
水谷隼、日本男子初のメダル“以上”の功績とは? 卓球人生の集大成、東京五輪3つの期待
2006年に初の日本一を達成し、以来、日本卓球界を背負い続けてきた水谷隼。「絶対に倒せない相手」だった中国を「倒したい相手」にまで引き寄せた男にとって、東京五輪はその集大成の舞台となる。見逃せない一戦の前に、第一人者のこれまでの道のりを振り返ってみたい。
(文=本島修司、写真=Getty Images)
初めての日本一。以降、日本人の夢を背負った“MJ”の躍進
「尊敬する選手はMJ」
2021年、全日本卓球選手権大会の男子シングルスで初優勝を飾った及川瑞基はそう語った。後進から、バスケットボールの“神様”マイケル・ジョ-ダンのように扱われる、日本卓球界の歴史そのものといえる男、それが水谷隼だ。
偉大なMJが残してきた輝かしい足跡は、数字や記録だけではなく、「日本人卓球選手が、卓球大国・中国の選手を倒すことができるかもしれない」と多くの人に思わせた、大きな夢そのものだった。
2007年、17歳にして水谷は初めての全日本選手権優勝を果たす。
少年の頃から見せていた類いまれな卓球センスは、中学校時代から日本中に知れ渡っていたが、この年はついにジュニアの部と一般男子シングルスの部でダブル優勝。高校生のまま日本一の座についた。
ここから、長きにわたって「ニッポンを背追う日々」が始まる。結果的に水谷は、この2007年の初優勝から5連覇を達成。2019年までの間に、10度の全日本選手権優勝を果たしている。“メンタルスポーツ”と称され試合結果に精神面が大きく左右し、さらに若手選手が次々と台頭する卓球において、驚異的な偉業といえる。
初めてのオリンピック。そして、2大会目のまさかの敗戦
2008年。日本人が世界ランキングでトップ争いに加わることが難しかった時代。北京で初めてオリンピックの舞台に立つと、その後は中国超級リーグに武者修行へと飛び出す。
効果は抜群だった。この年、当時、中国代表選手の代名詞的な存在だった張継科に勝利。翌年、ITTFワールドツアー・韓国オープンで世界に名をとどろかせる強豪たちを次から次へと撃破。抜群の存在感を放って優勝を手にし、その名は一躍世界に知れ渡った。そしてここから中国人トップ選手との激闘の日々が幕を開ける。
2012年。全日本選手権で敗れるという、誰もが予期せぬ出来事が起きた。当時、野田学園高の高校生だった吉村真晴に決勝戦で敗退。めったに見せない、崩れ落ちるような姿が印象的だった。水谷はすでに、「国内で負ける」ことがニュースになるほどの存在になっていた。
この年、ジャパンオープンとクウェートオープンで優勝。水谷の世界ランキングは大きく跳ね上がってトップ10入りを果たしていた。そして、北京五輪の時とは状況が違い、「メダルへの期待」が高まっていたのがロンドン五輪だ。
待ち構えていたのは、「ロビングの名手」と称されるクセ者、マイケル・メイスだった。メダルの期待が大きかったこの大会の男子シングルス。水谷はベスト16で姿を消すことになる。その後はロシアリーグに参戦、専属コーチを付けるなど、外から見ている卓球ファンにも、試行錯誤の日々であることが伝わってきた。
ルール違反であるにもかかわらず、世界中で暗黙の了解のように使用されているラバー接着の際の「補助剤」の使用違反を告発し、国際大会の出場を辞退したのもこの時期だった。
過去に、卓球界では「グルー」と呼ばれる接着剤の使用があった。やがて「グルー」は人体への悪影響があることなどから禁止となった。しかし、その後「補助剤」を使う選手が多く現れた。補助剤を使えば、ラバーの弾みは格段に上がる。打球時には金属音が出て、すさまじい威力になる。だが、本来、ルール上は「後加工」自体が禁止なのだ。
この、世界の卓球界のトップ選手である水谷による「ファンに知ってほしかったこと」の告発は、世界的にもニュースとなり、大きな意義があった。
悲願達成。歓喜のリオデジャネイロ五輪
国際大会へ復帰。明らかに復調傾向にあり、勝つことを取り戻す日々の中で迎えたのが、2016年のリオデジャネイロ五輪だった。
