女子バレー・長岡望悠が語る、涙の復帰と苦難の道のり「この膝で、新しい膝で、もう一回…」
高校時代は東九州龍谷高校のエースとして、高校3冠(インターハイ、国体、春の高校バレー)を達成し、久光スプリングスでも得点源のオポジットとして数々のタイトル獲得に貢献した長岡望悠。日本代表でも、2016年リオデジャネイロ五輪でチーム最多得点を挙げるなど存在感を発揮した。その後、2017年3月、2018年12月の2度にわたり左膝前十字靭帯の大ケガを負ったが、長いリハビリを経て、今季のVリーグ開幕2戦目の10月18日、約2年ぶりに公式戦のコートに戻ってきた。万感の思いがあふれた復帰戦と、それまでの過程を、改めて長岡に振り返ってもらった。
(文・本文写真=米虫紀子、トップ写真=Getty Images)
「ミユ、7割でいいから」「大丈夫。私も一緒に入るから」
――今年10月18日のJTマーヴェラス戦で、左膝前十字靭帯損傷からの復帰を果たしました。第2セットのスタートからコートに入った時は涙もありましたが、改めてあの時の思いを聞かせていただけますか。
長岡:あんなふうに(涙に)なるとは思ってなくて、自分でもびっくりしたんですけど(苦笑)。「あー、ほんとにコートに立てるところまできたんだなー」って……。いざその瞬間が近づいてくると、一気にそういう思いがこみ上げてきました。試合会場では、家族やファンの方はもちろん、すごくお世話になった多くの方々が見てくれていました。1回目のケガ(2017年の左膝前十字靭帯断裂)もそうでしたが、2回目のケガでも、本当にたくさんの人たちに支えてもらってきたので、「ほんとにありがたいな」というその気持ちでいっぱいで、コートに立つその瞬間も、見守ってもらっているなとすごく感じて、ブワーッときましたね。
コートに入る時には、ベンチのメンバーがみんな、それぞれ声をかけてくれて、コートの中のみんなもすごく想いのある顔をしてくれていて、そういうみんなの声や存在に、すごく安心感を覚えました。
――コートに入る間際にも、座安琴希選手から何か声をかけられていましたね。
長岡:琴希さんには「ミユ、7割でいいから」と言われました。琴希さんもケガや手術を経験されてきたので、そういう視点でいつもアドバイスをしてくれて、すごく助けてもらっています。
――同級生で同期入団の石井優希選手、野本梨佳選手も一緒にコートに立ちました。
長岡:梨佳はもともとあまり言葉で言うタイプじゃないので、そっと背中をたたいてくれました。優希は「大丈夫。私も一緒に入るから」と言ってくれて、すごく安心しました。他にも、コートにいた(岩坂)名奈さんは一番苦しかった時にすごく支えてもらった存在でしたし、(戸江)真奈も、(井上)美咲もハマ(濱松明日香)も、みんな本当に心強かったですね。相手コートに(東九州龍谷高の同級生・芥川)愛加がいたこともうれしかったです。
あの日は、チームにとって大事なリーグ戦の1試合なので、私の個人的なことになりすぎるのはちょっとな……と思っていたんです。でもすごく声をかけてくれて、支えてくれて、いろんな気持ちが湧き出てきた日で、私にとって特別な1日でした。バレー人生における特別な日になりました。家族の前で復帰することができたというのも、私の中では一つの目標としていたことだったので、すごくうれしかったですね。
いろいろなものが覆いかぶさり、心が折れた時も…
――2018年12月にイタリア・セリエAでの試合中にケガをされ全治8カ月という診断でしたが、公式戦復帰まで約2年を要しました。
長岡:うまくいかない期間が長かったんですが、それでも、どんな状況でも、どんな日でも、トレーナーの油谷(浩之)さんがマンツーマンでずっと変わらずにサポートしてくださっていたので、それでなんとか進むことができていました。
――2度目の大ケガということで、恐怖心との戦いも大変なものだったのではないですか?
