大宮が取り組む「手話応援」とは? スタジアムを一つにする知られざる秘話

Opinion
2019.09.30

もはや一大ムーブメントと言っていい規模である。2006年の第1回から13年が経過し、2019年6月8日の京都サンガF.C.戦で参加した人数は1886名にものぼった。J2リーグ、大宮アルディージャのホームゲームで年に1回開催されている『手話応援デー』だ。「サッカー応援も、ノーマライゼーション」を合言葉に、障がいのある人もない人も一緒に応援しようというコンセプトのもと行われているが、“慈善事業”という一言では説明がつかない背景や意義が込められている。手話応援の発起元である、クラブパートナーの毎日興業株式会社・男澤望会長と、クラブスタッフの池田正人氏に、その背景や想いを聞いた。

(インタビュー・構成=池田タツ、写真=©N.O.ARDIJA )

“駒場”の一角から始まった大宮アルディージャの『手話応援』。発起人はクラブパートナー

大宮アルディージャの手話応援は、2006年4月8日に、さいたま市駒場スタジアムにて行われた対横浜F・マリノス戦で観客席の一角から始まった。記念すべき第1回の手話応援に参加したのは総勢80名。「愛してるぜ WE ARE ORANGE」のチャントの歌詞に合わせて手話で選手に応援を送った。耳の聞こえない人、声の出せない人でも応援できるというのが新しい。

アルディージャの手話応援の発起人は、サポーターでもクラブでもなく、クラブパートナーである毎日興業株式会社の田部井功社長(当時)だ。

田部井氏が手話応援を始めたきっかけは、2005年のスペシャルオリンピックス(編集部注:知的発達障害のある人の自立や社会参加を目的として、日常的なスポーツプログラムや、成果の発表の場としての競技会を提供する国際的なスポーツ組織)長野大会にあった。現在の公益財団法人スペシャルオリンピックス日本名誉会長(当時理事長)、細川佳代子氏は「さいたまでも聖火リレーをやってほしい」と田部井氏を説得した。頼まれたことを嫌とは言えない田部井氏は、聖火リレーの実行委員長を引き受けた。結果、田部井氏の尽力もあり、さいたま市大宮区での聖火リレーは多くのボランティアが参加して大盛況に終わった。関わった人々の熱気と満足感を感じた田部井氏は、この熱を一過性のものにしてはならないと考えていた。

田部井氏は、アルディージャのJ1リーグ昇格後に、当時ゼネラルマネージャーを務めていた清雲栄純氏からの頼みで後援会副会長を引き受けていた。

そこで田部井氏が考えついたのが「障がい者専用応援シート」だった。ところが当時、アルディージャはJ1昇格が決まり、応援席を確保するのが難しくなってしまった。それでもスペシャルオリンピックスの聖火リレーの熱をなんとか継続させたいということで、大宮ろう学園で教師を務める江藤千恵子先生に相談した。そこで江藤先生から『手話応援』というアイディアが生まれた。行動力の塊のような田部井氏は、すぐに実行に移し、駒場で第1回の手話応援を実施するに至った。

『街の朝清掃』活動から手応えを感じた社員の“成長”

そんな田部井氏も、もともとは社会貢献活動や慈善事業などには決して熱心なほうではなかったという。現在、田部井氏から引き継ぐ形で手話応援団長を務める男澤望氏(現毎日興業会長)は次のように語る。

「こういった活動が必要になったのは、会社の車の保険が割り増しになった時でした。社員の事故が多かったので、田部井がなんとかしようと、従業員の運転免許証を毎年会社でチェックすることにしました。そうしたら、飲酒運転が発覚したんですよ。まだ当時は甘い時代だったというのもあったのですが、これはまずいということで、田部井が罰則として、半年間ゴミ置き場の清掃をさせようと決めたんですね。田部井が偉いところは、罪を犯したものだけにやらせないで、自身も一緒にやったんです。そういう社員を出しちゃったのは、社長として自分の責任だと。それで6カ月間やったのですが、とても気持ちが良かったようで、これからも有志で街の朝清掃をやろうじゃないかと。それからはみんなでやり始めて、今でも当たり前のようにやっています。出社したら街の掃除をする。毎日興業はもう何十年もやっていますが、今ではこの活動が広がって、いろんな会社がやってくれています」

