中村憲剛のドキュメンタリー映画で感じた、川崎フロンターレの成功が“奇跡”ではない理由

Opinion
2021.11.24

2020シーズン限りで現役を引退した、中村憲剛のドキュメンタリー映画「ONE FOUR KENGO THE MOVIE ~憲剛とフロンターレ 偶然を必然に変えた、18年の物語~」が11月12日より12月2日までの期間・映画館限定で公開されている。この映画を介して『REAL SPORTS』編集長の岩本義弘が、中村憲剛が“特別な選手”となった当時を振り返りながら、改めて感じた彼の存在意義、そして川崎フロンターレの成功が“奇跡”ではない理由をお届けする。
川崎フロンターレのファンのみならず、Jリーグを愛するすべての人にこの映画、そして中村憲剛の魅力を知っていただきたい――。

(文=岩本義弘[REAL SPORTS編集長]、写真=Getty Images)

中村憲剛が自分にとって“特別な選手”となった「あの日」に思いをはせる

まず初めに、今回のコラムは『REAL SPORTS』の編集長として、というよりも、Jリーグを目指す関東サッカーリーグ2部・南葛SCのGMとして、メディアとして、そして友人として継続的に中村憲剛(今回のコラムでは、あえて敬称なしで統一させてもらいます)に関わってきた岩本義弘個人として書きたいと思う。

昨日(11月23日)、イオンシネマ新百合ヶ丘に、中村憲剛のドキュメンタリー映画「ONE FOUR KENGO THE MOVIE ~憲剛とフロンターレ 偶然を必然に変えた、18年の物語~」を観に足を運んだ。祝日の日中ということで、新百合ヶ丘駅周辺にも人が溢れていた。

現役時代、何度も中村憲剛のインタビューをさせてもらったが、そのほとんどは川崎フロンターレ麻生グラウンドで、いつも新百合ヶ丘駅からタクシーで現地へ行っていたので、久しぶりに新百合ヶ丘駅に降り立ったことで当時を思い出しながら映画館に向かった。

今回のドキュメンタリー映画の内容は、川崎フロンターレのオフィシャルサイトの文言によると「日本中が日韓W杯(FIFAワールドカップ日韓大会)に沸く2002年の夏、一人の無名の大学生が、観客も記者もほとんどいないJ2のサッカークラブの練習に参加していた。そこから始まる18年間の物語。中村憲剛と川崎フロンターレは、何を信じて、何を目指して、これまで歩んで来たのか? 30名を超える関係者へのインタビュー、そして現役最後の2カ月間に密着した映像と共に紹介します。クラブ初の公式ドキュメンタリー映画です。」とのこと。

上映する映画館は109シネマズ川崎とイオンシネマ新百合ヶ丘の2館のみ、上映期間も11月12日から25日までの14日間のみ(その後、好評により12月2日まで上映期間延長が決定)ということだったが、思い入れのある中村憲剛のドキュメンタリー映画を、ぜひとも映画館で観たいと思い、映画館に足を運んだ。

中村憲剛が自分にとって“特別な選手”となったのは、2014年5月14日だ。

2日前の5月12日に、ブラジルワールドカップに臨む23人をアルベルト・ザッケローニ監督が発表。その23人のリストに中村憲剛の名前がなかったこと、そして中村憲剛が自身のブログに書いた文章を読んで、どうしてもその時の気持ちを書き記しておきたくて、当時、所属していた媒体である『サッカーキング』(フロムワン)にコラムを書いた。以下に全文を転載する。少々長いが、ぜひ当時のことを思い出しながら読んでいただけるとありがたい。


<今、改めて思う中村憲剛の価値と存在意義>

ブラジルW杯に臨む日本代表メンバー23人が12日発表になった。就任してからの3年10カ月でザッケローニ監督がスタジアムに足を運んだ試合は232試合。当然、それ以外にも、数えきれないほどの試合を映像で見て、そして彼自身のこれまでの経験をもとに、熟考に熟考を重ねた上でのメンバー選考であったわけだから、その決定には何の異論もない。むしろ、彼の日本代表監督としてのこれまでの誠実で公平な振る舞いに、尊敬の念を抱いている。

