名守護神が悲憤に震えたCL一戦と代表戦。ブッフォンが胸中明かす、崩れ落ちた夜と譲れぬ矜持
“世界最高峰のGK”として君臨し続けたプロ生活28年――。17歳でプロデビューを果たし、史上最多10度のセリエA制覇を成し遂げ、45歳まで現役を貫いたジャンルイジ・ブッフォン。イタリア代表では史上最多キャップを誇り、2006年にワールドカップ優勝を成し遂げた。その輝かしいキャリアの裏には、無数の失敗、敗北、葛藤、そして“立ち上がる力”があった。本稿では『ジャンルイジ・ブッフォン自伝 何度でも立ち上がる』の抜粋を通して、“ジジ”自身が初めて語る挑戦の物語をひも解く。今回は、2017年から2018年にかけて経験した怒りと悲しみについて。
(文=ジャンルイジ・ブッフォン、訳=片野道郎、写真=AP/アフロ)
前人未到の7連覇達成と、CL奇跡の逆転劇への希望
2017/18シーズン、私は少し失望しながらも前向きにスタートを切った。ユヴェントスとは、このシーズン限りで退団するという合意を交わしていた。クラブはすでに抜かりなく私の控えとなるヴォイチェフ・シュチェスニーという優秀なGKを獲得しており、彼が翌シーズン以降に私の後継者となる計画だった。
リーグ戦では、素晴らしいチームだったマウリツィオ・サッリのナポリを抑えて優勝することになる。我々は数多くのタレント、そして強靭な意志を持ったチームだった。ただ、その支柱となるコアメンバーの間には、避けようのない疲労の兆しも見え始めていた。
この年で特に記憶に残っているのは、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)の準々決勝、マドリードでの第2レグだ。ホームでの第1レグは0-3で完敗していた。スコアだけを見れば絶望的だったが、それでも我々は、この相手にはまだつけ入る隙があるという感触を持っていた。それがベルナベウで逆転劇を演じようという不可能な挑戦を後押しした。
試合を前にした数日間は、奇妙な雰囲気に包まれていた。それは確信と力強さが入り混じった空気だった。前日には我が友デ・ロッシを擁するローマが、メッシ率いるバルセロナ相手に3点差をひっくり返す奇跡を起こしていた。
私はチームのWhatsAppグループにメッセージを書いた。自分でもやや狂気じみたと感じるモチベーションメッセージで、皆に響くかどうかはわからなかった。
「海は荒れていても、地平線は明るい」
しかしチームメイトたちは反応した。一人残らず全員が。
「やってやろう」
「できるさ」
運命のCL準々決勝、2試合合計3-3。奇跡が現実に
ピッチに出てスタンドを見上げると、イラリアと私の子供たちの姿が見えた。CL準々決勝で、しかも絶望的な状況の中、大切な家族全員が来ているのは珍しい。だがそれこそが、私たちの中で育っていた確信の証だった。「絶対に来てくれ。ベルナベウの夜はどんな時にも忘れ難いものになる」。
試合が始まり、私たちは前半に2点を挙げ、後半開始早々に3点目を奪った。あと一歩のところまで来ていた。
時計は残り1分を示していた。スタジアムは沈黙している。私たちが築き上げた結果は、2つの道を示していた。延長戦に持ち込むのか、それとも4点目を決めに行くのか。その数分間に味わった宙に浮いたような感覚を覚えている。
ベルナベウはまるで幽霊のように静かだった。そして、ボールがペナルティエリアに入ってくる。ベナティアとルーカス・バスケスが空中で競り合い、接触する。我々のDFがジャンプしながら相手にわずかに手を添えた。それはどの試合でも
起きている、無数の接触のひとつに過ぎなかった。ほとんどの審判はあれを取ることはしない。
ホイッスルが鳴りPKの判定が下された瞬間、目の前で起こっていることが信じられず呆然とした。世界が頭の上に崩れ落ちてくる。そして次の瞬間、自分の中でコントロールできない何かが爆発し、完全に正気を失った。
