
「バイエルンでも月給6万円以下」。育成大国ドイツ“やりがい搾取”される指導者の証言
サッカー大国ドイツのメディアで、ブンデスリーガのアカデミーコーチの雇用事情について衝撃的なニュースが報じられ大きな反響を呼んだ。ドイツの育成環境を支えるコーチたちの多くがパートタイム契約で指導をしており、しかも法律で定められている最低賃金約6万円を大きく下回る収入しか得られていないのだと――。育成改革が求められるドイツにおいて、充実した環境の整備に徹することで地域の競技レベルの底上げを図る一方で、指導者のサッカーに対する熱意や我慢に大きく依存しているという現実があった。当事者たちの証言を取り上げながら、その実態に迫る。
(文=土佐賢志、写真=Getty Images)
ドイツのドキュメンタリー番組で大反響を呼んだアカデミーコーチの労働環境
今年3月、「最低賃金以下の条件で働くブンデスリーガクラブのアカデミーコーチたち」と題したドキュメンタリー番組がドイツで放送された。その中でドイツのプロサッカークラブの下部組織(アカデミー)コーチの多くがフルタイムではなくパートタイム契約、それも実質的には法律で定められている最低賃金を大きく下回る労働環境で正規雇用同様に働いていることが報じられ、外観からは想像しづらいその雇用の実態は、大きな反響を呼んだ。
ドイツサッカー連盟(DFB)を中心として若手選手の育成環境の整備に2000年代初頭から取り組んできたドイツのサッカー界では、複数の専用練習場を所有し、ビデオアナリストや心理カウンセラーといった専門職員もそろえているプロサッカークラブのアカデミーというのは決して珍しい存在ではない。
自前の練習場がないので公共の運動場を借りて練習し、ビデオ分析やフィジカルトレーニングといった本来なら専門のスタッフがやるべき仕事も、監督やコーチが受け持っているところが多い日本のJリーグクラブのアカデミーとは大きな差がある。
育成環境整備はされても…当事者が語る指導者の「厳しい現実」
各クラブがアカデミーに莫大な資金を投入して環境整備に努めている理由を紐といてみよう。
ドイツのプロサッカーリーグであるブンデスリーガに参入するために必要なリーグライセンスを発行しているドイツサッカーリーグ機構(DFL)は、ライセンス交付の条件の一つとして若手選手育成のためのアカデミーの設置を義務づけている。さらに、練習場の数やスタッフの人員配置についても細かく規定を設けている。
このため、現在ブンデスリーガに所属している全てのクラブは自前のアカデミーを持っていて、下はU-8もしくはU-9から上はU-19までそれぞれ1歳刻みにチームが編成され、各チームを監督と1人ないし2人のアシスタントコーチが指導にあたっている。したがってアカデミーには全部で25人から30人前後の指導者が在籍していることになるが、この中でクラブとフルタイム契約を結んでコーチ業だけで生計を立てている指導者は、実は片手で数えられるぐらいしかいない。
クラブによって若干の違いはあるものの、基本的にはU-15かU-16から上の年代の指導者はフルタイム契約、それ以下の年代では全てパートタイム契約になるのが一般的だ。パートタイム契約の場合、ドイツでは1カ月にアルバイトで得られる給与の上限が450ユーロ(約6万円)までと規定されている。そのため、アカデミーでパートタイム契約で働く場合、最大でも月6万円程度の指導料しか得られないことになる。このことについては、同番組の中でも複数の元アカデミーコーチたちが証言していた。
「1年目の月給は、アシスタントコーチの役職で200ユーロ(約2万6000円)。次の年から250ユーロ(約3万2000円)に上がって、さらにその後で監督のオファーを月400ユーロ(約5万2000円)の条件で受けたんだけど、その時に言ったよ、『400ユーロのためにフルタイムのように働くことはできない』と」(Aさん/元バイエルン・ミュンヘン アカデミーコーチ)
「チームのために月30時間から40時間働いていたが、その仕事の対価として得ていたのは450ユーロ(約6万円)だけ。それでも『給与条件は最低賃金よりも上』と言われた。週末の試合の時しか時給が発生しない契約になっていた」(Bさん/元FCアウグスブルクアカデミーコーチ)
一つのチームを任された場合、指導者は週3、4回の練習の他に練習メニューの事前のプランニングや練習後の振り返り、保護者との連絡といった仕事も雇用形態に関係なく引き受けなくてはならないし、週末に大会があって一日中チームに帯同する場合もある。
Bさんの証言にあった、「月30時間から40時間の勤務時間」というのは決して大げさなものではない。当初月200ユーロしか得ていなかったAさんが、もしもBさんと同じペースで働いていたのであれば、彼は実際にはドイツの法律で定められた最低賃金の時給8.5ユーロを大きく下回る5ユーロ前後(約650円)で働いていたことになる。
「ブンデスリーガのアカデミーコーチ」という肩書にとらわれた“やりがい搾取”?
こうした問題があまり表面化しないのには、二つの理由が挙げられる。
一つは、前述のとおりDFLはブンデスリーガ参入のためにアカデミーの設置をライセンス取得の条件として課しているが、そのアカデミー内の指導者の雇用形態については各アカデミーの裁量で決定できること。試合の時しか時給が発生しなかったというBさんのようなケースについては、労働基準監督署あたりがチェックすべき問題であり、DFLに監督責任はない。
また、給料よりもプロサッカークラブのアカデミーコーチという肩書を重視し、自身のキャリアアップのために勤務条件に不満があっても我慢している指導者が多いことも理由の一つ。割合としてはむしろこちらのほうがより大きいのだが、それが搾取ともいえる状況を招いていることは同番組内でも指摘されていた。
「例えば、指導者であれば誰だってバイエルン・ミュンヘンで働きたいと思うはずだ。自分の履歴書にとっては素晴らしい経歴になるし、周りに『俺はバイエルンで働いていたんだ』と自慢できる。しかし月450ユーロ(約6万円)というのは、『少し食い物にされている』というレベルではなく、私からすれば『相当食い物にされている』といえる状況だ」(アンドレアス・ヴァルトシュミット弁護士)
育成環境の改善のためには「指導者の待遇」も議論されるべき
プロサッカークラブがアカデミーを作って各地域のトップレベルの選手たちに最高のトレーニング環境を提供し、地域の競技レベルの底上げを図るというのがアカデミーの設置を義務づけているDFLの意図である。
確かに施設や人員体制だけを見ればそのアカデミーでも期待通りの充実した環境が整備されているものの、その運営は個々の指導者のサッカーに対する熱意や我慢に大きく依存しているという現実がある。
単年契約が主流ではあるものの、小学生年代担当の指導者であっても基本的にはフルタイムで雇用している日本のJリーグクラブのアカデミーのほうが、待遇面ではむしろ勝っているようにも見える。
サッカーに必要な技術や戦術を教えることの他に、礼儀や規律といった社会生活を送る上での一般常識の教育も育成年代の指導では重要なテーマになってくる。そのため、サッカーだけでなく人としても経験豊富なベテランの指導者が必要なはずだ。
だが、例えば結婚して家庭を持っている指導者からすれば、今のドイツのアカデミーコーチは「労多くして功少なし」といえる仕事であり、就職先の選択肢にはなりづらい。アンダー世代の各代表チームが国際舞台の主要な大会で好成績を収められていないことから、ドイツでは再度の育成改革の必要性を主張する声が日増しに大きくなっている。
アカデミーコーチの待遇改善も、育成環境の改善点の一つとして今後さらに議論されるべき問題かもしれない――。
<了>
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