水谷は、ついに日本男子卓球界にメダルをもたらす。ベラルーシのウラジーミル・サムソノフとの男子シングルス3位決定戦を制した瞬間、コートに倒れ込んだ姿は、多くのスポーツファンの心に刻まれた。翌日、地上波のテレビコメンテーターは「これは格闘技ですね」と表現したほどの激しい熱戦。男子シングルス、3位。男子団体、2位。メダル獲得とともに、日本における卓球というスポーツそのもののステータスをも、大きく押し上げた。
そして、水谷はもちろん、この大会でも補助剤を使わなかったという。これもまた、大きな意味を持つはずだ。科学的には「使用を証明できない」という補助剤を使う選手は、この時もまだいたことだろう。水谷は、フェアに徹する信念のもとで、メダルの座へ上り詰めたのだ。
打倒・中国の先頭に立って、世界中と戦ってくれた男。それが水谷という選手だ。そこには、数字以上に計り知れない功績があった。卓球競技において中国と聞けば、「絶対に倒せない相手」だった。それが、水谷の活躍により、「なんとか倒したい相手」に変わった。水谷の後ろに、道はできた。
選手生活の総決算。東京五輪の3つの注目点
迎えた今大会、水谷隼の見どころは3つある。
1つ目は、混合ダブルス。日本代表は水谷隼・伊藤美誠というコンビ。経験豊富な水谷と、女子の世界ランキング2位と勢いに乗る伊藤のペアには、日本中の期待が高まる。
最大のライバル、中国の許昕・劉詩ブン(雨冠に文)ペアには、コンビを組み始めた2019年のグランドファイナル決勝で負けている。だが、伊藤の巻き込みサーブからの3球目、水谷のYGサーブからの3球目という展開をうまくつくることはできており、この時からすでに大激戦となっていた。惜しくも逆転で敗れた試合だったが、ペア結成から2年がたった今なら、お互いがお互いのサーブの回転と、レシーブに“残っている回転”がわかってきている頃だろう。
2年前よりも完璧にお互いのサーブからの3球目攻撃を決めることができれば、最強中国ペアを倒し、悲願達成の金メダル獲得も期待できそうだ。
2つ目は、男子団体戦での精神的支柱としての役割。水谷に期待されているのは、最年長としてチームを引っ張ってくれる存在感だ。精神論になってしまうかもしれないが、「誰よりも経験豊富な水谷がベンチにいる」ということは、若い選手たちにとって途方もない安心感となることだろう。
3つ目は、その団体戦におけるダブルスだ。ここで注目したいのは「左利き・左利き」のペアとなる、丹羽孝希との異色のコンビだ。卓球の世界では一般的に「左利き・右利き」のペアが有利で左利きの利点を生かせる、しかし「左利きと左利きのペアは難しい」とされている。
左利き・右利きの場合、選手の間が広くて動きやすい上に、レシーブ時に左利きの選手は台のやや中央まで入り込んでさばくことができる。そのため、世界的にも『ダブルスの名手』といわれる選手は、左利きが多い。中国の許昕や、日本の森薗政崇などはその代表例だ。
しかし、「左利き・左利き」のペアは、本当に難しい。物理的に、左利きの選手がバックに来たボールに回り込もうとすると、パートナーが邪魔になり、回り込みにくくなる。この問題点を、水谷・丹羽ペアがどうクリアしてくるのか。どんな作戦があるのか。これは「男子団体戦における最大の見どころ」となるかもしれない。
右利きの張本智和がいるにもかかわらず、この「左利き・左利き」ペアが結成された背景には、水谷の「団体戦は、張本をシングルスで2回出すほうがいい」との発言があったといわれている。何よりチームの勝利を求め、そして「中国に勝つこと」を誰より願っている水谷らしい発言でもある。
2021年、夏。東京五輪。「中国は倒せる相手」だと誰よりも体現してきた男・水谷隼は、最後の最後に自らの手で「ほらね」とメダルを差し出して、そのことを日本中に証明してくれるかもしれない。
<了>
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