「災害はまた必ず起こる。だからこそ…」 巻誠一郎が熊本復興支援の先に見据える未来

Opinion
2020.01.11

少しでも誰かの力になりたいと誓ったあの日から、今も前を向いて走り続けている。
2016年4月、甚大な被害をもたらした熊本地震の発生から3年半。復興は進んでいる。だが、それでもまだ終わっていない。
「自分にできることをやってきただけ」
地震発生直後から避難所を駆け回り、苦しんでいる人たちに寄り添ってきた巻誠一郎は今、愛する故郷に何を思い、どんな未来を描いているのだろうか――。

(インタビュー・構成=野口学[REAL SPORTS副編集長]、撮影=たかはしじゅんいち)

「目の前に困っている人がいたら、まずはその人から助ける」

2019年12月、私たちが見慣れた格好とは違う装いに身を包んだ、巻誠一郎がいた。緊張からか、少しぎこちない笑顔で壇上に上がってトロフィーを受け取り、率直な思いを口にした。

「災害というものは、無いに越したことはないと思いますし、こういう場で僕が話すことではないと思うんですけども……。ただ、前を向いて進む地域の方々の象徴として、僕がこういう賞を頂くことによって、共に前に進んでくださった皆さんが、笑顔になって、一緒に喜んでくれて、それが本当に素晴らしいことで、これからの未来のきっかけになればいいなと思っています」

スポーツを通して社会貢献活動を行う個人、団体を表彰する「HEROs AWARD 2019」の受賞プロジェクトとして、巻が2016年より活動を開始している「YOUR ACTION KUMAMOTO」が選ばれた。

2016年4月、熊本地方で発生した熊本地震は、最大震度7の揺れを2度にわたり観測し、甚大な被害をもたらした。家屋被害は、全壊が8673棟、半壊が3万4726棟、一部損壊を含めると19万棟にも及び、264人もの死者を出した(関連死を含める)。

「16日に本震があったその夜が明けた段階で、自分で覚悟を決めて、日本の皆さんに情報を発信しよう、物資を集めようと。その時から、アスリートとしての価値、力を社会的な部分で思う存分に発揮するというのが、自分の中の変化でした。共有して、巻き込む。その時に決めたことが、目の前に困っている人がいたら、まずは目の前の人から助けようと」

巻自身も被災した身でありながら、すぐさま動き始めた。避難場所としてサッカーグラウンドを開放したことに始まり、支援団体の立ち上げや物流拠点の設置にも尽力した。3カ月もの間、毎日、避難所を回った。その数はのべ300にも上る。一人ひとりと向き合い、真摯に話に耳を傾けた。

「普段は、地域に根差したプロサッカーチームの選手として、皆さんに支えられて成り立っているということを日々実感していました。今度は自分が地域の人たちを助けなきゃ、支えなきゃという、本当にその思いのみで動いていました」

そこで巻は、サッカーの、スポーツの持つ力を、あらためて感じたという。

「地震の後、うつむいて前を向けない子、夢を失った子がたくさんいました。でも、そういう子の足元にボールを蹴ると、必ずボールは返ってくる。ボール一つでコミュニケーションが取れる、皆とつながれる。それがサッカーであり、スポーツが持つ力だと思っています。アスリートが持つ力というのは大きくて、僕らがボールを蹴れば子どもたちが笑うんですね。子どもたちが笑えば、周りの大人も笑う、おじいちゃん、おばあちゃんが笑う。その一瞬だけでもつらいことを忘れられる。そういうところから前に進むきっかけが出てくると僕は確信しています。アスリートが持つ力というのは、世の中に還元できる。そのように思っています。なのでこの賞は、僕自身だけでなく、世の中のアスリートの皆さんのきっかけとなれるような、そういう賞にしたいなと思います」

そうスピーチを締めくくり、降壇した。

震災から3年半――。熊本の現状はどうなっているのか、これから何をしていこうとしているのか。そして、私たちは何ができるのだろうか――。

受賞後の巻に話を聞いた。

「あなたのできることをできるだけ、僕のできることをできるだけ」

――震災から3年半が経過しました。熊本の現状をお聞かせください。

:インフラなど環境についての復興は非常に進んでいます。局地的な災害だったので、熊本の中でもほとんどの場所ではもう復興は終わっていて、もう熊本の地震は終わったことだと認識している方も、熊本の中にもいらっしゃるのは確かです。ただそうした中で、一番復興していないのは、住むところが無かったりする方々の心の部分だと思います。特に、お年寄りであったり、障がいのある方、子どもたち、いわゆる社会的弱者の方々です。

