“大分愛”岩田智輝 東京五輪目標も「恩返しが先」クラブと目指す新しいDF像とは?

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2019.09.05

はじまりはJ3だったーー。
高校3年時に2種登録選手としてトップチームに帯同し、愛するクラブが凋落する姿を見た。「もう一度、強かったときの大分トリニータを復活させたい」と心に決めた。
各カテゴリーで苦楽を経験し、昇りつめたJ1の舞台、そして1年後に迎える東京五輪。クラブとともに飛躍した岩田智輝にとって、クラブの可能性は、自身の可能性と同義でもある。

(文・写真=柚野真也)

J3のレガシーが岩田智輝

チームの飛躍とともに岩田智輝も着実に歩を進めた。大分の下部組織からトップチームに昇格し、J3から各カテゴリーを経験。今季は初めてのJ1の舞台で主力としてプレーする。6月にはコパ・アメリカに出場した日本代表メンバーに選出され、2試合に先発出場した。

22歳の生え抜きについて、西山哲平強化部長はJ3を経験したチームの“レガシー”と語る。

「トモキについてはクラブとして戦略的に適切な場を用意した。高校3年で2種登録して、チームに帯同させ、天皇杯に出場させた。プロ入り後はJ3ということもあり、現場サイドに我慢強く起用して育ててもらった。アカデミーとトップがつながった好例で、育成を掲げるクラブを象徴する選手となっている」

クラブは補強に頼らず、生え抜きの若い選手で土台を固めていく「育成型のクラブづくり」に力を入れるようになって約15年。地域に合わせた育成システムやスカウト網を発達させ、育成組織を充実させた。「将来性のある選手を獲得して終わりではなく、ウチはその後も現場で鍛え上げ、原石を磨く過程までをセットとしている」と西山部長。その結果、次第にユース年代で好素材を抱えられるようになり、トップで活躍できる選手も輩出できるようになった。
これまで北京五輪に西川周作(現・浦和レッズ)、ロンドン五輪に清武弘嗣(現・セレッソ大阪)、東慶悟(現・FC東京)と続いた。しかし、リオデジャネイロ五輪で大分アカデミー出身者の連続出場が途絶えたときから、自国開催となる東京五輪代表に選手を送り出すことをミッションの一つとした。

新しいDF像を自分が作る

そうしたなかで東京五輪世代である岩田は早くからミッションの中心にいた。その時々のチームの編成の関係もあったが、大分は岩田に関してポジションにこだわらず、刺激を与えるためにGK以外のポジションを全て経験させた。この影響は今の岩田を形成する大きな要因となっていると本人も認める。

「ユースのときは高校1年でセンターバック、高校2年でサイドとFW、高校3年はボランチ。ジュニアユースの頃もGK以外は全部のポジションでプレーし、トップチームに上がるまでフリーマンという感じだった。アカデミーでの6年間の経験はすごく活きている」

プロ入り後は、守備の意識も以前よりは高くなったが、やはり岩田といえば攻撃。特に攻撃の組み立て、崩しに関われる稀有なDFとして、これまでのDFにないタイプの選手を目指しているという。

「今は3バックの右で使ってもらっているので、まずは失点しないことを考えている。カタさん(片野坂知宏監督)に『攻撃だけになってはいけない』と言われているし、守備の選手としてはベースとなる部分なのでそこは手を抜けない。比率で言うと6:4で守備重視。以前に比べてガンガン攻め上がるよりは、ここぞという場面で仕掛けるようになった。
前に行くことは簡単だけどカウンターが怖い。特にJ1では(対戦クラブが)一瞬の隙を逃さない。1点の重みを感じているからこそ、守備の重要さを理解しているつもり」

それでも4割は攻撃だと答えるところが岩田らしいが、自分の長所を理解している。

「求められているのは攻撃だし、自分の良さが出るのも攻撃。サイドのDFはタイミングよく駆け上がってクロスで終わるのがスタンダードだが、僕はパスでの崩しに関わりたい。昨年からチームはサイドを起点に攻撃を組み立てているが、(同サイドのウイングバック)レイさん(松本怜)との連係で剥がせている。
今季もサイドで何度も崩し、チャンスを作れているのは自信になっている。中央に比べるとサイドは人が少ないし、相手のコートに押し込んで崩すのは楽しい。スペースを消されたり、対策を練られて難しくなればなるほど燃える。どうやって崩せばいいのか考えるのも楽しい。崩せばフリーでクロスを上げることができるし、当然クロスの質も高くなる。大きなことを言えば、これまでにないDFのスタイルを作りたい」

クラブに恩返し、そして世界へ

ユース年代で岩田の指導に当たった大分OBであり、現在U-18を指導する山崎哲也監督は、「トモキを初めて見たときから、強い気持ちを持った選手だと感じた。
馬力、パワーがあった」と語る。アカデミー出身者は「スカした選手が多い」などと言われてきたが、岩田はひたむきにサッカーと向き合い、献身的にハードワークができる選手だった。フィジカルトレーニングでは自分をとことん追い込み、過呼吸で倒れこむことも度々あったという。負けず嫌いで、向上心が高い。天才ではなく努力型の岩田は、ボールコントロールやパス、シュートの技術はポジションが変わるごとに吸収していった。
「高校3年時にボランチをさせたのは、チームの中心としての役割を経験させたかったから」と山崎監督の期待に応え、貪欲に与えられたポジションで最高のプレーをした。「トモキの活躍は育成組織の選手の刺激になっている。彼らにはぜひトモキのあとに続いてほしい」(山崎監督)。

昨今、トップに昇格してもすぐに他のクラブへ移籍する選手が増えている。チームの主力として試合に出続け、6月のコパ・アメリカ出場で岩田は多方面から高い評価を得ているが、当の本人はどこ吹く風だ。「昨年ぐらいから取材を受けると必ずオリンピックのことを聞かれる。東京五輪世代なんで意識はするし、目標ではあるので選ばれたいという思いはある。ただ、そればかり言われるのは正直どうかと。目標ではあるけど全てでない。
今は一瞬一瞬が大事。チームで結果を出していれば自ずと道は拓けるものだと思っている。代表ばかり意識してチームでのプレーが疎かになっては意味がない。それに、これまでたくさんの人に支えられてここまで来たから恩返しが先」と言い切る。

コパ・アメリカを終え、帰国後すぐの6月30日、J1リーグ第17節の浦和戦に出場した際には、「代表は練習のときからレベルが高く目指すべきところだと確認できたが、大分で試合に出て活躍することで成長できると実感した」とコメント。

西山部長も山崎監督も岩田について語るとき、出てきた言葉が「大分愛」という言葉だった。心の底からクラブを愛し、チームメイトとともに勝利に向かってチャレンジし続ける。

「僕が結果を残すことで、アカデミーの選手たちが目標にしてくれるのなら嬉しい」

そんなサッカーへの純粋で真摯な姿勢が、先輩も後輩も魅了し、岩田の才能を素直に認めさせるのだ。

プロ4年目、世界を見渡せば決して若い選手ではない。だが無限に広がるその伸びしろと存在感、そしてサッカーへのひたむきな姿勢が岩田の思い描く理想像へと導く。

<了>

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