
髙橋大輔は最後の全日本で何を遺した? 魂のラストダンスに宿した「終わりなき挑戦」
「魅せることができなかった」。唯一無二の表現者は、シングル最後の全日本選手権でそう口にした。だがそのラストダンスは、確かに見る者の心を震わせるものだった。
5度の全日本制覇だけでなく、日本で、アジアで、男子シングル史上初となる五輪メダリストにして世界王者にも輝いた。そのスケート人生は、まさに挑戦の歴史でもあった。だが、続く。髙橋大輔の終わりなき挑戦の旅路は、これからも続いていく――。
(文=沢田聡子)
陸上のダンスと氷上のスケートを妥協なく融合させる
2019年全日本フィギュアスケート選手権アイスダンスチャンピオン・小松原美里&ティム・コレト組のコレトは、2007-08シーズン当時、シングルスケーターとしてコロラドで練習していた。その際、髙橋が『白鳥の湖 ヒップホップバージョン』を練習している様子を見たことがあるという。
「本当にかっこいいと思いました。『スワンレイク』、すごいと思いました。そのタイプ(ヒップホップダンス)は、それまで氷の上で見たことない」
目を輝かせて髙橋のまねをしてみせたコレトは、「一緒の大会に出られると全然思っていなかった」と話している。
髙橋は、2007-08シーズンのショートプログラム『白鳥の湖 ヒップホップバージョン』(ニコライ・モロゾフ振付)で、表現上の限界に挑んでいる。いわゆる「縦ノリ」のヒップホップダンスと横に滑っていくスケートが融合したプログラムは、世界に衝撃を与えた。
そしてシングルスケーターとしてのラストシーズンに挑んだ『The Phoenix』では、ダンスの第一人者が手がける振付をどのように氷上で再現できるかが焦点となった。
『The Phoenix』の振付は、ビヨンセなどトップアーティストの振付も手がけるシェリル・ムラカミ、そのアシスタントのユウコ・カイ、そして元男子シングル・ウズベキスタン代表で現在は振付師として活躍するミーシャ・ジーが担当。陸上のダンスと氷上のスケートを妥協なく融合させるという、髙橋にしかできない試みの結晶が『The Phoenix』だといえる。
8月に行われたアイスショーの公開リハーサルで『The Phoenix』を初めて見た印象は、最高に格好いいが、同時に競技用のプログラムとしては体力的に滑り切るのが難しいのでは、というものだった。リハーサル後の記者会見で、髙橋は次のように語っている。
「久しぶりにスタートしてから最後まで動きっぱなしのプログラムで、本当に激しい曲をやっているので、全体通して『33歳のおじさん頑張っているな』と思って見てもらえればいいかなと思います」
「この振りのパートは陸で作ったりしていたので、陸のテンションで氷の上でやってしまうと、結構バランスを取るのが難しくて……最初のスタートからのポーズがそうなんですけれども、なかなか踏ん張りがきかず、陸のイメージと氷のイメージがまったく合わなくて、思うように動けなかった」
「陸の上で振付をすると音をとるところがすごく速かったりするんですけど、その速さをスケートで表現するのは難しい。ステップ減らさなきゃいけなかったりとか、トランジションとか、いろんな問題がある。どっちをとるか、トランジションは捨てて表現の方をとるか、そこらへんは結構いろいろ悩んで、すごく難しくて。スケートって円を使うんですけど、ダンスってすごくまっすぐでストレートな表現だったりする。そういったところの折り合いが一番難しかったと思いますね」
“33歳のおじさん”と自嘲してみせた髙橋だが、にこやかにさりげなく挑戦的なせりふを吐いている。
「スケートっぽくない表現というところをどんどん狙っていって、そこがもし評価してもらえれば、うれしいなと思います」
『The Phoenix』には、フィギュアスケートの競技会で“スケートっぽくない表現”を狙うという、髙橋の企てが秘められていた。
その後9月に髙橋は、2020年1月より村元哉中と組み、アイスダンスに挑戦することを発表した。シングル最後の競技会となる全日本選手権に向かう髙橋を、怪我が襲う。ジャンプの練習中に左足首をひねったことにより出場予定だった西日本選手権を欠場したため、全日本選手権が『The Phoenix』を滑る最初で最後の競技会となった。
「出来は最悪」も、「このタイミングでやれたのはよかった」
全日本選手権ショート当日、午前の公式練習で『The Phoenix』に乗って髙橋が披露したステップは絶品だった。しかし、練習終了間際にはしんどそうな顔も見せており、体力勝負となる予感もあった。
