なぜ猶本光は日本に帰ってきたのか? 覚悟の決断「自分の人生を懸けて勝負したい」
東京五輪を控えた2020年1月、浦和レッズレディース復帰を発表した猶本光。
SCフライブルクに所属していたドイツでの1年半で、猶本は間違いなく成長した。選手としてだけではなく、人間としてもより深く、より柔軟になった。にもかかわらず、なぜこのタイミングで日本への復帰を決断したのだろうか? そこには人生をかけた覚悟があった――。
(インタビュー・構成=中野吉之伴、写真=Getty Images)
日本を飛び出し、ドイツでの勝負を選んだ理由
欧州の立地はそれだけで大きなメリットがある。近くに強豪国があって、国レベルでもクラブレベルでもすぐにマッチメイクができる。それは日本では求められない。そこにはどうしても立地的な難しさがある。だからこそ、そうではないアプローチが大切になる。そのなかで猶本は、日本人としての良さをしっかりと認知して取り組んだうえで、海外での経験をどんどん積み重ねていくことが重要だと考える。
「日本人選手はみんな技術が高いし、気を遣える。ポジショニングの距離や角度など正確に細かく追及し合う。日本人は右足につけるのか左足につけるのか、強さとかも、浮き球かゴロかを考えて出す。ドイツだったらそこまで細かくは考えない。強くて速いパスをぶつけることを求められる。この前なでしこジャパン(サッカー日本女子代表)に戻って思ったのは、例えばラインコントロールがすごく細かくて、『相手がこの状況の時には1〜2m上げろ』みたいなのは、気質的に他の国の選手だとそこまで追求できないんじゃないかなと思ったんです。でも日本人だったら90分間こまめにやり通せる。そういうところは日本人の強みだなとすごく感じています」
忠実に取り組み、そこに緻密さを求めていく。それは、確かに日本独自の強みとなるだろう。だが一方で、少し歯車が狂った時にガタガタと崩れてしまうこともある。こだわりすぎるがために、ずれを修正する対応力に欠ける面が出てきてしまう。才能ある選手がさらに成長するために必要なのは、快適なゾーンから抜け出し、厳しさのなかで自分と向き合うことだ。先日、岐阜県フットボールカンファレンスのパネルディスカッションの場でFC岐阜ゼムノビッチ・ズドラヴコ監督がこんな話をしていた。「海外だとチームのエースは誰よりも厳しい要求がされる。できているから何も言われないなんてことはない。才能があるからこそ、誰よりも高いレベルのプレーを要求していくんだ。その中で選手は磨かれ、一人前へと育っていかなければならない」。
猶本が求めたのもそれだった。慣れ親しんだチームでプレーすることから、誰も自分のことを知らずサッカーのスタイルも違う異国の地でどれだけ自分を表現できるか。競争のある世界に身を投じる決断。移籍初年度は獲得に動いてくれた監督からの信頼もあり、出場機会も多かった。だがその監督がバイエルンへと移籍し、新しい監督になると少しずつ状況は変わってくる。開幕こそスタメンで起用されたが、その後ケガで離脱している間に、スタメンのポジションは他の選手に渡ってしまった。
「私はそれも含めてドイツに勝負しにきたんです。大学でいろんなトレーニングの方法を自分の中で蓄積してきた分、試合に出られなかったからといってコンディションを落としていく感じにはならなかった。試合に出てなかったから、試合が終わってすぐ練習施設に行って、有酸素だけで最大速度上げるようなトレーニングをしていました。その後に400mとか200 m解糖系のトレーニングをして。試合に出てない分ここで負荷をかけておかないといけないとか、そういうことをよく考えてできたのは、コンディションを維持するという点でよかったと思います。どんな状況でも自分でしっかりコンディションを維持、それだけでなくその間に強化することも学べました」
試合に出られないことに納得するわけがない。だからとそこで不貞腐れることもなかった。
「それにドイツって結構いきなりチャンスがきたりするんですね。周りを見ていても『こんなにもいきなりチャンスくるの?』って思いましたし。そのチャンスに向けて常に良い準備をすることの大切さを知りました。それこそ私だってスタメンで出てましたけど、ケガもあっていきなり出られなくなった。選手はみんな全然気が抜けない。だから『試合に出られないから』とか言ってる暇がなかった。それを学べてよかったです。ドイツに来たからこそ、スタメンで出る経験もできたし、サブから出る経験もできたし、それもサブで出て何もできなかったら次の試合はないかもしれないという中で戦ってきた。だからいつでも良い準備をして、そこで5分でも2分でも何か良いプレーを見せるというのはすごく大事。全然試合に出られない時の1週間のプランニングも自分なりにしっかり構築できたという経験はできてよかったですね」
