なぜ山梨学院・長谷川監督は「真の日本一になろう」と伝えたのか? 異色の指導歴で手にした武器

Career
2021.01.18

無観客で行われた異例の第99回全国高校サッカー選手権大会を制したのは山梨学院高だった。就任2年目で山梨学院を11年ぶり2度目の優勝に導いた長谷川大監督は「戦術と戦略がうまくハマったと言ってもらえるとうれしい。だけど、運がよかったと言えばそれまで」と謙虚な言葉で心境を口にする。しかし、選手たちの個性を引き出す指揮官の手腕がなければ、頂点に立つことはなかった。高校と大学で監督を経験した異色の経歴を持つ長谷川監督は、どのような人物で、いかにして選手たちを優勝に導いたのだろうか?

(インタビュー・構成=松尾祐希、写真=Getty Images)

長谷川大監督、波乱万丈の指導者人生

最後のキッカーは2年生の谷口航大。真ん中にボールを蹴りこむと、埼玉スタジアム2002に歓喜の輪ができた。

選手権優勝の喜びをかみしめる山梨学院の選手たち。決して大会前は押しも押されもせぬ優勝候補の筆頭ではなかった。準々決勝で昌平高、準決勝で帝京長岡高、決勝で青森山田高。立ちはだかる優勝候補を緻密な分析で丸裸にしながら、自分たちの武器を最大限に発揮する――。次々に難敵を撃破し、11年ぶり2度目の優勝を勝ち取った。

一戦ごとに自信をつけ、破竹の勢いで勝ち上がった山梨学院。個性的な選手たちをまとめ上げたのが、長谷川大監督だ。

山梨学院の指揮官に就任して2年。さまざまな困難を乗り越えて戴冠を手にしたが、ここまでの道のりは簡単ではなかった。2004年から2012年まで秋田商業高で指揮を執り、その後は神奈川大の監督や山梨学院大のヘッドコーチなどを歴任。さまざまな場所で知見を深め、今のスタイルに行きついた。波乱万丈の指導者人生。長谷川監督は何を思い、歩みを進めてきたのか。

大学サッカーで学び、「伝える力と練る力」が武器に

――山梨学院で指揮を執るまでの経緯を教えてください。

長谷川:秋田商は公立高校で転勤がある。分かっていたけど、最初から学校を離れるつもりで指導に当たっていたわけではなかったので……。無名校から再スタートをするのであればまだ良かったけれど、ライバル校への転勤を打診されたんです。今まで関わってきた子どもたちの想いを考えると、これは無理だ、これ以上は秋田で戦えないと感じました。そこで新天地を求めたんです。

秋田商を辞めたのは3月31日。仕事なんてすぐには見つかりません。そこで仙台育英高の監督の城福敬さんが私が一生懸命、秋田商でやっていた姿を見てくれていて、声をかけてくださったんです。「辞めるのはもったいないから一緒にやるか。手伝いながら次を探せばいい」と話してくれたのは今でも覚えています。なので、5月ぐらいから週4日は秋田から仙台に通って指導をしていました。

夏のインターハイにも連れて行ってもらい、そんな暮らしを半年ぐらいしていた中で残念ながら選手権は負けてしまいました。来年について城福さんから「同じような形だったら面倒を見られる。だけど、うちで正規に雇うのは難しい」と言われていたので、新しい場所を探すとなった時に自分の母校・中央大で監督をしていた佐藤健さんから声をかけてもらい、神奈川大の監督をやってみないかと誘ってもらったんです。

――2014年から4年間指導された神奈川大では天皇杯に出場し、選手をJリーグの舞台にも送り出しました。

長谷川:そこで当時4年生だった伊東純也(現:KRCヘンク)がJリーガーになり、1年間だけ指導した金子大毅(現:浦和レッズ)が五輪代表候補にも選ばれるなど、上のステージに進んだ選手にも少し携われました。大学リーグでも関東リーグ1部と2部を経験し、天皇杯では町田ゼルビアにも勝たせてもらい、ジュビロ磐田には負けたけど上のレベルはすごいなって思ったんです。高校ではできなかった経験をさせてもらいました。より高いレベルのサッカーに触れて、自分で勝負することが可能なんだと。

