スポーツ科学とITの知見が結集した民間初の施設。「ネクストベース・アスリートラボ」の取り組みとは?
スポーツ業界におけるデータ分析は急速な発展を遂げてきた。「ネクストベース・アスリートラボ」は、最先端の分析システムを活用してアスリートのパフォーマンス向上をサポートする民間企業初の施設だ。世界最高レベルの機器と、スポーツ科学やITの知見を持ったスペシャリストたちが結集したこの施設はどのようなコンセプトで生まれたのか? バイオメカニクスのスペシャリストで、同ラボで多くのプロ野球選手の科学サポートを行っている神事努氏に話を聞いた。
(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真提供=株式会社ネクストベース)
スポーツ科学とITの知見が結集したラボ
――まず、「ネクストベース・アスリートラボ」のコンセプトついて教えていただけますか?
神事:「すべてのアスリートにサイエンスを」です。データや科学を使うことで、早く、安全に上手することができます。アスリートとして活躍できる時間には限りがあります。選手の個々の特性を把握し、それに対してトレーニングを行う。測定、評価、トレーニングがワンストップで行える施設を目指して2022年8月27日にラボをスタートしました。
――このラボができる前は、どのような活動をされてきたのですか?
神事:ネクストベースとしてはいくつかの事業を行ってきました。選手やチームの競技力向上をサポートするという部分では、現地に行ったり、場所を借りたりして、出張でのサポート活動がメインでした。正直なところ、計測場所をお借りしたり、機器をその都度準備したり大変部分もありましたし、選手の方たちにスケジュール調整をお願いしなければなりませんでした。選手が受けたいときに受けられるサービスを提供するというわけにはいきませんでした。このような環境なので、「こういうボールを獲得したほうがいいですよ」とか「こういうフォームのほうがよりボールへの伝達が良くなって、ボール速度が上がりますよ」というようなアドバイスをしてきたのですが、ありがたいことに選手のニーズがどんどん加速していきました。であれば、自分たちのホームグラウンドがあったほうがいいなというところで、今回アスリートラボを作りました。
――最先端の機器に加えて、スポーツに精通したスタッフやスポーツ科学などに精通したアナリストがそろっているところも強みですよね。スタッフは何人ぐらい在籍しているのですか?
神事:ラボにはアナリストが4人、ストレングスコーチ1人、理学療法士1人、あとはインターンが何人かいます。この他にも、営業やアプリ開発エンジニア、デザイナーなどを合わせると全部で30人ぐらいがラボに関わっています。去年まで東北楽天ゴールデンイーグルスにいたストレングスコーチの庄村康平さんも、今年1月からネクストベースに加わってもらいました。また、4月からは理学療法士の資格を持つ橋本留緒さんにも入社していただき、ケガ予防の観点から選手をサポートしてもらっています。
私はもともと国立スポーツ科学センターにいたので、スポーツ科学に携わる先生方とのつながりがあります。ですから「体を大きくするためにはどうしたら良いの?」というような栄養学の立場からの支援も含めて、さまざまな分野からトータルでアドバイスできる環境を構築しています。
――スポーツ界の頭脳が結集しているんですね。
神事:幸いなことに、学術的に著名な方にも我々のスタンスに賛同していただいています。「スポーツ科学の社会実装」という部分に共感してくれる方が多くいるのは大変心強いです。アスリートラボの思いとしては、感覚的な指導からエビデンスをもとにした指導へのアップデートを目指しています。科学的な言葉は難しい部分がありますが、言葉の意味をゆがめないようにしながら、分かりやすく伝えるように努力しています。研究成果は日々アップデートされますから、最新の研究を追いながら、指導に結びつけていくことに、こだわりを持って指導しています。
海外の最先端に追随。国内のスポーツ×データサイエンスの現在地
――神事さんはアスリートラボのディレクターの他に、大学の准教授やYouTuberとしてもご活躍されていますが、ご専門分野について改めて教えていただけますか?
神事:研究の専門分野は、バイオメカニクスという学問の領域です。バイオが「生体」、メカニクスが「力学」なので、生体と力学を合わせたような学問です。数学や工学、医学が周辺領域で、教育学との相性も良いと感じています。その中でも、特にボールを投げることにフォーカスして研究をしていて、ボールの回転に関する論文が私の軸脚になっています。
――2006年に投球の回転軸の方向や回転数についてお書きになった論文が「日本バイオメカニクス学会優秀論文賞」を受賞されました。スポーツのデータ活用はここ数年で急速に発展している印象ですが、2000年代の初め頃からそういうものに可能性を感じていたのですか?
