ニューカッスル「43兆円資産」買収も、マンC化は非現実的?「13位の古豪」の意外な魅力とは
5月に入り、イングランド・プレミアリーグに所属するニューカッスルの買収が現実味を帯びてきている。英国人実業家マイク・アシュリーの手を離れ、サウジアラビアのPIF(公的投資基金)を主な後ろ盾とするコンソーシアムの所有クラブとなれば、また新たに世界トップクラスの資金力を持つクラブが誕生することになる。マンチェスター・シティの14倍近い資金力を持つといわれるコンソーシアムが、100年近くリーグ優勝から遠ざかっている古豪に狙いを定めた理由とは一体なんなのか?
(文=山中忍、写真=Getty Images)
秒読み段階に入ったニューカッスル買収
5月に入り、3億ポンド(約400億円)でのニューカッスル買収も秒読み段階に入った。プレミアリーグの新オーナー適性審査を大方の予想通りに通過すれば、英国人実業家のマイク・アシュリーの手を離れ、サウジアラビアのPIF(公的投資基金)を主な後ろ盾とするコンソーシアムの所有クラブとなる。UAE内最大の首長国アブダビのバックアップを受けるマンチェスター・シティの14倍近い、計3200億ポンド(約43兆円)もの資金力を持つ、プレミアでも最高にリッチなクラブが誕生する。
それほどの財力を持つコンソーシアムがなぜ、第29節まで終了している今季も、昨季と同じリーグ13位のクラブに白羽の矢を立てたのか? 交渉の音頭を取る投資会社PCPキャピタル・パートナーズの経営者で、クラブ所有権はPIFの8割に対して1割の保有にとどまると見られるものの、経営実権を握ると予想されるアマンダ・ステイブリーは、『タイムズ』紙のインタビューで「立派な歴史と本物の魅力を備えているから」と、ニューカッスルへのこだわりを口にしている。インタビュー掲載は、2018年1月19日。新クラブ経営陣の顔となるはずの彼女にとっては、2年越し、“4度目の正直”に当たる買収交渉でもある。
その「魅力」とは、「イングランド北東部の雄」としてのポテンシャルだろう。ニューカッスル市民のサッカーに対する情熱は、国内北西部のマンチェスターやリバプールの地元民にも引けを取らない。加えて、クラブ数も多い北西部では、マンチェスターでもリバプールでも市内に宿敵が存在するが、ニューカッスルは市内ライバルが物理的に存在しない“ワン・クラブ・タウン”。北東部というくくりでは、20kmほど離れたサンダーランドとのタイン・ウィア・ダービーという熾烈な地元対決があるが、その市外ライバルは現在3部リーグに落ちている。
PCPは、2008年のシティ買収にも仲介役として絡んでいた。シティは、現オーナー下で海外にグループ傘下のクラブを持つようになっているが、この世界規模の戦略は、CEOに迎えられたフェラン・ソリアーノの発案。これに対し、「私自身も北部の出身。ニューカッスルの街にもチームにも惹かれているの」と語るステイブリーに、いきなり世界戦略に乗り出す素振りは見られない。将来的には、あり得る展開なのかもしれない。ケンブリッジ大学を中退し、国内の名高い競馬場のある街でレストラン経営に挑戦しながら、馬主に多い中東の富裕層とのパイプを築き始めた彼女は、リスクテイクも恐れない敏腕ビジネスパーソンだ。
現アシュリー政権下からの脱出を願うサポーター
とはいえ、クラブ経営者としては当面、通算4度目に当たる最後のリーグ優勝は93年前で、最後の主要タイトル獲得も65年前のFAカップ優勝までさかのぼる古豪を、国内で復興させることに注力することになる。ニューカッスルがピッチ上で生気を取り戻せば、お膝元の街も活気づく。地域で再開発の機運が高まれば、投資ビジネスも潤う。ステイブリー自身は、既にニューカッスル市内の不動産オーナーでもある。やはりクラブ所有権の1割を取得するコンソーシアムの一員で、国内屈指の富豪一族の兄弟が経営するルーベン・ブラザーズも同様。PIFも、北東部への投資に興味を持っているとされる。「クラブ運営はビジネス」と言っているのは、他ならぬステイブリーだ。
このスタンスは、ともすればサポーターの反感を買う。だが、それでももろ手を挙げて歓迎されるクラブがニューカッスルでもある。現オーナーのアシュリーは、移籍市場での消極姿勢で知られる。経営者の一面としては、一概に悪いとはいえない。一般のビジネス常識が通用しないといわれるプレミアにあって、2007年からアシュリーが所有するニューカッスルは、常識的に経営されている数少ないクラブの一つだ。収益の7割以上が選手給与で消えるクラブが当たり前の世界で、ニューカッスルの給与コストは収益の52%程度。収支も、プレミア勢の中では貴重な2300万ポンド(約31億円)の黒字(いずれも一昨季データ)。この健全な経営状態も買い手には好ましい。
しかしアシュリーは、ファンがオーナーとしての常識と考えるクラブへの愛着に欠ける。早期の売却益を狙ったのは就任翌年。1892年からのホームであるセント・ジェームズ・パークを、命名権スポンサー欲しさから「.com」で終わるスタジアム名に変えたのも、クラブ近代史で最大のレジェンドといえる地元出身の元9番、アラン・シアラーの名を冠したスタジアム内のバーを改名したのもアシュリーだ。2度の2部降格も相まって、クラブの歴史と誇りを踏みにじられた気分のファンが、とにかくアシュリー政権下からの脱出を願うのも理解できる。
