ダビド・ビジャ「誇れるものは継続性」 W杯得点王の知られざる素顔とルーツ

Career
2019.12.27

11月13日に現役引退を発表したヴィッセル神戸のダビド・ビジャ。

世界最高のストライカーとも評され、獰猛なゴールハンターであるにも関わらず、彼が発する言葉の数々から溢れ出るのは、温厚な人柄と謙虚さだった。

インスタグラムのフォロワーが620万人にのぼり、世界的なセレブリティでありながら、神戸の街に家族で出かけ、ファンと交流し、写真やサインにも気軽に応えていたという。

誰もが憧れる成功を手にしながらも変わらず謙虚で、向上心を持ち続ける方法とは一体なんなのか? 彼の人間性を形成したそのルーツに迫った。

(インタビュー・構成=小澤一郎、写真=齋藤友也)

スペインという国が一つにまとまったW杯優勝

ーーつい先日、引退を発表されました。今はどういう心境、現状ですか?

ビジャ:正直なところ以前と何ら変わりありませんが、発表したことで少しだけホッとした気持ちはあります。決断自体は前からしていましたが、発表したからといって特に変わりはありません。今でも選手として残された時間を楽しもうとしていますし、できれば有終の美を飾りたいと思っています。

ーーあなたのキャリアの中で最高のシーズンは?

ビジャ:(FIFA)ワールドカップ(W杯)で優勝したシーズン(2010年南アフリカ大会)です。私個人の成績で見ればより得点を取ったシーズンやより良いプレーができた、よりタイトルを取ったシーズンがあったかもしれませんが、最高のシーズンを挙げるとするならばW杯で優勝した年です。

ーーW杯優勝によって何か変化はありましたか?

ビジャ:いいえ。もしかするとファンの皆さんの気持ちの中に変化があって、街を歩いていても温かい声をかけてもらうことが多くなったかもしれません。実際、アメリカ、オーストラリア、日本のような国でプレーをしてW杯優勝チームの一員であったことは一番の実績として受け止められていました。スペインではない国籍の人に選手として高く評価してもらうことになったのもW杯というタイトルのおかげですので、選手にとってはとても重要なタイトルでありシーズンとなりました。

ーーW杯タイトル獲得によってスペインという国が一つにまとまったように映りました。

ビジャ:当時は不動産バブルが弾けて国内の経済危機が叫ばれていた時期ですし、政治的にも多くの問題を抱えていました。国内が厳しい状況にあったからこそ、人々にとっては歓喜の瞬間になったのだと思います。スペイン代表がW杯で長く勝てない時期が続いていましたのでスペイン国民にもたらした喜びはより大きなものでした。サッカーというスポーツが持つ魅力、インパクトはそこにあると思います。サッカー界のみならず国や社会全体に大きな影響を及ぼす力を持っています。

自身のキャリアで一番誇れるものは「継続性」

ーーあなたのキャリアを振り返ると常に2桁以上のゴールを決めています。唯一、10ゴールに到達しなかったシーズンが、FCバルセロナ時代の2011−12シーズンでした。

ビジャ:ケガでプレーできませんでしたから……。

ーーほとんどのシーズンでケガなくコンスタントに15ゴール以上を奪うことが可能だった理由は?

ビジャ:私が自身のキャリアで一番誇れるものは継続性です。サッカーにおいて到達することはもちろん難しいことですが、高いレベルを維持し続けることはより難しいことです。11-12シーズンはケガで長期離脱となったので到達できませんでしたが、それ以外は毎シーズン2桁、ほとんどのシーズンで15ゴールをクリアできていますし、今季についても近いゴール数を奪っています。サッカーの歴史を振り返っても素晴らしいストライカーが数シーズン連続で得点を量産しながら、その後スランプに陥り長いキャリアで見た時にはコンスタントに得点を奪えていないようなケースもあります。私自身は、毎シーズンコンスタントにゴールを奪っているので、そこは本当に誇れるところです。

ーー私はサッカー経験があるのですがエリア内でパス受けるととても落ち着いてシュートが打てません。どうしてあなたはこれほど冷静に、エリア内でより冷静にシュートをゴールネットに打ち込むことができるのですか?