「せめてお前が与えたあの理不尽なPKを止めさせろ」
なんでこの試合で、歴史的な偉業が達成されようとしているその時に、最後の最後にPKをでっち上げるようなことをするのか――。私は主審に向かって走りながらこう言ったような気がする。
「こういう試合でそんな笛を吹くのか! そんなPKを取るのか!」
その後に起こったこと、私の反応、感情の爆発、記者会見での発言、それらすべてを、今では悔いている。あの言葉たちから距離を置きたいと思っている。
しかし主審は誤りをもうひとつ犯した。後ろから誰かに押されたと感じ、それを私のこれ見よがしの抗議の一環だと解釈して、私を退場にしたのだ。その時、私の中の非理性的な部分がさらに逆上した。
「せめてお前が与えたあの理不尽なPKを止めさせろ、プレーを続けさせろ、チャンスをよこせ」。しかし私はピッチから排除された。
その場では自分が退場になった理由が理解できなかった。少し後になって、あるチームメイトがこう言った。「ジジ、あれはうちの誰かが審判の脇腹を殴っちゃったからなんだ」。主審はそれを私の仕業だと勘違いしたということなのだろう。
この敗北について最後にどうしても少しだけ、耐えがたいポエムを呟くのを許してほしい。あれは、不屈の戦士たちと狂気じみた夢想家たちが、本当に記憶に残る偉業を成し遂げようとした試合だった。そして我々はそれをほぼ完遂しようとしていた。私はそう思いたいし、あの試合の中に本当に夢を生きているような瞬間があったことを知ってもらいたい。まるで気泡の中にいるような、周囲のすべてが幻のようで、作り物のようで、現実離れしている。そんな感覚を試合中に覚えたのは、おそらくあの時が唯一だった。
私がピッチを後にする時、ベルナベウは再び息を吹き返し、驚いたことに私は観客の多くから拍手を受けた。あの伝説的なサンチャゴ・ベルナベウとその素晴らしい観客は、その予期せぬ優しさで私に別れを告げてくれた。その振る舞いは私の心に永遠に残るだろう。そしてそれは、1週間前のCL第1レグでユヴェントス・スタジアムがクリスティアーノ・ロナウドのオーバーヘッドシュートに贈ったスタンディング・オベーションへの返礼だったのだろう。
2018年ロシアワールドカップ欧州予選の顛末
イタリア代表は、スペインと同組になった予選の影響もあって、ワールドカップ本大会への出場権を懸けてスウェーデンとのプレーオフに回ることになった。
当時のイタリアにとって、スペインは乗り越えるには高すぎる壁だった。スウェーデンは、私が「パフォーマンス型」と呼んでいるタイプのチームだった。彼らのサッカーはシンプルで直線的で無駄がない。サッカーのスタイルにも個々の選手にも、身体能力の高さと粘り強さが見られる。
もし私たちが10点満点で7点に値する試合をすれば突破できていただろう。だが実際には2試合とも6点程度の内容に終わり、サン・シーロでの第2レグでは痛恨のオウンゴールを挽回することができなかった(訳註:第1レグは0-1、第2レグは0-0)。
チームを率いていたジャン・ピエロ・ヴェントゥーラは、スケープゴートにされた。彼はサッカーのマエストロだが、トレーニングや戦術に関するものとは違う種類の資質が必要とされる代表監督よりは、クラブチーム向きの指導者だった。確かなのは、私たちは悪い内容の試合しかできなかったということだ。それに関して、彼が私たち以上の責任を負うべき理由はないと断言できる。
サン・シーロのスタンド下にある駐車場に降りていった時は、深夜だった。私の心は荒廃し、重く沈んでいた。イラリアが車の中で待っていた。その夜はミラノに泊まる予定だったが、まずはこの悲しみをなんとかしたかった。おそらく、私の人生における最大の失望だった。すべてのサッカー選手にとっての「ヘラクレスの柱」と呼ばれる、ワールドカップ5大会出場というタイ記録を打ち破ることが夢だった。それがほとんど実現しかけていた。しかし、チャンピオンズリーグ決勝、バロンドール、マドリードの夜、それらすべてと同じように、あと一歩のところで届かずに終わった。
