なぜ長友佑都はこれほど長く日本代表で活躍できるのか? 飽くなき向上心の源泉を紐解く
日本代表・長友佑都はこの9月シリーズでキャップ数を119に伸ばし、岡崎慎司と並んで歴代3位タイへと浮上。2位・井原正巳の122を追い抜くのも時間の問題だ。幼いころからエリートとしての道を歩んできたわけではない男は、なぜこれほどまでに進化を続けてきたのか。そして、ベテランと呼ばれる33歳になったいまも変わらず、飽くなき向上心を持ち続けられるのか。その情熱の源泉を紐解く――。
(文=藤江直人、写真=Getty Images)
ベテランとなり、若い選手とともにして芽生えた気持ち
南アフリカ、ブラジル、ロシアと3大会連続でFIFAワールドカップ代表に選出され、日本代表が戦った11試合すべてで先発フル出場。フィールドプレーヤーとして前人未踏の記録を打ち立てた過程で、サイドバックとして初めて国際Aマッチの出場試合数が100を超え、今月12日には33歳になった。
ベテランと呼ばれる存在になって久しい長友佑都(ガラタサライ)が、無意識のうちに拒絶反応を示す言葉がある。森保ジャパンに初めて招集された昨年10月。濃密な経験を伝える立場になったことを理解しつつも、それでも苦笑いしながら胸中に秘めた思いを明かしている。
「継承という言葉が、実は好きじゃないんですよ。継承というと何だか経験を伝えるだけで、去っていくようなイメージがあるじゃないですか。若い選手たちとともにこのチームに残っていって、新しい日本代表を創造していきたい、という気持ちが僕のなかに芽生えているんです」
船出となった昨年9月シリーズで、森保一監督はロシアワールドカップで主軸を担った選手たちをあえて選外とした。久しぶりにピッチの外から見た日本代表戦。コスタリカ代表から3ゴールを奪い、快勝した一戦で躍動した若手選手たちの一挙手一投足が長友のハートに火をつけた。
「また違った日本代表を若い選手たちが見せてくれた。試合に出始めたばかりの、若いころの僕たちのようにギラギラした何も恐れないプレーを見て、僕自身も初心というか、原点に返れた気がします」
若手の象徴が中島翔哉(当時ポルティモネンセSC、現FCポルト)、南野拓実(ザルツブルク)、そして堂安律(当時FCフローニンゲン、現PSVアイントホーフェン)で構成される2列目トリオだった。特に自身の前方となる左サイドで何度も目の当たりにした、中島のプレーに衝撃を受けた。
当時のFIFAランキングで5位につけていた南米の強豪、ウルグアイ代表と壮絶なゴールの奪い合いを展開。4-3で勝利した10月16日のキリンチャレンジカップ後には、こんな言葉を残している。
「気持ちがいいくらいにイケイケでしたね。あのレベルの選手たちを相手にして、あれだけドリブルを仕掛けられるんだ、と。テンポも速いし、オッサンはついていくのが必死でしたよ。これだけ技術があって勢いがある若手選手たちが多いと、体を張ったプレーをしなかったら『長友、さようなら』となってしまうと思って熱いプレーをしました」
最終ラインに目を移せば、センターバックで当時19歳の冨安健洋(当時シントトロイデンVV、現ボローニャ)が威風堂々としたオーラを放っていた。自らが19歳だった、明治大学体育会サッカー部に入部したころを思い出しながら、自虐的な言葉を介して冨安を賞賛したこともある。
「僕が19歳の時は、大学で太鼓を叩いていましたからね。19歳であれだけ堂々とプレーできるのは、本当にうらやましいですよ。もう嫉妬しちゃいそうですよね」
才能がなくても努力で道が開けることを伝えたい
長友は大学入学後に椎間板ヘルニアを患っている。復帰へ向けてリハビリを積みながら、サッカー部のために何か力になりたいと一念発起。幼いころに和太鼓を習っていた経験から、試合に臨んでいるサッカー部のために太鼓でエールを送り、抜群のリズム感はいつしかスタンド名物になった。
何事にも情熱を注ぐ長友は、サッカーを介して「ビッグになりたい」と念じ続けてきた。女手ひとつで姉と弟を含めた3人の子どもを育て、全員を私立大学へ送り出してくれた母親の美枝さんを一刻も早く幸せにしたい――。高校も私立の東福岡高に通った長友は、特に恩返しの思いが強かった。