ビジャ:一つは選手としての才能にあると思います。例えば、私がバスケットボールのNBAの選手になりたいと思ってもこの身長では叶わないでしょう。そこは持って生まれた才能です。まずは選手としての才能があること。その意味では自分を生んでくれた両親に感謝しています。
その才能が前提としてあった上で、質を磨いていく必要があります。多くの練習と経験を積み、ストライカーというポジションにおいては今日の試合でうまく決まったシュートが来週同じシチュエーションで決められないことが起こります。メンタル面で常に気をつけていることは特にシュートを外した時にマイナスの感情を持ちすぎないことです。
人間の人生においてミスはつきものですし、完璧な人間などいないのですから、ミスにどう立ち向かうのかという姿勢を大切にすべきです。決定機を外したとしてもまだ時間があるのであれば次のチャンスに向けて気持ちを集中させるべきです。外したことを嘆くのは試合が終わってからでいいのです。

ーーそのようなメンタルの強さ、安定感は自然に獲得したものですか? それともメンタルコーチのような専門家から教わったものですか?

ビジャ:プロフェッショナルなコーチを付けたことはありません。ただ、幼い頃から父親を筆頭に自分のプレーについてフィードバックをしてくれる人間は常にいました。特に若い頃は父、コーチ、チームメイト、監督からのアドバイスをたくさんもらっていました。サッカーというスポーツでは強いメンタリティが求められますので、自分一人の力ではなくアドバイスをくれる家族、仲間、人間の力も借りて日々向上していく必要があります。

父親という存在について

ーー幼い頃はお父様からかなりアドバイスを受けていたそうですが?

ビジャ:そうなんです。いつもアドバイスをくれました。父はサッカー経験こそなかったですが、本当にサッカー好きな人間で、ピッチ内はもちろんピッチ外での的確な助言もしてくれました。選手としてのキャリアが今のようになったのは父の存在がとても大きいと思っていますし、とても感謝しています。

ーー幼い頃に困難なケガをしていた時期、右足が使えず左足でボールを蹴ったことで両足がうまく使えるようになったと言われています。お父様から左足でのキックを指導されたのですか?

ビジャ:4歳の時期でのケガ(大腿骨の重傷)でした。右足にギブスを付けていたので一人でボールを蹴ることができず、父親が左足に向けてボールを出してくれていつも壁当てをしていました。実際、多くの人に私が選手として両足がうまく使えること、利き足ではない左足でも良いシュートが打てるのは当時の父親との左足での練習の成果だと言われます。おそらくそれは本当なのですが、私はあまりに幼い時期のことなのであまり覚えていません……。

ーーお医者さんはサッカーをすること、ボールを蹴ることを認めていたのですか?

ビジャ:おそらく、許可されていなかったはずです(笑)。父親に質問しないと確かなことはわかりませんが、診断結果が出てギブスを付け始めた時期は生活するのも困難だったと思います。

ーーあなたはとても家族思いの人として知られていて、私生活でニュースや話題になるようなこともありません。安定した生活を送れているのはやはりお父様の影響が大きいのでしょうか?

ビジャ:そうですね。もちろん、母親の影響も受けていますし、両親から多くのことを学びました。父は炭鉱夫として働き、私はサッカー選手という異なる職業に就きましたが、彼のような人間になることを目標に生きてきました。これは先日もある取材を受けて言ったことなのですが、私はルカ(長男)の父親として自分の父親から受けたような教育をしたいと考えて今生活しています。ルカの上に2人の娘がいますので娘に対する父親としての教育は試行錯誤ではありますが、ルカに対しては自分の父親がしてくれたようなことをしたい。自分も含めて両親から生を受けた兄弟はみな自分の仕事で一定の成功を収めています。それは両親の教育が良かったからだと考え、感謝していますので彼らのような親に自分もなりたいと思っています。

ーー父親としての弱点はあるのですか?

ビジャ:たくさんありますよ。誰もがそれぞれの立場で弱みを持っています。あまり答えたくない質問ですが……(苦笑)。例えば、時に物事に対して忍耐強さがないところや多くの時間を家庭の外で過ごさなければいけない点などは父親としての弱みなのかなと思っています。特にここ数年はオフシーズンを選手としての疲労回復のために時間を使ってきました。年齢を重ねてベテラン選手になってくると若い時のような回復ができませんから、コンディションを維持するためにも今まで以上に休みの日の時間を心身の回復のために費やしてきました。そのため、ルカが一緒にボールを蹴りたいと言ってきてもできない時が多々ありました。引退すれば家族と過ごすための時間は増えますからその弱みはなくなりますけど。

グアルディオラとアラゴネスから学んだ人生の指針

ーープロとして自身のコンディションに気を遣ってきているのはケガの少なさ、コンスタントな活躍からもよくわかります。そうしたプロとしての姿勢はキャリア当初からあったのでしょうか?