なので、神奈川大での経験は大きなターニングポイントでした。磐田や町田と戦った時に相手をすごく分析し、Jクラブを倒すためにどういう形でチームを作って持っていくべきかを考えたんです。それが今回の選手権につながりました。関東リーグを戦っていた時は毎節ごとに分析シートを作っていました。対戦相手の全選手をプロファイルし、ビデオを見ながらずっと考えていましたね。それをもとにゲーム分析し、攻撃と守備の特徴を伝えるミーティングをひたすらやっていたんです。それが大学サッカーにおける自分のフォーカスの仕方。勝っても負けても自分の思った通り進むことが多く、自分の中で自信になっていったんです。ゲームを見る目、相手を見る目、相手を見抜く目、自分たちの力を出すための計画。そういうものが大学サッカーで磨かれ、気づかせてもらいました。

――相手をよく分析した上で、自分たちの強みを出すことが大事なわけですね。

長谷川:選手たちにも「自分たちの弱みではなく強みを発揮しないとダメなんだ」と言い続け、特徴を養ってくれました。それは指導者も同じ。僕はそれを大学サッカーで見つけました。相手を見て、その時に応じてやるべきことを考えていく力が自分の強み。秋田商では商業科の先生だったのですが、話すことやグループワークが得意だったんです。それを大学のサッカーで精査できて、伝える力と練る力が自分の武器になりました。

秋田商の頃は相手を見抜く力がまだまだ未熟で、当時は遠隔地で今のように試合をたくさんネットで見れずに情報もなかなか入ってこない。高校サッカーの流れも短期決戦で相手を研究するよりも、自分たちのサッカーを追求する時代だった。大学で自分の強みに少し気がついて、そこを磨こうと思ったのは大きかったですね。

山梨学院高の監督に就任した理由

――神奈川大で契約満了となり、2018年に山梨学院大のヘッドコーチに就任されました。

長谷川:退任が決まった際、城福さんに相談をしたんです。仙台育英から来てくれている選手もいたので現状を伝え、今後もサッカーの指導を大学サッカーでやりたいと話しました。大学サッカーに対してまだ魅力があったので大学でもう一度勉強したかったんです。そこで城福さんが当時、山梨学院大で指導されていた塚田雄二さんを紹介してくれました。塚田さんもコーチを探していたみたいで神奈川大の送別会中に城福さんから連絡をもらって、「塚田さんに電話をしてみて」と言われたんです。電話をしたら「明日来れるか?」と言われ、次の日に神奈川から山梨に行きました。そこで塚田さんに「一緒に頑張ろうか」と言ってもらったんです。

ヘッドコーチとして招いてもらった山梨学院大は長年都リーグを突破できず、関東大学リーグの昇格決定戦に勝ち上がれていなかったんです。なので、塚田さんから「関東リーグへの昇格をテーマにやりたい。お前がやってくれ」と言われ、ある程度の主導権を与えていただいたんです。すると、都リーグを勝ち上がって昇格決定戦へ何年かぶりに勝ち進みました。

――そこからどのような経緯で山梨学院高の監督に就任されたのでしょうか?

長谷川:また来年頑張らないといけないなと思っていたら、2019年の1月に総監督の横森巧先生から「長谷川さん、高校の監督をやってみないか。大学よりも高校が合っていると思う」と言ってもらったんです。だけど、大学で指導している選手たちが気になっていました。秋田商の時も神奈川大の時も自分が声を掛けて子どもたちに来てもらっていたので、裏切りたくなかった。その年も僕がスカウトしていて、彼らが入ってくるタイミングで皮肉にも高校の話をもらった。彼らにして見たら、「声を掛けてもらったのに長谷川さんがもういない」。面倒見るって話したのに自分がいない。それが心に引っかかっていました。

結局のところそれは仕方のないことだけれど、自分は簡単に離れるようなスタンスで選手と向き合ってきたわけではない。サッカーの指導者ではなくて、教員的な考えが強いので選手たちとの別れが裏切りのような感じになるのが本当に嫌だった。なので、1カ月ぐらい横森さんに返事を待ってもらったんです。かなり悩みましたが、新人戦の決勝で負けた2月8日に「やります」と返事をしました。ただ、横森さんに「自分が連れてきた子たちに自分の口から話をさせてもらいたい」と話して直接話をしました。

「真の日本一」を目指すための取り組み

――横森さんは長谷川さんのどのような部分に期待をして、高校の監督に指名したのでしょうか?