地元ファンが望むのは「トップ6争いの常連」
地元ファンのクラブに対する忠誠心は、国内随一といえるほど厚い。チームのリーグ順位や対戦相手にかかわらず、約5万2000人収容のセント・ジェームズ・パークが埋まる。経営陣にとっては、収入面での大きなギャランティーだ。現オーナーが売却を考えているクラブには、国内南岸のサウサンプトンもある。過去8年間、吉田麻也(サンプドリアにレンタル移籍中)が「ホーム」と呼んだセント・メリーズ・スタジアムは、約3万2000人収容で、昨季リーグ戦での平均動員率は約93%。一方、ニューカッスルは、2万人分ほど大きいホームが、昨季も平均で98%近く埋まった。2部での2016-17シーズンも、平均動員数は約5万1100人。市民人口の約6分の1が、ホームゲームの度に集結する計算だ。
そのホームは、プレミアで最も美しいスタジアムの一つ。もう15年以上前のことだが、クラブの広報にいた当時オーナーのお孫さんから、「早めにスタジアム入りして、階段から外を眺めてみるといい。一度見たら忘れられない景色が見られる」と言われたことがあった。実際にそうしてみると、市内中心部から徒歩15分ほどの小高い丘に建つセント・ジェームズ・パークに、四方から、白黒の縦縞ユニフォームを着たファンが続々と集結する光景。この国では、「サッカーは宗教」ともいわれるが、白を基調とする荘厳なスタジアムは、ニューカッスル市民の「聖地」なのだと実感させられる絶景だった。
今季は観戦ボイコットで抗議する者も現れるほど、アシュリー政権下での現実に幻滅しているファンは、オーナー交代に伴う変化に非現実的な期待を抱いてもいない。チェルシーとシティのように、“オイルマネー”注入で一気に欧州の強豪へと豹変できるとは思っていないはずだ。メディアでは、来季補強予算は2億ポンド(約270億円)などと騒がれている。噂の獲得候補は、ベテラン・ストライカーのエディンソン・カバーニ(パリ・サンジェルマン)、脂の乗っているFWアントワーヌ・グリーズマン(FCバルセロナ)、若手MFのドニー・ファン・デ・ベーク(アヤックス)など、リストが長くなる一方だ。
しかし、チェルシーやシティが大化けした後のサッカー界は、フィナンシャル・フェアプレー規則のある世界だ。収支を無視したチーム大改造が許されない現実は、財布の紐が固いアシュリー政権下で耐えてきた、ニューカッスルのファンが嫌というほど認識している。彼らが望む第一段の変化とは、プレミアで欧州出場権を懸けたトップ6争いの常連に加わり、カップ戦でタイトル獲得を狙えるチームとなることで、プレミア残留だけが目標とされた近年に失われた誇りと希望を取り戻すことにある。
ポチェッティーノよりもベニテス?
破格の資金力を手に入れるクラブにしては現実的なこの期待感は、次期監督の噂に関するファンの反応からも窺い知れる。下馬評では、昨年11月までトッテナムを率いていたマウリシオ・ポチェッティーノが最有力候補。だが、ファンの間では、アシュリーの引き留め努力が足らず、契約が満了した昨夏に去った、ラファエル・ベニテスの復帰を求める声も根強い。2015-16シーズン終盤に残留争い中だったチームを受け継ぎ、降格後も残って即プレミア復帰を実現したスペイン人監督は、ニューカッスル近郊で生まれたスティーブ・ブルース現監督よりも、ファンとの絆が強いように思える。
筆者も、降格の危険がほぼ回避されている今季は、再開後をブルース体制でしのいだ上で、格上の前監督にバトンを戻すシナリオに賛成だ。ベニテスは、やはり噂のマッシミリアーノ・アッレグリにはないプレミア経験の持ち主。リバプールではUEFAチャンピオンズリーグとFAカップ、暫定指揮を執ったチェルシーでもUEFAヨーロッパリーグで優勝歴を持ち、主要タイトル獲得実績でポチェッティーノに勝る。
得意のスタイルは、カウンターで攻める堅実路線だが、ファンは、流行りともいえる後ろからつなぐスタイルにこだわっているわけでもない。ベニテス時代のリバプールで、スティーブン・ジェラードのキラーパスにフェルナンド・トーレスが呼応したような、一撃必殺のカウンターが炸裂すれば、セント・ジェームズ・パークの観衆は、スリルに酔ってゴールに沸くことはあっても、「縦1本」のように否定的な見方をすることなどないに違いない。移籍2年目も陽の目を見られずにいる武藤嘉紀には、ポチェッティーノ体制下のスタイルのほうがやさしいと思えるが、その指揮官は、新任地でスタイル浸透に取り組み始めた矢先に、兼ねてから噂のマンチェスター・ユナイテッドや、レアル・マドリーからのラブコールに心が揺れないとも限らない。
その点、昨夏もオーナーの理解と支援さえ確認できれば、続投を望んでいたベニテスの下では、ニューカッスル復興への下地をスムーズに築くことができそうだ。イングランドサッカー界の大きな魅力である、クラブと地元との一体感を体現できる「眠れる巨人」が本格的に目を覚ますのであれば、今回のニューカッスル買収は、中立的なプレミアファンの視点からも、正しいターゲット選択だといえる。
<了>
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