“プロで大成しない”智弁和歌山・中谷監督の変革。プロで味わった挫折を生かす指導哲学 ~高校野球の未来を創る変革者~

Education
2021.02.07

高校野球界屈指の強豪校である智辯和歌山には一つの風説がある。智辯和歌山出身者はプロで大成しない――。1997年夏の甲子園で優勝し、ドラフト1位でプロの門をたたいた中谷仁もその一人だ。母校に指導者として戻ってきた男には、だからこそ強い信念がある。「生徒たちに同じ思いをさせたくない」。伝統を受け継ぎながら、プロ生活で味わった衝撃、苦悩、葛藤、挫折を生かす、その指導哲学を聞いた。

(取材・文・撮影=氏原英明) 

高校野球界屈指の名将の後を継いだ者の役割。智辯和歌山・中谷仁監督の志

甲子園強豪校の伝統継承には2つの考え方がある。

一つは、どれだけ時代遅れといわれても、前監督から続いてきたスタイルを受け継ぐという考え。もう一つは、強豪校であり続けることで、高校野球界の中での存在感を保ち続けるという思想だ。

史上最多、甲子園通算68勝を挙げた名将・高嶋仁前監督の後を継いだ、智辯和歌山の中谷仁監督は、どちらかといえば、後者の志が強い。

「こんな良い学校、こんな良い野球部、高嶋先生がつくってこられた野球部が落ちてしまってはいけない。そこに使命感を持っています。“智辯和歌山”という、クオリティーの高い学校を継承していくために、高嶋先生は中身(ソフトの部分)に力を入れてこられたので、僕はハードの部分とメンタルの部分をつくり上げていきたい。次にやる人が思う存分やっていけるように。それが2番目の役目と思っています」

「なぜ智辯和歌山は高校卒業後に伸びないのか」を分析して指導に生かす

高嶋仁ではない、中谷仁ができること。

それは主将として全国制覇を経験したことはもちろん、その後の野球人生で得てきたものを指導に生かすことだ。プロの選手として15年、3球団を渡り歩いてきた。決して表街道ではない人生だったからこその知見は一朝一夕で得られるものではない。

その知識そのものが、中谷監督の指導力といえるだろう。自分は何者で、その経験から何をすべきか。その使命を熟知している。

だから、智辯和歌山が甲子園出場や優勝回数の多寡が称賛される一方、それと同じくらいに、世間からやゆされていることも当然のこととして熟知している。

中谷監督は言う。

「智辯和歌山のイメージは、良いところでしたら、甲子園の強豪校、“猛打の智辯和歌山”であり、10点取られたら11点を取る劇的なドラマを起こしてくれるチームであると思います。一方、悪いイメージとすると、守備・走塁が大ざっぱ、プロ野球、大学・社会人で活躍する選手が少なく、高校野球の輝きがその先の組織では失われるといったネガティブなものがある。それは僕自身がプロで活躍しなかったので、責任を感じているところでもあります。高校野球で優勝したからといって何も生まれないというのを自分自身で感じています。次の組織で活躍できるようにしてあげないと、この野球部の価値は落ちていくと思います」。

おそらく、中谷監督の実体験そのものが、かつてのやゆをひっくり返すきっかけになるというものであろう。

世間の智辯和歌山を否定する声に反発するのは簡単なことだが、指導者として重要なことは、「智辯和歌山は高校卒業後に伸びない」といわれる要素をいかに分析して、今後の指導に生かしていくかだろう。教育や育成においての基本とは、過去の体験から良かったものは継続し、自身が得ることができなかったものを後輩たちに手に入れさせてあげようという親心だ。

