スロバキア語を1年で習得、最難関大学を卒業。羽根田卓也が体現する学びの楽しさ「人生が豊かになる」
強い意志と行動力で道を切り拓き、ストイックに自分と向き合いながら、5度目のオリンピックに挑む。カヌー・スラロームの第一人者である羽根田卓也の言葉には、経験から学んだ本質がつまっている。その「言葉の力」は、18歳で単身渡ったスロバキアでの経験も礎になっている。スロバキア語を1年で習得し、同国の最難関国立大学であるコメニウス大学の体育学科と大学院を修了。10年に及ぶ武者修行の中で身につけた技術と知性を、競技に活かしてきた。「学ぶことで人生が豊かになる」ことを体現してきたキャリアを、本人の言葉から紐解いていく。
(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真=YUTAKA/アフロスポーツ)
海外挑戦で広がった世界。「何のために行くかが一番大切」
――羽根田選手は18歳の時に単身スロバキアに渡って、国際大会で活躍してこられました。そのように前例を作った選手がいれば、後に続く選手にとっても海外挑戦はしやすくなると思います。日本とは異なる環境に飛び込む一番のメリットはどんなことだと思いますか?
羽根田:海外挑戦では、「自分が触れてきた価値観がすべてではない」ということを、いい意味でも悪い意味でもほとんどの人が体験するはずです。海外に行ってみることで視界がパッと開けて、日本で凝り固まっていた考えが馬鹿らしく思えたりとか、日本で信じてやり続けてきたトレーニング方法や「これが正しい」と思っていたことが根底から覆されて、必ずしも成功への近道ではなかったことに気付かされたり。僕の場合は、そこで自分の鼻っ柱を折られるという体験をしました。それって、すごくいいことだと思うんですよ。
――大きなショックを受けることからスタートしたんですね。
羽根田:そうです。最初は洗礼を受けるというか、自分が信じてきたことを否定されたりもするので、自信を打ち崩されることもありました。でも、打ち崩されることは、より高みを目指すための環境に飛び込んだからこそできる体験だと思うので、それは歓迎すべきです。もちろん、ちょっと歯は食い縛らないとダメですけどね(笑)。それはスポーツだけじゃなくて、どの領域でも言えることなのかなと思います。
――海外挑戦をしたいと思ったら、なるべく早い方がいいのでしょうか?
羽根田:それは一概には言えないですね。「何のために海外に行くか」が一番大切で、そのためにどのタイミングがベストなのかはそれぞれの領域で違う事情があると思います。僕の場合はスポーツの領域で、「カヌーという競技で世界で勝負をしたい」という目的があって、ライバルとなる選手が特にヨーロッパにたくさんいたので、彼らに勝てるだけの根拠を揃えるためにスロバキアに行きました。
オリンピックはカヌーの人工コースで行われますが、ライバルの選手たちが人工コースで練習しているのに、僕が自然のちょろちょろと緩やかに流れる川で練習していたら、勝てる理由にならないじゃないですか。その状況を変えるためには拠点を移して、海外の人工コースで練習しなければいけない。ただ、彼らは小学生の頃からその人工コースで練習しているわけですから、僕は18歳で行った時点で「もっと早く行ったほうがよかったな」と思いました。
――世界の勢力図や、環境面も熟考した上でタイミングを考えることが大切なんですね。ただ、環境によっては日本で基礎をしっかり作って、可能性を広げてから挑戦をする方がいいケースもあるということですよね。
羽根田:そうですね。ある程度、日本で経験を積んでから海外に行ったほうがいい場合もあると思うし、一刻も早く海外に行って海外の本場の強い人たちと一緒に戦った方がいい場合もあります。だから海外に行くことが必ずしも正解ではないし、行くタイミングも一概に早い方がいいというわけではないと思うので、自分の目的から逆算して考えるのがいいんじゃないかと思いますね。
なぜ、スロバキア語を1年で習得できたのか?
――スロバキアに渡ってから3年間は競技に集中されたそうですが、現地の言葉を1年で習得されたそうですね。スロバキア語は日本人にとってあまり馴染みがなく、習得も難しい言語と言われますが、習得する上でどんなことが効果的でしたか?
羽根田:それはもう、現地の人とひたすら触れ合うことですね。僕の場合、周りの人たちが英語を使えなくて、情報量が足りなかったので、スロバキア語でコーチングを受けたいと思ったんです。スロバキア語を覚えることによっていろいろなことを吸収できれば自分のカヌーの技術が格段に上がると考えて、一生懸命やり始めました。
「何のために言葉を覚えるか」が自分の中ではっきりしていれば、必要に駆られて頑張れるのですが、ただ「なんとなく英語を覚えたい」とか、「なんとなく外国語を話したい」という目的だと、なかなか続かないと思うんですよ。
――たしかに「なんとなく」だと、言い訳を作って先延ばしにしがちです。発音や文法、単語の暗記などはどのように積み上げていったのですか?