長岡:短い期間で同じところをケガしたので、やっぱり怖さがとてつもなくありました。そもそも2度目にケガをした瞬間、「あ、こんなに簡単に切れるんだったら、もうプレーできないな」って思いましたから。
そこから、まあ頑張ろうと思って(リハビリを)やり始めたんですけど、やっぱりなかなか、結局今でもそこ(恐怖心)はぬぐい切れてはいないんですよね。やってはいるけど、体がいうことを聞かなかったり、思うように動かなかったり……。そういう中で、本当にちょっとずつ進んでいったという感じでした。一回気持ちが完全に切れて、心が折れた時もありましたし。
――心が折れた時というのは?
長岡:うーん、なんというか、いろんなバランスが崩れちゃった時はありましたね。心と体のバランスが。計画していたものが、なかなかその通りにいかなくて、結局(復帰のめどだった)1年というのも2年になった。昨年の夏に、膝の状態がよくないということでまた手術したりもしましたし。
――そうだったんですね。心が折れたというのは、復帰せずに引退することも考えたということですか?
長岡:それは、はい、そう思った時もありました。
――でもそうせずに、また長い時間をかけて復帰されました。再びその方向に進むことができたのは?
長岡:うーん、一時期は、みんながいろんな声をかけてくれる中で、私もそれに応えたい気持ちがすごくあったし、でも状況はあまりよくなくて……。そういういろんなことが重なって、自分が何を大事にしたいのか、自分の行きたい方向を、いつの間にか見失うというか、わからなくなっていました。
だから、一回全部ゼロにして、本当は自分はどうしたいのかを考えた時に、やっぱりもう一度バレーボールに、現役で復帰して……それで、自分が満足できるところまではやろうと思いました。そういう素直な自分が、そうしたい自分がいたから。
それまでは、いろんなものが覆いかぶさっていたんですよね、自分の気持ちに。それで、本当の自分の気持ちがわからなくなっていたんです。
――どんなものが覆いかぶさっていたんですか?
長岡:周りの期待を余計に重く感じてしまったというか……。リハビリを進める中で、これは難しそうだから、じゃあ今はちょっと(ペースを)落として、こういう段階に進めようって予定を変えながら、冷静に進んできているつもりだったんですけど、それがもう次から次に繰り返されていた中で、なんですかね、性格なんですかね、いろいろと周りから言われることに対して、過剰に感じてしまう部分があったんですよね。
みんなは、頑張ってほしいと思って言ってくれていることなんですけど、だんだん、それをうまく消化することが難しくなっていったかなと。今思うとですけど。余裕がなくなっていたんだと思います。
この膝で、新しい膝で、もう一回…
――2020年に開催予定だった東京五輪への思いを聞かれたり、そこでの復帰を期待されることも重荷になっていたんでしょうか?
長岡:そうですね。世界と戦う場というのは、まず自分の体、そして心、パフォーマンスがそのレベルに達しないといけない。その土俵にまず立てないと始まらない話です。みんな、私にそこ(東京五輪)を目指してほしいという感じで言ってくださったんですけど、その期待に応えなきゃと、それでいっぱいいっぱいになって、余裕がなくなっていきました。「でも、私ほんとにそうしたいのかな?」って……。
――もう東京五輪のことは聞きたくない、という感じでしたか?
長岡:うーん、もう言わないでーって思っていた時もありましたね(苦笑)。今はそういうふうに言ってもらえるのはありがたいなと思えるんですけど、その時は。
――でも「自分が本当はどうしたいのか」を考えたら、前に進むことができたと。
長岡:ほんとの自分の正直な気持ちは……自分自身が試合で満足できるようにとか、家族の前でもう少しプレーしたいという気持ちはすごくあったから、だからその部分で満足できたら、もう私は十分だなって思ったんですよね。そうやって自分に素直になれたことで、すごく楽になったんです。
ここを目指したいというような欲よりも、この膝で、新しい膝で、もう一回バレーボールで満足のいくパフォーマンスをするために、チャレンジしていこうと思いました。成長したい、バレーボールがうまくなりたいという思いは、私のバレー人生の中で、ずっと変わらず一番大事にしてきたことで。だからこそもう一回バレーボールしたいなーと思うことができました。だからすごく、自分の中では原点に戻れたような感覚はあります。復帰した今も、期待してもらっているのは感じるんですが、だからって自分のシンプルな思いがブレるというのはもうなくなりましたね。
――「新しい膝でチャレンジしていこう」と。やはりケガをする以前のイメージとは違いますか?
