7万4397人の熱狂を沈黙させた一撃。なでしこジャパン、アジア制覇を支えた成熟の中身
スタジアム・シドニーはオーストラリア女子代表のカラーである黄色に染まり、7万4397人がAFC女子アジアカップ決勝を見守った。完全アウェーの熱狂の中で、なでしこジャパンは浜野まいかの鮮烈な一撃で先制し、最後は猛攻を受けながらも全員で守り切ってアジアの頂点に立った。海外組が押し上げた強度、守りを固めた相手を崩す共通理解、ニールセン監督のメンタル面への働きかけ、そして大会運営が抱えた課題。オーストラリアの熱狂の中でつかんだ優勝は、なでしこジャパンが次の戦いへ向かうための材料も示した。
(文・文中写真撮影=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真=ZUMA Press/アフロ)
黄色に染まったシドニー、7万4397人の決勝
セントラル駅からスタジアム駅へ向かう2階建てのバスの車内は、マチルダス(オーストラリア女子代表の愛称)のユニフォーム姿で埋まっていた。
3月21日にスタジアム・シドニーで行われたAFC女子アジアカップ決勝、日本対オーストラリアは、その道中からすでに完全アウェーの空気だった。選手の名前が入ったシャツやタオルマフラーを身につけた子どもたちがはしゃぎ、黄色い波となってスタジアムへ流れ込んでいった。
キックオフ2時間前には、スタジアムの周辺に人々がひしめき合っていた。家族連れや若いカップルが目立ち、女の子だけでなく少年の姿も多い。高齢の女性が一人で足を運ぶ姿もあり、この国では女子サッカー観戦が生活の延長線上にあるのだと感じた。
入場前の演出も圧巻だった。人気バンドのライブと照明、花火が一体となり、ワールドカップ開幕戦のような華やかさでスタジアムの熱を引き上げる。オーストラリアがボールを持てば歓声が膨らみ、日本が持てば拍手とブーイングが飛んでくる。その熱に気圧されそうになりながらも、女子サッカーが日常に溶け込む情景から目が離せなかった。

熱狂を切り裂いた一撃と、勝敗を分けた修正力
前半は、日本がサイドを起点に押し込みながら主導権を握り、その流れの中から浜野まいかの先制点が生まれた。長谷川唯のパスを受けた浜野は、迷いなく反転して右足を振り抜いた。美しい軌道を描いたシュートが右隅に吸い込まれた瞬間、あれだけ沸いていたスタジアムは静まり返った。韓国戦に続く2試合連続ゴールは、大観衆の空気を一変させる一撃だった。
ただ、印象ほど余裕のある前半ではなかった。ボールを握りながらも、守備の基準は合わせ切れていなかった。先発した植木理子は、その難しさをこう明かす。
「相手の中盤の流動性が強かったので、前からプレスに行きたくても行けなかったり、サム・カー選手への対応でエラーもありました。でも、その中でも少しずつ形を変えながら対応していました」
後半はロングボールの出どころに圧力をかけられるようになり、けん制するポイントも整っていった。山下杏也加が収穫として挙げたのも、後半の修正だった。
「前半は守備のかけ方やプレッシャーのかけ方で苦戦していたので、そこを修正できたのは良かったです。後半はロングボールを蹴る選手にもう少しプレッシャーをかけようと話していて、交代選手もそれをしっかり理解して入ってくれました」
リードしたあとの試合運びも、日本が得た経験の一つだ。残り10分を切ると5バック気味に形を変え、1点を守る姿勢をはっきりさせた。オーストラリアは前線に人数をかけ、スタジアムも最高潮に盛り上がったが、高橋はなが顔面でシュートを止め、北川ひかるがゴール前で身体を投げ出した。熊谷紗希と古賀塔子はサム・カーに自由を与えず、山下杏也加はシュートコースを読み続けた。途中から入った南萌華も含め、それぞれが自分の役割をやり切った。“逃げ切る強さ”を示せたことは、この決勝が残した大きな収穫だった。

29得点1失点が示す、なでしこの“地力”
今大会の日本は29得点1失点と、数字だけでも強さが際立っていた。失点は準決勝・韓国戦の1点のみで、海外で高い強度を経験してきた日本の選手たちの基準の高さは、試合を重ねるごとに明確になっていった。国内リーグで戦う成宮唯は、その強度の差を肌で感じていた。
「海外でやっている選手が多い中で、一歩寄せ切るところだったり、WEリーグではそこまで足が出てこない場面でも、海外勢との試合で感じていたプレッシャーを今の代表のキャンプでも感じます。筋トレ一つ見ても体が一回り大きくなった選手が多くて、みんなのいいところを少しずつ吸収したいです」
寄せ切る速さ、対人の粘り、球際の厳しさ。その土台にあるのが、日々の自己管理だ。佐々木則夫女子委員長は、各クラブで課題を突きつけられ、自分で補強しなければ生き残れない環境が、一人ひとりの意識を変えていると見ていた。代表に来てもルーティンを崩さず、自分の身体を整える習慣が、チームの地力につながっている。