――なかなかそういう人たちのところまでは行き届いてないと。

:もちろんすごく努力されていますし、ある程度はケアされていると思いますけど、まだまだ進み具合は遅いです。

――巻さんは地震の発生直後から、自分に何ができるかを考えながら動き、動きながら考える、ということをずっと続けきました。巻さんを衝き動かしていたものは何だったのでしょうか?

:やっぱり、世の中の人に対して情報を発信できる、アスリートにはそういう力があると思うんです。一般の方が伝えようとしてもなかなか伝わらないことでも、僕らアスリートが伝えると伝わることがたくさんあるから。伝えるからには本気で向き合って、地域の人たちの本当に心の奥底まで入って、真実を伝えていかなきゃいけない。その義務があると思うんですね。そういう思いです。

――途中で、自分じゃなくてもいいんじゃないか?、他の人でもできるんじゃないか?と思ったことはなかったんですか?

:僕らは「(NPO法人)ユアアクション」という団体をつくったんですが、そこに込めた僕自身の思いが「YOUR ACTION」。あなたのできることをできるだけ、僕のできることをできるだけ。なので他人は関係なかった。自分ができることをできるだけ。それが、大きなことができるんであれば、大きなことをやればいいと思うし、目の前の人たちを助けられるんであれば、目の前の人を助ける。そういう思いだけでしたね。

――大小は関係なく自分にできることを見つけて行動に移してほしいし、自分もそういう思いのもとでやってきたということですね。

:根底にはそういう思いです。

――巻さんは現役サッカー選手を続けながら、復興のための活動をしてきました。競技生活との両立の難しさであったり、なかには心無い中傷や批判もあったかと思います。そういった自分の中の困難とはどう向き合っていましたか?

:批判が出ることは覚悟していました。ですので、本当に全力で、妥協なしに競技と向き合いました。そういう人たちに対して、「僕のプレーを見てもらったら分かるだろ?」と。ピッチに立ったら、90分だろうが、5分だけだろうが、1週間のうちに会ったいろいろな人たちのエネルギーをその時間の中に全て凝縮して、最後の1分、1秒まで想いを乗せるということを心掛けました。なので、批判はまったく出なかったです。心無い声もまったくなかった。それはもう自分の中で突き抜けていましたし、誰にも何も言われる筋合いもありません。批判を超越する活動をしようと。そういう覚悟を決めていました。

――そうした競技への向き合い方というのは、地震の前と後で変わったのですか?

:そうですね、やっぱり競技への向き合い方、競技に対する考え方は変わりましたね。

「言葉には力がある。だから僕は声を大にして言いたい」

――災害というものは、起こってほしくはないものですが、それでも起こり得るものだと考えたとき――、

:というよりは、もう、必ず起こるものです。

――そうですね。今後また起こってしまったときに、現役選手には、巻さんが自分でやってきたような活動をしてほしいと思うのか、それとも彼らがより競技に集中できるように、例えば引退した巻さんだったり周りの人がそういった活動をやったほうがいいのか、巻さんはどう考えますか?

:その質問は、僕はおかしいなと思います。やはりアスリートというのは、サッカー選手だったらサッカー選手としての自分の価値にはどういったものがあるのかしっかりつかむ。どういう場所で、どういう社会的な影響を与えられるのかを見極める。情報を発信すること、いろんな方に知ってもらうこと、そして、共感してもらうこと、それがプロのアスリートにできることだと僕は思っています。あとはその中で、自分のできる範囲のことだけでいいと。もしかしたら、SNSでつぶやくだけかもしれないし、心で思うだけかもしれない。それも、僕は支援だと思っています。それぞれの形があっていいと思うんですよね。アスリートだから、こういうことをやらなきゃいけないというものはないと思います。ただ、こういうこともできるんだな、ああいうこともできるんだな、自分も頑張ればできるかもしれないというきっかけだったり、イメージできるような活動はしたいなと思っています。それは今後アスリートが進んでいく道につながればいいなと。あの人がやっていたからとか、支援の形をたくさん示せるといいのかなと思います。選択肢は多い方が支援の形も増えますからね。