長岡:はい。ムダな力やムダな動きといった、体の負担になるような体の使い方はしちゃいけないなというのがあるので、より繊細にならなきゃいけない。まだ全然そういうふうにできないもどかしさと戦っています(苦笑)。バレーって“見る”とか“読む”というのが大事なんですけど、私は体に頼っていた部分が今まではあったので。
――身体能力が高い分、それができていたんでしょうね。
長岡:それがこういうケガにつながった部分もあるかもしれません。だから、いろいろと試行錯誤しながらという感じです。それはそれですごくやりがいがあります。
約4年ぶりのフルセットに「できるんだねー! すごいすごーい!」って。
――復帰戦以降、試合を重ねる中で、ご自身の状態や試合勘などはよくなってきていますか?
長岡:やっぱり“試合仕様”ってあるなーと感じていて。スパイクに関しては、試合をやるごとに周りの見え方や自分の判断の質とかが、だんだんよくなってるなと。流れの中で、どう体が反応できるかというのを結構見ていて、そういうところは試合をやるごとに刺激が入って、やりやすくはなっています。でもやっぱり2年間試合をやっていなかったので、難しいものもあって……。試合の中で膝をかばうことによって周りに負荷がかかるので、そういうバランスの調整も必要です。
でもこの間(11月14日)、約4年ぶりにフルセットの試合に(最初から最後まで)出たんですよ。私、1回目のケガのあと、一度もフルセットをプレーしていなかったんですよね。途中から出たりしていたことはありましたけど。
――そうだったんですか!
長岡:フルセットをやって、体の反応はどうかなと思ったんですけど、でも膝はそのあと大きな炎症が起きなかったので、(愛おしそうに左膝をなでながら)「フルセットできるんだねー! すごいすごーい!」って(笑)。
まあ、すぐにすべてが思った通りにはいかないですけど、でももともと思った通りにうまくいくとは思ってないので、自分の中では順調です。「あー、今週はすごくかばいが出てしまったなー」という時もあって、まだまだですけどね。怖さがあるから、難しいですね。でもいずれは絶対、できるようになれると思うし、トレーナーさんもそういう方向で進めてくれています。
――長岡選手が目指す、「自分が満足できるところ」というのは?
長岡:私は得点を取るポジションですけど、ディグもブロックも、つなぎもしなきゃいけない。ボールはたくさん触るわけなので、1試合を通して、6人の中の歯車の一つとしてちゃんと噛み合いながらも、やっぱり勢いをもたらしていかないといけないポジションだと思う。そこにたどり着くには、今のクオリティはまだ半分もいっていないんですよね。
やっぱり毎日、今の自分の体を感じることが一番大事。膝の声を聞くのはもちろんですけど、そこをかばうことによって他のところに負担をかけてしまうので。そういうものを整えながら、コート上でコントロールしたり、判断したり、チームの歯車に入っていかなきゃいけない。今は全然まだまだ、みんなの歯車に入っていけてない。(10のうち)5も、3もいっていないレベル(苦笑)。いずれは1試合を通してそれができて、チームに貢献できるようになれたらいいなと思っています。
<了>
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PROFILE
長岡望悠(ながおか・みゆ)
1991年7月25日生まれ、福岡県出身。東九州龍谷高校時代には春の高校バレー、インターハイ、国体の3冠を達成。2010年、久光製薬スプリングス(現・久光スプリングス)に入団。2012-13シーズンのVリーグでMVPに輝く活躍でチームを6年ぶりの優勝に導くと、その後も数々のタイトル獲得に貢献。2017年3月に左膝前十字靱帯断裂のケガを負い、復帰後の2018年8月、イタリア・セリエAのイモコへ移籍。しかし、同年12月に再び同じ箇所を故障。2019年に久光に復帰してリハビリを続け、2020年10月18日、約2年ぶりに公式戦復帰を果たした。
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