神事:はい。博士論文を書くときに、オリジナリティの高い研究はないかと考えていました。私自身も野球をやってきた中で、ボールのキレとか伸びに関して疑問に思うこともあり、「それがなんなのかを解決したい」というモチベーションで研究を開始しました。同じようなテーマは、1930年代に研究発表がいくつかありましたが、そこから大きな進歩はあまりありませんでした。ですが、それ以降、コンピューターやカメラの性能が上がりましたし、力学や数学的なデータも蓄積されてきた中で、ボールの回転数や回転軸の方向を数学的に解決できるようになったのが、ちょうどその頃でした。
――スポーツ界におけるデータ活用は、ヨーロッパやアメリカを中心に進んでいる印象がありますが、実際、日本と海外のテクノロジーの発展スピードの差をどのように感じますか。
神事:野球ではアメリカが特に発展が早いですね。2007年ぐらいには、ボールをトラッキングするシステムが出てきました。自動的にボールがどれぐらい曲がっているのかを明らかにするものです。日本はまだ全球場にボールをトラッキングするシステムが入っていないので、そういう意味では遅れを取っている実感はあります。
――その点で、アスリートラボは野球をメインにサポートされているんですね。プロで成績が向上した実例などはありますか?
神事:埼玉西武ライオンズの平良海馬選手はラボに通っていただいている選手の一人で、新人王や、最優秀中継ぎ投手などのタイトルを獲得しています。
サッカーでも分析データを活用できるように
――アマチュア選手もサポートされていますが、どのぐらいのチームや選手と契約しているんですか?
神事:弊社のシステムやサービスはプロ野球チームから高校のチームまで約200チームに活用いただいており、数十チームがラボで定期的に高度測定しています。中学生に関しては個人単位で来ることが多いですね。
――年齢層も幅広いのですね。そうした詳細な分析データや効果的なトレーニングを取り入れるチームは、指導者の方針が大きいですか?
神事:そうですね。中には、魔法使いのように「なんとか理論」とか職人技のような手法で解決していく方もいますが、私たちはすべてにおいてロジックがあって、詳(つまび)らかにできるので、そのメリットや見通しについて指導者の方に説明をして、知ってもらった上で、使ってもらうようにしています。チームと離れて、個人で能力を伸ばしたいという選手もいるので、個人で契約している選手もいます。
――今後、野球以外で強化したいスポーツはありますか?
神事:サッカーとバスケットボールでもサポートできるように仕掛けていこうと準備しています。卓球も映像解析のシステムを持っていて、テレビ中継の支援などを行っています。
――サッカーも競技人口が多いので需要が大きくなりそうですね。野球と同じように、動作をデータで解析して改善するためのアドバイスや練習のサポートをしてもらえるイメージでしょうか。
神事:サッカーは戦術・戦略もあると思いますが、「蹴る」という基本動作にフォーカスして、「強く蹴る」力を伸ばすためにはどうしたらいいかということを研究しました。以前、FC今治の代表の岡田武史さんと一緒に「キック塾」というプロジェクトをさせていただいたんですが、世界と日本の大きな違いは「キック力がないことだ」とおっしゃっていて。戦術や戦略で勝てるところはありますが、速く、強いボールを蹴ることがなかなか難しいので、もっと遠くからシュートを打てるようになったらいいよね、と。そこで、バイオメカニクス的に「蹴る」動作を分析して、スマホでシュートのフォームを撮影して、それに対して分析やアドバイスをもらえるようなサービスを今、制作しているところです。
【連載第2回はこちら】「一人一人に合ったトレーニングをテーラーメード型で処方」アスリートをサポートするIT×スポーツ最前線
【連載第3回はこちら】スマホでピッチングが向上する時代が到来。スポーツ×IT×科学でスター選手は生まれるのか?
<了>
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[PROFILE]
神事努(じんじ・つとむ)
博士(体育学)。国学院大学人間開発学部健康体育学科准教授/元国立スポーツ科学センター研究員/ ネクストベース上級主席研究員/ネクストベースアスリートラボ・ディレクター。ボールの回転軸の方向や回転速度が空気力に与える影響にいて書いた論文(2006年)で、日本バイオメカニクス学会優秀論文賞を受賞。北京オリンピックで女子ソフトボール日本代表のサポートを担当し金メダルに貢献、2016年まで東北楽天ゴールデンイーグルスの戦略室R&Dグループに所属し、チームの強化を推進した。現在はアスリートラボで、多くのプロ野球選手のピッチデザインを行う。著書に、『新時代の野球データ論~フライボール革命のメカニズム~』(カンゼン刊)がある。
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