中村憲剛が感動し、鳥肌を立てた瞬間。震災から10年、陸前高田との特別な絆とは?

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2021.04.27

2011年3月11日に発生し、多くの命を奪った東日本大震災。あの日から10年がたった。震災発生後、定期的に陸前高田を訪れている中村憲剛は、引退直後の今年も現地に足を運んだ。オークションサイト『HATTRICK』を通したチャリティーオークションに参加するにあたり、社会貢献活動に対する考えと、陸前高田との10年間続く絆について語った。

(インタビュー=岩本義弘[REAL SPORTS編集長]、構成=REAL SPORTS編集部、写真=Getty Images)

東日本大震災から10年。フロンターレと陸前高田の絆

――中村さんは東日本大震災から10年がたった今年も陸前高田まで足を運ばれています。震災発生後、定期的に現地を訪れている中村さんの「クラブとして“支援はブームじゃない”を合言葉に陸前高田の皆さんとずっと付き合ってきた」というメッセージがすごく印象に残っています。

中村:10年たったからというわけじゃないんですけど、年を追うごとに交流の形が変わっていったんです。継続していくことでいろいろなものが見えてきた。それが1、2年で僕たちは手を引きます……だったら、当たり前ですけど、ここまでの関係性にはなっていない。そういう意味では大なり小なりですけど、継続することで生まれるものってたくさんあるなと改めて思います。

 今年に関していうと、引退して初めて単身で行かせてもらって、よりいろいろな人と交流もできました。被災地の「今」を伝え、風化させないことは自分の役割でもあると思います。そういう意味では、10年たった今、“支援はブームじゃない”という、言葉の重みを感じます。

――継続してずっと関わってこなかったら、そういう考え方も生まれなかったわけですよね。

中村:間違いなく生まれなかったですし、広がらなかったと思います。僕が一番最初に陸前高田に行った時に小6だった子が、今フロンターレで働いているんです。僕らがあの時一緒にボールを蹴ったことで彼にとってフロンターレがそういう存在になったんだなと考えると感慨深いですし、10年の活動が一つ形になった出来事かなと思います。あとは陸前高田に人工芝の素晴らしいサッカー場「川崎フロンターレ 東北のカリフロニアフィールド」ができていたのもすごくうれしくて。僕らとの交流を通して、ひょっとしたらそこにサッカー場をつくろうって町の方たちが言ってくれたのかもしれないですし。スポーツの力を感じましたね。

――テレビ番組を通して、中村さんがサッカー場を訪れる場面を拝見した時は、すごく感動的なシーンでした。

中村:本当に現地に足を運んだ時は鳥肌が立ちました。最初に行った時、あそこは一面がれきだったので……。ここから復興にいったい何年かかるんだろうと当時の自分は思っていたので。そこから10年たって、その間自分たちも通い続けていくことで、フロンターレに対する理解、スポーツに対する理解が、町の皆さんの中に広がっていることも年々感じていました。その結果、あそこに人工芝のフィールドと、奥にも楽天イーグルスの皆さんのサポートで完成した野球場「楽天イーグルス 奇跡の一本松球場」があるんですけど、それを見た時にすごく感動して……。

――そういった活動も、昨年王者というその強さの部分だけではなく、川崎フロンターレが多くのJリーグクラブ、そしてサッカーファンからリスペクトされる理由の一つだと強く感じます。

中村:サッカー選手、プロサッカークラブとしての、その存在価値を僕自身すごく感じさせてもらいました。地域貢献もそうだし、社会貢献もそうですけど、やっぱり積極的に自分たちが動いていくべきだなと、改めて感じる瞬間でもありましたね。

履いた瞬間にこれだと確信した「運命の一足」

――今回オークションサイト「HATTRICK」のチャリティーオークションに参加されるとのことで、現役時代からフロンターレ主導のものを含めてさまざまな活動に関わることが多かったと思いますが、チャリティー活動そのものに対してはどのような考えをお持ちですか?

中村:目的が不透明なものに関してはなかなか参加しにくいですが、目的がはっきりしているものであれば、選手としては非常に参加しやすいと思います。今回のチャリティーオークションのように自分が着用していたものを出品することで皆さんが喜んでくださり、その先の寄付先を含めて自分を介していろいろな人が笑顔になれるというのは、とてもいいことだと思います。こういった活動には選手時代から積極的に参加するべきだと思っていました。

――チャリティーオークションに出品するアイテムについてもお聞かせください。

中村:現役引退前、最後の天皇杯で履いたスパイクを出品します。

――最後の試合で履いたスパイクですか?

中村:アップも含めて当日に着用したスパイクが何足かあるので。そのうちの一足です。

――それはファンにとってたまらない本当に貴重なアイテムですね。現役時代はスパイクに対してどのようなこだわりを持っていましたか?

中村:フィールドの選手たちにとって、そこにしかこだわれないものがスパイクです。誰にとっても運命の一足があると思うので、僕にとってはそれがミズノの「モレリア」でした。

――「運命の一足」ですか。

中村:最初のフィッティングの時の直感がすごく大事で。学生のころからいろいろ履いてきましたけど、履いた瞬間にこれだと思えたスパイクがモレリアでした。他にもいくつかいいなっていうのはありましたけど、履いたあとに靴ずれも一切起こさなかったのはモレリアだけだったので。だから子どもたちにも「運命の一足を早く見つけてほしい」と伝えたいと思います。誰が履いているとか、色が好き、デザインがいいじゃなくて、履いてみてドンピシャの一足を。履いた時に、ほとんどの場合はあるんですよ、ここ足痛いな、違和感があるなとか。最初に履いた直感でそうなったスパイクはよくないので。幅広の人がいたり、甲が高かったり、いろいろな人がいると思うんですけど、たくさんのスパイクを履いてみて、アジャストしてほしいなと心から思いますね。

――すごく大事なメッセージですね。『REAL SPORTS』はスポーツをやっている子どもたちやその保護者、指導者も読んでくれているのでとても参考になる話だと思います。

中村:『REAL SPORTS』いつも読んでいますよ。基本的に記事をバーっと読む人間なんですけど、『REAL SPORTS』はある意味内容が濃いので、いつも腰を据えて読んでいます。本当にどの記事も面白いです、読んでいて。

<了>

“アスリートとスポーツの可能性を最大化する”というビジョンを掲げるデュアルキャリア株式会社が運営する「HTTRICK(ハットトリック)」と、アスリートの“リアル”を伝えることを使命としたメディア「REAL SPORTS(リアルスポーツ)」との連動企画として、【REAL SPORTS × HATTRICK チャリティーオークション】を開催。

REAL SPORTS × HATTRICK チャリティーオークション公式ページは【こちら】

PROFILE
中村憲剛(なかむら・けんご)
1980年10月31日生まれ、東京都出身。川崎フロンターレ・Frontale Relations Organizer(FRO)。久留米高校、中央大学を経て、2003年に川崎フロンターレに入団。2006年から5年連続、2018年から3年連続でJリーグベストイレブン8回受賞。2006年に日本代表にも選出され、2010年FIFAワールドカップに出場。2016年にJ1史上最年長の36歳でMVPを獲得。2017年のJ1リーグ初優勝、2018年のリーグ2連覇に中心選手として貢献。2019年11月に左膝前十字じん帯損傷という大ケガを負うも、約10カ月間の長いリハビリを経て、翌年8月の復帰戦でゴールを挙げるなど2020年の3度目のリーグ優勝に貢献。2020年11月に現役引退を発表。2021年4月、日本サッカー協会のロールモデルコーチ、グロース・ストラテジストに就任。

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