「周りを笑顔にする」さくらジャパン・及川栞の笑顔と健康美の原点。キャリア最大の逆境乗り越えた“伝える”力

Career
2024.10.08

フィールドホッケーは、時速100〜130kmのスピードでボールを操り、華麗なパス回しでゴールを奪う。難易度の高い技術や連係が必要とされるからこそ、「仲間とパスをつないでシュートを決めた時のよろこびは何倍にもなる」と、さくらジャパンの及川栞は言う。3歳でホッケーを始め、オランダで日本人女子初のプロ選手としての足跡を刻んだ。代表ではコミュニケーション力の高さと生来のポジティブな性格でリーダーシップを発揮し、アスリート界の交友関係も幅広い。所属企業では化粧品ブランドのキャンペーンモデルを務めるなど、笑顔と健康美を象徴する女性トップアスリートの一人でもある。その原動力とキャリア、未来図について話を聞いた。

(インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真提供=及川栞)

選手村では他競技アスリートとの交流も。「私から話しかけちゃいます」

――パリ五輪期間中、なでしこジャパンの長野風花選手とのツーショットを筆頭に、さまざまなオリンピアンたちとの写真をSNSに挙げていましたね。

及川:(長野)風花とはめっちゃ仲がいいんですよ。ランニングのトレーナーさんがお互いを紹介してくれて、風花も同じ低酸素トレーニングに来ていたことがきっかけでいろんな話をするようになりました。その時はまだ風花が(マイナビ)仙台でプレーしていたので、トレーニング場でも会ったりしていました。イングランドに行ってからは、「次に再会するのはオリンピックだね」と話していたんです。パリでは選手村を案内しました。なでしこジャパンでは熊谷紗希も仲が良いです。

――選手村でしか体験できないようなアクティビティもあったのですか?

及川:選手村の中に、ユニークな郵便局があったんです。そのオフィスで写真を撮って自分たちの顔写真付きの切手を作ることができて、そこにあったポストから国際便でどこにでも手紙やハガキを届けられるんです。そこでチームメイトとも撮りましたし、バスケの(馬瓜)エブリンや宮崎早織とも仲がいいので、一緒に撮りました。

――他のアスリートとの写真も多く、競技の垣根を越えて交友関係が広いですよね。どんなことがきっかけで友達になるのですか?

及川:たとえばオリンピックの選手村で宿泊棟のエレベーターが一緒になった時に、「何の競技ですか?」って声をかけたところから話が広がって、お名前を聞いたりします。今はSNSの時代なので、話した後にお互いのインスタを探してフォローすることもありますし、共通の友達がいるところから話が広がることもあります。

――基本的に、及川選手から話しかけているんですか?

及川:そうですね。2、3回目が合ったら、「もしかして私のこと知ってるのかな?」とか、「誰かの友達だった気がする」と思って(笑)、私から話しかけちゃいますね。

心と体の健康を維持する原動力は?

――幼少期はバレエやピアノもやっていたそうですが、他のスポーツがホッケーに生きていることはありますか?

及川:父が機械体操の選手で、その後、学校の教員として部活を教えていたんです。その影響で、私は小さい時から毎日ストレッチや開脚をしていたので、それがバレエに生きました。母から教わったホッケーと、父から教わったその柔軟性と、水泳をやっていた時に身についた肺活量などがバランスよく、ホッケーをやる上でのベースになったと思います。

――「周りを笑顔にする」と言われる及川選手のポジティブさや、トレードマークとも言える笑顔は、どんなことが源になっているのですか?

及川:自分の好きなことをやれているからだと思います。ホッケーもそうですし、もともと美容が好きだったこともあって、美容業界の会社でもお仕事できていることも私の原動力です。好きなことを、やりがいを持ってできているから、常に笑顔で日々を楽しめるし、自分らしくいられると思います。それが周りから見て「楽しそうだね」と言われることにつながっているならうれしいですね。

――普段は化粧品や理美容機器を扱うタカラベルモントの人事部に所属されていますが、どのようなお仕事をされているのですか?

及川:たとえば、私が今までホッケーを通じて経験してきたこと、自分の夢を諦めずに歩み続けてきたキャリアで大切にしていることを、美容学校の生徒さんたちに講演会で伝える活動をしています。2023年には、タカラベルモントのブランドでキャンペーンモデルも務めさせてもらったりもしました。ホッケーは炎天下で練習や試合をすることも多いので、新商品を使ってみたリアルな感想を伝えたり、商品の使い方について意見を交わす会議に参加したりもしています。

――日々の健康やコンディション面では、どんなことを大切にしていますか?

及川:年齢を重ねる中でも、ケガがないことは自分の大きな強みですし、好きなことができるベースになっています。ケガをしない体づくりをするためには日々の積み重ねが大切で、毎日の食事やセルフケアを大切にして、痛みがあれば正直に向き合うようにしています。その上で、疲れをどれだけ早くリカバリーして次のトレーニングに備えるか。心と体が健康でなければ好きなことはできないと思うので、そのために必要なことは何かを考えながら取捨選択をするようにしています。

――それが内面からにじみ出る健康美につながっているんですね。食事は、どんなものをよく食べますか?

