
薄汚れていた味スタ、よそよそしい新国立…J再開を前にした「無人スタジアム」探訪
Jリーグは6月27日に明治安田生命J2・J3リーグ、7月4日よりJ1リーグを再開・開幕させることを決定した。しばらくは無観客での開催となるものの、やっとスポーツがある日常が戻ってくる。多くのサッカーファンが開幕の日を待ちわびる中、長い間試合が行われていない無人のスタジアム、その周辺は果たしてどのような風景なのか? 写真家・ノンフィクションライターの宇都宮徹壱氏が埼玉スタジアム2002、味の素スタジアム、日産スタジアム、そして新国立競技場を巡った。
(文・写真=宇都宮徹壱)
埼玉スタジアムにて「コロナ以前」を思う
中央線と武蔵野線、そして埼玉高速鉄道線を乗り継いで、浦和美園駅に到着。公共交通機関で県境をまたいだのは、いつ以来だろう。この駅に来るのは、基本的に浦和レッズや日本代表などの試合開催日(たまに前日会見で訪れることもあったが)。いつもだったら、赤だったり青だったりのレプリカユニフォームでごった返す駅構内も、実に閑散としていた。改札の向こう側に見えるのは、『キャプテン翼』のキャラクターが描かれたステンドグラス。浦和の選手たちのポートレートは、目立たない場所にひっそり佇んでいた。
浦和美園駅から、徒歩で埼玉スタジアム2002を目指す。線路沿いの柵に貼られた、浦和のコレオグラフィーの巨大な写真を眺めつつ、たっぷり20分かけて歩いた。その日は夏日で、口をふさぐマスクが蒸れて暑苦しい。人通りがほとんどないのだから、考えてみればマスクなど無意味だ。ところが外してみると、とても「いけないこと」をしているような気分になる。このコロナ禍で、われわれの生活規範は激変した。立錐の余地もないスタンドでのコレオも、いずれ「コロナ以前」の歴史的遺物となってしまうのだろうか。
最後に埼スタを訪れたのは、今年の2月8日。FUJI XEROX SUPER CUPが開催された時だ。当該クラブのみならず、すべてのJクラブのサポーターが楽しめるイベントが目白押しの同大会。全56クラブのスタジアムグルメ、そしてJリーグマスコット総選挙にエントリーしなかったマリノス君を含む54体のマスコットも大集合して、実に多幸感に満ちた1日となった。それまで「当たり前」に思われていた、Jリーグの風景。それが、ここまで変わり果ててしまうことなど、当時は誰も想像していなかったはずだ。
新型コロナウイルスの感染拡大により、2月25日にJリーグが最初の公式戦延期を発表して、すでに100日以上が過ぎた。そんな中5月29日、政府の緊急事態宣言解除を受けて、待ちに待ったリーグ再開の日程が発表される。再起動へのカウントダウンに、日本サッカー界全体が色めき立つ中、あえて試合が再開される前にスタジアムを訪ね歩くことにした。首都圏だけでもJリーグが開催されるスタジアムは軽く10はある。試合がない今だからこそ、「無人スタジアム探訪」をしてみよう。そう思った。
人の流れが止まった味の素スタジアム
試合がないスタジアムを訪れる。そのこと自体、決して珍しい話ではない。例えば海外で試合観戦した際、試合がなかったスタジアムにも足を運ぶのは、フットボールファンの習性とさえいえる。もっとも今回の「無人スタジアム探訪」は、単なる物見遊山ではない。きっかけとなったのは、サッカー仲間がSNSにアップしていた、通勤途中に撮影したとされる味の素スタジアムの写真。見慣れた味スタの外観が、何とも薄汚れて感じられたのである。決して悪意のない撮影であっただけに、私にはことのほか衝撃的であった。
現状を確かめてみようと思い、Jリーグ再開が決定した4日後の6月2日、今年初めて味スタを訪れることにした。新宿で京王線に乗り換えて、飛田給駅で下車。まず視界に飛び込んできたのが、改札付近の天井から吊り下げられた、FC東京と東京ヴェルディのフラッグであった。どちらも開幕戦はアウェーだったため、味スタでは今季のJリーグは開催されていない。スタジアムに向かう途中で、FC東京のポスターを発見。たった数カ月で、こんなに色あせてしまうのかと、妙に感心する。
スタジアムの正門は、鉄格子のシャッターで固く閉ざされていた。そして、デカデカと書かれた「開催延期」の4文字。頭ではわかっていても、厳しい現実を突きつけられた思いがする。気を取り直して、FC東京のスタグルでにぎわっていたアジパンダ広場へ移動。アスファルトの割れ目から伸びる雑草に、生命力の強さと中断期間の長さを思った。そういえば、原発事故から4年後のJヴィレッジでも、これに似た風景を見たことを思い出す。
SNSにアップされた味スタの写真が、なぜ薄汚れて感じられたのか。おそらくは試合が開催されなかったことで、健全な循環が失われたことが一番の原因であろう。試合があれば、ここには3万人もの観客が訪れる。お金を落としてゴミを出す人がいる一方で、お金を受け取ってゴミを捨てる人もいる。人体の血の巡りと一緒で、スタジアムもまた大量の人が訪れるからこそ、循環が生まれて新陳代謝を繰り返す。しかし人の流れが止まってしまっては、スタジアムは自然と薄汚れ、いずれは朽ちていくのであろう。
