歴代Jチェアマンを振り返ると浮かび上がる村井満の異端。「伏線めいた」川淵三郎との出会い
昨年30周年の節目を迎えたJリーグ。その組織面や経営面でのガバナンスは、村井満チェアマン時代の2014年から2022年までの8年間で劇的に強化された。その結果、切迫した財務面の問題は解消され、コロナ禍のリーグ崩壊の危機を乗り越え、Jリーグのパブリックイメージそのものが大きく変わることとなった。そこで本稿では書籍『異端のチェアマン』の抜粋を通して、リーグ崩壊の危機に立ち向かった第5代Jリーグチェアマン・村井満の組織改革に迫る。今回は2022年のチェアマン最後の大仕事の回顧、そして歴代チェアマンの振り返りと、村井のチェアマン就任の経緯について。
(文=宇都宮徹壱、写真=松岡健三郎/アフロ)
Jリーグチェアマン退任を控えた村井満が見せた満面の笑み
日本サッカーのカレンダーは「スーパーカップ」から始まる。
リーグ戦の開幕前に開催される、昨シーズンのJ1リーグ王者と天皇杯覇者による一発勝負。2022年は「FUJIFILM SUPER CUP 2022」として、2月12日に横浜市の日産スタジアムで開催され、川崎フロンターレと浦和レッズが対戦した。
当日朝の私のタイムラインには、ロシア軍によるウクライナ侵攻への懸念と新シーズン開幕への期待とが、同じくらいに流れている。2年間にわたる新型コロナウイルスとの戦いは、ひとまず収束傾向にあったものの、次なる危機の火種はくすぶり続けていた。
Jリーグチェアマン退任を控えた村井満にとり、このスーパーカップは「最後の大仕事」であった。任期は3月15日までだが、多くのファン・サポーターを前に優勝トロフィーを手渡すのは、これが最後。当日の心境について、村井はこう振り返る。
「やはり感慨深かったですね。チェアマンに就任した2014年、満員の旧国立競技場で初めてプレゼンターを務めたのが、当時のFUJI XEROX SUPER CUPでしたから。もうひとつ忘れられないのが、2020年2月8日に埼玉スタジアム2002で開催されたスーパーカップ。まさにコロナの感染拡大前夜だったんですが、この時は事前にマスクを5万枚用意して備えていました。『今年は無事にシーズンを迎えられるのだろうか』という、複雑な思いが交錯した一日でしたね」
試合は、7分と81分に江坂任がゴールを決め、2対0で浦和が勝利。その後の表彰式で、浦和のキャプテン西川周作に銀製トロフィーを手渡す際、マスク越しでもわかるくらい、村井は満面の笑みを浮かべていた。チェアマン就任以前、村井が自他共に認める熱狂的な浦和サポーターであったことは、Jリーグファンには周知の事実である。
スタジアムの大型ビジョンに森保一監督が映し出されて…
表彰式終了後、日産スタジアムのバックスタンドには、Jクラブのマスコット
52体が勢揃い。紅組と白組に分かれての、マスコット大運動会が行われた。
スーパーカップでは、全国のJクラブからマスコットが集結して、ファンに向けたグリーティングや撮影会を行うことが風物詩となっていた。しかし前回の2021年大会は、感染対策のために中止。この年は2年ぶりに、マスコット大集合が実現したのである。
マスコットたちが繰り広げる、何とも牧歌的な茶番劇を撮影していると、不意にJリーグの理事たちの姿が視界に入ってきた。副理事長の原博実、専務理事の木村正明、常勤理事の佐伯夕利子、そしてチェアマンの村井。
いわゆる「チームMURAI」の面々である。
村井と理事たちは、観客の視界を遮らないように身をかがめながら、スマートフォンでマスコットたちを撮影していた。それぞれの表情からは、コロナ禍の危機を乗り越え、無事に任期を終えることへの深い安堵感が見て取れる。
「マスコットたちが退出して、スタンドのお客さんも全員が帰路について、後片付けが終わった時ですよ。これで解散だね、なんて言っていた時に突然、スタジアムの大型ビジョンに日本代表の森保一監督が映し出されて『村井チェアマン、8年間お疲れさまでした』って。それはJリーグの職員が準備していた、サプライズのビデオメッセージだったんですね。そんなこともあったので、あの日は忘れ難がたい一日となりました」
以上が、1万8558人もの観客の前で、Jリーグチェアマンとしての最後の務めを果たした、村井満の回想である。
歴代チェアマンを振り返ると浮かび上がってくる事実
村井のJリーグチェアマンの在任期間は、2014年1月31日から2022年3月15日まで。チェアマンの任期は1期2年なので、4期8年だったことになる。サッカーの世界での、8年は長い。この間に日本代表監督は5人替わった。
ここであらためて、歴代チェアマンを列挙してみよう(カッコ内は任期)。
・第1代 川淵三郎(1991〜2002年)1936年生
・第2代 鈴木昌(2002〜06年)1935年生
・第3代 鬼武健二(2006〜10年)1939年生
・第4代 大東和美(2010〜14年)1948年生
・第5代 村井満(2014〜22年)1959年生
・第6代 野々村芳和(2022年〜)1972年生
