なぜ大谷翔平は休まないのか? 今季も二刀流でフル稼働。MLB起用法に見る“長期的ピーキング”の重要性
ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)での活躍が記憶に新しい大谷翔平だが、ゆっくり休む暇もなく3月30日に開幕したアメリカ・MLBでもフル稼働を続けている。これまで50試合中48試合に出場し、投手として10試合に登板。「日本よりも選手ファースト」だという認識もあるアメリカ野球において、大谷がこれほどまでに休むことなく出場を続けるのはなぜだろう?
(文=花田雪、写真=AP/アフロ)
侍ジャパン投手、プロ野球の開幕投手はゼロ。一方の大谷翔平は…
こんなに働いて、本当に大丈夫なのだろうか――。
ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平投手が2023年も文字どおり「フル稼働」している。レギュラーシーズンの開幕前には侍ジャパンの一員としてWBCに出場。投手としては先発2試合を含む3試合、9回2/3を投げ、野手としては全7試合にDHとして先発し、3大会ぶりの世界一に貢献した。
WBCだけではない。決勝戦でエンゼルスの同僚マイク・トラウトを空振り三振に斬って取ったのが現地時間の3月21日。そこから10日後のシーズン開幕戦には「3番・投手」として先発出場。開幕投手として6回無失点10奪三振、打者として3打数1安打をマークした。
ちなみに、日本のプロ野球(NPB)の開幕もMLBとほぼ同時期(日本時間の3月30日、31日)だったが、侍ジャパンのメンバーの中で開幕戦に先発した投手は一人もいなかった。
シーズン開幕後も、大谷のフル稼働ぶりは異次元のレベルといっていい。現地時間5月24日時点でエンゼルスは50試合を消化しているが、大谷は投手として10試合に先発し、野手として48試合に出場。約2カ月間で休養したのは2試合のみ。しかも、登板時はDH兼任で打席に立つ「二刀流出場」をこなしている。
大谷は今季中に29歳。野球選手のピークと呼ばれる年齢帯
MLBといえば、投手の球数に代表される「選手の負担軽減」に敏感な印象を持つ方も多いはずだ。シーズン中にはNPBにはない大型連戦も珍しくなく、投手だけでなく野手にも定期的に休養日を設定するケースは多い。
そう考えると大谷の起用法は“異常”にも思えるかもしれないが、実はこれには明確な理由がある。
1994年7月5日生まれの大谷は今季中に29歳を迎える。一般的に野球選手のピークと呼ばれる年齢帯だ。フィジカルも技術もメンタルもピークに近い状態にあると思われる今の大谷は、まさに「働きどき」。だからこそ、エンゼルスは大谷をWBC直後にもかかわらず開幕投手に起用し、以降も二刀流でフル稼働させている。
もちろん、野球選手としてのピークを本当の意味ではかるのは、実は難しい。「早熟」、「晩成」という言葉もあるように選手の成長や成熟度には個人差があるし、「今がピーク」だと思ってもその先にさらなる成長が待ち受けているケースもある。
大谷に関しても、現時点で野球史に残る偉業を次々と達成しているが、まだまだ伸びしろがあるかもしれない。むしろ、その可能性が極めて高いのではないかとも思える。
高校時代、25年分の目標を記した「未来予想図」の存在
冒頭に「こんなに働いて大丈夫なのか」と書いたが、先に結論を言ってしまえば、「大丈夫」なのだろう。もちろん、故障などのアクシデントはスポーツ選手にはつきものだが、そういった例外を除けば、現在の大谷には二刀流をシーズン通して完遂できるだけの技術と、メンタルと、フィジカルが備わっている。
本稿で考えたいのは、エンゼルスが大谷をフル稼働させる、その「理由」だ。
まず一つ考えられるのが、大谷自身のメンタリティ。
高校時代に記したというマンダラチャート(目標設定シート)の存在はすでに有名だが、そこには自分が理想とする野球選手としてのプレースタイルと、それを達成するために必要な項目がびっしりと書き込まれている。また、同様に42歳になるまでの25年分の目標を記した「未来予想図」の存在も広く知られている。そこには「20歳 メジャーに昇格、15億円稼ぐ」「22歳 サイ・ヤング賞獲得」「27歳 WBC日本代表入り&MVP」というように具体的な「将来の自分の姿」が書き込まれている。
高校生の時点で、42歳までの自分を明確にイメージするだけでなく、そのために必要なモノを把握する。これはスポーツの世界だけではなくすべての事柄にいえることだが、長期的かつ具体的な目標を設定することで、そこから逆算して自分が「今、何をすべきか」が明確になる。
その「今すべきこと」を黙々と遂行してきたからこそ、現在の大谷があるのではないか。
育成世代を対象にした「Pitch Smart」というガイドライン
二つ目の理由は、MLBにおける選手への育成アプローチだ。
日本球界との明確な違いが、ここにあると言っていい。MLB=アメリカの野球界では、育成世代~22歳(大学を卒業する年齢)までの選手を対象にした「Pitch Smart(ピッチスマート)」というガイドラインが存在する。スポーツ分野に明るい医師やトレーナーたちが議論を重ねて作り出したもので、例えば「8歳以下は年間60イニング以上投げてはいけない」「8~12歳はストレートとチェンジアップ以外の球種を投げてはいけない」といった具合に年齢別に球数や年間のイニング数、休息期間などが細かく設定されている。