「こんなに差があるのか…」中谷監督がプロに入って受けた衝撃

中谷監督は「頭をハンマーでどつかれたくらい」と自らが現役プロ選手時代に受けた衝撃こそ、自身が取り組むべき指導と捉えている。

「走塁、打球の判断の仕方、インパクトへのボールの合わせ方、第二リードの本質、リードをとる時の1歩目や戻る場所など、小さなこだわりをプロはやっている。自分の知識においても、横浜やPL学園出身の選手と話した時に、野球脳では小学校6年生と高校3年生くらいの差があると感じました。こんな高いレベルの野球を高校から教えることができたなら、たとえ高校時代で消化できなくても、大学時代で継続しているうちに花開いていくのは当然だろうなと思いました」

中谷監督はプロで15年も活躍できたが、一方で、そうした壁にぶち当たって散っていく選手たちがいることが想像できたという。智辯和歌山OBが行く先々で苦しんでいる要素とは何か、である。

中谷監督は続ける

「甲子園に出たり、優勝しているもんやから、高校野球の中で一番高いレベルの野球をやっていたんだって思う自分がいる。ところが、知らないことが多すぎた。そういう状態で次のカテゴリーに行って、『智辯和歌山やのに、こんなことも知らんのか?』って言われたら面白くないですよね。で、高校の時は少数精鋭である程度我慢すれば順番が回ってくる環境でしたけど、大学では1学年で40人くらいいてチャンスも回ってこない。さらに面白くないと思ってプレーする。そういう選手の態度を見ている指導者は『なんや、あいつの取り組む姿勢は』って思いますよね。全てが悪循環になってしまって活躍できない土壌ができあがっていた」

元プロ選手だからこその知見と経験をもとに、“今風”の指導スタイルを

中谷監督が智辯和歌山の指導者になって目指したことは、自分が苦しんだ思いと同じことを生徒にはさせないということだった。元プロとしての知見を選手たちに伝え、なおかつ、今の時代にあった指導スタイルをつくり上げていく。

そうすることで変わっていくものがあるはずだ、と中谷監督は思っている。

「自分自身が経験してきたことはたくさんあるので、僕ができるのは一緒にこのグラウンドで汗を流している子どもたちに、それを伝えていくことしかできないんですけど、より良いもの、最善を尽くしていく。それを一日一日、積み重ねていく。最善とは何かを子どもと話しながら考えていくというスタイルです。勝つために、チームで何をしなくてはいけないのか、個人は何をしなきゃいけないのかを考えられる選手になることを高嶋先生は教育されてきたんですけど、それを今風に、優しく、柔らかく継承していけたらなというのはあります」

こうした指導スタイルの中で大きくウェートを占めているのが、選手と対話するということだ。ただ野球をうまくなるための指導ではなく、人としての成長があり、その先に技術が伸びていくという考えだ。

明らかに様変わりした“選手の対話力”。中谷監督の狙い

実は今回の取材でも最も大きなテーマにしていたことでもあるのだが、中谷監督が就任してから変わったことの一つに、智辯和歌山ナインの発する言葉や取材対応が様変わりしているという点だ。分かりやすくいうと、エリート意識がなくなり、品行方正に立ち回っているという印象だ。

単刀直入に尋ねてみると、選手の対話力の向上こそ中谷監督が指導者として大事にしていることで、最も強く意識していることだと説明する。

「(選手たちの)取材対応が変わったと言ってもらえるのはうれしいですね。そこは意識して指導してきたところでもあります。もちろん、3年かけて浸透してきたことでありますけど、選手たち自身で考えることを習慣づけしていますね。今では練習メニューを選手が作ってくるようになりましたし、学校での授業態度の評判も良くなりました。常に、対話をしていますね。授業中になぜ寝てはいけないかまで説明していますから」

中谷監督とはほぼ年齢が変わらないから想像がつくが、40代以降は『ええからやらんかい』といやでも応でも練習に向き合う教育・指導を受けてきた世代だ。しかし中谷監督は、今の子たちは気質が異なっていることを理解し、選手たちに懇切丁寧に説明することで選手を先導するすべを得ている。

