
女子バレー・長岡望悠「後悔しないほうを」と挑んだ海外移籍 想像を超える“濃密な2カ月間”
2度にわたる大ケガを乗り越え、10月18日、約2年ぶりに公式戦への出場を果たした久光スプリングス・長岡望悠。
2017年に負った左膝前十字靱帯断裂から復帰直後の2018年、海外移籍にチャレンジし、イタリア・セリエAの舞台でプレー。少しずつ環境にも適応し、ポジションをつかみかけた矢先に再び同じ箇所を負傷し、彼女の海外挑戦は2カ月で終わることになったが、長岡はかけがえのないものを手にしていた。あの時、海外移籍を決断した理由、そして「自分の甘さを痛感させられた」環境の中で得たものとは。
(文・撮影=米虫紀子)
タフでプロフェッショナルな世界
――長岡選手は2018-19シーズンにイタリア・セリエAのイモコへ、自身初めての海外移籍を果たしました。セリエA開幕の約2カ月後に、左膝前十字靭帯損傷のケガで帰国することとなりましたが、一度海外リーグを経験した上で、今季日本のVリーグに復帰して、感じていることはどんなことでしょうか?
長岡:日本はすごく交通機関がちゃんとしていて、食べ物も充実しているし、環境がとにかくいいですよね。日本で言うところの“イレギュラー”なことに対しては、今はもうあまりイレギュラーと感じなくなりました(笑)
――イタリアでの2カ月間はかなりハードだったようですね。そこで得たものは?
長岡:本当に出会った人たちがすごく温かい人たちで、なおかつプロフェッショナルだったから、毎日刺激がたくさんありました。みんな世界トップレベルの選手だったので、その選手たちがどんなマインドでやってるのかな?と見てみたら、もうそもそもがめちゃくちゃタフだったんです。
まあすごい環境なわけですよ。試合数が多くて、日本の倍ぐらい。うちのチームはヨーロッパチャンピオンズリーグもあったので。それに伴う移動がすごくハードで、イタリア国内は全部バスで、7時間ぐらいかけて移動したりする。ホームの時は基本的に毎日自炊ですし。そういう、今まで私が過ごしてきた環境とはまったく違う中で、みんなは、自分をコントロールして、コンディションをしっかり作って、結果を残していく。それを当たり前にこなしている。みんなプロなので、責任と、そこで戦い抜くというブレない意志と、そういうものをちゃんとそれぞれが持っているんです。
向こうの選手は毎年いろんなチームを渡り歩いていて、だからどんな状況になっても言い訳しない。淡々としているようで、実は熱いものを持ちながら、すごくレベルの高い試合をずっとやり続ける。「あ、こういうふうにやって、みんな代表に来ているんだ」と思ったし、「この人たちタフだなー!」と思いました。そういう環境だからこそオンオフの切り替えが重要になると思うんですが、みんなそれがほんっとに上手。もう、想像を超えるタフさでした(笑)
だから、自分はなんてぬるま湯にいたんだと、環境に対する自分の甘さを痛感しました。海外はそういう環境だからみんなタフになるし、それが普通だから、ちょっとやそっとじゃあ惑わされないんですよね。
「こうじゃなきゃいけない」だと、応用力がなくなっちゃう
――長岡選手もイタリアでは自炊していたんですか?
長岡:していました。
――日本にいる時から料理はしていたんですか?
長岡:久光ではほとんど体育館で食事を出してもらっていて、たまに休みの日にやるぐらいだったので、毎日自分で食事を作るというのは初めてでしたね。でも、慣れはすごいなと思いました。やっぱりそういう環境に置かれたら、やらないと生きていけないから。「あー誰か作ってくれたらなー」と思ったりはしましたけど、苦にはならなかったです。
――どんなものを作っていたんですか?
長岡:もうだいたい同じようなものだったんですけど(苦笑)。サラダは普通に葉物野菜やトマトを買えばいいんですが、イタリアはパスタやリゾット、ピザとかが多いから、スーパーに売ってあるものも、ハムとかチーズとか、ある程度限られていて。そんなのばっかり食べていたら力が出なかったので、炊飯器が届くまでは、ひたすらリゾットをご飯がわりにして、あとは鍋の素を持っていっていたので、そこに野菜とか肉をぶっこんで。手際よく栄養を摂れるように、という感じでした。私、パスタをまともに作ったことがなくて。ゆでる時に、沸騰していない段階からパスタを入れてたら、チームメートに「ありえない!」って言われて、代わりに作ってくれました(苦笑)。この話はちょっと、ずさんさがバレるから嫌なんですけど(笑)
――そうだったんですね(笑)。イタリアに渡って最初の頃は出場機会が少なかったですが、次第にポジションをつかんでいきました。出番を増やすために意識したことは?