誰もいないミラノの街を車でさまよった。深夜、いつもよりもさらに深い深夜だった。11月の月曜日、イタリアは敗れ、60年ぶりにワールドカップ本大会出場を逃した。それが現実だった。車の窓を下げ、湿って冷たいミラノの夜の空気を車内に流し込む。車を路肩に止め、エンジンを切って深呼吸した。煙草を吸う気にもなれなかった。
イラリアが私の手を握って、何かを囁いた。彼女のほうが私よりも悲しんでいるように見えた。私の中のとても深いところから、こんなことで誰かが苦しむのを許してはならない、という声が聞こえてくる。私は彼女を心配させたくなかった。むしろポジティブな何かを伝えたかった。だから、まだ希望が、リベンジの機会が残っていることを伝えたくなって、イラリアの目を見てこう言った。
「アモーレ、何が問題なんだ? 次のワールドカップに向けて準備しろってことだろ」
愛するサッカーとの決別に揺らぐ胸中
これだけ重い敗北の後、40歳になろうとしている自分が次のワールドカップ出場を目指すなど、正気の沙汰ではなかった。その時には44歳になっているのだ。
イラリアは戸惑ったような表情で私を見ていた。彼女は、私がそのシーズン限りで引退するつもりだったことを知っていた。だが同時に、彼女は気づいていた。私がその狂気の沙汰を、本気で考え始めているかもしれないことを。
サッカーとの関係はまだ終わっていなかった。愛し合うというのは、お互いを認め合えるということだ。あの11月の寒い夜、私はサッカーに愛されていると感じた。あれは人生の新しい段階への単なる通過点だったのかもしれない。
それから少し経った1月には、イラリアが私の40歳の誕生日のサプライズパーティを開いてくれた。家族と一緒に楽しい一日を過ごして、私はすっかり疲れていた。だが夕食の時間になっても家に帰ってくつろぐことなく、私はミラノ郊外のとある人里離れた田舎風レストランに連れて行かれた。「なんでまたこんなところで晩飯なんだ?」とイラリアに訊ねた。
中に入った瞬間、すべての友人たちがそこにいるのを見た。まさに伝説的な夜だった。最後にはお決まりの、ぞっとするような大合唱が始まった。「スピーチ! スピーチ!」。私は上機嫌で、少し酔っていた。マイクを手に取って勢いよく叫んだ。
「引退なんかしない! あと2年か3年はプレーするぞ!」。そう言いながらイラリアと視線を交わす。彼女はその決意をまったく知らなかった。簡潔かつ控えめに言うならば、それは驚愕の表情だった。テーブルに戻って彼女の手を取り、こう言った。「全部冗談だよ。本当にもう終わりだ」。
ドンナルンマを育て、交互に起用するという提案
ヴェントゥーラが代表監督を退任し、ジジ・ディ・ビアージョが暫定的に指揮を執ることになった。私は正式に引退表明はしていなかったが、もう代表で続けることはないのは明白だった。それでも、誇りによってかすかに燃え続けてきた希望の灯火は、まだ完全には消えていなかった。
新監督は、2月に私に電話をかけてきた。彼はイタリア代表で遠征を共にした仲間であり、私がこのユニフォームをどれだけ大切にしてきたかも、代表の世界をどれだけ知り尽くしているかも理解していた。私は、彼の電話が単なる形式的なものではなかったことに心地よい驚きを覚えた。
「ジジ、まだアッズーリに来る気持ちはあるか? 若いチームになったから、お前が助けてくれれば俺も安心できる」
彼は私の心の弦をうまく鳴らした。手伝ってほしいと頼んできたのだ。私を重要な存在だと感じさせてくれたし、非常にデリケートなタイミングであることも理解していた。私もそこにいればより安心だと考えていたのだ。彼の理想は、私とドンナルンマを交互に起用しながら、徐々にドンナルンマを代表の正GKに定着させていくというものだった。その提案は理にかなっていたし、その話に乗ることにためらいはなかった。
