
少年のようだった内田篤人は、誰よりも「いい男」になった。その生き様をいま改めて振り返る
鹿島アントラーズの内田篤人が引退を発表。8月23日、明治安田生命J1リーグ第12節・ガンバ大阪戦でのプレーが現役最後の試合となった。長年鹿島の取材を続け、Jリーグ3連覇時から内田を見てきたライターの田中滋氏が、ケガと向き合う日々を過ごし、それでもチームにポジティブに接し続けた“鹿島の偉大な2番”の現役生活をいま改めて振り返る。
(文=田中滋、写真=Getty Images)
内田篤人の人生は「盤上この一手」の連続
「今日、僕はここでサッカー選手を引退します」
8月23日、内田篤人が多くの人に惜しまれつつピッチを去った。選手生活前半では鮮やかな活躍を見せたが、後半は苦しみの連続だったに違いない。
「正直、やっと終われるなという気持ちのほうが強い。自分をセーブしながらプレーしてきたのは、試合に出るとか出ないとか、勝つとか負けるより辛かった」
引退会見のなかで語ったこの言葉が、ずっしりと抱えきれないほどの重さをもって響いた。
ふと浮かんだ言葉がある。
「盤面この一手」
正しくは“盤上この一手”らしいのだが、格闘漫画「グラップラー刃牙」のなかで、命を危険にさらしながら戦いに向かう必要性を恋人に問われた主人公のバキは、将棋の格言を用いて自分の心境をこう説明した。その意味は、このプロセスを踏んできた以上、勝算があろうがなかろうが、この局面で次に打つ手はすでに決まっている。つまり、この場ではこの手を打つしかない、というもの。
振り返るに、内田篤人の人生は“盤上この一手”の連続と思えるほど、きちんとプロセスを踏んで歩んできた。
“一人”輝き放ち、世界と互角に渡り合ったブラジルワールドカップ
ドイツに渡るときもそうだった。
「強くなるというか、大きくなるというか、いい男になりたいです」
そう言って“鬼軍曹”フェリックス・マガト率いるシャルケを移籍先に選び、自らを厳しい環境の中に置いたのである。2009年にはJリーグで前人未到の3連覇を成し遂げ、日本代表でも右サイドバックに定着しつつあった。実績面では文句のつけようがないものを残していた。ただ、Jリーグ3連覇を成し遂げる頃には「前に行かないでそこにいることが勝つことにつながるとは思う。でも、それだけで良いのか悪いのかわからない」と、自分が伸び悩んでいることを実感していた。リーグ戦に加えAFCチャンピオンズリーグを戦い、年代別日本代表からフル代表までこなすスケジュールは、試合と調整が次々と荒波のように押し寄せ、息継ぎするのが精一杯。前に進んでいる実感がなかったのだろう。
だからなのか、いま振り返っても移籍会見の言葉はとても軽やかだ。
「Jリーグで優勝して、チームのなかには(小笠原)満男さんや(中田)浩二さんと海外に行っている選手もいる。そういう選手に少しでも近づきたいなという気持ちがあったし、話をしたときに『若いうちに行け』と言ってくれましたし、このタイミングかなって。そういう道なんだろうな、というのが自分のなかにあって、流れに身を任せてこうなっただけです」
なんとかなるだろうという楽観ではなく、やるべきことをやったのだからなるようになるという強い自負。「いい男になりたい」という願望は、このときすでに半分以上かなっていたのかもしれない。
2014年のFIFAワールドカップ・ブラジル大会もそうだった。
2月にシャルケの公式戦で右膝裏の腱を損傷、4カ月後に控えるワールドカップ出場に暗雲が垂れ込めるなか、保存療法を選択してピッチに立った。「ほぼ潰れる覚悟」(内田)で臨んだワールドカップの舞台での活躍は、いまさら説明する必要もないだろう。3戦未勝利で大会を去った日本代表のなかで、一人、輝きを放ったのが内田篤人だった。
「南アフリカに関して言えば世界とはまだ戦える選手ではなかった。ブラジルに関して言えばあのレベルはシャルケの日常のレベルだった。そこらへんのレベルは体感していたし、イメージしていた感じだった」
夢物語のような“自分たちのサッカー”とは違い、地に足をつけたサッカーで世界と互角に渡り合った。
20代後半を棒に振った、ケガと向き合う苦しい日々
だからこそ、2015年6月に右膝の手術に踏み切ってからは本当に苦しい日々だったに違いない。正しいプロセスを踏んでいるはずなのに一向に膝の状態はよくならなかった。
2016年5月、わらにもすがる気持ちで、元チームメートの遠藤康の助言を頼りに鹿島アントラーズで治療を受け始める。顔は青白く、細いアゴはますます細くなっていた。
「久々に(オレが)来て『まだそこまでしか走れない?』って思わない?」
右足が接地するのを極端に避けるようにゆっくり走る衝撃的な姿を見たあとに、そう問われても返す言葉が見つからなかった。
正直、復活の目処は不透明だった。「篤人は精神的にまいってる。みんなと一緒にいるほうが篤人のためにもいい」(鈴木満 鹿島アントラーズ常務取締役強化部長[当時]、現フットボールダイレクター)という配慮も少なくなかった。
しかし、日に日にできるメニューは増えていった。1カ月後の6月には「やっとケガ人じゃなくなった」と目を輝かせ、7月には「膝がちゃんとして、体が戻ればやれる」と自信を垣間見るまで回復した。その間、わずか2カ月。苦しんだ日々は終わりを告げるかと思われた。
しかし、アスリートとして最も心身が充実する20代後半の時期を、完全に棒に振ったことで失われたものは想像以上に大きかった。2018年に鹿島に戻ってからも全力でプレーすれば体が悲鳴を上げる繰り返し。右膝以外もあちこちが痛み、小さな肉離れが頻発した。それならば、と練習からケガをしないようにセーブして調整したが、今度は試合で必要な体力が追いつかない。
多くの人に愛された「いい男」
「鹿島アントラーズというチームは、数多くのタイトルを取ってきた裏側で、多くの先輩方が勝つために選手生命を削りながら日々努力をする姿を、僕は見てきました。僕はその姿を今の後輩に見せることができないと、日々練習していくなか体が戻らないことを実感してきました。このような気持ちを抱えながら鹿島でプレーするのは違うのではないか、サッカー選手として終わったんだなと考えるようになりました」
盤上この一手。次の一手はもうなかった。
内田がいるだけで、きついトレーニングも明るくなった。彼が出すポジティブな声がけに若い選手は活力を受け取り、目を輝かせてボールを追った。内田に褒められると誰もがうれしそうな顔を見せた。きっと多くの人の心にもぽっかりと大きな穴が空いていることだろう。彼とは友だちでも、家族でも、チームメートでもないはずだが、多くの人に愛された。
ラストマッチで試合終了の笛を聞くとユニフォームで顔を隠した。引退セレモニーでも声は震えていた。しかし、グッとこらえて涙は流さなかった。子どものように泣きじゃくったのは2007年に初めてリーグ優勝を果たしたときだけ。
少年のようにか細かった男子は、強くて、大きくて、いい男になっていた。
<了>
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