無人の日産スタジアムで『コーヒールンバ』
味スタ、埼スタときたら、日産スタジアムを外すわけにはいくまい。いつもは新横浜駅から徒歩で向かうが、今回は隣の小机駅で下車することにした。試合がない日にスタジアムを訪れると、いろいろ思わぬ発見があるものだ。スタジアムが視界に入ったあたりで、横浜F・マリノスの歴史を感じさせる展示物を見つける。1993年のJリーグ開幕以降、シーズンごとに集合写真が並べてあって、最後が2020年。今年2月23日の開幕戦で撮影されたものである。この日を最後に、日産ではJリーグの公式戦を含む一切のイベントが行われていない。
ここを訪れるのは、昨年11月2日のラグビーワールドカップ決勝以来。あの時、ラグビー仕様に装飾されたスタジアムは、ニッサン・アリア・コンセプトとF・マリノスの選手たちのコラボ広告に替わっていた。モノクロームで表現された選手たちの表情は、チャンピオンゆえの誇らしさに満ちていて、かえって物悲しく感じられる。しばらく周囲を歩きながら撮影していると、聞き覚えのある金管楽器の音色が、風に乗って流れてきた。F・マリノスが勝利した時に、いつもスタンドに流れてくる『コーヒールンバ』だ。
ウーゴ・ブランコのアルパ演奏による『コーヒールンバ』が、世界的にヒットしたのは1958年のこと。その3年後には日本でも最初にカバーされたが(歌は西田佐知子)、むしろ荻野目洋子による1992年のリバイバルヒットのほうが、われわれの世代には馴染み深い。それにしても、まさか無人のスタジアムで『コーヒールンバ』が聴けるとは思わなかった。音を頼りにさまよっていると、駐車場近くでトランペットの練習をしている男性を発見。タイミングを見計らって、声をかけてみた。
男性は、この近所に住むマリサポで、いつもゴール裏でトランペットを吹いているという。3日前から練習を再開したそうだが、これだけ飛沫防止が叫ばれる中、トランペット演奏が許可されるのはかなり先の話になるはずだ。「それでもいいんです。きちんと新しいルールに従って、いつかまたトランペットで選手を後押しできる日を待ちます」と、屈託のない笑顔を見せる男性。その無償の愛に、心揺さぶられる思いがした。日産のスタンドに、再び『コーヒールンバ』の凱歌が上がるのは、果たしていつになるのだろう。
新国立競技場に感じたよそよそしさ
新横浜から電車を乗り継いで、副都心線の北参道駅で下車。最後の目的地である、新国立競技場に向かう。最後にここを訪れたのは2020年の元日。天皇杯決勝を取材した時のことだ。あの日は日本中が、オリンピックイヤーの到来に浮かれきっていた。そして前年の暮れから、中国の武漢で猛威を奮っていた未知のウイルスに関心を払う人は、ほとんどいなかったように記憶する。ヴィッセル神戸が優勝した天皇杯決勝は、つい半年前のことなのに、はるか昔の出来事のように思えてならない。
コロナ禍がなければ新国立の周辺は、きっと祝祭ムードであふれ返っていただろう。しかし今は、マスクをした無関心な人々が行き交うばかり。そして当のスタジアムはというと、大勢の観衆を集めていた天皇杯決勝から一転、工事用のパネルに塞がれてしまい、何ともよそよそしいオーラを放っている。コロナ以前は国を挙げて「おもてなし」と言っていたのに、コロナ以後は海外からの入国者を完全シャットアウト。そんなわが国の変わり身の早さを、そのまま体現しているように感じさせるのが、今の新国立である。
そういえば今大会、味スタはサッカーとラグビーと近代五種、埼スタと日産はサッカーの会場となるはずだった。「無人スタジアム探訪」を続けている間、あちこちでTOKYO2020の残骸を目にするたびに、実に居心地の悪い気分にさせられた。近現代史の中で、スポーツが中断を余儀なくされた時代は、これまでにも何度かあった。戦争や自然災害、あるいは政情不安やストライキなど、理由はさまざま。パンデミックによって、地球規模でスポーツの灯火が消えたケースは、もちろん今回が初めてである。
空爆や大地震によって、スタジアムが破壊されたわけではない。単に感染リスクを排除するために、人を集めることが禁じられただけだ。それでもスタジアムは薄汚れ、さらに放置すれば朽ちていく。今回の「無人スタジアム探訪」で痛感したのは、そうしたスポーツインフラの意外なまでの脆弱さであった。1年延期となった東京五輪とパラリンピックが、確実に開催されるという保証はない。それでも、スポーツのある日常が戻ることで、スタジアムが再び熱を帯びることに、ひとまずの救いを覚える。
Jリーグの再開まで、あと3日。
<了>
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