その変化は、守りを固める相手への向き合い方にも表れていた。以前の日本は、押し込みながらも崩す糸口を見つけきれず、攻撃が単調になることがあったが、今大会は違った。保持し続けていれば、必ず相手にほころびが出る――ボランチとサイドで役割を変えながら崩しに加わった宮澤ひなたにも、その感覚があった。
「点が取れない時間帯があっても、誰一人焦りはなかったと思います。しっかり保持している分、絶対に空いてくる時間帯があるだろうと、チームとして共有できていました。それぞれが違う強みを持って、厳しい環境で経験を重ねている。その自チームでの成長が表れているのかなと思います」
連動して崩し、個でも局面を変えられる。今大会の日本は、その両面を使い分けながら頂点にたどり着いた。田中美南が前で基準を作り、長谷川が全体をつなぐ。その周りで藤野あおばと浜野が左右を入れ替え、相手の目先を変えた。長谷川と藤野の関係性も強力で、針の穴に糸を通すようなパスに、クラブで積み上げた呼吸が表れていた。
さらに、29得点のうち13得点に途中出場の選手が絡んだことも、チームの厚みを物語る。
「サブの選手たちもすごくいい準備をしていて、『試合に出たらやってやろう』という思いが見えていました。サブ練習も雰囲気が良くて、本当に強いチームだったなと思います」
その華やかな前線を陰で支えた長野風花のリスク管理も含め、今大会の日本はチーム全体で完成度を高めていた。ただ、熊谷が見据えていたのは、その先だ。「世界はまったくレベルが違う」。その認識は、選手たちにも共有されている。
ニールセン監督が引き出したもの
ワールドカップ出場権をつかみ、タイトルが現実味を帯びてきた準決勝あたりから、会見場の緊張感は一段と増していった。そんな空気の中で、逆に茶目っ気をのぞかせたのがニルス・ニールセン監督だった。独特の比喩やユーモアで会見場を和らげ、優勝セレモニー終了が23時を過ぎた決勝後には「オーストラリアでは23時以降ビールが買えないなんて! バーをもう少し長く開けられるようにしよう」と冗談も飛ばした。
今大会で監督の色が最も濃く出ていたのはメンタル面の働きかけだった。狩野倫久コーチとリア・ブレイニー コーチが細かな準備や整理を支え、その上でニールセン監督が選手の背中を押した。高橋は、ミスを恐れすぎずにチャレンジできる空気があることの大きさを口にし、谷川萌々子もメンタル面で学んだことがプレーの助けになっていると話していた。
「日本の選手はとても謙虚で、打てる場面でもパスを選ぶことがある。だからこそ、得点チャンスでは打つように伝えてきた。選手が自分で打てるようになってきたことが、得点につながっていると思う」(ニールセン監督)
韓国戦と決勝でワールドクラスのゴールを決めた浜野は、その変化を強く印象づけた。クラブでは戦術理解や守備面でも多くを担い、最近はゴールからやや遠ざかっていた。それでも今大会では、迷いなく足を振り抜き、ストライカーの感性を取り戻したような輝きを放った。
「ニルス監督は自信を持たせてくれますし、思った瞬間に迷いなく打てたことがゴールにつながっています。体が覚えていたので、考えずに足を振りました」
運営面の課題と、次の試金石
今大会には運営面の課題も残った。AFC女子アジアカップは欧州クラブのシーズン佳境と重なり、選手に代表かクラブかの選択を迫る構造になっていた。実際、チェルシーとマンチェスター・ユナイテッドが戦ったリーグカップ決勝は今大会のノックアウトステージと重なり、宮澤は出場できなかった。オーストラリア代表のエリー・カーペンターも、チェルシーのリーグカップ決勝を逃したことを踏まえ、開催時期の見直しを訴えている。決勝から中4日で、3月25日にはチャンピオンズリーグ準々決勝を控える宮澤にとっても、切実な問題だ。
「チームメートに『一体何の大会なの?』と聞かれて、ワールドカップの出場権がかかっていると伝えると、『なんで1カ月も取るんだ』という反応でした。ヨーロッパでは普段、代表戦をナショナルウィークで集中して戦うので、もどかしさはありました」
ヨーロッパが短期・分散・カレンダー統一型で代表戦を組むのに対し、アジアカップは長期・集中型でクラブ日程とも重なる。女子サッカーのプロ化が進む今、運営面でも見直しが求められる。
4月のアメリカとの3連戦は、アジア王者として臨む最初の実戦だ。なでしこジャパンがこの大会で広げた景色を、次は世界基準の相手にどうつなげていくのか。その現在地を測る最初の試金石になる。
<了>
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