しかし、生まれ育った愛媛県西条市から越境入学した東福岡高では、全国の舞台で目立った成績を残せなかった。Jクラブから声がかかることはなく、スポーツ推薦ではなく指定校推薦で明治大学政治経済学部へ入学した。サッカーで大成できなかったら、一流企業でバリバリ稼ぐ青写真も描いていた。
いま現在に至る転機は大学1年生の冬に訪れる。後にJ3グルージャ盛岡の監督を務める神川明彦監督から告げられた、ボランチからサイドバックへの転向。長友にとっては青天の霹靂だった。
「嫌でしたよ。攻撃が大好きだったし、サイドバックは無難にパスをつないで、守って、たまに攻め上がるというイメージでしたから」
当時をこう振り返る長友は、幾度となく中盤に戻してほしいと直訴する。しかし、これからはサイドバックが勝敗のカギを握る時代が訪れる、と確信していた神川監督も絶対に譲らない。これ以上逆らうと退部せざるを得ない状況になる、と観念した長友の価値観はすぐに180度覆る。
「自分からどんどん攻め上がって、いい形でボールをもらって、1対1で勝負して。それを何度も繰り返しているうちに、本当に面白く感じてきた。自分にすごく合っている、と」
身長が伸び止まった高校時代から、将来を見据えて体を徹底的に鍛え抜いてきた。愛媛・西城北中学時代にはいまも恩師と慕うサッカー部顧問の井上博教諭が、夏場で部活を引退する3年生のために駅伝部を創設。長友を入部させて走力を磨かせたことで、無尽蔵のスタミナも備わっていた。
サイドバックに必要な能力を偶然にも搭載していた長友は、FC東京との練習試合で絶対的なスピードを武器とするブラジル人選手、FWリチェーリと壮絶な1対1を展開。当時の原博実監督(現Jリーグ副理事長)に見初められ、4年生に進級する前の2007年末にオファーを勝ち取った。
「スポーツ推薦ではなく指定校推薦だったこともありますけど、あれだけのレベルを備えていてプロに送り出さなかったら、それはチームのエゴになる。明治大学体育会サッカー部の見識が疑われます」
ビッグになれるチャンスと、副キャプテン就任が予定されていた大学の最終学年。夢と現実との間で揺れた長友の背中を押したのは神川監督の決断だった。
迎えた2008シーズン。瞬く間にFC東京でレギュラーを奪取した長友のプレーは、当時の日本代表を率いる岡田武史監督をも魅了する。
後に日本代表を指揮するヴァイッド・ハリルホジッチ氏が監督を務めていた、コートジボワール代表と豊田スタジアムで対峙した2008年5月24日。無名の存在から究極の成り上がりを果たす原点となった一戦で、先発フル出場を果たした心のときめきを長友はいまでも忘れていない。
「周りは憧れの存在どころか、僕から見れば本当に考えられないような位置にいる人たちばかりで。その日本代表のなかに自分がいる。どこで何の奇跡が起きたのか。人生は本当にわからないと思うし、だからこそ才能がなくても努力で道が開けるということを、子どもたちにも伝えていきたいですよね」
インテルのレジェンド、サネッティを間近で見てきて……
コートジボワール戦から実に11年あまり。コンスタントに積み重ねられてきた代表キャップ数はパラグアイ代表とのキリンチャレンジカップ、ミャンマー代表とのカタールワールドカップ・アジア2次予選初戦でともに先発した先の9月シリーズで「119」に達した。
同じ1986年生まれのFW岡崎慎司(ウエスカ)と並ぶ歴代3位の数字であり、上には「122」のDF井原正巳(現柏レイソルヘッドコーチ)、そして「152」のMF遠藤保仁(ガンバ大阪)しかいない。現状のペースが続けば、4試合が予定される年内に2位に浮上するだろう。
「ここにきて改めてヤットさんの凄さを痛感する。152試合て。。数字積み重ねてるはずやのに、遠のいていく感覚。ここからがより一層厳しくなるのを俺なりに知ってるんだよ。」(原文ママ)
