
五郎丸歩と中村憲剛に共通する“引き際の美学”とは? 貫き続けた信念、葛藤、そして…
来年1月に開幕するラグビートップリーグ最後のシーズンをもって引退すると表明した、五郎丸歩。2015年のラグビーワールドカップで見せた勇姿は、今も多くの人々の胸に刻まれているだろう。引退を決めた経緯や信念を聞けば、同じく引退を表明したある選手に通底するものが感じられる。元サッカー日本代表の中村憲剛だ。2人のレジェンドに共通する“引き際の美学”に迫る――。
(文=藤江直人、写真=Getty Images)
22歳で下した、35歳での引退の決意。その理由を問われて…
日本中を驚かせたあまりにも唐突な意思表明。肉体的には問題ないと強調した万全なコンディション。そして、ひな壇で浮かべ続けた、涙とは無縁のすがすがしい表情。日本ラグビー界の歴史に名前を刻み込んだ五郎丸歩が、トップフォームのまま現役に別れを告げることを決めた。
所属するヤマハ発動機ジュビロを通じて、来年1月16日に開幕するトップリーグ2021を最後に引退すると発表していた五郎丸が、12月16日に静岡・浜松市内で記者会見を開催。早稲田大学から加入した2008年4月以来、胸中に秘め続けてきた、予想だにしない引退理由を明かした。
「ヤマハ発動機ジュビロという素晴らしいチームと、22歳でプロ契約をさせていただいた瞬間から、35歳までは第一線で戦い抜くと決意していたことを昨日のことのように思います。契約した瞬間からこの日が来ることは、自分の中でも決まっていたように思います。ここ数カ月、または数年といった短い期間ではなく、長いスパンの中で引退発表という日を迎えることになりました」
来年3月1日に五郎丸は35回目の誕生日を迎える。実に13年間にわたって抱いてきた初志を、周囲から少なからず慰留されながらも貫いた。そもそも、なぜ35歳という年齢に自らラインを引いたのか。理由を問われた五郎丸は「うーん、何でしょうかね」と思わず苦笑いを浮かべている。
「22歳当時の私に聞いてみたいですけど、おそらくはパフォーマンスを第一線で出し続けるのは、自分としては35歳が限界だという決断に至ったのではないかと思います」
サッカーの中村憲剛も、引退する年齢を区切ってプレーしていた
取材している側を驚かせる言葉の数々に、五郎丸よりも先に今シーズン限りでの現役引退を表明している、ラグビーとは異なる競技の選手を思い出さずにはいられなかった。川崎フロンターレ一筋で18年間プレーしてきたバンディエラ、中村憲剛の決断もまた日本中を驚かせている。
40歳の誕生日から一夜明けた先月1日。登壇者が伏せられたままクラブ公式YouTubeチャンネルでの配信が告知されていた緊急記者会見で、2020シーズンを最後に引退すると表明した。
「いつかはこの言葉を言う日が来るとずっと思っていましたし、それを今日皆さまにこのような形で話をすることができました。自分の中ではすごくためていたものがあったので、正直、ホッとしているというか、すっきりしているというか。今はそういう気持ちです」
フロンターレのファン・サポーターだけでなく、日本サッカー界、ひいてはスポーツ界全体が思わず耳を疑った理由は、誕生日だった前夜に中村が見せた勇姿にある。ホームの等々力陸上競技場で行われたFC東京戦で決勝ゴールをゲット。まだまだ第一線でプレーできると確信させていたからだ。
だからこそ現役引退は青天のへきれきにも思えたが、その決断を下したのは実は5年前だった。2015シーズンに迎えた35歳の誕生日に、夫人の加奈子さんと話し合った中で出された結論だと中村は明かしている。
「一般的には40歳までサッカーをしている選手はいない。なので、40歳で区切りをつけて残りの5年間を、目の前の一年一年の勝負を頑張ろう、という思いでここまでやってきました」
35歳であらためて決意した引退の時。そこから始まったまばゆい輝き
中村は自身初のFIFAワールドカップ出場を果たした後の、30歳になった2010シーズンの誕生日に「選手としての終わり方を漠然と考えた」という。この時にはじき出された“35歳での引退”は、2012シーズンの途中に就任した風間八宏前監督にもたらされた、ポジティブな変化とともに白紙に戻されている。
「自分のサッカー観が変わりましたし、チームも右肩上がりになった中で僕自身も伸びていると思えたので、35歳で引退するという発想は、33歳、34歳の時にはなくなっていました」
迎えた35歳の誕生日に再設定されたわけだが、競技のジャンルを問わずに、アスリートならば誰でもいつかは必ず直面する「引退」の二文字を、中村も、そして五郎丸も明確に意識しながら現役を続けてきたことが分かる。中村はさらにこんな言葉を紡いでいる。
