投目で悪かったところは2投目で修正して、2投目の課題は3投目で修正して……というふうに、毎試合調整しながらやりを投げています。うまく修正できる日は6投目が一番良くなりますし、調子が良くても気合いが入りすぎて、体の動きより自分の気持ちが先に出てしまう時は記録が伸びないんです。
――プレッシャーとの向き合い方や助走時のマインドで、工夫していることや、感覚のズレを微調整する方法はあるんですか?
北口:ピットに入ったら何も考えずに、自分の投てき順が来たらいつも通りのルーティンをやってから投げると決めています。投てきと次の投てきの間は時間があるので、その時に「次はどうするか」を考えて、その動きを体に覚えさせてから投てきに入ります。やり投げは全力を出さなければいけない種目で、考えすぎると無駄なことが増えてしまうので、試合の合間に考えることを減らしておくようにしているんです。
――投てきの前のルーティンは、やりを持って肩を後ろに回してジャンプ、足を振ってから深呼吸をするなど、いくつかの動作がありますよね。今のルーティンが完成したのはいつ頃だったんですか?
北口:水泳をやっていた中学生の頃からルーティンをやっていたので、それがやり投げ用に追加されたり、減らしたり、という感じで積み重ねてきた感じです。水泳もやり投げも、どちらも一人でスタートする種目なので、水泳だったらスタート台に登る前に必ず10回ジャンプしてから足を振ったりしていて、やり投げでもジャンプしてから足を振る動作は入れています。
――自分に合ったルーティンを作ってきたんですね。助走などは、投てきごとに調整もしているのですか?
北口:そうですね。条件は毎回違うので、初めての競技場だったらなおさら、「どのぐらいのスピードで走るか」とか、「どのぐらいの感覚で投げるか」というのを前日練習などで必ず確認するようにしています。
――風や湿気なども細かくチェックしているのですか?
北口:そうです。やりは600gしかないので風吹かれると強いと風に負けてしまうことがあるので、風の吹く向きによって投げる角度とかも気にしながら、やりの種類を変えたりもしています。
2019年からチェコを拠点に。「強い国には全部行った」
――欧州の選手が強いと言われてきたやり投げで、その「壁」を突破するために意識されてきたことはありますか?
北口:世界の壁はもともと、感じていなかったんです。高校3年生の時に今のU-18の世界選手権で金メダルを取ることができたので、世界で金メダルを取れる可能性はあると思って取り組んできました。世代別の大会でも、いつも同じヨーロッパの選手と戦っていたので、あまり壁は感じてなくて。だからこそ、拠点を移した時も、すぐにヨーロッパに行けたんだと思います。
――チェコに拠点を移された際は、フィンランドで行われたカンファレンスでチェコ人のデービット・セケラック コーチに直談判されたんですよね。その行動力も素晴らしいなと思ったのですが、迷いはなかったんですか?
北口:そうですね。世界で一番飛ばせるようになるには、「世界で一番飛ばしたことのある選手がいる国で習ったほうが早い」と思っていましたし、私自身は高校時代から、体の強さというよりはしなやかさを使って投げるような投てきスタイルだったので、それに合ったトレーニングができるチェコに行きたいと思っていたんです。ただ、コネクションがなかったので、チェコの人とつながった瞬間に「これは行かなきゃいけない」と思いました。
――高校の頃から計画していたんですね。チェコの練習環境については、実際に現地にも行って決断したのですか?
北口:私の場合はやり投げが強いとされている国には全部行って、それぞれの環境面の違いがわかった状態でチェコを選びました。それぞれの国に2週間ずつ行ったのですが、日本でも「おもてなし」という言葉があるように、わずか2週間だと海外でもお客さん用のメニューが出されて終わってしまうんですよね。だからこそ、チェコに行く時は1カ月間時間をとって行けたことがすごく大きかったなと思っています。
――セケラックコーチの下で山登りやローラースケートなど、体の使い方を改善するために様々なトレーニングをしたそうですが、今も続けているのですか?
北口:そうですね。それは今も変わらず、毎年やっています。具体的にやり投げのどこに生かすというよりは、基本的な体力をつけるためにそのようなトレーニングを続けています。
「日本でやり投げ競技の価値を高めて、応援される選手が増えてほしい」
――JALのアスリート社員として、先日はスポーツ教室のやり投げ体験会で子どもたちに教えていましたね。久しぶりのお仕事はどうでしたか?