ただ、それでも、あえて一つだけ、ザッケローニ監督の決定に異議を唱えたい。「なぜ、中村憲剛を23人に入れなかったのか」と。

『サムライサッカーキング』のインタビューや、日本代表戦の取材を通して、現代表選手たちと接して感じるのは、中村憲剛という選手に対するリスペクトだ。その卓越したサッカーセンスはもちろん、ほとんどの選手よりも年上(33歳)にもかかわらず、他の選手たち全員に敬意を持ち、チームをいかに機能させるかということを考えて行動する。前回大会、2010年南アフリカW杯でも、ベンチを温めることが多かったが、他の誰よりもチームを盛り上げ、勝利を喜んでいたのは中村憲剛だった。改めて言うまでもなく、サッカーはスタメン11人だけで戦うものではない。特に短期決戦のW杯では、ベンチメンバーも含めた23人それぞれが、それぞれの役割を全うする必要がある。サッカー選手は、たとえ代表チームだろうと、試合に出なければモチベーションを維持することは難しい。むしろ、それぞれのチームでは主力を務める選手が集まる代表チームだからこそ、その点はチームとしての最大の問題点となり得る。しかし、自分より年上の中村憲剛がベンチで誰よりも大きい声で味方を鼓舞し、いつか来る(いや、もしかしたら来ないかもしれない)出番のために、誰よりも全力で準備をする、そんな中村憲剛の姿を見ることで、他のベンチメンバーの意識は間違いなく高くなる。結果、日本代表のパフォーマンスは、最大限に高められることになる。

もちろん、ピッチ上でも、中村憲剛は違いを出せる選手だ。一時期はコンディション面も含めて、「らしくない」プレーをしていた時期もあったが、「サッカーに対する考え方が、半分以上書き換えられた」という風間監督との出会いによってさらなる成長を続けてきた中村憲剛は、現在のJリーグでも、最も違いを出せる選手の一人だろう。特筆すべきは、その判断スピードとパスの正確性。JリーグとACLを並行して戦う過密スケジュールの中でも、その判断力は衰えない。代表発表前ラストゲームとなった鹿島アントラーズ戦でも、その判断スピードはずば抜けていた。大久保嘉人のゴールをアシストしたダイレクトスルーパス。パススピード、パスコースともに完璧なあのパスを、ダイレクトで出せる選手が果たして他にいるだろうか。

個人的にも、現在、プレーを見ていて最もワクワクさせてくれる選手は、間違いなく中村憲剛である。等々力競技場で川崎フロンターレの試合を見ていると、中村憲剛のプレーから目が離せなくなってしまう。ボールがないところでの動きの質、味方への声掛け、ボールを持った時にどんなプレーを選択するのか、パスを出した後の動き直し……そして何よりすごいのは、試合を経るごとに進化していること。取材者としても、これだけ見るモチベーションの上がる選手はいない。試合後、ミックスゾーンで中村憲剛をつかまえて、「今日の試合では、こういう意図を持ちながらプレーしてたと思うけど、実際はどうだった?」とか「あの時間帯、明らかにやり方を変えたと思うけど、具体的にはどんな意図を持って変えたのかな?」といったような質問をぶつける。すると、中村憲剛はとても丁寧に解説してくれる。時にはにやりとした表情を浮かべながら、「わかってるね」と返してくる。そういう時には、まるで、子供の頃、テストで良い点を取って褒められた時のような気持ちになる。こんな気持ちにさせてくれる選手は中村憲剛だけだ。

23人を発表した翌日、予備登録メンバー7名が発表され、そこに中村憲剛の名前はあった。ザッケローニ監督が「自分のチームに中村憲剛はいらない」と思っていたならば諦めもつく。しかし、予備登録に入れるということは、ザッケローニ監督は中村憲剛を認めていた、ということだ。「だったら、なぜ?」そう思わずにはいられない。言っても仕方ないことは百も承知だが、それでも言わずにはいられない。

中村憲剛は自身のブログで次のように語っている。

「今日、ACLの公式練習でボールを蹴ったら、その瞬間は落選したことを忘れていました。ああ、サッカーって楽しいなって。サッカーって凄いなって。だから、ボールがあれば、サッカーがあれば俺は前を向いていけると思っています。今まで辿ってきた道は間違っていなかったと思うし、今までやってきたことに悔いは一切ないので」

今後の中村憲剛のサッカー人生に最高の幸あらんことを。そして、これからもみんなをワクワクさせてくれるプレーを、あの素晴らしいダイレクトパスをたくさん見せてくれることを期待したい。

文=岩本義弘


「とても好きなタイプの選手」から「特別な選手」になった、一本の電話

このコラムは、Yahoo! JAPANに転載されたこともあってアクセス数は100万を超えたといい、本当に多くの人に読んでいただき、また多くの反響をいただいた。その反響の多くが、このコラムに同調してくれ、また、中村憲剛がワールドカップメンバーに入らなかったことを惜しむ声だった。SNS上でも驚くほど拡散され、多くの人が中村憲剛に対する想いを発信していた。

この記事が掲載された日の夜、中村憲剛から電話があった。といっても、当時はお互いの連絡先を交換していなかったので、共通の友人であるスキマスイッチの常田真太郎くんを通じての連絡だった。

「今、憲剛と一緒にいるんですけれど、憲剛が岩本さんに伝えたいことがある、というので電話代わっていいですか」ということで、電話口に中村憲剛が出た。

「岩本さんの書いた記事読ませてもらいました。それと、岩本さんの書いた記事に対してのコメントも読ませてもらいました。ワールドカップに行けなくて一時は絶望的な気持ちになりましたけれど、これだけ多くの人が自分のことを思っていてくれるということは、W杯メンバーから外れなければわからなかったことなので、その想いを知るきっかけとなった記事を書いてくれたことにお礼を伝えたくて連絡させてもらいました」

