
「一人一人に合ったトレーニングをテーラーメード型で処方」アスリートをサポートするIT×スポーツ最前線
最先端の分析システムを使い、アスリートのパフォーマンス向上をサポートする「ネクストベース・アスリートラボ」は、野球をメインスポーツとして、アスリート一人一人に合わせた「テーラーメード型」のメニューや戦術・戦略を提供している。その技術はどこまで進んでいるのだろうか。元国立スポーツ科学センター研究員で、最先端のスポーツ科学の知見を活かして同ラボの立ち上げにも関わった神事努氏に話を聞いた。
(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真提供=株式会社ネクストベース)
データ計測がケガ予防の指標にも
――さまざまなスポーツでトラッキングデータなどが活用されるようになっていますが、最先端の計測機器ではどこまで詳細なデータを管理できるようになっているのでしょうか?
神事:人の動きを分析するときに、姿勢推定の技術を用いてスティック状の人間が歩いたり、走ったり、ボールを投げたり、というような技術を見たことがあるかもしれません。これらの可視化する技術は、多くの企業ができる状態になっています。ただ、そこから競技力を上げるために何が必要で、どうトレーニングしていくか、というところがアスリートラボの強みで、私が専門として研究してきたバイオメカニクスも生きています。
たとえば、「肘の関節にどういう力がかかっているか」ということを計測できるようになっています。肘のトミー・ジョン手術は大谷翔平選手やダルビッシュ有選手も行ったことでよく知られていますが、ピッチングによって肘に力学的な負担がかかることが原因であることが明らかになっています。そこで、投げるときに「このピッチングでは、80ニュートンメートルの力がかかっているから、平均よりも少し低い。だから安全だ」というように、負荷の大小を評価できるようになりました。
また、投球時のボール速度を上げるためにはどうやって体を動かしたほうがいいのか、ということも、7つのチェックポイントで評価し、それに対して合計で500ぐらいのトレーニングを用意しています。アスリートラボでは、測定・評価からトレーニングまで、すべて一つの場所で行うことができます。
――関節にどれぐらい力がかかっているかということがわかれば、ケガの予防にもなりそうですね。
神事:そうですね。肘痛が良くなっても、肘の負担が大きいフォームで投げ続けていれば、ケガが再発してしまいます。ですから、「それならもっとこういうフォームがいいですよ」というようなアドバイスもしています。
個々に合わせたトレーニングを処方
――「ネクストベース・アスリートラボ」には、どのような機器がそろっているんですか?
神事:いわゆる評価をする動作分析の装置、モーションキャプチャーシステム(VICON社製)のカメラが14台あります。それと、力を測定できる床反力板(フォースプレート:テック技販社製)が3台あるので、それらを使って動きの評価をします。あとは、研究用のハイスピードビデオカメラが2台と、ボールをトラッキングできるシステムも2台あります。
トレーニング施設では各種トレーニングマシンを一式そろえていますが、特徴的なところでいうと、VR(バーチャルリアリティ)を使って打撃の練習をするシステムを、鹿屋体育大学の中本浩揮先生と一緒に取り組んでいます。ピッチャーがバッターと対戦するときに、バッターが脳でどう判断しているのかを測定するシステムです。
――すごいラインナップですね。脳の動きまで解析できるんですか?
神事:ボールが投球されてからキャッチャーのミットに収まるまで平均0.4秒なのですが、その中で、バッターがボールをどこまで目で追えているのか、どこを見て、どのように球種を判断して、どこで振る、振らないを判断しているのかという予測を、VRとモーションキャプチャーシステムを組み合わせて評価するんです。
――そうしたことも含めて、個人の特徴に合わせたトレーニングを提供しているのでしょうか。
神事:そうです。服を買うときに、市販のものでいい場合もあると思いますが、自分の体型に合わせたものを買ったほうが、フィット感があり着やすく感じますよね。それと同じで、私たちは一人一人に合ったトレーニングをテーラーメード型で処方しています。
――長所を伸ばすトレーニングと、課題を修正していくトレーニングがあると思いますが、それは本人次第ですか?