――アスリートに限らず一般の方でも、自分に何ができるのか分からないという人が世の中に多くいるからこそ、巻さんだったり、知られている人が行動で示すことに意味があると。

:アスリートの中にも、自分一人では動けないけど、きっかけさえあれば動きたいという人はたくさんいます。それはもう地震があってすごく感じました。なので、そのきっかけをつくること。大きな波を生み出すための、最初の小さな波をつくること。それがアスリートにできることなんじゃないかなと思います。

――復興のための活動はこれからも続けていかれると思いますが、そこからさらに先に進んでいくためには何が必要になると考えていますか?

:地震のときに感じたことは、地震が起こってから何かアクションを起こしても遅いということです。災害に向けた備えをしている地域や人々は、実際に災害が起こった後も、助け合いながら前に進むスピードが早い。逆にそういう備えができていないと、どうしても次に向かうエネルギーが小さくなってしまう。

僕はサッカーというフィルターを通して、社会と向き合ってきました。ファンやサポーター、企業の方々と向き合ってきたからこそ、自分が何かをやろうと思ったときに、さまざまなことができるんですよ。なので、そういうコミュニティをしっかりとつくり上げる。普段からコミュニケーションをしっかり取っておく。その大切さを僕は感じています。避難所の作り方や様子であったり、そういうものも細かなところもゼロから見てきました。どういう避難所がよくて、どういう避難所が困難に陥っているかも見てきました。だから今後は、僕が感じてきたことを世の中に伝えていって、少しでもそういう非常時に備えた準備ができるような、そういう活動ができたらなと。そうした活動を、アスリートを通して、サッカーを通して、Jリーグを通して、日本サッカー協会を通して、さらに広げていくというふうに勝手に思っています。

言葉にはすごい力があって、僕がこうやって言葉にすることによって、いろんな人が動いてくれたり、いろんな人を巻き込むことができると思っているので、声を大にして言いたいと思います。

「引退試合は、子どもたちに夢を持ってもらうきっかけになれば」

――巻さんは2020年1月13日に引退試合を控えています。2019年1月に現役引退を発表してから、少し間が空いての引退試合となりますが、率直な今の気持ちをお聞かせください。

:やっぱり地震の後、夢を諦めたり、夢を追えなくなった子どもたちもたくさんいます。そういう子どもたちがどういうことをきっかけにまた前を向けたり、夢を見られるようになるのかを考えたときに、やっぱり子どもたちには本物を見せること、きっかけをつくってあげることが大切なんじゃないかなと。ですので、この引退試合は、僕の引退試合というよりも、熊本の皆さんに、熊本の子どもたちに夢を持ってもらうきっかけになれば、みんな夢は平等にあるんだよというのを見せられたらいいなと思っています。

――引退試合ではどんなプレーを見せたいと考えていますか?

:もちろん僕は普段通り、いつも通りのプレーをしたいなと。派手なプレーをするわけでもなく、いつも通りの僕でいいんじゃないかと。それよりも、僕の引退試合ですけども、なるべく皆さんに頑張ってもらいたいなと思ってます。

――巻さんは、見ている人の心を震わすプレーができる稀有なアスリートだと思います。他の競技も含めて、そういうプレーを体現できる人というのはそうはいないと思っているのですが、その原点はどこにあるだろうと思いますか?

:どうでしょうね? 自分では分かんないです。育ってきた環境じゃないですか? 熊本の水があって、大地があって、熊本の人たちがいて。僕は僕を支えてくださった皆さんから出来上がったものだと思っているので、僕自身が何かというよりは、周りの環境だと思います。周りの皆さんが、僕を育てた。なので、僕はそういうものを熊本であったり、全国のサッカーファンであったり、皆さんに還元していきたいですね。

――自分が熊本に行ったときに感じたこととして、熊本の人々の懐の深さのようなものをすごく感じました。もしかしたら熊本にはそういった土壌があるのかもしれませんね。(巻さんの母校、大津高の)平岡和徳先生と話したときに、巻さんは不器用だけど真っすぐだと言っていったのをすごく覚えています。

:不器用だから真っすぐなんです(笑)。

「取り戻すだけじゃなくて、よりエネルギーが増した熊本を目指したい」

――巻さんのサッカー人生のキャリアのなかで、最も幸せだった瞬間と、最もつらかった瞬間を挙げるとすれば?

