10代で結婚が唯一の幸せ? インド最貧州のサッカー少女ギタが、日本人指導者と出会い見る夢
インドのビハール州ブッダガヤに常設のサッカースクール『FC Nono』を開設した日本人・萩原望。ただし、FC Nonoの活動は日本人の想像する単なるサッカースクールとは少し異なる。児童労働、児童婚、性差別……。ブッダガヤの子どもたちを取り巻く環境を変えたいとの思いが込められ、「努力が報われる社会」の実現をビジョンに掲げている。サッカーボールを通じた萩原とギタの出会いが生んだ物語とは――。
(文=大塚一樹、写真提供=Copyright ©2021 by FC Nono)
インドの少女、ギタは夢を見ない
インドの北東、ネパールと国境を接するビハール州の州都・パトナから車で4時間ちょっと行ったところにあるブッダガヤに住む13歳の少女ギタは、それまでの人生で一度も夢を見たことがなかった。
もちろん眠っている間に夢を見ることはあったが、自分の将来に希望を抱き、「なりたい自分」を思い描く“夢”を持つことはなかった。そもそも自分の未来にどんな可能性があるのかを知らなかったのだ。
インドでは18歳未満(男子は21歳未満)の子どもが結婚をする児童婚が根強く残る地域が存在する。結婚とは何か?を十分に理解できない10代前半の少女たちが、自分の意志とは半ば無関係に親同士が決めた結婚を強いられている。
「ギタと出会ったのは、2021年の8月頃ですから、彼女が10歳くらいだったのかな? この子がギタだというのは、後から認識したのですが、食糧配給に並ぶ100人くらいの子どもたちの中にいたのを見たのが最初でした」
物語の主人公、ギタについてこう語るのは、ブッダガヤで子どもたちにサッカーを教えるスクールを運営している萩原望。
2020年、国際協力NGOの農村開発プログラムでブッダガヤを初めて訪れ、子どもたちにサッカーを教える活動をきっかけに自身も大学まで打ち込んでいたサッカーで、ブッダガヤの子どもたちを取り巻く環境を変えたいと、常設のサッカースクール『FC Nono』を開設した日本人だ。
10代前半での児童婚・性差別・人権問題……インド最貧地域の社会課題
「インドの経済的発展は目覚ましく、首都ニューデリーをはじめとする主要都市はビルが建ち並ぶ見慣れた光景でした。しかし、ビハール州、ブッダガヤと都会の喧騒から離れるにつれて発展するインドの一部だけを見ている分には気づかなかったさまざまな問題が見えてくるようになりました」
ビハール州は、インドの中でも貧困層が多く居住する地域で、インド政府の統計機関によると、インドで最も貧しい州とされている。中でもブッダガヤはその名に“ブッダ”を冠するように、2500年前に釈迦が悟りに達した聖地として多くの仏教徒が訪れる観光地としての一面を持つ一方、昔ながらの決して効率的とはいえない農業に従事し、粗末な藁小屋で夜露をしのぐ貧困層も少なくない街でもある。
「そういう地域ですから、子どもたちは十分な教育も受けられず、識字率も低く、児童労働、児童婚、性差別といった社会問題が、問題や課題として目立たないくらい普通に存在していました」
インドの地方部では、かつてのヒンドゥー教による身分制度、カースト制がいまだに根強く、実際、萩原が開いたサッカースクールに通う子どもの9割以上が、最下層のダリット(不可触民)に属している。インドでは、1950年には法的に「カースト制度に基づく差別」を禁じているが、身分、居住地域による経済格差には大きな変化は見られない。
