
髙橋大輔は、アイスダンスで新たな物語を魅せてくれるはずだ。天性の踊る才能と表現力
9月、フィギュアスケート男子シングルの髙橋大輔が、2020年1月から村元哉中をパートナーとしてアイスダンスに転向することを発表した。氷上で見る者を圧倒する天性の才能、表現を追求し続ける姿勢。33歳にしてさらなる成長を求めた舞台で、髙橋はどんな未来を見せてくれるのだろうか――。
(文=沢田聡子、写真=Getty Images)
コアなファンほどアイスダンスを好む傾向にある?
日本は、今や世界で最もフィギュアスケート人気が高い国だといっていい。しかし日本代表の国際大会での成績を見ると、男女シングルでは強さを発揮しているものの、カップル競技は世界との差を感じさせられる状況が続いている。世界トップレベルのアイスダンスを見ていると、滑らかなスケーティングと洗練された所作に魅せられると同時に、いつか母国の代表がそこに加わって競うことを夢見てしまう。
フィギュアスケートの試合会場で親しくなった記者には、実は種目の中でアイスダンスが一番好きだという人が多い。2017-18シーズン、四大陸選手権で銅メダルを獲得、平昌五輪で日本勢最高タイの15位、世界選手権では日本勢最高の11位となり、未知の高みへ達する気配を感じさせていた村元哉中&クリス・リードが、そのシーズンオフにカップルを解消したことは驚きと大きな落胆を持って受け止められた。これはオフレコでの話だが、男子シングルの若手でアイスダンスに向いていると思われる選手を、思い思いにリストアップしているのを耳にしたこともある。だが、まさかあの髙橋大輔がアイスダンスに転向し村元とカップルを組むことは、誰も予想していなかったのではないかと思う。
私見では、フィギュアスケートのコアなファンほどアイスダンスが好き、という傾向があるように感じる。それは男女シングル/ペアと比較しても、フィギュアスケートの根幹にある“スケーティング”と“踊り”の部分が最も際立つ種目だからだろう。
アイスダンスには緻密な滑りと高レベルの技術が要求される
一般的によくあるのは「カップル競技のアイスダンスとペアはどこが違うのか」という問いだが、単純にいえばその一番の違いは「空中でたくさん回る技があるのがペア、ないのがアイスダンス」だと説明できる。ペアには2~3回転のソロジャンプ(男性・女性がそれぞれに跳ぶジャンプ)や2~4回転のスロージャンプ(男性が放り投げるかたちで女性が跳ぶジャンプ)、2~4回転のツイストリフト(男性が女性を放り投げて回転させ、受け止める)があるが、アイスダンスではジャンプは1回転半まで、リフトの高さは頭までと決められている。その特性から、ペアの女性は小柄で愛らしいタイプが多く、対してアイスダンスの女性は背が高く大人びたタイプが多い。また芸術的な要素が多いアイスダンスは、プログラムに物語があり、それぞれのカップルがかもし出す個性の違いが際立つ。男女2人が音楽、またパートナーと調和して滑り、踊る技術を競うのがアイスダンスなのだ。
ここで強調したいのは、アイスダンスはジャンプがないから簡単、ということではまったくなく、別の種類の難しさがあるということだ。アイスダンスの基本となっているパターンダンスは、以前はコンパルソリーダンスという名前の独立した部門だったが、現在は部門としては廃止され、リズムダンスにパターンダンスが含まれている。リズムダンスでは、シーズンごとに課題が変わるパターンダンスを正しく滑らなくてはならず、その評価が得点を大きく左右する。華麗で自由に見えるアイスダンスは、実は決められた軌道を正しいエッジできっちりと滑っていく緻密さと、それを可能にするスケーティング技術が高いレベルで要求される競技でもある。
“表現”を追求し続ける髙橋大輔にとって魅力的に映った
アイスダンス転向を表明した髙橋大輔の踊る才能については、世界中の誰もが認めるところだ。髙橋がリンクでステップを踏む前にフェンスを背にすると、華麗なステップを期待する観客から歓声が上がる。そして髙橋が氷上で音楽を自在に表現できるのは、卓越したスケーティング技術があるからだ。