長谷川:そこは詳しくは分かりません。ただ、山梨学院の歴代の監督はみんなS級ライセンスを持っていたんです。特に横森先生が選手権を優勝させてからの10年ぐらいはサッカーで勝たせるプロフェッショナルの方ばかり。そういう意味で「なんで俺なんだろう」とは思いましたね。僕はA級ライセンスしか持っていないですから。だから、教員をやっていた経験や秋田商で実直に取り組んでいた部分を期待されていたのかなと思うんです。自分の長所に期待をしてくれたのかなと思う。だからこそ、受けたんです。自分でなくてもいいのであれば、気持ちは少なかった。横森さんから「自分が見ていて、長谷川さんがいいと思うんだ」と言われたのが大きい。大学での1年間を見てくれて、大学もいいけど高校でもやらせたいと思ってくれたので、山梨学院で高校サッカーにもう一度関わると決めました。

――秋田商業とはまた違った環境で子どもたちの気質も違うと思います。

長谷川:大学サッカーを経験したので大きな戸惑いはありませんでした。高校生よりもやんちゃでサッカー面でもレベルが高い子と接してきましたし、秋田商で高校生の指導もしていたのであまり迷いはなかったです。むしろ、山梨学院の選手は逆に高校生らしくないと思ったんです。サッカー以外で、もっと大事にしないといけないことが他にもある。(過去に対戦した)高川学園高や米子北高は礼節を重んじるし、おもてなしの心を持っていました。それが高校サッカーの良さ。一方で山梨学院はサッカーが主にありすぎたんです。スキルが高い子はいる。でも、それは自由奔放な上に成り立っていて、厳しい局面で発揮できるスキルではない。大学サッカーはもっとうまい選手がいるけど、そういう子たちが試合に出られないことなんてザラにあります。うまくいかない原因に気づかせてあげられれば、大学で成功する可能性が広がるはず。それを教えていけば、真の日本一にもなれるのではないでしょうか。

――長谷川監督が考える真の日本一とはどういうもので、つかむためにどのようなことに取り組んでいったのでしょうか。

長谷川:「真の日本一になろう」と就任した時に言ったんです。「サッカー面で日本一にはなっている。だから、俺たちの目標は真の日本一」。では、真の意味はなんだと。そこで4つ挙げたんです。サッカーだけではなく、ピッチ外でも日本一にならないといけない。なので、“心技体和”が大事だと伝えました。学業も私生活もおろそかにしてはいけないし、チームワークでも日本一にならないといけない。だけど、真の日本一を目指すことは簡単ではない。綺麗事になりやすいし、難しいんです。私たちも精進すると簡単に言いますが、人間だから我慢できないこともたくさんあります。でも、他の学校を見ながら、「もっとこうしないといけない」と思うことがたくさんあります。変わるためには少しずつ時間をかけて、何か変えていかないといけない。就任後はそこに取り組みましたね。

大事なことは「必要なもの」を見極める力

――寮生活をしている子が多いので、サッカー面以外の指導も大変だったのでは?

長谷川:寮に住み込んで指導しているスタッフがいるので、しっかりと生活できていると思います。ただ、秋田商の規律が10だとすれば、山梨学院は5。今でもそれぐらいでしかないと思います。とはいえ、規律やルールは学校や地域の文化によるんです。自分たちの生活規範が一番だと思い、他チームを批判する場合も少なくありません。そういう見方をする上で、圧倒的に足りないのは文化。シンガポールは道端で唾を吐いたら罰せられると聞きました。つまり、場所によって価値観が違う。自分たちが思っているルールから外れていても、文化が違うから仕方がないだけなんです。だから、秋田商の文化を山梨学院に根づかせようとは思いません。それを感じることができたのは秋田商、仙台育英、丸岡など他の高校を見ることができたからです。