毎日興業は、ビルメンテナンスのサービス業である。緊急時は昼でも夜でも電話一本で駆けつけなければならないこともある。そういった献身性が求められる業務につく者にとって、毎朝の清掃活動が非常に効果的だという。田部井氏は『社員の“成長”のために良いこと』だと語っていた。

だからこそ田部井氏は、細川氏から相談を受けた時にスペシャルオリンピックスに関わることを決めたという。

市、県を巻き込み、そしてサポーターの協力で成り立った『手話応援デー』

毎日興業は、もともとアルディージャのスポンサーだったが、田部井氏は手話応援をもっと広めていくために、ホームゲームの冠協賛をするプレゼンツマッチを行うようにした。それも『毎日興業プレゼンツマッチ』という自社の知名度を上げる広告の形ではなく、『手話応援デー』としたのである。

男澤会長は、手話応援において重要だったのは、アルディージャの有志の方たちが手話応援を前向きに受け入れてくれたことだったと言う。

「アルディージャさんが調整してくれたおかげで、サポーターリーダーのOBの方たちが、手話応援の中に入ってくださったんです。手話応援をやるにしても、結局は、本体の応援に連動してやらなければいけないことですからね」

田部井氏は、2010年の第2回の手話応援には『絶対に200人呼ぶ』と宣言していた。開催が決まってからわずか2カ月しか時間がない中、男澤会長もそれはさすがに無理だと止めるも、田部井氏は譲らなかったという。

200名を呼ぶために田部井氏が思いついたのは、アルディージャの大ファンである見沼区の杉山敏男区長(当時)を巻き込むことだった。

田部井氏は、さいたま市の社会福祉協議会に常務理事として出向していた杉山区長に相談しにいったその足で、福祉課にも挨拶へ行った。福祉課は田部井氏の話を聞いてその場ですぐ協力することを表明した。

「当時、さいたま市は市民にいかにして『ノーマライゼーション条例』を知ってもらうかというのが使命だったんですよね。そこに飛び込んでいったもんだから、その場ですぐ協力を表明してくれたんです。結果いきなり第2回から清水勇人市長が来てくれるし、PRの横断幕を持って走ってくれるし、スタジアムでは配布物までやってくれて、さいたま市が全面的に応援してくれる形になったんです」

さらに、さいたま市だけでなく、埼玉県の障害福祉推進課も動いた。上田清司県知事(当時)がスペシャルオリンピックスの時に聖火ランナーを務めて以来、さいたま市と密な関係性を持っていたのだ。

また、大きかったのが事前告知の記事が読売新聞に大きく掲載されたことだった。新卒の記者が最初に書く記事の課題として手話応援が取り上げられた。その記事の反響もあり目標人数を大きく上回り第2回には350名が集まった。

そこから第3回は580名、第4回は1325名と倍々で増えていった。手話応援の実行委員会は自由参加で成り立っているが、最初は20人で始まったものが2019年現在は法人含めて30団体にまで増えている。障がい者団体も後援ではなく運営に加わり、手話応援の日はスタジアムのいたるところで手話が見られるようになった。

「最初は手話応援のやり方だけを教えていたのが、スタジアムに手話の勉強ブースができました。耳の不自由な方が、健常者に対して手話を教えるんですが、そこに多くの人が集まってくれるんですよ。障がい者の方が言うには、手話にこんなに皆が興味を持ってくれているんだということが分かって楽しいらしいんです。健常者の人はそれをきっかけにして手話を覚えて手話が広がっています。現在、手話応援の協賛企業は25社ほどあるのですが、普通の協賛と根本的に違うのが、皆さん『お金だけ出す』というのではなく、お金を出してさらに手話応援に参加してくれるんです。だからどんどん参加人数が増えています」

今では手話応援が毎日興業のブランドイメージに大きな役割を果たしている

「田部井が以前言っていたのですが、県庁に行っても、どこに行っても毎日興業と名乗ると引き止められてしまうと(笑)。その理由は手話応援なんです。私も先日、今年の手話応援のお願いで教育委員会に行ってきたのですが、職員全員が起立してくれて、課長から私に一言挨拶してほしいと言われました。見返りを求めず長く続けてきたことが、会社の信頼に繋がっているんだと感じることができました」

慈善事業や社会貢献活動というと、与える側と与えられる側という構図をイメージしてしまうが、関わる方々の話を聞くとまるでそんな関係ではないことが分かる。人として成長するきっかけを与えてくれるものなのだ。