「練習をやる理由。そのプレゼンを僕らができるかどうかだと思っています。この練習はこういう意図でやっているんやぞ、と。この技術を得るためには、こんな練習、こういうトレーニングがあるよ、と。プレーや行動の意味、本当の意図を把握していないままの選手が意外と多いんですね。変な高校野球エリートの感覚っていうのが、うちに限らず高校生にはあって、甲子園で打てばいい、勝てばいい、俺らの代は甲子園で何勝した、などと言い合う、良くないところがあった。人間的に大事な部分から厳しくしていきました」

トレーニングの意図、練習の意味、授業を受けることの大切さ。一つずつの対話を深めることにより、生徒自身が考えるようになる。その癖をつけることで、生徒たちの変化を促すというのが中谷監督のやり方だった。

「自分の中の基準を持つ」 学校の授業と野球部のグラウンドでの学びの違い

ハード面でいえば、練習内容は元プロの知識がふんだんに入っている。目の前にいる生徒が上の世界で苦しまないような配慮がそのメニュー一つ一つにはある。

守備・走塁の細かいプレーはもちろん、打席で持つ意識の持ち方から技術的なアプローチまでだ。

「自分の中での基準を持てという話をしますね。この日の投手は変化球を待っていても真っすぐを打てるレベルのなのか。あるいは違う日に対戦する投手は『あかん、この投手なら、スライダー一本勝負にいかないといけない』とか。物差しを測ってやれるかどうかがプレーヤーとして大事なことなんですよね。学校という環境は一日の時間の半分くらいは、座って先生が話をするのを聞いている状態です。そこで成績の良し悪しをつけられているわけですが、そこに慣れてしまってグラウンドで同じことをするのは、本当の学びではないんです。監督に聞こうとするのではなくて、感覚をつかまないといけない。学びはどこにあるか。本人自身の中に問題があって答えがある」

こうした思考の中、日々を過ごせば、技術がおのずと変わってくるというのは、話を聞いただけでも想像できる。いわば、今の智辯和歌山ナインは知らず知らずのうちに自身で人生をつかみ取る習慣というものを得ているに違いない。

「智辯和歌山を出ていたら間違いないといわれる人材を」

中谷監督は目指している指導の根幹をこう力説した。

「智辯和歌山で怒られたこと、教育されたことが、次の組織に入った時に、『智辯和歌山の野球部出身のやつはナイスガイやな』、『リーダーシップが素晴らしいな』とOB全員が評価をされる。レギュラーであっても、なくても、甲子園に出ても、出なくても。智辯を出ていたら間違いないといわれる人材になっているきっかけづくりをしたいです。野球を通じて、社会を通じて子どもたちと共につくり上げていけたらと思います」

中谷監督の指導は、智辯和歌山が新しいところに向かうための「変化」やチーム内の「変革」になるだろうと思う。ただ、本人はそうした声が出ることを嫌う。それは甲子園強豪校を引き継ぐものとしての多方面への配慮だろう。

今回の取材はこちらの取材趣旨を理解していただいた上で、特別に協力いただいたが、普段は取材のほとんどを断っているそうだ。その背景には、中谷監督の指導力の高さが際立ちクローズアップされれば、過去を否定しかねないと思っているからに違いない。

中谷監督が就任して以降、すでに3度の甲子園出場(2020年の交流試合含む)を果たしている。

智辯和歌山は明らかに変化しているが、今も甲子園強豪校であるという事実は変わらない。それこそが伝統を受け継ぐ中谷監督が果たしている役割なのである。

<了>

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PROFILE
中谷仁(なかたに・じん)
1979年5月5日生まれ、和歌山県出身。智辯和歌山で甲子園に3度出場し、主将を務めた3年夏に優勝。1997年ドラフト1位で阪神タイガース入団。その後、東北楽天ゴールデンイーグルス、読売ジャイアンツを経て、15年のプロ選手生活を終える。2017年母校・智辯和歌山のコーチに就任、翌年夏の甲子園大会終了後に勇退した名将・高嶋仁氏の後を継ぎ、同校監督に就任。元プロ選手としての知見・経験を生かした指導を行う。

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