このリストから、いくつか興味深い事実が浮かび上がってくる。まず、任期。11年続いた初代チェアマンの川淵を除けば、村井の8年は最長である(最長4期8年のルールは村井が作ったものだ)。
次に、チェアマン就任時の年齢を見てみよう。川淵は54歳、鈴木と鬼武は66歳、大東は61歳、そして村井は54歳。現チェアマンの野々村が、49歳で「最年少」と話題になったが、60代での就任が常態化していたことを思えば、川淵と村井の54歳は目を引く。もっとも、1991年と2014年とでは、同じ54歳でも社会的な見方はまったく異なる。川淵が就任した当時、一般的に54歳は「定年間近」という印象だった。
生年についても注目したい。川淵、鈴木、鬼武の3代は、いずれも1930年代生まれ。いわゆる「焼け跡世代」である。第4代の大東で、ようやく初の戦後生まれのチェアマンが誕生。村井の1959年という生年は、当時としては新鮮なものに感じられた。
ビジネスの世界で成功した上で、Jリーグのトップの地位へ
また、任期や就任時の年齢以上に、村井の異端ぶりを感じさせるのが、その出自。
村井を除く歴代チェアマンは、Jクラブの社長経験者、もしくは日本サッカー界に功績を残した人物に限られていた。鈴木と大東は鹿島アントラーズ、鬼武はセレッソ大阪、野々村は北海道コンサドーレ札幌で、それぞれ社長や会長を務めた。川淵はクラブ経営の経験こそなかったものの、日本代表と古河電工サッカー部で選手と監督の経験を持つ。それに対して、村井のサッカー経験は高校時代で終わっている。Jリーグ社外理事を6年務めていたものの、サッカー界ではまったく無名の存在であった。
その一方で、ビジネス界における村井のキャリアは、実に眩いばかりである。早稲田大学法学部を卒業後、1983年より日本リクルートセンター(現・リクルート)入社。2000年の同社執行役員就任を経て、04年にリクルートエイブリック(社名をリクルートエージェントに変更後、現・リクルートに統合)代表取締役社長に就任。さらに2011年には、リクルート・グローバル・ファミリー香港法人(RGF HR Agent Hong Kong Limited)社長、13年には同社会長に就任。
確かに、鹿島運輸社長(鈴木)やヤンマーマリナックス社長(鬼武)、住友金属工業九州支社長(大東)といったキャリアを持つ元チェアマンもいた。だが、時価総額8兆円の大企業で執行役員となり、前職がグローバル企業の会長となると、話は違ってくる。
そもそもビジネスの世界で頂点を極めた人間が、サッカーの世界に転身することは、かなりのレアケース。むしろ初代チェアマンの川淵のように、ビジネスの世界に限界を感じ、サッカーの世界へ飛び込んだ例のほうが多いくらいだ。
多くのサッカー関係者は、村井の出自が「業界外」であることを理由に、彼を異端視している。だが私の捉え方は違う。村井は、ビジネスの世界で成功した上で、Jリーグのトップの地位を担うことになった、初めてのケース。それゆえの「異端のチェアマン」なのである。
「そのうち大東さんから大事な話があるから」
村井満がJリーグチェアマンの打診を受けたのは、2013年11月27日。Jリーグのオフィスが、東京・御茶ノ水の日本サッカー協会ビル(以後、JFAハウス)にあった時のことだ。そこからほど近い、すき焼きの「江知勝」が舞台である。
1871年創業の江知勝は、多くの文豪に愛されてきた名店として知られる(芥川龍之介、夏目漱石、森鴎外の作品にも登場する)。2020年1月31日、惜しまれながら閉店。明治時代にタイムスリップでもしたかのような、歴史の重みを感じさせる日本家屋はあっさり取り壊され、跡地にはのっぺりしたタワーレジデンスが建っている。
当日の出来事を村井はメモに残していた。以下、引用する。
《少し早く着き、上野から不忍方面に歩く。湯島天神を経由して、赤門から東大キャンパスへ。安田講堂裏から江知勝へ。》
《すでに両者は到着しており対面。仲居さんを遠ざけ、酒が入る前にしばしの歓談。盛岡訪問の件などを話す。》
村井を待っていたのは、当時チェアマンだった大東、そして専務理事の中野幸夫。村井は事前に中野から「そのうち大東さんから大事な話があるから」と聞かされていた。
「ひと通りの歓談後、大東さんから単刀直入に『村井に(チェアマンの)後任を託したい』と言われました。実はその時は、わりと冷静に受け止めていたんですよ。中野さんからの前フリで、薄々感じていましたので『ええっ?』という驚きはなかったです。加えて、もうひとつ、少し伏線めいたこともあったんです」
「伏線めいた」川淵三郎との出会い
「伏線めいたこと」とは何か。それは初代チェアマン、川淵三郎との出会いである。この年、村井は川淵と2回、顔を合わせている。
「きっかけは、浦和駅前のパルコにある多目的ホールでの『スポーツで豊かな浦和になるために』というトークイベントでした。そこでJリーグの理念を語っていただくべく、登壇していただいたのが川淵さん。6月29日の開催で、主催したのは『一般社団法人Jリーグの理念を実現する市民の会』です。私は会の設立時の理事でした」