仙台育英で指導していた2013年の冬にA級ライセンスの同期だった丸岡の小坂康弘先生から「1週間ぐらいでいいから手伝ってほしい」と誘われ、高校サッカー選手権の事前合宿で丸岡に関わらせてもらったのも良い体験でした。サッカーだけではなく、いろんな文化に触れた経験は自分にとって大きい。そこから神奈川大や山梨学院大の文化に触れ、今は付け加えるものと見直すものを考えられるようになりましたね。

秋田商の監督時代は自分たちのチームが一番だと思っていましたし、他のチームは挨拶もバラバラだけど、うちのチームは挨拶がきちんとできると思うこともありました。でも、今はそんなことは思いません。昔は他チームを中に入って見ていないので、よその文化が分からない。いろんなところを触れたことで、色んな見方で物事を考えられるようになったんです。それが自分の今の価値観に大きな影響を与えています。サッカーの分析をする際も文化や心理面などを考慮した上で見ています。なので、山梨学院にもともとある文化を否定しないし、壊さない。その文化の中で新しいものと古いものをしっかりと選ぶ。その上で作ることと見直すことをする。文化を否定したら、今までの積み重ねを否定することになるからです。大事なことはこれから必要なものを見極める力ではないでしょうか。

就任1年目は「勝たせたい」と思うがあまり…

――就任2年目はコロナ禍の中で難しいチーム運営となりながら、選手権を優勝しました。1年目の経験で生かされた部分はありますか?

長谷川:就任1年目のチームは本当に個の力があり、アスリート能力が高い選手が揃っていました。キャプテンの平松柚佑(現:早稲田大)も抜群の能力を持っていました。今年の3年生では熊倉匠と鈴木剛と中根悠衣を試合に出していましたが、それ以外はレギュラーではなく、野田武瑠や一瀬大寿でも試合に出られない。能力がある選手に囲まれ、逆に「こいつらを勝たせないといけない」と思い過ぎ、自分のほうががっついていたんです。

そのため、肝心の選手権の時に勝たせたいと思うがあまり、自分たちのことしか見られませんでした。なので、自分たちのことを冷静に見ていた日本航空高に(山梨県大会の)準決勝で負けてしまったんです。相手の仲田和正監督は僕たちのチームをよく分析していて、それこそインカムを付けてスタンドから私たちのフォーメーションを見ていました。結局、担当コーチの指示がピッチの選手に伝わり、セットプレーからやられたんです。そうした経験もあり、インカムをつけてやっているんですよ。単に真似したわけではなく、そこまでこだわらないと勝てないと気がついたんです。

――なるほど。それが今年のセットプレー分析にもつながったんですね。

長谷川:横森先生がOBの指導者を入れたいということで、11年前に選手権で優勝した代にいた藤本豊が去年の4月からコーチに入ったんです。そこで指導者としてどういう強みがあるのかと聞いたら、(フットサルのヴォスクオーレ仙台時代の経験も含め)攻撃時のセットプレーを研究してきたと話してくれました。実際に面白いと僕も感じ、彼に任せたんです。コロナ禍の中断期間中に構築して試し、それがプリンスリーグ関東で花開きました。選手権ではプリンスリーグでやっていないパターンを新たに作ってくれて、週3ぐらいはセットプレーの練習をやっていました。なので、インカムありきではありません。藤本コーチが来るのであれば、インカムを使うこともできるかもしれないと考えたんです。セットプレーに力を入れたいから呼んだのではなく、彼が来るからインカムを使える。選手もそうですが、僕は指導者の強みも組み合わせたい。そういう発想でチームをうまく強化できたと思います。

