
「僕のわがままで…」松井大輔、ベトナム移籍の舞台裏。既成概念を破る、ある人の背中
日本が誇る稀代のテクニシャンのもとに、未知の国から届いた望外のオファー。元サッカー日本代表の松井大輔が、5カ国目の海外挑戦となるベトナムへ移籍することが決まった。40歳を迎えるシーズンになってもなお、新たな挑戦に身を置く決意をした理由とは何だったのか? そこには、年齢など関係ない、既成概念を吹き飛ばし続ける“ある人”の背中があった――。
(文=藤江直人、写真=Getty Images)
松井大輔が移籍するサイゴンFC、明確なビジョンを持つ野心あふれるクラブ
最初は思わず耳を疑った。来年5月に不惑を迎える自分のもとにオファーが、それも海外から届いている事実に驚きを隠せなかった。しかし、時間の経過とともに、必要とされている状況に喜びが込み上げてきた。そして、先方の話を聞いているうちに、気が付けば移籍する決心がついていた。
J1の横浜FCからベトナム1部(Vリーグ1)のサイゴンFCへ完全移籍する39歳のベテラン、元日本代表のMF松井大輔が発表から一夜明けた4日にオンラインで移籍会見を開催。サッカーファンや横浜FCサポーターを驚かせた決断に至るまでの舞台裏を明かした。
「3週間ぐらい前ですかね。ベトナムの3位のチームが僕に興味を持っている、という話がクラブの方に来て、まずは(服部健二)GMの話を聞きに行って。それから(サイゴンと)話していく中で、コロナ禍の中でもベトナムが経済的にすごく発展していること、ベトナムやタイを含めた東南アジアでサッカー人気がすごく上がっていること、そしてオーナーがこれからの明確なビジョンをしっかりと伝えてくれたので、そこからはトントン拍子という感じで(サイゴンへ)行くと決めました」
Vリーグ1へ昇格して5年目の戦いに臨んだサイゴンは、クラブ史上で最高位となる3位に躍進して来シーズンのAFCカップ出場権を獲得。上限が「3」と定められている外国籍選手枠に加えて、AFC(アジアサッカー連盟)加盟国の選手を1人だけ追加登録できる権利も手にした。
4月にはFC東京と業務提携を結んでいるサイゴンは、来シーズンへ向けて日本人選手の獲得を視野に入れてきた。実際にAFCカップ出場が見えてきた状況で、日本代表として2010年のFIFAワールドカップ・南アフリカ大会を戦い、ヨーロッパで長くプレーした経験も持つ松井にオファーを出した。
今季わずか83分の出場。自分自身に募る悔しい思い
もっとも、松井自身にとっては青天の霹靂(へきれき)だった。度重なる故障に泣かされた今シーズンは若手選手の台頭もあって、リーグ戦は3試合、わずか83分のプレー時間にとどまっていたからだ。
「まさかもう一度、海外へ行けるとは考えていなかったので、オファーをもらった僕自身が驚いた。ただ、必要とされるのは人間として、プレーヤーとして非常にうれしい。サッカー選手にとって試合に出場するのは必要不可欠だし、何も表現できなかった今シーズンの自分自身に対して悔しさがあった。チームに貢献できなくて申し訳ないという気持ちと、新たに挑戦できる場所をもらえた状況にすごく感謝したい気持ちがあるし、だからこそ(サイゴンを)がっかりさせたくないですね」
偽らざる心境を明かした松井の背中を大きく押したのは、サイゴンが示した今後の明確なビジョンだった。オーナーであるチャン・ティエン・ダイ氏を「非常にしっかりとした方だった」と振り返った松井は、聞かされた言葉の数々に深い感銘を受けたと明かしている。
「今年に入って練習グラウンドなどの設備を(日本円で)何十億で買ったことや、アジアで戦っていけるようなクラブにしていくことと、あとは日本人選手を他にも獲得してしっかりと経営をしていきたいと言われたときに、その手助けができればと思いました。選手としてもそうですけど、違うところでも日本とベトナムの懸け橋になれれば。いろいろな形でベトナムに貢献できばいいかな、と」
決して順風満帆ではなかった海外挑戦
鹿児島実業高から2000年に加入した京都パープルサンガ(現京都サンガF.C.)を皮切りに、21年を数えるプロサッカー人生で日本を含めた5カ国で、延べ12のクラブに所属してきた。
初めて海外へ挑んだのは、アテネ五輪に出場した直後の2004年9月。京都から期限付き移籍したル・マン(フランス)で1部昇格のヒーローの一人になった当時23歳の松井は、地元メディアやファン・サポーターから「ル・マンの太陽」と愛され、シーズン終了後に完全移籍した。