「わざとスッと力を抜かせてから、距離を詰める」
選手は試合に出られたほうがいい。でも出られない選手が成長しないというわけではない。どうやればもっと成長できるのか、どうすればチャンスをつかむことができるのかと試行錯誤をしている。そこで培った経験をどのように自分で解釈し、どのようにポジティブなエネルギーへと変換するかが大切なのだ。そこを潜り抜けていた選手は、強い。ではなぜ猶本はそこまでの思いでドイツでの戦いに身を投じたのか。実は猶本は少なからず危機感を抱いていた。FIFA U-17女子ワールドカップ、U-20女子ワールドカップで世界を体感し、そこで手にした自信はある。だが、他国の成長スピードの速さを目の当たりにし、このままではいけないという実感も同時に抱いていた。
「U-20の時に戦ったドイツ代表の選手たちは個のレベルが高くて、今後フィジカルもさらに上がってきて戦術も高まってチームとして戦うようになってきたら、日本人の技術の高さだけでは勝てなくなるなって感じたんです。日本人が欧米の選手と同じように戦うのは違うと思うんですが、サッカーはやはり1対1は避けられない。最低限、個として戦えるレベルにないと日本人の良さである技術やチーム戦術が発揮できないんじゃないかと感じたんです」
強い決意を胸にドイツに渡り、戦い続けた日々。あの時感じて、求めたものは身につけることができたのだろうか。そう尋ねると、猶本はすぐにきっぱりと答えた。
「できたと思います。こっちにきて最初のころはパスが通らない。通ると思って出してるのに通らない。シュートも入らなかった。最初の半年はコンタクトプレーで勝てなかったんです。ケガ明けというのもあったけど、感覚がつかめなくて。地面も緩いし、コンタクトを避けるようなプレーしかできなかった。そうしながら、『どうやったらこの人たちからボールを取れるんだろう』とずっと考えてました。最初はずっとボールを持ってる人に寄せきってたんですけど、くっつきすぎるとバーンって跳ね返されちゃって。だからちょっとだけ距離を取るようにしてみたんです。ボールを持ってる選手がちょっとボールをさらす瞬間にがっと飛び込んだら、『あ、これだったらボール取れる。これだな』って気づきました。コンタクトのタイミングですね。相手がコンタクトを取ってくると思ったら、わざとスッと力を抜かせてから、距離を詰めるとか。そういうことを学びました。
学んだことはそれだけではない。
「あとは攻撃の間合いもですね。ちょっと近くに来られたらすごくプレッシャーに感じてたんです。相手選手の足が長いから、日本人とやってる感覚でやるとつつかれちゃうんですよ。だから手を使うようになりました。手を使うようになったら間合いができるようになって。相手を背負っていても、見えたり、逃げたりできるようになった。そうした間合いとかは、ある程度体に感触が残るようになって。最近は普通にプレーしている自分がいるなと気がつきましたね。あとは判断スピードと移動スピード、移動距離も上がったと思います。ドイツだとフリーだと思っても日本ほど時間はない。だから、速く、すべて速くしないといけない。動作とかも速くなったと思います。相手にプレーを読まれる前に出すというのが身についたと思います」
一生に一度のチャンスを掴むため、覚悟の決断
海外でも個として対等に戦えるような選手がどんどん増えて、集まって、組織としても緻密なつながりを見せられるようになったら。猶本はその時こそ、日本は最強になるんじゃないかと熱を込めて話す。理想の融合例として2011 FIFA女子ワールドカップ優勝チームを挙げた。
「2011年の先輩たちがそういうものを優勝して示してくれたと思います。あの大会でチームとして一つになって組織的に体を張って粘り強く守って、その中で個々の特徴、日本人のコンビネーションを出して世界を相手に日本のサッカーを見せてくれました。私はドイツで改めて日本の良さを知ることができました。その中で海外で個を磨いて、自分たちの良さをさらにバージョンアップさせていきたい」
戦える感覚を手にしていただけに、ドイツでプレーを続けたい思いは強かった。日本に帰るつもりはそもそもなかった。フライブルクとの契約延長のオファーも届いていた。ドイツでチームの中で絶対的な存在を勝ち取ってみせると思っていた。ただそうとも言ってられない事情があった。