貧困地域では、特に児童婚が多く見られる。婚姻の際に新婦側からダウリーと呼ばれる結婚持参金を贈る風習があり、そもそも女子の誕生が歓迎されない空気がある。その上、女性の年齢が上がれば上がるほどダウリーの額も増えるため、できるだけ早く結婚を決めてしまいたいという家庭の事情もある。
インドでもマハトマ・ガンジーやジャワハルラール・ネルー元大統領が独立運動を主導していた旧英領時代の1929年にすでに18歳未満の児童婚は法律で禁止しているが、風習や経済的事情による児童婚が現在でも当たり前に行われている現状がある。
「ギタは7人きょうだいで、上には4人のお姉さんがいるのですが、上の3人のお姉さん達は10代ですでに結婚しています。でもお母さんも代々そういう環境で育ってきていますし、早く結婚相手を見つけてあげること、結婚することが娘にとっての幸せにつながるという価値観も感じられるんです。外の世界を知らないから、それが当たり前でそれ以外の可能性に目を向けることができない。そういう根深さは感じました」
世界経済フォーラムが毎年発表しているジェンダーギャップ指数は、近年日本でも話題になるが、2024年のランキングでは調査対象の156カ国中、インドは129位。日本が118位なので、上から目線でこの問題を語ることはできないが、貧困地域からみれば「やむを得ない」児童婚の問題が暗い影を落としているのは間違いない。
サッカーを媒介に世界に触れ、自分の“if story”を思い描くきっかけに
「自分の子どもの頃を考えると、ただサッカーが好きで、サッカーボールを追いかけている先にプロサッカー選手になるという夢があって、残念ながらその夢は叶わなかったけど、その道の途中で多くを学んで、大学進学だったり就職につながっていったという思いがあります。ブッダガヤの子どもたちにもサッカーを通じて、自分たちの知らない世界、認識していなかった権利、新しい価値観や自分の可能性に目を向けてもらえたらと思ったんです」
高校時代の萩原は大分トリニータのユースチームに所属し、未来のJリーガーを夢見ていた。トップチーム昇格はならず3歳のときに初めてボールを蹴ってからの夢が叶うことはなかったが、進学した立命館大学ではサッカー部に所属しながら難民支援などの社会貢献活動にも参加した。卒業後は、トヨタ自動車に就職し充実した日々を過ごしていたが、「サッカーで学んだ大切なこと」を生かせる道を模索し、NGOの活動に参加、インドに赴任し、ギタやブッダガヤの子どもたちに出会うことになる。
FCNonoを立ち上げて3年、萩原自身が驚くほどのスピードでブッダガヤの子どもたちの眼差しは変わっていった。
家事の手伝いをするために家から離れられず、男性、ましてや外国人である萩原を遠巻きに見るだけだったギタは、男の子たちに交じってサッカーボールを追うようになって本来持っていたであろう積極的な性格が前面に出るようになった。
初期メンバーとして女子の中では一番のキャリアを持つギタは、サッカーの技術が向上するにつれ、女の子の中でリーダーシップをとるようになり、新しく加わった子どもたちに自らサッカーを教えるようになったのだ。
サッカーを通じて人権、ジェンダー、環境問題、リーダーシップを学ぶ?