私は提案を受けた。
コヴェルチャーノ(イタリア代表が合宿を行うテクニカルセンター)の209号室に入った時、これが最後の何回かのひとつだとは感じていなかった。バックパックとスポーツバッグを、過去20年間ずっと置いてきたのと同じ隅に下ろす。それは無意識のうちに繰り返される動作であり、自分が遠い過去から変わらない時間の中にいる感覚を呼び起こした。
それなら代表から身を引くべきだ――「引退試合はやらない」
しかし、物事は予定通りには進まなかった。
私の招集が発表された翌日、新聞にはそれを好意的には受け取らない記事がいくつも掲載された。SNS上でも、より直接的な批判が噴出した。おそらく、一部の関係者(代理人? 幹部?)によって焚きつけられたものだったのだろう。その空気は否応なく、コヴェルチャーノの内部、チーム全体の雰囲気にも影響を及ぼすことになった。
攻撃の主な論点は、ブッフォンは40歳になってもまだ身を引こうとしない、というものだった。コンピュータで加工された私の老け顔の写真とともに「西暦2500年のワールドカップを目指す」というキャプションがついたミームが出回った。また「若手に道を譲ることを拒む執着心」などと、皮肉たっぷりのコラムも書かれた。だが、そうした高慢な断定を下す者たちは真実を知らない。私はスウェーデンに敗れた後、自分から身を引くつもりでいたのだ。
ディ・ビアージョはそんな騒動を鼻にもかけず、アルゼンチン戦のスタメンに私を送り出した。結果は0-2の敗戦だったが、私はいいパフォーマンスを見せた。
それでも私は考えた。私の存在がチームメイトたちにとって障害になるべきではない。私はプロジェクトにとって役立つと考えてくれていたとしても、助けになるどころか重荷になるのでは意味がない。
それなら代表から身を引くべきだ――。
新たにFIGC(イタリアサッカー連盟)の会長となったガブリエーレ・グラヴィーナは、トリノのユヴェントス・スタジアムで5月に行われる試合を、私の代表引退試合にしたいと提案してきた。
私はその提案をありがたく受け止め、笑顔で感謝の意を伝えた。そしてこう付け加えた。
引退試合はやらない。
(本記事は東洋館出版社刊の書籍『ジャンルイジ・ブッフォン自伝 何度でも立ち上がる』から一部転載)
※次回連載は2月20日(金)に連載予定
<了>
【連載第1回】ジャンルイジ・ブッフォンが語る「GKとしての原点」。困難を乗り越える“レジリエンス”の重要性
【連載第2回】伝説の幕開け。ブッフォンが明かす、17歳でセリエAのゴールを守った“衝撃のデビュー戦”
【連載第3回】世界最高GKが振り返る「ユヴェントス移籍の真実」。バルサ行きも浮上した守護神“ジジ”の決断
【連載第4回】モレーノ主審はイタリア代表に恩恵を与えた? ブッフォンが回顧する、セリエA初優勝と日韓W杯
【連載第5回】守護神ブッフォンが明かす、2006年W杯決勝の真実。驚きの“一撃”とPK戦の知られざる舞台裏
[PROFILE]
ジャンルイジ・ブッフォン
1978年1月28日生まれ、イタリア、トスカーナ州マリーナ・ディ・カッラーラ出身。世界最高のゴールキーパーの一人と称される。1995年にパルマでプロデビューし、ユヴェントスでは長年にわたり守護神として活躍。セリエA優勝やコッパ・イタリア制覇など数々のタイトルを獲得した。2006年のFIFAワールドカップではイタリア代表の優勝に大きく貢献。晩年は古巣パルマでプレーし、2023年に45歳で現役を引退した。その献身とリーダーシップは世代を超えて尊敬を集めている。
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