「自分が引退するという強い気持ちがあったからこそ、ここまでの5年間は特にいろいろなことを引き寄せられたと思う。個人も含めて、それまでの苦労がうそのようにタイトルが手に入ったので」
2016シーズンのJリーグMVP受賞に始まり、翌シーズンからJ1リーグ連覇を、昨シーズンはYBCルヴァンカップ制覇をそれぞれ達成。シルバーコレクターとやゆされた歴史がかすむかのように、11月25日にはあらゆる記録を塗り替える独走劇で3度目のJ1リーグ制覇を勝ち取った。
ルヴァンカップ優勝後に負った左膝前十字靭帯(じんたい)断裂の大けがを乗り越え、今シーズン後半に果たした復活を含めて、中村を後押ししたのは「40歳で終わるという終着点が、自分の中で見えてきた」という思いだった。ゴールが見えているからこそ、ひときわまばゆい輝きを放った。
「アスリートは体力だけでなく、気力も大事。35歳で退くのがベスト」
中村が貫き通した「引き際の美学」は、実は五郎丸の胸中にも力強く脈打っている。新型コロナウイルスの影響で中断され、そのまま無念の打ち切りとなったトップリーグ2020のNTTドコモ レッドハリケーンズ戦ではリーグ記録に並ぶ、1試合で11度ものコンバージョンゴールを成功させている。
日本代表のテストマッチであげた711得点、ワールドカップ1大会で58得点、トップリーグでの1254得点はいずれも歴代1位。スーパーブーツとして世界中に名前をとどろかせた、希代のプレースキッカーには2022年1月からスタート予定の、トップリーグに代わる新リーグでも活躍が期待された。しかし、五郎丸の決意は変わらなかった。
「自分に気持ちがなければ、感情がなければ(まだ現役で)できると思います。ただ、アスリートは体力だけではなく、気力というものも非常に大事になってきます。その気力の部分が自分の中で衰えていることを感じ、35歳の節目で現役を退くことが自分にとっても、周りにとってもベストだという決断に至りました。22歳の時に決めた自分の決断を曲げずに、ここで気持ちよくトップリーグとともに去る方が、自分には合っているのかなと思っています」
五郎丸と中村、ともに事前に引退を発表したのはなぜなのか?
中村はシーズンが終盤に差しかかった、優勝へのカウントダウンに入った状況で記者会見に臨んだ。五郎丸の記者会見も、最後のシーズンが開幕するちょうど1カ月前に設定された。シーズン中と前とでタイミングこそ異なるものの、記者会見に臨んだ理由にも実は共通項がある。
「日本一だと思っているフロンターレのサポーターの存在なしでは、今の僕は100%いないと断言できます。それぐらいサポーターには後押しされ続けたし、ずっと支えられてきたので、このタイミングで、このような形で引退を発表させてもらうことは本当に申し訳ないと思っています。ただ、僕自身はシーズンが終わるギリギリのタイミングではなく、自分がまだプレーできる状態で発表したかった。サポーターの皆さんと等々力でも、アウェーでも一緒に戦えることを楽しみにしています」
こんなメッセージを送った中村は、引退発表後に行われたリーグ戦で、ホームはもちろんアウェーでも熱烈な声援を受け続けた。Jリーグに育てられ、Jリーグを愛し続けたレジェンドとの別れを、チームの垣根を越えて老若男女の誰もが名残を惜しんだ。終盤での引退発表は中村流の恩返しでもあった。
ならば、五郎丸はなぜ開幕前に引退を発表したのか。五郎丸は自らヤマハ側へ望み、静岡県内のメディアに対面で、県外のメディアへはYouTubeを介して会見を実施した。「シーズンを終えた後に行うのが、本来の形であると理解しています」と位置づけた上で、こんな言葉を紡いでいる。
「2015年のワールドカップ後から本当に多くの人に応援していただき、支えていただきました。そういった方々に対して、もしかしたら途中で(新型コロナウイルスの影響で)中断してしまうかもしれないこのシーズンを前に、しっかりとした形でごあいさつさせていただき、自分のラストシーズンを迎えることが、皆さまに対して私が果たす礼儀であると考え、この会見を承諾していただきました」
自分一人が注目される状況への違和感。その根底にあるのは…
五郎丸が言及した、イングランドで開催された2015年のワールドカップは、今もファンの脳裏に色濃く焼きつけられている。特にグループリーグ初戦で対峙(たいじ)した優勝候補の南アフリカ代表を相手に、終了直前の逆転トライでもぎ取った世紀の大金星は、日本ラグビー界がその後に進む道をも変えた。
日本の34得点のうち24得点をあげた五郎丸は、最終的にグループリーグの4試合で58得点をマークしている。3勝をあげながらもスコットランド代表との第2戦で喫した大敗が響き、悲願のベスト8進出を逃した中で、大会ベストフィフティーンに選出された五郎丸を取り巻く状況は一変した。