ビジャ:選手として常に自分の体のケアには気を遣ってきましたが、やはり年齢を重ねるにつれより細かな点に注意するようになってきました。10代の若い頃からプロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせていますので、当時は仲の良い友だちと夜出かけるようなことも当然ありました。もちろん、節度を持った中で若さを堪能していたということですが、年々食事や睡眠に気を配るようになってきました。サッカー選手の資本は体ですから、結果を出すためにも体のケア、メンテナンスが何より大切です。高いレベルで良いプレーを続けるためにも常に自分の体、体調には向き合うようにしてきました。

ーーその意味で言うと、バルセロナ在籍時代に指導を受けたジョゼップ・グアルディオラはコンディション管理に厳しい監督でしたか?

ビジャ:出会った監督すべてが厳しかったですが、おそらくグアルディオラはそうしたトレンドを作った監督でしょう。トレーニングセンターでチームとして食事を取ることを義務づけたのも彼ですし、カロリーや栄養の管理、日々の体重測定、トレーニングにおける負荷など、すべての面で厳しく管理をしていく指導メソッドをスペインで初めて導入した監督です。他の国ではそういう監督がすでに存在していたのかもしれませんが、スペインでは彼がパイオニアでした。

ーーあなたのキャリアの中で出会った監督の中でもスペイン代表時代のルイス・アラゴネス監督はとても大きな存在だったと思います。どういう監督でしたか?

ビジャ:出会ったすべての監督のおかげで今があると思っています。ただ、ルイスからは人としてのあり方、人生の指針を学びました。感情をコントロールする術、自分や仲間を信じること、彼からは個別にいろいろな話、レクチャーを受けてピッチ内での判断のみならず、ピッチ外での人間としての判断基準を教えてもらいました。

香川真司について、日本のお気に入りについて

ーーあなたが在籍したサラゴサには今、香川真司がいます。今のサラゴサはあなたにどう映っていますか?

ビジャ:今季はかなり期待されているシーズンです。(香川)シンジの加入はビッグニュースでファンに大きな夢を与える移籍でしたが、彼以外にも良い補強ができましたので良いチーム編成になっています。近年のサラゴサは2部でも下位に低迷するなどファンの期待に応えられないシーズンが続いていましたので、今季は上位につけてサラゴサという歴史あるクラブにふさわしい場所、つまり1部に戻ってきてもらいたいと考えています。サラゴサは自分がプレーをしてファンにとても良くしてもらった愛着あるクラブですので、早い1部復帰を願っています。

ーーSNSを拝見する限り、日本のいろいろな場所を訪れているように思うのですが、最もお気に入りの場所は?

ビジャ:日本にはサッカーをプレーするため、ヴィッセル神戸に貢献するために来ましたので旅行することが来日の目的ではないので、そこはまずお断りさせていただきます(苦笑)。その上で休みの時に出かけることができればいろいろな場所を訪れて日本の文化を体験したいと考えています。そうした時間は自分や家族にとっても貴重なもので、人としての経験や考えを豊かなものにしてくれます。訪れた場所はすべて気に入っているので一つを選ぶのはとても難しいのですが、強いて挙げるとすれば姫路城ですかね。都市で言えば京都が気に入っています。神戸から近いのですでに4、5回訪れましたが、日本の歴史文化が詰まった都市だと思います。

ーー日本食の中で好きな食べ物は?

ビジャ:寿司ファンです。中でも握りが大好物です。ネタは何でもよくてとにかく握りが好きですね。

ーースペイン食の中では?

ビジャ:たくさんお気に入りがあるのですが、スペインから離れた生活が続いているので今一番恋しいのは妻が作ってくれるアストゥリアス州のファバーダ(煮込み料理)、それから本場のパエージャですね。

ーーバレンシアのパエージャということですよね?

ビジャ:はい。もちろん、バレンシアのパエージャです。

ーー日本人にとってあなたの故郷であるアストゥリアス州はあまり知られた土地ではありません。スペインを旅する日本人にアストゥリアス州をお勧めするとすればどのように説明しますか?