2013年当時、村井はリクルート・グローバル・ファミリー香港法人の会長を退任し、自宅のある埼玉県さいたま市に戻っていた。1983年に当時の日本リクルートセンターに入社してから、ちょうど30年という節目の年。
間もなく53歳という村井の年齢は、一般的には「まだまだこれから」であろう。が、リクルートの企業文化に照らせば、後進に道を譲って新しいチャレンジをするタイミングであると、当人は捉えていた。
その選択肢のひとつに「大好きなサッカーに関わる」という考えもあったのだろう。川淵を招いてのトークイベントも、その延長線上にあったと考えれば合点がいく。もっとも、この時の村井は舞台の表に出ることはなく、あくまでも裏方に徹していた。のみならず、2時間に及んだ川淵の講演内容をすべて書き起こし、さらに細部に至るまで事実関係を確認しながら推敲を重ねた。1カ月に及ぶ作業の中、川淵の言葉を写経のように反芻したため、村井はJリーグの理念を自身の血肉にすることができたという。
苦心の末に完成した講演録は、秘書を通じて川淵に手渡されることとなる。「それでいったん、川淵さんとの縁は終わった」というのが、この時の村井の認識。それから3カ月が経ち、秘書を通じて「川淵が会いたがっている」という連絡を受ける。かくして村井は、ホテルオークラの中華レストラン「桃花林」で、川淵と会食することとなった。それが11月12日。チェアマン就任オファーの15日前のことであった。
「例の講演録について、川淵さんがいたく感動されていることを、その時に初めて知ったんですよ。『よくぞあそこまで、まとめてくれた』なんて、おっしゃっていましたね。この時は、雑談めいた話が多かったんですが、一方で『村井という人間は何者なのか』を知ろうとする、面接めいた質問もありました」
難局から逃げないことが信条。「ほとんど即答でしたね」
以上、「伏線めいたこと」を振り返ったところで、11月27日の江知勝に話を戻す。再び、当時の村井のメモから(文中の「チェアマン」とは大東のことである)。
《チェアマンご自身、任期4年で退任するつもりであること。若返りを図るべく、村井に後任を託したい旨、述べられた。私自身、サッカー選手でもなくクラブ経験もないことを伝えたが、チェアマンは企業経営の経験と若さを語られた。自信があるわけではないが、難局から逃げないことが信条であることを伝え、了解の意思を伝えた。》
当人いわく「ほとんど即答でしたね」。そして、こう続ける。
「大東さんからの打診を受けるのか、それともお断りするのか。私の判断基準は、ただひとつ。この村井にチェアマンを引き継ぎたいと、大東さんが本心から思っているのか――。これだけでした。本意ではない形でチェアマン職を譲ろうとしていたら、私ははっきり断るつもりでした」
一方で「川淵さんから推挙があっての、この場ではないか」との考えを、村井は捨てきれなかったという。しかし、確証はない。結局、大東と中野の前で、初代チェアマンの名を口にすることはなかった。
その後のメモには《酒を入れて、大いに燗酒を飲んだ。全部で20本近く飲んだ。》とあり、3人は大いに酔っ払った。しかし、酒で顔を赤らめながらも、村井は大東の観察を続けていた。それは、人事とガバナンスのプロフェッショナルとしての、死ぬまで捨て切れぬ習性であった。
(本記事は集英社インターナショナル刊の書籍『異端のチェアマン』より一部転載)
【後編はこちら】Jリーグ開幕から20年を経て泥沼に陥った混迷時代。ビジネスマン村井満が必要とされた理由
<了>
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Jリーグ前チェアマン・村井満がバドミントン界の組織抜本改革へ。「天日干し」の組織運営で「全員参加型の経営に」
[PROFILE]
村井満(むらい・みつる)
1959年生まれ、埼玉県出身。日本リクルートセンターに入社後、執行役員、リクルートエイブリック(後にリクルートエージェントに名称変更)代表取締役社長、香港法人社長を経て2013年退任。日本プロサッカーリーグ理事を経て2014年より第5代Jリーグチェアマンに就任。4期8年にわたりチェアマンを務め、2022年3月退任。2023年6月より日本バドミントン協会会長。
[PROFILE]
宇都宮徹壱(うつのみや・てついち)
1966年生まれ、東京都出身。写真家・ノンフィクションライター。東京藝術大学大学院美術研究科を修了後、TV制作会社勤務を経て1997年にフリーランスに。国内外で「文化としてのフットボール」を追い続け、各スポーツメディアに寄稿。2010年に著書『フットボールの犬』(東邦出版)で第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞、2017年に『サッカーおくのほそ道』(カンゼン)でサッカー本大賞2017を受賞。個人メディア『宇都宮徹壱ウェブマガジン』、オンラインコミュニティ『ハフコミ』主催。
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