「(移籍については)まったく考えてなかったです。できる限り長くドイツでやろうと思っていたから。(2019年)11月くらいですかね。レッズ(浦和レッズレディース)から連絡があって、必要としてくれているという話をもらいました。それがきっかけで、少し考えるようになり……。選手として必要としてもらえることはやはりとてもうれしかったです。森(栄次)監督のもと進化しているレッズでプレーすることができたらと強く思うようになりました」
海外挑戦を継続する思いを一度踏みとどまらせるもの。それは目前に迫った東京五輪に他ならない。いま自分がすべきことは何だろう。心から渇望しているものは何だろう。そして導き出した答えが、日本へ戻り、自分のホーム浦和でプレーすることだった。
「それがなかったら帰ってない。ドイツでは試合に出られないことも想定して、それでもスタメンを勝ち取るというのをトライしてきました。でも(東京五輪まで)あと半年だと考えた時に、今はそういったチャレンジよりもより多く試合に絡んで日本でプレーをアピールしていかなければと考えるようになりました。私は、東京五輪に出るチャンスをつかみたいから。自分の人生かけて東京五輪に出て、活躍するというのを達成したいから。だからマイナスな決断ではないんです。そのためにこの半年、自分のすべてをかけて、人生をかけて勝負したいなと思います。絶対に出たいし、出るのが目標じゃなくて、そこで何かを残したいという思いがあります」
輝ける場所はボランチ「やっぱり6番が居心地がいい」
とはいえ、残された時間は少ない。選考レースも終盤に差し掛かっている。これまでの代表戦に定期的に招集され、アピールするチャンスを得てきた選手と比べて、十分な機会があるとは言えない。自信たっぷりに「絶対招集されます」と宣言して自分にプレッシャーをかけたりしたところで、どうにかなるものでもない。だから、毎日を無駄にせず、日々の取り組みを丁寧に、一生懸命にしていくことに集中する。それが彼女にとって一番大切なことなのだ。
「私は自信というものがあんまりなくて。自信がないからこそ、一日一日積み重ねるという感じですかね。今はとにかく、やることをやろうっていう感じかなぁ。だからこの移籍は東京五輪という夢をつかむための第一歩で、あとはやるしかないし、後悔なくできるように毎日過ごしたいなという思いしかないです。長谷部(誠)さんに教えてもらったんですけど、『サッカーにおける時間はすごく速い』という意味のドイツ語があるんです。ドイツ語バージョン忘れましたけど。ドイツに来て、それ本当だなと思いましたね」
フライブルクでは今季本職のボランチだけではなく、サイドMFやトップ下でも起用された。練習の中で慣れないプレーを要求されながら、それぞれのポジションにおける役割を知り、そこからの景色を見た。そうした経験があったことで、ドイツに来た時以上にシュートの精度もバリエーションも確実に増えたという。ポジティブな変化を喜びながらも、やはり自分が輝く場所は一つ。
「私はやっぱり6番の選手だなって。代表でもそうですし、ドイツでも6番がやっぱり居心地の良い場所なんですよ。理想は自分でゲームをコントロールすること。たくさんボールを触って、自分を経由して攻撃を多く作れるようになりたい。ドイツに来たらさらに点を決める、シュートを決めることも求められるじゃないですか。後ろでプレーしているだけの選手だと怖くない。だから、さばいたり、コントロールしたりということを難なくやりつつ、チャンスがあって前に行った時に、決定的なスルーパスやアシストだったり、一番はゴールを決められる選手になりたい」
いま、猶本の新しいチャレンジがスタートする。
<了>
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PROFILE
猶本光(なおもと・ひかる)
1994年3月3日生まれ、福岡県出身。ポジションはミッドフィルダー。浦和レッズレディース所属。2007年、福岡J・アンクラスの下部組織との二重登録というかたちで13歳でトップチーム登録。2010年、主力としてFIFA U-17女子ワールドカップ準優勝に貢献。2012年、筑波大学入学を機に浦和レッズレディースに移籍。2014年になでしこリーグ優勝を経験。2018年、女子サッカー・ブンデスリーガ、SCフライブルクへ移籍。2020年1月に浦和レッズレディースへの復帰を発表。
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