FCNonoは、単にサッカーを教えるスクールではなく、サッカーを通じて、まずはブッダガヤに「努力が報われる社会」を実現したいということをビジョンに掲げている。
「サッカーだけではなく、提携している都市部のNGOから女性コーチを派遣してもらって、人権、ジェンダー平等教育、リーダーシップ研修など学校では教えてくれないことを学ぶ機会も提供しているんです。またJICAやヤクルトと共同で食育や栄養指導、保健衛生指導も実施しています。専任のコーチ1人の他に、サッカーのスキルを教えてくれるコーチと、ライフスキルについての講義をしてくれるコーチの3人体制でスクールを行っているのですが、面白いのは子どもたちが心待ちにするのはサッカーのスキル練習なのに、印象に残ったことや感想をレポートしてもらったり聞いたりすると、人権、ジェンダーや環境問題、リーダシップに対するものがほとんどなんですね」
ボールを蹴るのが楽しい! だから毎日通いたい! 素朴な動機で始まった子どもたちの行動が、それまで見えていなかった世界に触れ合うきっかけになり、将来の「もしも」、自らの“if story”の選択肢を広げる可能性を生んだ。
「別に『貧困から抜け出すためにプロサッカー選手になろう!』というスクールではないんです。将来的にそういう選手が出てきてくれたらもちろんうれしいですが、自分が努力したことが報われる、例えばギタなら、お姉さんたちと同じように、結婚することだけが人生の選択肢で親孝行でもあるという限定的な幸せの価値観ではなくて、もっといろんな可能性があること、自分にできることがあるという自信を持ってもらいたいという思いのほうが強いんです」
萩原が活動のベンチマークにしているアメリカ人の社会活動家のNGO(Yuwa)がビハールの下のジャールカンド州で運営するスクールでは、サッカーを教えつつ子どもたちの教育にも注力し、すでに国内の有名大学はもちろん、ハーバード大学など世界的な有名大学への進学者も輩出している。
そこで子どもたちの指導に当たっているのは先輩でもあるガールズコーチたち。女の子がスポーツをすること、ましてやサッカーをすることに懐疑的な目を向けられることも少なくないインドで、女の子が女の子にサッカーを教えるというのはそれだけでエポックメイキングな出来事だ。
「この光景をギタにもどうしても見せたくて」
萩原はFCNonoの選手たちを伴って定期的にこのスクールを訪れている。最初の訪問では、その規模に驚いていたギタだったが、同じ年頃の女の子がサッカーを教えている姿に大きな刺激を受けた様子だった。
同じような環境で育った子たちが、堂々とリーダーシップを発揮している。しかもこのスクールではピッチの公用語は英語という徹底ぶりだ。
身近なロールモデルを得たギタの行動は翌日からはっきりと変わったという。
13歳になったギタは夢を見る
「子どもの幸せは結婚にある」と信じていたギタの両親にも変化が見られるという。当初態度にこそ出さないがサッカーをすることを歓迎しているとは言い難かった母親は、前向きに努力するわが子の姿に少しずつ協力的になり、2回目のYuwaスクールへの遠征には「自分も行きたい」と帯同した。
「一緒に施設やサッカー指導やさまざまな教育を行っている場所を見て、これまでほとんど村から出たことがなかったから知らなかった世界があるということに何か感じるものがあったようです」
活動開始当初は、人身売買を疑う両親に説明に行ったり、家事をさせる時間を奪われるという苦情に対して萩原自身が食器洗いに出向いたりすることもあった。
しかし、ギタが徐々に自分が触れられる世界、知覚できる未来を広げていったように、ブッダガヤの子どもたち、女の子たちは徐々に太陽が昇っている時間にも夢を見るようになった。
FCNonoでは今年、ブッダガヤからインドサッカーの聖地・コルカタまでの約500kmをドリブルで走破するギネスチャレンジなど、ジェンダー平等と草の根のスポーツの重要性を伝えながら、子ども達の日本遠征の資金調達のためのさまざまな計画を準備している。
ギタは夢を見なかった。しかし、13歳になった現在、ギタは自分の未来に夢を見ている。
法律が変わり、時代が移り変わり、半世紀以上を経ても厳然と変わることのなかったブッダガヤの閉ざされた強固な価値観が、サッカーというスポーツを通じて見るようになった「ギタの夢」によって徐々に変わり始めている。
<了>
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[PROFILE]
萩原望(はぎはら・のぞむ)
岡山県出身。3歳からサッカーを始め、大分トリニータU-18、立命館大学でプレー。大学卒業後は2016年にトヨタ自動車に就職するも、国際協力への強い思いから会社を辞め、国際協力NGOに就き、2020年からインド・ブッダガヤの農村開発プログラムに携わる。2021年にFC Nonoの活動を本格的にスタート。2022年からは、同インド・ハリヤナ州グルグラムにある会計監査法人Ernest&Young(EY)インド法人勤務に職を移し、FC Nonoのクラブ運営を継続。2024年3月から本業としてFourth Valley Concierge Corporationにて南アジア人材の就業支援を行う事業に従事。
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