長岡:最初の頃はとにかく、時差や移動、試合、ボールの違いとか、環境に慣れることだけで精一杯でした。特にボールは大会ごとに違って。セリエAはモルテン製のボールだったんですけど、チャンピオンズリーグがミカサ製。前の日までモルテンで練習して、試合の日にいきなりミカサでやる、とかいうことも普通にあって、でもみんな器用に、うまいことやってるんですよ。なんか「そういうもん」って感じなんでしょうね。これは対応力がつくなと思いましたね。「こうじゃなきゃいけない」という感じだと、応用力がなくなっちゃうなと。
――それはタフになりますね。最初は精神的にも体力的にも大変だったんですね。
長岡:はい。体調を崩したりもしました。でも、それも自分でなんとかするしかない。そういうことを全部わかってて行ったので、もう全部の経験を「あ、こういう感じなんだなー」って、こう両手を広げて、全部浴びていましたね(笑)
――逆に、環境に慣れてコンディションが整い、自分のプレーさえできれば、戦えるという感覚だった?
長岡:そうですね。やっと、「あーこういう感じなんだな」とひと通り慣れることができ始めて、さあこれからどういうふうに自分がこの中でやっていこうかとイメージし始めていた時に、ケガをしてしまって……。
ケガした時に思いました。「来といてよかったー」って。
――試合中のプレーで、再び左膝前十字靭帯をケガしてしまったんですね。
長岡:ネットぎわのボールを止めにいって、着地した時に。1回目のケガ(2017年の左膝前十字靭帯断裂)の時よりも、ケガした瞬間のインパクトが少なくて、自分でも判断がつかなかった。でも何かが起こったのはわかったので、これはどうなんだろう、もしそうだったら、信じたくない、というような気持ちでしたね。
――イタリアへの移籍を決断されるまではかなり悩んだそうですが、それは一度目の左膝のケガから復帰したばかりということや、所属していた久光スプリングスへの思いからでしょうか?
長岡:そうですね。あとは、タイミング、ですね。
――2020年東京五輪を控えていたということですか?
長岡:はい。このタイミングで挑戦をすることがどうなのか、本当にそれが今なのか、というところで。
――リスクもあると。
長岡:そうですね。結果的には、本当に、挑戦してよかったなと思います。「後悔しないほうを」って、「どうなっても後悔しないほうを」と思って、悩んで悩んで、最後に自分で決断したことだったので。本当にそういう選択をしてよかったなと思います。
――悩んだ末に、最終的に海外に行こうと決断した決め手はなんだったのでしょうか?
長岡:決め手ですか……。自分がワクワクするほう、ですね。
――ワクワクするほう、ですか。
長岡:一番は、環境を変えたかったというのがあります。成長し続けたいという思いがすごくあったので、変化を求めていた自分がいました。それが今の自分に必要なことなんじゃないかと感じて。
やっぱり(同じ場所にいると)慣れちゃう部分ってあるじゃないですか。それに、結果的に海外に行って、日本のいろんなもののありがたさもよくわかることができました。プロチームに触れられたことも財産だし。結局2カ月もいられなかったけど、それでもこんなに学べるんだから、本当によかったなって。行ってなかったら、一生後悔していたと思います。
――ケガという不運なかたちで帰国することになってはしまいましたが、あの選択はまったく後悔していないと。
長岡:全然。ケガした時に思いましたもん。「選択しといてよかったー!」って。「来といてよかったー」って。「あー、でももうここでの生活が終わっちゃうんだー」って感じでした。
――ケガした瞬間も、「来なきゃよかった」ではなかったんですね。
長岡:まったく思わなかったです。やっぱりチームとのご縁とかもあるじゃないですか。いろんなタイミングが合わないと無理だと思うので。
海外のチームってプロだから、その年のチームはその時限りじゃないですか。あの時そこに行けたから、みんなとの出会いがあったわけなので。みんなタフだけど、たぶんそれぞれ、悩んでいることとかもあったと思うので、そういうものも含めて、もっといろいろ知れたらよかったなと思いますけど、こればっかりは、運命なんで。でもそういうチームに縁があって、行かせてもらって、本当によかったなと思うばかりです。
<了>
【前編】女子バレー・長岡望悠が語る、涙の復帰と苦難の道のり「この膝で、新しい膝で、もう一回…」
なぜバレー新鍋理沙は「引退」を選んだのか? 今振り返る“決断”に至るまでの胸中
[アスリート収入ランキング]トップは驚きの137億円! 日本人唯一のランクインは?
「もうバレーはできない」荒木絵里香、危機乗り越え、母としての葛藤抱えながら至った境地
「バレーがしたい」中3生の思いをカタチに。元全日本エース越川優の「生まれて初めて」の経験とは?