このピッチスマートの存在が、過去に日本の高校野球の登板過多をアメリカメディアが「クレイジー」と報じた大きな要因にもなっている。
話を大谷に戻そう。北海道日本ハムファイターズからポスティングシステムでエンゼルスに移籍したとき、大谷は23歳だった。前述のピッチスマートの対象年齢ではないが、23歳になったからといって、いきなりリミッターを外していいわけではない。事実、渡米からの3年間はケガや手術のリハビリ期間もあったとはいえ、投手としてはわずか12試合にしか登板していない。ローテーションも今よりも緩やかだったし、登板前後の試合は野手としての起用を見送るなど、最大限の注意を払っていた。
トミー・ジョン手術による長期のリハビリはおそらく想定外だっただろうが、2021年に23試合に先発して130回1/3を投げると、2022年には166回を投げて初の規定投球回に到達。そして今季も開幕からローテを守り、順調にいけば2年連続の規定投球回&規定打席ダブル到達という異次元の記録を樹立することになるだろう。
23歳でMLB入りした時点で、大谷とエンゼルスは長期的なスパンで「目標設定」をしていたはずだ。多少のイレギュラーな事案があったにせよ、手術明けから徐々に登板イニング数を増やしているのが意図的なのは明らかだ。
大谷翔平がMLBを代表する選手に成長できた理由
選手の健康を最優先にしたり、育成世代を徹底的に守るその姿勢から、アメリカの野球界には日本よりも「選手ファースト」だという認識を持つ人も多い。
もちろん、それは間違いではない。ただ、裏を返せばアメリカ球界やMLB球団は徹底的なリアリストでもある。選手を守り、故障を防ぐために最善と思われる手を打つのは、「選手としてピークを迎えるタイミングでベストなパフォーマンスを見せてほしい」からでもある。
当時23歳でアメリカに来たばかりの大谷にいきなり無理をさせるのではなく、フィジカルや技術面も含めて徐々にMLBにアジャストさせ、手術が必要と判断されればすぐに受けさせる。
結果、2021年以降の大谷はMLBを代表する選手に成長することができた。
現在、エンゼルスはア・リーグ西地区でプレーオフ進出を争える位置につけている。このままいけば、大谷とトラウトという二大スターを抱える今季、悲願のワールドチャンピオンを目指す戦いを続けるはずだ。
「選手の意志」との齟齬。選手に寄り添う監督ほど…
近年、日本の野球界も選手、特に投手の負担軽減への意識が芽生え始めている。甲子園での投球制限や大会日程の緩和など、着実な変化も見られる。
ただ、そこで必ずぶち当たる問題がある。それが、「選手の意志」との齟齬(そご)だ。高校野球=甲子園という舞台が巨大になればなるほど、「甲子園が野球選手として最大の目標」という選手が増えるのは必然だ。
なかには「甲子園に出られるのであれば、故障だっていとわない」という思いを持つ選手も、現実に存在する。また、例えばプロ野球選手を目標にするような選手でも、いざ甲子園がかかった試合が目の前に迫り、「自分が投げれば勝てるかもしれない」という状況になれば、無理をしてしまうケースもある。
多くのアマチュア野球指導者は、選手のことを誰よりも考え、理解しようと努めている。甲子園の登板過多で批判を浴びた指導者が、実際に話を聞いてみると誰よりも選手の気持ちを考え、選手からも信頼されている、ということは決して珍しくない。選手の気持ちに寄り添えば寄り添うほど、選手の意志に反して「無理をするな」と止めることができなくなってしまうこともあるからだ。
そんなときに必要なのが、これまで述べてきた「長期的な目標設定」ではないだろうか。「長いスパンで見たピーキング」と置き換えてもいい。
野球を続けていけば、いつかどこかで多少の「無理」を強いられるタイミングは必ずやってくる。その時期がくるまで、「無理」に耐えられる技術とメンタル、フィジカルを身につける必要がある。
もちろん、すべての高校球児が大谷翔平になれるわけではない。しかし、「ここで終わってもいい」と覚悟を決めた10代の若者に対して、「お前には将来がある」「今は無理をすべきタイミングではない」と諭してあげるのも、指導者の役目ではないだろうか。
吉田正尚が語る「子どもたちの可能性」
オリックス・バファローズ時代の吉田正尚(現ボストン・レッドソックス)が、こんなことを話してくれたことがある。
「子どもたちって、可能性の塊なんです。なんにだってなれる。だから選手自身はもちろん、指導者の方も、どうか子どもの持つ可能性を信じてあげてほしい。そうすれば、どういう指導をすればいいのか、きっと答えは見つかるはずです」
吉田自身、幼少期から抜群の打撃技術を持ちながら、「身長が低い」ことを常に指摘されてきた。ただ、小柄だからといって「転がせ」「逆方向を狙え」といった指導を受けたことは一度もないという。
結果、173センチとメジャーリーガーの中ではひときわ小さな体躯ながら、名門・レッドソックスで主軸を打ち、開幕からわずか2カ月で早くも「今季の新人王最有力」とまで評価される選手に成長を遂げることができた。
大谷翔平や吉田正尚といった選手は、たしかに「選ばれた一握りの選手」だろう。ただ、誰もがそうなる可能性を秘めているのが、育成世代だ。
日本のアマチュア野球界の意識が変わりつつある今だからこそ、改めて「なぜ、育成世代の負担を考慮すべきなのか」「野球選手として、どこを目指すべきか」を選手たちにも伝える必要があるはずだ。
<了>
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