ショート本番、観客の大声援を受けてスタート位置についた髙橋は気迫あふれる表情で演技をスタートしたが、ジャンプに苦戦する。冒頭の3回転フリップ―3回転トウループはセカンドジャンプに回転不足がつき、続いて跳んだトリプルアクセルは両足着氷になり重度の回転不足をとられる。そして、3回転ルッツでは転倒。最後のステップシークエンスでは明らかに足に疲労がたまっている様子で、本来の伸びやかな髙橋の滑りではない。公式練習で見せていた切れのあるステップを、会場やテレビで見守った人たちに見せたかった。しかし、最後のポーズをとったままなかなか動けなかった髙橋の背中には、挑戦をやり遂げた清々しさも漂っている。
ショートを滑り終えた髙橋は、ミックスゾーンで「出来としては最悪」とコメントした。
「緊張感から体が動かず、パフォーマンスという部分ができなくて、それは悔しいです」
見るからにハードな『The Phoenix』を実際試合で滑ってみてどうだったかと問われると髙橋は「そうですね、後悔しています(笑)」と答えた。
「試合になるとスピンやレベルを考えてしまって、なかなか乗り切れない部分もあったりするので……。まあでも、最後にこういうチャレンジができてよかったなとは思っています」
「公式練習・6分間練習まで好調にきていたんですけど、いざ本番となると、やっぱり緊張感からなかなか外に気持ちを出す、魅せるということができなかった。そこら辺は途中で、やりながら『すごく内にこもってるな』という感覚はあったので……『これが試合なのかな』とか『全日本の緊張感なのかな』とか、そういうのはちょっと感じました」
「『The Phoenix』という曲自体すごくパワフルで、それを体現できればと思ったんですけど、自分としてはできなかったです」
最後の見せ場だったステップについては、髙橋本人も足にたまった疲労を感じていたという。
「気持ちとしてはまだまだ全然いけそうだったんですけど、足にきちゃって。それでも何とか『動いてくれ』というふうに思ったんですけど……。それは緊張してたからなのか、なんなのか分からない」
「あと10年若かったらなと思って」と笑った髙橋は、振り付けたシェリル氏が『The Phoenix』=不死鳥というテーマは髙橋にぴったりだ、と言っていたことについて質問されると「どうですかね」と言い、言葉を継いだ。
「まあ、また再スタートして次に向かうにあたって、シングル最後としてこの曲ができたことはすごくよかったかなとは思います。でもやっぱり、きついっすね。なかなかね、やろうと思わない曲なので。このタイミングで、やらなきゃいけない状態でやれたのはよかった」
アイスダンスでは「下から這い上がっていく」
33歳で果敢に挑んだ『The Phoenix』は、やはり男子シングル髙橋大輔のラストにふさわしかったのだろう。
ショート14位でフリーに進んだ髙橋は、フリー10位、総合12位で全日本選手権を終えた。フリー後のミックスゾーンで、髙橋は「ショート・フリーともに、自分に必死過ぎて、パフォーマンスを魅せるということができなかったので、それがすごく悔しかった」と吐露している。
「この(全日本の大会)期間中、やっぱりいい練習を積むということは、そういう(パフォーマンスを魅せる)ことにつながっていくんだなということをあらためて滑りながら実感しました。調子は上がってきていたんですけど、やっぱり本番になってくると緊張やプレッシャーで自分らしい演技はできないんだなっていうのをあらためて(感じた)。特に年齢を重ねるごとに、気持ちだけで持っていけない部分もやっぱりあるなと実感しつつ、滑っていました」
悔しさをにじませた髙橋だが、既に気持ちはアイスダンスに向かっている。
「一応世界で戦っていて、日本チャンピオンにもなりましたし、いろんなところでプライドっていうのもありましたけど、それは捨てられた。今(フリー)の演技も本当だったら恥ずかしくてできないだろうな、という中で今回は戦っていたので。そこを捨ててでも人前に出て滑る、ということは昔だったらできなかったと思います。一度引退して、また戻ってきて、どんどんみじめな気持ちにもなるんですけど、そういうことを経験できたのはすごくよかったです。これから次のアイスダンスに向かうについては初心者ですし、世界で戦っていくという意味では下から這い上がっていかなければいけない。この経験を次に生かせるのかなって」
来年の全日本にはアイスダンサーとして戻ってきたいか、と問われた髙橋は「戻ってこないとやばいですよね」と即答している。
「でも次は本当にもう一人じゃないんでね、わがままも言えなくなるので。哉中ちゃんにしごいてもらいながら、この全日本に戻ってきたいなと思います」
来季からアイスダンサーとして新たなスタートを切る髙橋大輔は、表現の開拓者として挑戦を続けていく。
<了>
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