神事:競技のレベルにもよるのですが、プロ選手はプロになっている時点で秀でた武器があるので、その武器を整理したり、生かすために球種を増やすことなどを提案して、秀でた武器をさらに生かせるようにします。高校生など、これからピークを迎える選手に対しては、一番投げることが多い直球のレベルを上げて土台を広げていくとか、そこを積み重ねて武器を磨いていけるようにしています。
――サッカーでは、試合中にリアルタイムで戦術の修正ができるようなソフトも広がりを見せていますが、野球でも戦術面の分析はできるのでしょうか。
神事:できます。ただ、野球では試合中のリアルタイムでのフィードバックがまだ許されていない状況なので、試合前に、その選手の特徴や対戦相手に合わせて「もうちょっとストレートを減らしましょう」とか、「このバッターは落ちるスプリットの球に強いので別の球種に変えましょう」というアドバイスをしています。
競技力向上には言語化能力が必要
――最先端の機器で可視化された分析結果をアスリートに落とし込むために、人が介在する部分で大切にしていることはありますか?
神事:測定結果を評価してトレーニングに落とし込むときに、選手が何を考えているかとか、どういう状態だから今どういうことが必要なのか、ということをコミュニケーションの中で知ることは大切にしています。スポーツ心理学に運動学習という領域があって、その理論に基づいて選手の競技力向上をサポートしているのですが、そのときに大事なことは、相手にしゃべってもらうことなんです。言葉を介在して、選手が自分の感覚を言語化することによって、動きの修正とか、感覚の発見を促していく。数字だけではなく、相手がどう考えているかとか、しゃべりやすい雰囲気作りがすごく大事なので、そういうところは機械では対応できない人間の力だと思います。
――目に見える数字と違って、自分の感覚を言語化するのは難しそうですね。
神事:そうですね。ただ、感覚的なことについていきなり話すのが難しくても、データや映像を見ながらだとしゃべりやすいんですよ。「自分ってこうなっているんですね」とか、「もう少しこうやったらうまくできるかもしれません」というような気づきや発見を促すのが、私たちの仕事です。
スポーツで経済のサイクルを回せるように
――海外のスポーツ業界のIT化に追随するためには、機器の開発などで費用もかかると思いますが、公的補助などはないのでしょうか。
神事:アスリートラボは事業再構築補助金という形で、国の補助金で建てることができました。選手向けには学割やセット割りという形で、長く使っていただけるようなサービスがあります。
日本では「スポーツはお金をかけてするもの」という文化が根付いていないように感じます。部活動の指導者は高校や中学の先生が兼任していることも多く、負担が増えているのも事実です。ただ、高校や大学受験のために、塾に月3万円ぐらいを払うような文化はありますよね。
そういう意味では、スポーツがうまくなるために質の高いサービスを私たちが提供して、受益者に対して「スポーツで一流になるためには、これぐらいお金がかかるんですよ」ということを伝えていかないと、今のままではスポーツでご飯を食べる人が増えていかないのではないでしょうか。そういう意味で、いいサービスを適正な値段で提供して、理解していただける方たちにきていただき、それがうまく循環していくようなサイクルを回せるよう、今はチャレンジをしているところです。
――データの活用は球技で特に発展を見せているように思いますが、アスリートラボでは、いずれ球技以外のスポーツもフォローしていくイメージはありますか?
神事:はい。技術面の評価に関しては得意な部分がありますし、スポーツ界ではさまざまな論文が出てきていて、いろいろな研究者とつながっているのも私たちの強みです。ただ、そうやって研究で分かったことを現場に応用するまでに何十年もかかってしまうことがあります。そのタイムラグをできるだけ埋めていきたいですし、いろいろな競技で、アスリートの競技力向上のスピードを早めることができようになればいいなと思っています。
【前編(連載第1回)はこちら】スポーツ科学とITの知見が結集した民間初の施設。「ネクストベース・アスリートラボ」の取り組みとは?
【後編(連載第3回)はこちら】スマホでピッチングが向上する時代が到来。スポーツ×IT×科学でスター選手は生まれるのか?
<了>
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[PROFILE]
神事努(じんじ・つとむ)
博士(体育学)。国学院大学人間開発学部健康体育学科准教授/元国立スポーツ科学センター研究員/ ネクストベース上級主席研究員/ネクストベースアスリートラボ・ディレクター。ボールの回転軸の方向や回転速度が空気力に与える影響にいて書いた論文(2006年)で、日本バイオメカニクス学会優秀論文賞を受賞。北京オリンピックで女子ソフトボール日本代表のサポートを担当し金メダルに貢献、2016年まで東北楽天ゴールデンイーグルスの戦略室R&Dグループに所属し、チームの強化を推進した。現在はアスリートラボで、多くのプロ野球選手のピッチデザインを行う。著書に、『新時代の野球データ論~フライボール革命のメカニズム~』(カンゼン刊)がある。
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