自身のTwitterで、ヤットこと遠藤が持つ大記録に関して長友はこうつぶやいたことがある。もちろんお手上げというわけではない。歴代ランキングの上位を見れば、現役選手のなかでただ一人、遠藤に追いつき、追い越す可能性をもつ長友は、カタール大会へ向けてこう公言してはばからない。
「やるからにはカタール大会は終着点ではなく、通過点だと思っている。そこは自分のなかでも覚悟は芽生えています。そういう気持ちや向上心が、自分自身を支えてくれるので。日本代表が夢の場所というのは、僕が子どものころから変わらない。ワールドカップで何回プレーしても、日の丸を背負う刺激的な毎日はやめられない。ここに残っていたいし、だからこそ若手選手たちからも学び、貪欲に吸収することで僕もまた進化していきたい」
代表キャップ数の伸びに比例するように、所属クラブもFC東京からセリエAのチェゼーナを経て名門インテル・ミラノへ移籍。昨年1月末にガラタサライへ移籍するまで、いつしか在籍7年と当時の最古参選手になった過程で、現役を続けていくうえで勇気をもらう出会いも経験している。
インテルで19シーズンにわたってプレーし、アルゼンチン代表としても歴代最多の143試合に出場したハビエル・サネッティ氏は、36歳だった2009-10シーズンにキャプテンとしてセリエAで5連覇を達成。コパ・イタリアとUEFAチャンピオンズリーグも制覇した。
「30歳を超えたらオッサンと呼ばれて、アスリートとしてコンディションが落ちるんじゃないか。皆さんはそうおっしゃいますけど、35歳を超えてキャリアのピークを迎えた選手を、僕自身は間近で見てきたので。同じ人間である以上は、僕もサネッティのような選手になれないことはないと、まだまだこれからだと信じているんです」
経験者としての覚悟と決意
昨夏のロシア大会をもって長谷部誠(アイントラハト・フランクフルト)が代表から引退し、同じ1986年生まれの本田圭佑も実質的なカンボジア代表監督との二足のわらじへの挑戦をスタートさせた。岡崎もロシア大会以降では、コパ・アメリカ2019でしか代表キャップ数を上積みしていない。
一抹の寂しさを感じながらも、若手がベテランを突き上げていく図式は万国共通の掟と捉え、その過程でベテラン勢がとことん抗うことでチームが進化していく、という思いを抱いてきた。森保ジャパンでも不動の左サイドバックとなった長友は、9月シリーズでフィールドプレーヤーの最年長になった。ビッグになりたい、という思いが「世界一のサイドバックになる」へと昇華して久しい。
「ハセさん(長谷部)みたいに真面目に、あるいは(本田)圭佑みたいに変わったことはなかなかできないけど、自分のことをコミュニケーションの鬼だと僕は思っています。コミュニケーションの世界大会があれば本当に優勝できるんじゃないかと思っているので、その実力を生かしていきたいですね」
18歳のMF久保建英(RCDマジョルカ)も居場所を築きつつある森保ジャパンで、長友は誰からも愛されるキャラクターぶりを発揮している。ユーモアかつウィットに富んだ言葉を介して、練習後や試合後の取材エリアでも大勢のメディアを引きつけながら、経験者としての覚悟と決意も明かしている。
「どんな状況でも精神的にぶれない、ドシッとしている選手がいるチームは勝手に整うんです。ぶれそうになっても『あの選手を見ていたら、冷静でいなきゃいけない』と思われるような存在でいたい。というか、そのような存在でいなきゃいけないですよね。これだけ経験してバタバタしていたら、長友は代表からもうおさらばですから」
ミャンマー、モンゴル、タジキスタン、キルギスと対戦する2次予選は来年6月まで続き、同9月からは1年以上もかけて争われる、長丁場の最終予選が始まる。カタール行きの切符を手にして、長友が4度目のワールドカップの舞台に立つときには――遠藤の記録を破る可能性が膨らんでいるだけでなく、いまも親交があるサネッティ氏がキャリアで眩い輝きを放った36歳を迎えている。
<了>
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