北口:アスリート社員として、日本に帰ってきたら必ずそういう場があるのはすごく嬉しいことですし、やり投げに関しては、小学生はなかなかできる場がないので、どうやったら楽しんでもらえるかを模索中です。スポーツ教室などでは毎回、改良が必要だなと思っているんですよ(笑)。
――競技への入り口をどうやって作っていくかを試行錯誤されているんですか?
北口:そうですね。私自身は、子どもの時はやり投げとか、何か一つの競技に絞らないで、いろんな競技をやってほしいなという気持ちが強いです。東京に来て一番驚いたのは、スポーツ禁止とか「ボールを投げちゃダメ」という公園が多いことです。野球をやっている子だったら思いっきり投げたいと思うでしょうし……。安全第一なのはわかるのですが、人間にはものを投げられるシステムがあるはずなので、その可能性をなくしてしまうのは残念だなと思います。
――日本で、チェコのような練習環境を作っていくのはハードルが高いんでしょうか?
北口:それは難しいと思います。日本では学校の先生がコーチを兼任しているところが多く、私は大学の時にコーチがいなかったので探しました。ヨーロッパだと、そういう状況はあり得ないです。デービッド(・セケラックコーチ)は、用事がない限り毎日必ず練習には来てくれて、ウェイトトレーニングをしたり、走ったり飛んだり、そういうところから全部見た上で、やり投げの技術をどういうふうに落とし込むのがベストかを考えてくれています。
学校の先生をやっていたら、そんなに時間を割けないじゃないですか。そういう面は日本ではまだ難しいと思います。それに、東京では気軽に登れる山やローラースケートに乗れる公道が少ないですよね。海外では、坂を走る時も、森の中の坂をダッシュするんですよ。それと、アスファルト上の坂を走るのでは練習の意味が違ってきてしまうので、そういう面でも環境の差を埋めるのは難しいんじゃないかなと思います。
――北口選手としては、そういう競技の環境面も変えていきたいという思いがあるんでしょうか。
北口:日本は日本の良さがあると思うので、そこまでは考えていないです。私がやっていることは練習だけではないので、同じことをしたから伸びるとも限らないですから。ただ、やっぱり日本で競技の価値を高めていろんな人に見てもらって、応援される選手がもっと増えるといいなと思っていますし、そのためにできることをしたいと思っています。
目指すはパリ五輪の金メダルとアジア新記録
――8月のブダペスト世界選手権で、陸上競技では最速でパリ五輪代表に内定しました。改めて大会への意気込みを聞かせてください。
北口:今回、世界陸上で金メダルを取ったので、オリンピックでも金メダルを取りたいという気持ちが強いですし、アジア記録まであと60センチなので、その記録も視野に入れながら来年1シーズンを過ごしたいと思っています。
――世界陸上は2年に1回で、オリンピックは4年に1回という違いもやはり意識しますか?
北口:そうですね。以前は、オリンピックは「特別だけど普通の試合と同じ」だと思っていたんです。でも、東京五輪を経験してから、4年に1度のオリンピックに他の国の選手がかけてくる気合いや気迫が世界陸上とは違うものがあるなと感じたので。自分もその領域に行かなきゃいけないと思いましたし、そこで負けているようではメダルも取れないと思うので、パリではそういったオーラとか気迫を出せるように頑張りたいなと思います。
【連載後編】25歳のやり投げ女王・北口榛花の素顔。世界を転戦するバイリンガル、ライバルからも愛される笑顔の理由
<了>
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[PROFILE]
北口榛花(きたぐち・はるか)
1998年3月16日生まれ、北海道出身。やり投げ女子日本記録保持者。1m79cmの長身としなやかさを生かした投てきが魅力。幼い頃から水泳とバドミントンをはじめ、高校から本格的に陸上に取り組み、2、3年とインターハイ連覇。3年時には世界ユース選手権で世界一になり、高校記録(58m90)を樹立。日大1年時にU-20世代の日本記録(61m38)を作り、チェコに拠点を移した4年次(2019年)に64m36、秋には66m00と日本記録を更新。2020年、日本航空にアスリート社員として入社。2021年の東京五輪で入賞を果たすと、昨年6月のダイヤモンドリーグ(DL)パリ大会で優勝、世界陸上2022オレゴンでは銅メダル。今年7月のDLシレジア大会で67m04の日本新をマークし、8月の世界陸上2023ブダペストでは日本勢初の金メダルを獲得、陸上のパリ五輪代表内定第1号となった。DLブリュッセル大会で67m38と日本新記録を更新し、DLファイナルで日本人初優勝。パリ五輪では悲願の金メダルを目指す。
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