プレースキックを蹴る前に両手を顔の前で合わせる、集中力を高めるルーティーンがいつしか「五郎丸ポーズ」と命名され、老若男女がこぞってまねをする大ブームになった。テレビ番組やCMへのオファーが殺到し、新語・流行語大賞候補にもなる過熱ぶりに誰よりも五郎丸本人が困惑した。
「ラグビーは誰かヒーローが出るのではなく、チーム全員が自分の仕事を全うした上で勝利が見える競技性を持っています。なので、私一人にフォーカスが当たる状況は非常に違和感がありました」
和訳すれば「一人はみんなのために、みんなは一つの目的のために」となる、ラグビーの精神を表した『One for all, All for one』を常に尊んできた。だからこそ「最初は少しきつかった」と当時を振り返りながら、ラグビーをめぐる状況が転換点を迎えている中であえて旗手を担った。
「ラグビーという競技がこの日本で広がっていない以上、ラグビーの魅力を広げていく仕事が私に与えられた使命だと感じてきました。考え方を変えれば素晴らしい機会をいただいたと思っていますので、あのポーズからラグビーを好きになった、また違った選手を好きになったという方が一人でも多くいらっしゃれば、私がラグビーを続けてきた意味があるのかなと思っています」
「ラグビーを取り巻く環境を変えたい」。そう願い続けた日々
知名度の高さを生かす形で、子どもたちを対象にしたラグビー教室開催にも力を注いだ。スポンサーの協力を得てラグビーボールを用意し、子どもたちに贈ってきた。野球でもサッカーでもなく子どもたちが楕円(だえん)のボールを追う光景は、五郎丸を含めた代表選手たちが長く夢見てきた光景だったからだ。
「自分が育ってきた環境と比べたときに、ラグビーボールがある家庭が少ない。そういった子どもたちにまずはラグビーを体験してほしい、ラグビーボールを持ち帰ってもらいたいという、本当に根本的なところからスタートさせていただきました。一人のラグビー選手として、日本代表のジャージーを着たいと望む子どもたちが増えている状況をうれしく思います。2015年のワールドカップ前はそういった子どもたちも少なく、ラグビーを取り巻く環境を変えたいと思ってきたので」
地道な活動を介してまかれた種は芽吹き、日本で昨秋に開催されたワールドカップでベスト8進出を果たした日本代表の勇姿を触媒として、未来へ向けて大きく、たくましく伸びようとしている。自身は代表に名前を連ねなかったものの、財産ともいえる子どもたちの存在に五郎丸も目を細める。
「日本のラグビーはここ数年で大きく変わってきました。私が小さなときに見ていた代表よりもはるかに強くなっていますし、松島幸太朗選手や姫野和樹選手のように、海外に出て活躍する選手も多く出てきました。高い目標を現役のトップ選手たちが示してくれているので、彼らに負けないように、そして彼らを追い抜くように日々努力していってほしいと思っています」
ヤマハ発動機に初めてのトップリーグタイトルをもたらすことができるか?
2023年にフランスで開催される、次回ワールドカップの組み合わせもすでに決まった。日の丸を背負う後輩たちへ「強い成績を残し続けてほしい」とエールを送りながら、自らは「引退後のことは引退後に考える」とセカンドキャリアのことは白紙の状態にして、最後の戦いに心技体を集中させていく。
「ラグビーを選手として終える寂しさはありますけど、ラグビーを始めて32年間、全力で走り抜けてきました。私には残り1シーズンを戦う気力、それから体力しか残っていません。残された1シーズンを、これまで支えていただいた、そして関わっていただいた全ての方々への感謝の思いをしっかりと胸に秘めて、また背負いながら全力で戦っていきたい」
2014年度の日本選手権こそ制したものの、ヤマハはまだトップリーグのタイトルを手にしていない。 40歳での引退を中村が明確に定めた直後から、フロンターレが連続してタイトルを獲得し、強豪クラブの地位を確立したように、五郎丸も愛してやまないヤマハに置き土産を残したいと意気込む。
「トップリーグのタイトルを取ることがヤマハ発動機ジュビロを一つも、二つもステップアップさせていくと思うので。まずはトップリーグのタイトルに集中していきたい」
16チームが参加するトップリーグ2021は2ステージ制で行われ、プレーオフを勝ち抜いていけば5月23日の決勝までシーズンが続くことになる。つまり、五郎丸ができる限り長く、現役としての勇姿を見せることができれば、その分だけヤマハの初戴冠に、歓喜のフィナーレに近づいていくことを意味している。
<了>
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