羽根田:机に向かうことは少なかったですけど、人と話したり、会話をよく聞くことは心がけていました。文法から学ぶのも大切ですけど、言語を習得する時に一番大切なのは伝えようとする気持ちだと思います。特にこちらが外国人の場合はその姿勢が何より大切なので、きれいにしゃべろうとか、正しい文法を使うことよりも、ジェスチャーも含めて「自分の思いをどう伝えるか」ということを一番大切にしていました。
――スロバキアに渡って4年目には、スロバキアの最難関国立大学と言われるコメニウス大学に進学して体育学科でコーチングを専攻されました。試験や論文など、日常生活とは異なる難しい局面もあったと思いますが、どのようにクリアしていったんですか。
羽根田:大学に進学してからはスポーツの専門的な知識や言葉も必要になったので、机に向かう時間が多くなりました。ただ、大学の大きな試験は口頭試験だったんですよ。それもやっぱり現地の人から学ぶのが一番だったので、授業が終わった後に片っ端からクラスメートを捕まえて、「ご飯をおごるから教えてくれ」と言って、分からないところを教えてもらっていましたね。
スロバキア最難関大学と大学院を卒業「学ぶことで人生が豊かになる」
――高校卒業後に日本の難関私立大からスポーツ推薦の話もあったそうですが、スロバキアの大学で学ぼうと思った原動力は何だったのですか?
羽根田:まず、環境面で質の高いトレーニングを続けるためにスロバキアの大学を選びました。大学での学びを通してスロバキア語の言語能力も格段にレベルアップしましたし、スポーツの学びを深めることでパフォーマンスも上がりました。
――卒業後は大学院も修了されています。学ぶことはすごくエネルギーのいることだと思いますが、それもアスリートとしての目的から逆算して大切なことだと考えていたのですか?
羽根田:趣味でも同じだと思うんですけど、どんな領域でも学びを深めれば深めるほど楽しくなってくるんです。僕の場合は茶道でも同じことが言えるのですが、表面的な知識しか持っていないとなかなか楽しめないんです。でも、学びを深めれば深めるほど、その奥深さが理解できるようになって、楽しくなりました。グルメもそうですし、ワインやアートも同じだと思います。だからこそ、普段から学ぶことに対して抵抗感を示さないようにしていて。覚えること自体は大変だったり、辛いこともあると思いますが、学んでいくことでその先の人生が豊かになって、楽しいことがたくさん起こると思っています。
僕はスロバキア語を学んだことで、カヌーの技術だけじゃなくて、スロバキア人の文化や国民性が理解できるようになって良かったですし、大学では人間の体のことや生理学まで掘り下げることで、自分のパフォーマンスにも活かすことができたので、学ぶことが楽しくなっていきました。
――他の選手に指導をする際にも、それは生きていると実感しますか?
羽根田:そうですね。やはり学術的なことを学ぶと、自分が持っていた既成概念とか自分だけの視点から外れて、客観的に自分を見ることができるので。コーチングに関しても自分の主観だけではなく、客観的に見て目の前の選手が今どういうことに悩んでいるのか、どうパフォーマンスを上げたらいいのか、ということを理解した上で伝えることがすごく大事になります。だからこそ、視点・視野を広げるための学びは、大学だけに限らず必要なことだと思います。
伝える時に大切なことは「人がどう受け取るか」
――ご自身の経験に基づいた感覚を、誰にでもわかりやすい言葉で丁寧に言語化されていますよね。「伝える力」については、どんなことを意識されていますか?
羽根田:やっぱり言葉の力ってすごいものがあって、同じニュアンスとか同じ内容を伝えても、伝え方一つで、人の受け取り方は大きく変わります。インタビューに答える時には、自分が何をしゃべりたいかじゃなくて、「人がどう受け取るか」を考えるようにしているんです。それはメディアのインタビューとかテレビで、自分を通してトライアンドエラーで反省を重ねて学んだことです。
人がそれを見て、聞いて、受け取った時にどう感じるのかということをイメージしながらインタビューや振る舞いを考えることで、本当に伝えたいことがすんなり伝わったり、人を傷つけないようにアドバイスができるようになったんじゃないかと思います。
――パリ五輪について、「オリンピックへの挑戦や体験、感動を共有したい」とおっしゃっていましたが、羽根田選手の発信に注目が集まる1年になりそうですね。最後に、パリ五輪でのカヌー競技の見どころと、読者へのメッセージをお願いします。
羽根田:前回の東京五輪は無観客で、本来のオリンピックの姿ではなかったと思うのですが、今年のパリはきっとカヌー競技も超満員になると思いますし、オリンピックならではの雰囲気を味わっていただけると思います。その中で結果を残すことで、皆さんにより大きな感動を届けられるように頑張ります。
【前編はこちら】羽根田卓也が5度目の挑戦にかける思い。東京五輪で区切りをつけた「自分にとってのオリンピック」とは?
<了>
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[PROFILE]
羽根田卓也(はねだ・たくや)
1987年生まれ、愛知県豊田市出身。ミキハウス所属。父と兄の影響で9歳の時にカヌーを始め、高校卒業後に単身、カヌー・スラロームの強豪国であるスロバキアへ渡り、同国を拠点として10年に渡り活動。オリンピックは2008年北京大会で初出場し、ロンドン大会では7位入賞。リオリオデジャネイロ大会ではアジア初となる銅メダルを獲得し、東京五輪では10位。昨年10月に行われたアジア大会で優勝してパリ五輪出場権を獲得し、5大会連続のオリンピック出場を決めた。
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