同時に髙橋は、4回転ジャンプにも常にこだわりを見せてきた。銅メダルを獲得した2010年バンクーバー五輪では転倒したものの果敢に4回転を跳び、引退後復帰した昨季の全日本選手権でも4回転に挑んだ。ただ近年の男子シングルで勝つためには4回転1つでは足りず、複数・数種類の4回転を跳ぶことが必須になりつつある。
ダンスの振付師が手がけた今季の髙橋のショートプログラム『The Phoenix』は、ジャンプが必須である男子シングルのプログラムとしては、極限までハードな振付になっているように見受けられる。フィギュアスケートにおける表現を追求する髙橋の姿勢が垣間見えると同時に、男子シングルではこれ以上激しく踊れないのでは、という一種の限界も見えるようなプログラムだ。しかし髙橋が踊りとスケーティングの才能を生かし、現役選手としてさらに上を目指す道として、アイスダンスという意外な進路があったことはうれしい驚きだといえる。
また、2人で滑るカップル競技は1人で滑るシングル競技に較べ、描けるストーリーの幅が広がる。フィギュアスケートの定番曲であるクラシックやオペラの背景には、恋愛を含む物語があることが多い。引退していた時期にはダンスの舞台に出演し、この夏に出演した新しいスタイルのアイスショー『氷艶 hyoen2019 -月光かりの如く-』では台詞や生歌にも挑戦して、表現者として成長を続けてきた髙橋にとり、表現できる物語が広がるアイスダンスが魅力的に映ったのは必然だったのかもしれない。
以前からアイスダンスが好きでよく見ており、引退後に趣味として取り組もうと思っていたという髙橋は、憧れのカップルが何組もいるという。近い年代では、テッサ・バーチュー&スコット・モイア(カナダ/バンクーバー五輪・平昌五輪金メダリスト、ソチ五輪銀メダリスト)、メリル・デイビス&チャーリー・ホワイト(アメリカ/ソチ五輪金メダリスト、バンクーバー五輪銀メダリスト)を挙げている。そして、バンクーバー・ソチ五輪当時にバーチュー&モイア、デイビス&ホワイトを指導していたマリーナ・ズエワ コーチが、村元&髙橋を指導する。
シングルから転向した経歴を持つ村上&髙橋に期待する、華麗な化学反応
この2組と村元&髙橋の決定的な違いは、アイスダンスカップルとしてのキャリアの長さだろう。バーチュー&モイア、デイビス&ホワイトがどちらもジュニア時代から組んでいたカップルだったのに対し、村元&髙橋は二人ともシングルを経験してから転向した経歴を持つ。そのキャリアの相違は、アイスダンスがポピュラーである北米に対し、シングルが中心になっている日本のフィギュアスケートを象徴しているともいえる。
ただ、だからこそ村元&髙橋には健闘を期待したい。アイスダンスは、ジャンプがないシングル競技などではなく、まったく別の魅力を持つ美しいスポーツだ。シングルも経験している二人だからこそ、シングルとは違うアイスダンスの魅力を、大きく広がりを見せている日本のフィギュアスケートファンに発信してもらいたい。髙橋大輔を見たくてアイスダンスを観戦した人が、アイスダンス自体の魅力に取りつかれる現象はきっと起こるはずだ。
深いエッジで、重厚なクラシックから米人気歌手プリンスのナンバーまで完璧に踊りこなすバーチュー&モイアは、リンクに出てくるだけで会場を二人の世界に染め上げる唯一無二のカップルだ。バンクーバー五輪・ソチ五輪でバーチュー&モイアとハイレベルな頂上決戦を繰り広げたデイビス&ホワイトは、アイスダンスの概念を変えるようなスピード感と、鋭く切れのあるスケーティングが持ち味だった。
村元&髙橋は、どんな魅力を発揮するのだろうか。私見では、二人に共通している持ち味は、いい意味で日本人らしからぬ濃厚な表現だ。平昌五輪では団体戦から出場し、世界トップレベルのカップルと同じリンクで競った経験を持つ村元と、男子シングルで世界トップレベルまで上り詰め、そのステップは世界一と評された髙橋が組むことで起こる華麗な化学反応はどんなものか、楽しみでならない。
<了>
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