ル・マンで4年間プレーした後の2008年5月には、リーグ・アンで10度の優勝を誇る古豪サンテティエンヌへステップアップ。ただ、思うように出場機会が得られず、翌年に迫っていた南アフリカ・ワールドカップを見据えて、2009年6月にグルノーブルへ移籍した。
果たして、グルノーブルは最下位で2部へ降格する。岡田ジャパンのベスト16進出に貢献した南アフリカ・ワールドカップ後も新天地がなかなか決まらなかった松井は、移籍期限ぎりぎりの2010年8月末にシベリア西部に本拠地を置く、ロシアのトム・トムスクへ期限付き移籍した。
春秋制で戦うロシア・プレミアリーグを終えた後はグルノーブルへ復帰したが、チームは2部でも最下位に低迷。さらに経営難によりプロ選手と契約ができない4部へ2段階降格が決まった中で、2011年7月にリーグ・アンへ初めて昇格したディジョンへ2年契約で完全移籍した。
しかし、左足首のけがに首脳陣との確執が追い打ちをかける形で、ほとんど出場機会を得られなかった松井は2012年9月にブルガリア1部のスラビア・ソフィアへ、翌2013年7月にはポーランド1部のレヒア・グダニスクと慌ただしく所属チームを変えている。
「大事な回り道」の末に再会した、憧憬の人
ポーランドのシーズン途中だった2013年12月に、J2へ降格したばかりのジュビロ磐田へ完全移籍。ディジョン加入直前に結婚した女優の加藤ローサさんとの間に長男を、磐田加入直後には次男を授かった中で繰り返されてきた移籍を、松井はオンライン会見でこう振り返っている。
「とりあえず僕の独断と偏見で、毎回決める形になっています」
2016シーズンからはJ1へ復帰していた磐田での日々も、自らの意思で4年目の夏にピリオドを打った。名波浩監督やクラブでは初めてチームメートになったMF中村俊輔から慰留されながら、ポーランド2部のオドラ・オポーレへ移籍した2017年8月の心境を、当時の松井はこう語っている。
「安定があると外に出たくなるというか。厳しい環境に身を置きたい」
しかし、2度目のポーランドでのプレーもわずか半年ほどで終焉(しゅうえん)を迎える。2018年1月。オファーを受けた横浜FCへの完全移籍を決めた松井は、なかなか順応できなかったオドラ・オポーレでの日々を、自身のブログの中で「僕のサッカー人生においては大事な回り道だった」と位置づけている。
ただ、回り道をしたおかげで、サッカー小僧だった小学生時代から憧憬(しょうけい)の思いを抱き続けてきた偉大なレジェンドと、再び同じユニフォームに袖を通した。プロの第一歩を踏み出した2000シーズンの京都で胸をときめかせた、FW三浦知良と再会できた喜びを松井はこんな言葉で表している。
「こうして横浜FCの一員になって、18年もの時間を経てまたカズさんと一緒にプレーできる喜びは、おそらく僕にしか味わえない。今日もいつも通りの、京都のときと同じカズさんでした」
横浜FCでの3年間で、カズから学べたこと
松井がプロ入りの際に複数のオファーの中から京都を選んだのは、実は1999年夏からカズが在籍していたからだった。そして、“京都のときと同じ”とは、これから始まる練習へ向け、クラブハウスで入念なマッサージを受けていたカズの姿だった。
「当時は僕もサンガの寮に住んでいて、(松井)大輔やセカンドステージから加入した(韓国代表の)パク・チソンも、遠藤(保仁)もいた。みんなで楽しく寮で暮らしていたし、いい思い出ですよ」
カズ自身も懐かしがった京都での日々も1年で終わりを迎える。年間総合順位で15位に終わった京都はJ2へ降格。松井とパク・チソンが残留した一方で、戦力外を通告されたカズはヴィッセル神戸へ、そして2005年7月には横浜FCへ移った。
「J2に落ちたことは残念だったけど、カズさんが神戸でプレーしているときも、京都から何回か遊びに行っていましたからね。当時から関係がすごく濃かったんですよ」
カズとの絆を振り返った松井は磐田時代の2016年1月、カズのオフ恒例となっている、過酷なメニューで知られるグアム島での自主トレにも参加している。背中を追いかけ続けたカズと、横浜FCを舞台に再びサッカー人生を交差させた3年間を、松井はオンライン会見でこう振り返っている。
「カズさんのすぐ近くでサッカーができる、というのはなかなか経験できない。ロッカーも近かったし、毎日のようにカズさんと一緒にいた3年間で、日々のトレーニングからアイシングのやり方、あるいは身体のケアのやり方をしっかりと学べたことは、僕にとってすごく大きかった」