ビジャ:少しでも可能性があるのであれば何の迷いもなく訪れることをお勧めします。山、緑が多く景色の素晴らしい土地ですし、おいしい食事もあります。夏はさほど暑くなく、冬はそれほど寒くない。私の生まれ故郷だからというわけではなく、純粋にアストゥリアスの山と自然には一度触れていただきたいです。

日本で出会った人たちはこれからの人生の財産

ーー日本、ヴィッセル神戸での1年を総括してください。

ビジャ:とても素晴らしいシーズンでした。日本に来る決断をした時まで遡ると、本当に良い決断をしたと思います。素晴らしい経験ができました。もちろん、チームとしても選手としてもすべてが思うような結果になったわけではありませんが、日本で出会った人たちはこれからの人生の財産になると思います。それくらいここでは素晴らしい人たちに出会い、皆さんに本当に温かく接してもらいました。ポジティブな1年でしたし、願わくばタイトルというものを付け加えてよりポジティブなシーズンにしたいです。

ーーおそらく、Jリーグのスタジアムの雰囲気、熱気、サッカーへの愛情には良い意味で驚かされたのではないですか?

ビジャ:おっしゃる通りです。ホームはもちろん、アウェイのスタジアムも、どこに行っても本当に最高の雰囲気がありました。中でもサポーターが最後までチームを応援、鼓舞し続ける姿には感動しました。

ーー私生活でも日本のファンはリスペクトしてくれましたか?

ビジャ:はい。ニューヨークよりは街中で気づかれる機会が多くなりましたが、みなリスペクトのある対応をしてくれていました。私は普段とてもおとなしい、落ち着いた性格であり、サッカー選手はあくまで自分の職業ですのでファンに対してもありのままの自分で対応しています。いろいろな都市で生活してきましたが、街を歩いていてサッカー選手であることを気づかれ、サインや写真を求められるということはある意味で名誉なことだと考えています。引退するとそういう機会も減るのかなと考えると少し寂しい気分にもなりますが、サッカー選手だからといって何か特別な人間ではありません。普段通りの自分でごく自然な対応をしています。

ーー家族、特にあなたの子どもたちにとっても海外での生活は彼らの今後の人生にとって大きな糧となるはずです。例えば、英語はもう完璧に習得していますよね?

ビジャ:もちろんです。自分の人生と比較しても彼らが羨ましいくらいです。例えば私が初めて飛行機に乗ったのは17歳の時、スポルティング・ヒホンBの選手としてラス・パルマスとの試合のためにカナリア諸島に行った時でした。今私の子どもは一番上が13歳、次が10歳、一番下が6歳です。その年齢にして彼らはアメリカや日本のような海外で生活し、南アフリカに行き、欧州全土を旅しています。子どもたちにこうした経験をさせることができただけでも海外でプレーをして良かったと考えています。

ーーお子さんたちは日本語も少し話せるのですか?

ビジャ:ルカは少し話しますよ。3人はインターナショナルスクールに行っていますが、ルカはサッカースクールに通っているので日本人の友だちが多くいて彼らとは日本語でやり取りしています。学校でも少し日本語の授業があるようなので私が理解できないレベルで話していますよ。

ーー最後にヴィッセル神戸のサポーター、日本のサッカーファンにメッセージをお願いします。

ビジャ:ありがとうございました。その一言です。日本に来た初日から今まで皆さんからいただいた愛情にはとても感謝しています。その中でもヴィッセル神戸のサポーターの皆さんには本当に良くしてもらいましたので、改めてお礼申し上げます。シーズンをいい形で締めくくれるよう引き続きがんばりますので最後まで応援よろしくお願いします。

【後編はこちら】ビジャ、日本のスクール事業で描く壮大な夢「私が持つアカデミーとクラブを経て、欧州へ」

<了>

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PROFILE
ダビド・ビジャ
1981年12月3日生まれ、スペイン・アストゥリアス州ラングレオ出身。地元スポルティング・ヒホンB(3部リーグ)でプロデビュー。その後スポルティング・ヒホン、サラゴサ、バレンシア、FCバルセロナ、アトレティコ・マドリードと国内クラブを渡り歩く。FCバルセロナ在籍時、2010-11シーズンにUEFAチャンピオンズリーグ優勝、2010-11、2012-13 シーズンにラ・リーガ優勝。続く2013-14シーズンもアトレティコ・マドリードでラ・リーガ優勝を経験。スペイン代表としてUEFA EURO 2008と2010 FIFAワールドカップ優勝も果たしている(両大会にて得点王も獲得)。2014年、国外移籍を決意しオーストラリアのメルボルン・シティ、アメリカのニューヨーク・シティでの4シーズンを経て、2019シーズン、ヴィッセル神戸に加入。同年11月13日に現役引退を発表。現在は、日本を含む世界7カ国で展開する育成事業「DV7 SOCCER ACADEMY」、米国Queensboro FCのクラブオーナー、代理人事業のDV7マネジメントなどを展開する、DV7グループの創業経営者。3児の父。

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