細かいニュアンスは正確には覚えていないが、こういう内容のことを中村憲剛から伝えられた。約25年、サッカー&スポーツと関わり、ずっと記事を書き続けているが、選手からのリアクションでこの時ほど心を揺さぶられたことはない。以来、中村憲剛は自分の中で、「とても好きなタイプの選手」から「特別な選手」へと変わった。

中村憲剛と川崎フロンターレの物語が“奇跡”ではない理由

「ONE FOUR KENGO THE MOVIE ~憲剛とフロンターレ 偶然を必然に変えた、18年の物語~」を観ようと思ったのは、上記を含めて個人的な感情が主だった。中村憲剛の18年に濃厚に関わらせてもらった一人として、よりこの映画を楽しめる一人だろうという自負もあった。事実、30名以上に及ぶインタビューが収録されている関係者もほぼ、よく知っている人だったし、フィーチャーされている試合も、その多くが現地に足を運んでいた試合だった。懐かしさも含めて、とても楽しく観ていた。

しかし、映画の途中から、この映画が中村憲剛だけにフィーチャーしたドキュメンタリー映画ではないことに気づく。この映画は、川崎フロンターレが誕生から現在に至るまでの、そして、どんなにタイトルが取れなくても、クラブとして信じる道を貫いた、ドキュメンタリー映画である。

「ホームタウン活動ばかりして、ピッチに集中していないから勝てないんだ」

川崎フロンターレは、ずっとこう言われてきた。常時、優勝争いをするようになっても、リーグ戦2位やカップ戦での準優勝ばかりで、タイトルにはあと一歩で手が届かない状況がずっと続いた。きっと、外部の人間からは想像もつかないような葛藤があっただろう。それでも、中村憲剛を始めとした選手たちとスタッフは、どのクラブよりもホームタウン活動に力を注ぎ続けた。

そして2017年、ついにタイトルに手が届いた。川崎フロンターレ、最終節での大逆転でのJ1リーグ優勝。その後の川崎フロンターレの強さとクラブとしての盛り上がりはご存じのとおりである。

このドキュメンタリー映画を観ると、中村憲剛と川崎フロンターレの物語は“奇跡のストーリー”だと改めて思う。名もない大学生がギリギリでJリーガーとなったくだりから始まり、ずっとタイトルと縁のなかった選手が、35歳を過ぎてから4年連続でタイトルを獲るJリーグ史上最高のチームと言っても過言ではないチームの中心として輝いた。キャリア最終年には前十字靭帯損傷の重傷からリハビリを経て復活、しかも復帰初戦及び自らの40歳の誕生日にもゴールを決めるという、マンガでもあり得ないというか、やりすぎなほどの完璧なストーリー。今後も日本サッカー史においてこれだけ奇跡的なストーリーは生まれないのではないかと思う。

しかし、強調しておきたいのは、現在の熱狂を作った中村憲剛と川崎フロンターレの物語は、“奇跡”ではないということだ。観客動員が3000人前後の頃から現在に至るまで、常に全力を注いできたホームタウン活動によって、現在の他クラブを圧倒する川崎フロンターレの熱狂は形作られたのである。それは偶然ではなく必然といえるだろう。

クラブに関わる全員が意識し続けてこそ、たどり着ける場所

自分がGMを務める南葛SCは、現在、関東2部リーグ、J1から数えると6部相当のリーグに所属している。個人的にも、川崎フロンターレはベンチマークにしているクラブで、チーム強化とホームタウン活動をクラブの両輪として掲げている点には本当に学ぶべきものがあるとこれまでも思っていた。だが、今回のドキュメンタリー映画を観て、その指針を貫くことの大変さと、そこにたどり着くまでの道のりの長さを改めて感じさせられた。しかも、クラブの数人が意識すればいいわけではなく、クラブに関わる全員が意識し続けてこそ、たどり着ける場所であると痛感させられた。

しかし、南葛SCがJリーグを代表するクラブになる以上、いつかは川崎フロンターレに並び、超えなければならない。映画の途中からずっとそのことを考えていた。

とにかく、正しいことを継続してやっていくしかない。そのために、(まだDVD化は発表されていないが)まずは毎年このドキュメンタリー映画のDVDをシーズン始動時に選手、スタッフ全員に見せるところからスタートしたい。たった2時間半の映画に、Jクラブに必要な要素のほとんどが詰まっている。

最後に、このような素晴らしい作品を世に送り出してくれた、川崎フロンターレと中村憲剛に改めて感謝したい。いつの日か、南葛SCを川崎フロンターレと対抗できるクラブにすることで、この恩を返す日が来ることを願って――。

<了>

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