高校の中でできることに背伸びをせずトライした結果

――今大会はセットプレーも含め、選手と指導陣の強みを組み合わせて勝ち上がりました。特に準々決勝以降は相手の強みを消して、自分たちのペースに引き込みました。

長谷川:一番大事なのはうまくいったと思うことが大事。周りの誰かがダメだと言っても、やっている自分たちがうまくいったと感じれば魔法がかかって続きます。1回戦の米子北高戦、2回戦の鹿島学園高戦もそうですが、「この戦い方なら自分たちが勝てる」と思える瞬間をうまく作り、それを繰り返すことができました。相手の脅威になると分かれば、それを再びやろうとしますよね。ただ、闇雲にやらせているだけだと再現性がない。どうやったらもう1回同じ場面が生まれるのか。適当な場面からは生まれないので、再現性を作るには体にも頭にも染みつかないといけない。でも、それを身につける練習は存在しないんです。自分のサッカーは攻守の切り替えをベースにしている中で、トランジションをしっかりとグループで行えるようにするトレーニングを肝にし、その中で培って自然と体が反応する状況を作る。そして、それを試合ごとに応用して、成功体験につなげていくんです。

――一歩間違えると教え過ぎることにもつながります。そこはどのようにしてアプローチをされていたのでしょうか?

長谷川:ポイントは雁字搦(がんじがら)めにしないことです。試合ごとの戦術はキーポイントになる選手にしっかりと伝える。例えば、今回の決勝ではミーティングの前にFWの2人をこっそり呼び、「今回はセンターバックの藤原優大をマンマークするぞ」と伝えました。ただ、他の選手にはすべてを言わないんです。全員にはっきり伝えてしまうと、すべて落とし込まれて違和感が出る場合がある。試合ごとに役割が変わる選手だけに伝えれば、サッカーのベースは変えなくても大丈夫なんです。

――その中で分析し、相手のウイークポイントや選手の特徴を把握する作業はかなり大変だったのではないでしょうか。

長谷川:そうでもないですよ(笑)。夜中1、2時ぐらいまでやって、今日は終わらないからいいやとなって布団に入る。でも、いろいろ考えて目がさえるので寝られない。結局、5時ぐらいには起きるので大会中は2、3時間ぐらいですね。でも、全然疲れないんです。準々決勝と準決勝は3日間空いたので寝ましたけど(笑)。

ただ、自分は分析のプロではない。高校の監督だからはっきりいえば“ごっご”なんです。アナリストみたいな人たちと比べると、僕らは及ばない。あたかもすごいかのように思われるのは違うんです。高校の中でできることに背伸びをせずトライしただけなんです。最新の機器やGPSを使っているわけではないし、細かく分析ソフトを使ってデータを取っているわけでもない。使っているのは自分たちの目と、データ、公式記録、独自にカウントしたデータ。右側と左側のコーナーキックの数、どっち側のコーナーキックやフリーキックが得点につながっているのか。こいつが持った時がこうなるとか、本当にそういうことだけ。この選手はずっと右足しか使っていない、トラップ際をバウンドさせるとか。何試合か見ていくと特徴が浮き彫りになる。それをベースに選手個々の対策を考え、あえて苦手な局面を作るようにしていく。そういうのを相手に応じて構築していくことがゲームプランであり、戦略だと思うんです。そうした姿勢を崩さずに取り組んで、「俺らも勝つために一生懸命やるから、お前らも一生懸命やって一緒に作り上げよう。そして日本一の準備をしよう」という想いが届いた結果だと思います。

――そういう意味では全員でつかんだ優勝だったということですね。

長谷川:うまくいっているから言えるのかもしれないけど、100人前後の部員がいる中で試合に出ていない選手は不満を抱えたり、なんであいつだけに声をかけるんだと思っている選手もいるかもしれません。結果として全員を幸せにするためには勝つしかない。新型コロナウイルスの影響を受けたこともあり、この大会は本当に勝ち負けを超える大会だと考えていた中で、優勝できてみんなが参加して幸せになれたので良かったですね。

<了>

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PROFILE
長谷川大(はせがわ・だい)
1973年生まれ、秋田県出身。中央大学を卒業後、秋田商業高校に赴任し、サッカー部のコーチ・監督を務める。2004年から監督として6度選手権に出場。その後は仙台育英高校、丸岡高校などで臨時コーチを務めたのち、2014年より神奈川大学の監督、2018年より山梨学院大学のヘッドコーチなどを歴任。神奈川大監督時代には伊東純也や金子大毅らを輩出した。2019年より山梨学院高校の監督に就任し、2年目となる2020年度の全国高校サッカー選手権大会で同校を11年ぶり2度目の優勝に導く。

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