PROFILE
長岡望悠(ながおか・みゆ)
1991年7月25日生まれ、福岡県出身。東九州龍谷高校時代には春の高校バレー、インターハイ、国体の3冠を達成。2010年、久光製薬スプリングス(現・久光スプリングス)に入団。2012-13シーズンのVリーグでMVPに輝く活躍でチームを6年ぶりの優勝に導くと、その後も数々のタイトル獲得に貢献。2017年3月に左膝前十字靱帯断裂のケガを負い、復帰後の2018年8月、イタリア・セリエAのイモコへ移籍。しかし、同年12月に再び同じ箇所を故障。2019年に久光に復帰してリハビリを続け、2020年10月18日、約2年ぶりに公式戦復帰を果たした。
この記事をシェア
KEYWORD
#INTERVIEWRANKING
ランキング
LATEST
最新の記事
-
近代五種・才藤歩夢が挑む新種目。『SASUKE』で話題のオブスタクルの特殊性とは?
2025.03.24Career -
“くノ一”才藤歩夢が辿った異色のキャリア「近代五種をもっと多くの人に知ってもらいたい」
2025.03.21Career -
部活の「地域展開」の行方はどうなる? やりがい抱く教員から見た“未来の部活動”の在り方
2025.03.21Education -
リバプール・長野風花が挑む3年目の戦い。「一瞬でファンになった」聖地で感じた“選手としての喜び”
2025.03.21Career -
なでしこJにニールセン新監督が授けた自信。「ミスをしないのは、チャレンジしていないということ」長野風花が語る変化
2025.03.19Career -
新生なでしこジャパン、アメリカ戦で歴史的勝利の裏側。長野風花が見た“新スタイル”への挑戦
2025.03.17Career -
なぜ東芝ブレイブルーパス東京は、試合を地方で開催するのか? ラグビー王者が興行権を販売する新たな試み
2025.03.12Business -
SVリーグ女子は「プロ」として成功できるのか? 集客・地域活動のプロが見据える多大なる可能性
2025.03.10Business -
「僕のレスリングは絶対誰にも真似できない」金以上に輝く銀メダル獲得の高谷大地、感謝のレスリングは続く
2025.03.07Career -
「こんな自分が決勝まで…なんて俺らしい」銀メダル。高谷大地、本当の自分を見つけることができた最後の1ピース
2025.03.07Career -
川崎フロンターレの“成功”支えた天野春果と恋塚唯。「企業依存脱却」模索するスポーツ界で背負う新たな役割
2025.03.07Business -
なぜJ1湘南は高卒選手が活躍できるのか? 開幕4戦無敗。「入った時みんなひょろひょろ」だった若手躍動の理由
2025.03.07Opinion
RECOMMENDED
おすすめの記事
-
近代五種・才藤歩夢が挑む新種目。『SASUKE』で話題のオブスタクルの特殊性とは?
2025.03.24Career -
“くノ一”才藤歩夢が辿った異色のキャリア「近代五種をもっと多くの人に知ってもらいたい」
2025.03.21Career -
リバプール・長野風花が挑む3年目の戦い。「一瞬でファンになった」聖地で感じた“選手としての喜び”
2025.03.21Career -
なでしこJにニールセン新監督が授けた自信。「ミスをしないのは、チャレンジしていないということ」長野風花が語る変化
2025.03.19Career -
新生なでしこジャパン、アメリカ戦で歴史的勝利の裏側。長野風花が見た“新スタイル”への挑戦
2025.03.17Career -
「僕のレスリングは絶対誰にも真似できない」金以上に輝く銀メダル獲得の高谷大地、感謝のレスリングは続く
2025.03.07Career -
「こんな自分が決勝まで…なんて俺らしい」銀メダル。高谷大地、本当の自分を見つけることができた最後の1ピース
2025.03.07Career -
ラグビー山中亮平を形づくった“空白の2年間”。意図せず禁止薬物を摂取も、遠回りでも必要な経験
2025.03.07Career -
「ドーピング検査で陽性が…」山中亮平を襲った身に覚えのない禁止薬物反応。日本代表離脱、実家で過ごす日々
2025.02.28Career -
「小さい頃から見てきた」父・中澤佑二の背中に学んだリーダーシップ。娘・ねがいが描くラクロス女子日本代表の未来図
2025.02.28Career -
ラクロス・中澤ねがいの挑戦と成長の原点。「三笘薫、遠藤航、田中碧…」サッカーW杯戦士の父から受け継いだDNA
2025.02.27Career -
アジア王者・ラクロス女子日本代表のダイナモ、中澤ねがいが語る「地上最速の格闘球技」の可能性
2025.02.26Career