「私自身、いろんな社会活動に参画してきて思うのが、障がいのある方と付き合うということが大切なんですね。自分の中に他人への気遣いの気持ちが出てくるんです。人は放っておくとどうしてもわがままになりがちです。でもそれを抑えていかないと、世の中は良くならない。会社としてもそういう人を育てていかないといけない。それは毎日興業の信条でもあります。障がい者の方とのお付き合いを通して、障がいのある人の目線で物を考えられるようになります。自分を抑えて相手目線の心を持つことが人として大きな成長です」

相手の立場に立って考える癖が身につくと、健常者同士で接する時にもそれが表れてくる。その気遣いはビジネスの世界でも大きく役立つのは間違いない。

男澤会長が、手話応援の今後の目標を教えてくれた。

「実行委員会の中で『愛してる』という手話だけでいいから、全国に広めたいと話しています。これをやることによって、手話そのものに対して注目が集まるんじゃないかって。今年は、初めてピッチの上で『愛してるぜ WE ARE ORANGE』をやるのをやめたんですよ。なぜかというと、京都サンガのファンの人もいるので、それをやってしまうと大宮の応援になっちゃうと。だから京都の人にも『愛してる』という手話を広めてほしいという意思を込めて、ピッチでやるのはやめたんです。私たちとしては『愛してるぜ』の手話を全チームが試合の前にやってくれたり、さらにサッカー以外のスポーツでもやってくれるとか、そんなふうに広がっていくといいなと」

手話応援は『イベントではない』

一方、アルディージャのクラブサイドは手話応援についてどう考えているのか。

クラブで手話応援を担当する池田正人氏は、手話応援を『イベントではない』と言い切る。

「一過性のものではない取り組みだと常に社内で言っています。社内もそういう意識を持って取り組んでいます。手話応援デーは1年に1回ですが長い年月をかけて事業としてやってきた歴史があります。これはスタジアムの警備会社も同じで、いくらトラメガで喋っても聴こえない人たちがいる。じゃあどうすべきか。売店を含めスタジアムで働くスタッフが全員同じベクトルじゃないと、この事業は成り立ちません。喋れない人に対してどういったマインドを持って接するか、そういう工夫を全員がやってくれています」

アルディージャのホームスタジアムであるNACK5スタジアム大宮には、筆談ボードやコミュニケーションボードが準備されている。普段から常にそういう意識があるスタジアムには、障がいのある人たちも集いやすいというものだ。

「手話応援デーが、1年で1回聴覚障がい者の友人同士がスタジアムで会う一つのきっかけになっていることを聞きました。この取り組みが途切れてしまうとその人たちはどこかで会うことができないかもしれない。そんなことを想像すると、この取り組みを継続していくことがクラブの使命だと思います」

また、池田氏は手話応援を『社会貢献』という言葉で表現されることに違和感を抱いている。

「昨今、社会貢献という言葉が独り歩きしているような気がしています。そもそも地域の人たちがいて、私たちがいる。これはJリーグの理念でもあります。ホームタウンがあって、初めてクラブが存在するわけです。だからこそ、ホームタウンの人たちに喜んでもらうために、僕たちが何ができるか。何かお手伝いすること、逆にクラブを活用してもらえることは何かないか。それに対し『貢献』という言葉とは別の言葉を見つけないといけない。地域にある、ろう学園と何をできるか?ということで、当時選手だった江角浩司(現大宮アルディージャU-15/U-12GKコーチ)が自ら、ろう学園を訪問するようになりました。江角が、ろう学園の子にサッカーを教え、そしてろう学園の子たちはスタジアムに応援に来てくれます。そんな交流がすでに10年以上行われていて、今は大山啓輔が中心になって続いています。仮に10年前に交流した小学校6年生の子は、今成人して、また手話応援デーをきっかけにスタジアムに戻ってくる。10年以上続いているからこそ、そのサイクルの尊さをものすごく感じています」

クラブの歴史と成長の中でアルディージャの手話応援は息づいている。手話応援は、一個人のサッカー選手の成長においても大きな意味がある。後編では、アルディージャの現役選手時代にろう学園訪問活動を始めた江角浩司さんと、現在手話応援の旗振り役を務める大山啓輔選手に語っていただく。

<了>

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