:幸せだったのは、本当に皆に支えられて、相手のチームからも声援を受けたり。やっぱりスポーツってそういうものじゃないですか。敵味方関係なく、皆さんに応援してもらえたのはすごく幸せでした。つらかった経験というのは、正直ほとんど無いです。自分で決めた道だし、自分が決断したことには責任を持ちながらやってきたので。困難を乗り越える楽しさ、困難に立ち向かう勇気であったり、そういうものを楽しんでいました。

――困難を楽しめるというのは、本当に人生で一番大事なことかもしれないですよね。サッカー人生を通じて、巻さんが身に付けたことは何でしょうか?

:問題解決能力はすごく養われたと思います。サッカーという競技はいろんな場面で自分で決断しなければいけないし、できないことを嘆いていてはサッカーはできません。できないことが当たり前なので、できないことに対してどうやってできるようになるか。考えて工夫して皆で協力するのが、サッカーというスポーツなんだと思います。なので、その全てが社会に通じる、凝縮されていることだなと思います。

――それがサッカーの最も本質的なところですよね。巻さんの人生はまだ、これからさらにもっと長く続きます。これからの人生の目標として、何をやっていきたいか、また、どういう人間でありたいと考えていますか? まずは後者からお聞きできれば。

:やっぱり真っすぐでありたいなと。自分に嘘をつかずに、信念を持って生きていきたいですね。自分のできることをしっかり見極めながらやっていきたいと思います。大きなことは言えないですけどね。昔からそういうタイプだったんで。目の前のことに全力でぶつかって、そういうものを一つひとつクリアしていきたいです。

――それではもう一つ、前者の質問として、どういうことをやっていきたいと考えていますか?

:熊本を取り戻すというだけじゃなくて、より前に進むエネルギーが増した、そういう熊本を目指したいですね。やっぱり世の中、現状維持はだめだと思っていて。何かしら一歩ずつでも、本当に半歩ずつでも、前に進んでいくべきだと思うので。世の中のいろんな人たちがスポーツを通して社会に携わっていけるようになるには、やっぱり何かキーワードが必要だと思うんですよね。漠然としか思い浮かびませんが、そういうきっかけをつくれたらいいなと思っています。目の前にあることをやりたいだけやり散らかすというのが、僕の人生なので。

巻は現在、復興支援活動に加え、アスリートによる学校教育「A-bank」の実施や、スポーツイベント・大会の開催など、子どもたちが安心してスポーツをできる環境をつくることにも尽力している。スポーツを通じて子どもたちが笑顔になり、心身の健全な発育・発達に寄与し、未来を創っていきたいという想いからだ。これが今の、巻誠一郎の「YOUR ACTION」なのだろう。

日本は今、さまざまな社会課題に直面している。こうした社会課題は今後ますます多様化、複雑化していくことが予想され、もはや“誰かが解決してくれる”のを待つような時代ではないといえるだろう。この社会に生きる一人ひとりが、その解決に対して“自分ができること”を見つけていくことが求められる。

サッカー選手・巻誠一郎は、どんなに苦しくても最後のホイッスルが鳴る瞬間まで決して諦めず、愚直なまでに前だけを向いて走り続けていた。
引退した今でも、その姿勢は何も変わっていない。愛する故郷が前よりもっと力強く、もっと明るい未来を描けるその時まで――。人間・巻誠一郎は、ただ一途に走り続ける。

<了>

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PROFILE
巻誠一郎(まき・せいいちろう)
1980年8月7日生まれ、熊本県出身。大津高校、駒澤大学卒業後、ジェフユナイテッド市原(当時)に加入、2005年、06年のヤマザキナビスコカップ連覇に貢献。2005年に日本代表初選出、2006年FIFAワールドカップ・ドイツ大会に出場。アムカル・ペルミ(ロシア)、深セン(中国)、東京ヴェルディを経て、2014年に故郷のロアッソ熊本に加入。2019年1月、現役引退を発表。2019年Jリーグ功労選手賞受賞。
2016年4月に発生した熊本地震後から「YOUR ACTION KUMAMOTO」を立ち上げ、復興支援活動に尽力する。

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