「僕にはできなかったこと」 松井が驚愕したカズの2020年
39歳の松井をして「(現役最年長の53歳の)カズさんがいることもあって、僕は若手だと思っています」と言わしめてきた今シーズンは、カズのすごさをあらためて目の当たりにした。
コロナ禍により前例のない過密スケジュールを戦ってきた過程で、各チームはけが人の多さに悩まされてきた。自身も何度か戦列を離れている松井は「カズさんはけがをしていないんです」と、原則非公開で行われてきた横浜FCの練習光景を明かしてくれた。
「これだけ試合が立て込んでいて、練習も厳しいのに、若手と同じぐらいというか、若手以上にやっている。(カズさんは)別メニューで練習しているんじゃないかといわれたりしますけど、そんなことはまったくない。僕にはできなかったことであり、最近では身体が違うのかなと思い始めています」
カズの公式戦出場はリーグ戦・カップ戦を含めて4試合、177分にとどまっている。それでも常に練習をフルメニューで消化し、ベンチ入りできるコンディションを整えてきた。現役を続けることへの批判がネット上で少なからず飛び交う中で、それでも信念と誇りを貫く姿に松井はあらためて感銘を受けた。
「日々の行動のすべてがサッカーのために、という感じがする。すごいという言葉も当てはまらないというか、本当に言葉で表せない。誰も超えることのできない存在だと思っています」
超えられなくても、憧れてきた背中との距離を縮めることはできる。年齢をはじめとする既成概念を吹き飛ばしながら、信じた道をとことん突き詰める大切さもあらためて学んだ。だからこそ、予期せぬラブコールに応えて6カ国目となるベトナムで、延べ13チーム目となるサイゴンの一員になる。
「たとえ失敗したとしても、悔いは残らない」
夫人のローサさんの反応を「今回は『別に』という感じでしたね」と、間もなく9歳になる長男のそれを「『そうなの』という感じでした」と苦笑しながら明かした松井は、Vリーグ1のレベルを含めて、まったくの未知という新たな挑戦へ「ワクワク感しかない」と無邪気な笑顔を浮かべる。
「いろいろな国を見て、いろいろな人と対話を重ねることで、自分の人間的な深みを含めて幅が広がると思っている。井の中の蛙ではないけど、それでも日本は島国なので、違う場所へ行って、違うものを見ることが大事なので。体験しないと何もわからないし、そうした経験の数々が財産になる。たとえ失敗しようが、けがをしようが、僕の中で悔いは残らない。チャレンジすることに意義があるので」
セカンドキャリアを含めて、人生の設計図を描いていないわけではない。例えば昨年にはB級コーチライセンスを取得するなど、指導者の道を進む準備もスタートさせている。もっとも、これもチャレンジの一環。サイゴンへの移籍を報告した下平隆宏監督へ、松井自身は「新しいことにチャレンジすることが好きなんです」と、モチベーションを高めながら前を見つめている。
「新しいものに触れたときに、違う目線や角度でものごとを見られたりする。年齢に経験が重なってきた今、一応はB級を取った中でコーチ目線といったものも加わったことで、ベトナムでは子どもたちにサッカーを教えることもできるかもしれない。いろいろなものを広げていくためにも、ベトナムではサッカーだけではなく、違うものも見に行けたらと思っています」
「僕のわがままで…」 それでも早期に日本を発つ理由
ホームのニッパツ三ツ沢球技場にサガン鳥栖を迎える、5日のJ1第31節後に開催されるセレモニーで、ファン・サポーターへ思いの丈をじかに伝える。ホームでのリーグ戦がその後も2戦控える中で、松井は「僕のわがままでクラブにお願いしました」と舞台裏を明かす。
「ベトナム行きの飛行機が毎月11日と25日しかなくて、プラス、次のシーズンが1月16日にすぐ始まってしまうんですよ。コロナ対策でベトナムへ入国してからは2週間の隔離があるので、できれば早く日本を出発して、向こうでコンディションを整えていきたいと考えています」
慌ただしく準備を整え、当面は単身赴任の形で松井は11日にベトナムへ旅立つ。もっとも、隔離される2週間を無駄に過ごすつもりもない。新天地サイゴンへスムーズに溶け込むために、日本に講師をスタンバイさせた状況でホテルからズームでつなぎながらフランス語を思い出し、英語のレベルも上げる。コミュニケーション能力を高める特訓を積むプランを、松井はすでに思い描いている。
<了>
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