及川:ご飯が大好きなので、白米は毎日よく食べていますね。

――美容のこともよく発信されていますが、普段から意識されていることは?

及川:他の人よりも太陽を浴びているからこそ、毎日フェイスパックは欠かさず、よく水分補給をして新陳代謝を良くするようにしています。もともと汗かきなので、水は飲もうと意識しなくてもかなりの量を飲んでいると思います。あとは、サプリメントもうまく取り入れています。

海外で直面したキャリア最大の逆境

――2016年から3シーズン、最高峰のオランダでプレーし、19、22年はオーストラリアのリーグに期限付き移籍もされました。海外でプレーすることの醍醐味はどんなことだと思いますか?

及川:一アスリートとして、競技のスキルの引き出しが増えることはもちろんですが、文化も言葉も違う場所で一人で生きていくことで、メンタルの強さや柔軟性が養われます。自分が思っていること、考えていることが日本語のようにスムーズには通じないし、その場所で生きていくためには自分で問題を解決しないといけない。生きるか死ぬかの瀬戸際で日々試行錯誤しながら、一人の人間として生き抜くための柔軟性が身について、人間味も増していくんじゃないかと思います。

――その中でも、及川選手にとってキャリア最大の逆境はどんなことでしたか?

及川:「言葉が通じないことがこんなにもつらいのか」ということは、現地で痛感した壁でした。そのことで落ち込んでも、周りの助けを待っているだけでは何に苦悩しているのかが周りに伝わらないので、葛藤しました。その時は、「いつもと様子が違うし、調子おかしいね」と言って支えてくれたチームメイトがいたことが大きかったですし、チームメイトに自分から思いを伝える大切さを身に沁みて感じました。

――気持ちを正直に打ち明けて、周囲も変わっていったんですか?

及川:そうです。最初は、「言葉が通じないことが悔しい」と、自分からは言いたくなかったんです。でも、寄り添ってくれたチームメートに対して、「伝えることによって何かが変わるかもしれない」と思って、泣きながらしゃべったんですよ。「自分が伝えたいことがあって、もっと英語を話したいし、伝えたい」と。そうしたら、次の日から周りが変わっていってくれて。「しー(愛称)に対しては簡単な単語で伝えてあげよう」と、チームのみんなが意識してくれるようになったんです。自分が思うことを伝えたり、相談することは勇気がいることですが、思い切って相談すれば、助けたいと思ってくれる人たちが助けてくれる。自分も同じ立場の人に会ったらそうしたいと思ったし、それが海外でコミュニケーションを取る上では大切なことだと学びました。

――オーストラリアでは「ほほえみの暗殺者」「磁石のようなディフェンダー」と呼ばれていたそうですが、選手としては、そんなふうに評されるのはどんな思いですか?

及川:最初に聞いた時はすごい表現だな、とびっくりしました(笑)。ただ、それほどオーストラリアでも嫌がられている守備が私の強みなんだなと、改めて実感しました。

さくらジャパンを目指す子どもたちへ

――2大会目のオリンピックを終えたばかりで少し気が早いのですが、今は4年後のロサンゼルス五輪や、ご自身のキャリアの未来図をどのように描いていますか?

及川:現役はまだ続けたいので、プレーを通じて次世代に伝えていきたい部分もありますし、いろいろな活動を通して「さくらジャパン」になりたいという子どもたちを増やすことや、日本ホッケー界を強くして、世界で勝っていくための活動を続けていきたいと思っています。

――最後に、さくらジャパンを目指す子どもたちへのメッセージをお願いします。

及川:もしも自分がやりたいと思っていることや、「こうなりたい」と思ったことがあるなら、まずは考えずにチャレンジしてほしいし、行動に移すことを意識してみてほしいです。その上で、自分らしくいられることや、好きなことを見つけてほしいなと思います。

【連載前編】「ホッケー界が一歩前進できた」さくらジャパンがつかんだ12年ぶりの勝利。守備の要・及川栞がパリに刻んだ足跡

<了>

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[PROFILE]
及川栞(おいかわ・しほり)
1989年3月12日生まれ、岩手県出身。元日本代表の母の影響で3歳のときにホッケーを始め、不来方高校、天理大学を卒業後、ソニーHC BRAVIA Ladiesで7 シーズンプレー。2013年に代表入りすると、16年に世界ランキング1位のオランダ・HCオラニェ・ロートに期限付き移籍し、18年には正式加入。同年、アジア大会で優勝し、アジア女子最優秀選手賞を受賞した。19年からは東京ヴェルディホッケーチームに籍を移し、同年と22年にはオーストラリア最高峰リーグ「ホッケー・ワン」への期限付き移籍も。同リーグMVP(2019年)とベストイレブン(2022年)にも輝いた。粘り強い守備と統率力を武器に、さくらジャパンの守備の要として、東京五輪とパリ五輪に出場。競技の普及活動に携わり、所属するタカラベルモントでは化粧品ブランドのキャンペーンモデルを務めるなど、幅広く活動している。

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