ロシアで翻弄された橋本拳人、神戸移籍を決めた理由。渇望する舞台と、愛する古巣への胸中
3月27日、ヴィッセル神戸は日本代表MF橋本拳人の加入を発表した。2年前、夢見る舞台に立つため、子どものころから過ごしてきた家を旅立った。順調に思えた挑戦も、負傷による長期離脱で代表から遠ざかった。そして、ウクライナ侵攻で揺れるロシアからの一時撤退を余儀なくされた。それでも男は言う。「休んでいる時間は僕にはない」。ロシアで翻弄された日々、愛してやまない古巣、そしてサッカーに集中できる“今”の偽らざる胸中を探る――。
(文=藤江直人、写真=Getty Images)
「無事でよかった! 頑張れ拳人!」。古巣へ凱旋した橋本拳人の目に飛び込んだ言葉
FC東京の選手たちが場内を一周し終えて、ロッカールームへと引き揚げたタイミングを見計らって、橋本拳人は味の素スタジアムのピッチに再び姿を現した。
ヴィッセル神戸が1-3で逆転負けした、6日のJ1リーグ第7節後の一こま。橋本が向かった先は、FC東京のファン・サポーターが陣取るゴール裏だった。
キックオフ前にリザーブメンバーとして名前が読み上げられた瞬間に。アンドレス・イニエスタとの交代で、58分から新天地・神戸でデビューを果たした瞬間に。スタジアムへ鳴り響かせてくれた拍手への、感謝の思いをどうしても伝えたかった。
そして、ゴール裏への距離をゆっくり縮めていった目の前に、それまではなかった横断幕が掲げられた。万雷の拍手とともに、涙腺を緩ませる文字が視界に飛び込んできた。
「無事でよかった! 頑張れ拳人!」
627日ぶりの味の素スタジアムに「いろんな感情が湧いてきた」
Jリーグの舞台でプレーするのは、2020年7月18日の浦和レッズ戦で先発フル出場して以来となる。そして、慣れ親しんだ味の素スタジアムのピッチに立つのも、FC東京のアンカーとして2-0の勝利に貢献したその浦和戦以来、627日ぶりだった。
ロシア・プレミアリーグのロストフから神戸への移籍が発表されたのが3月27日。新天地へは4月1日のトレーニングから合流し、京都サンガF.C.に1-3で逆転負けを喫した翌2日の第6節を、ホームのノエビアスタジアム神戸のスタンドで見つめた。
中3日で迎える次節には絶対に間に合わせようと、急ピッチでコンディションを整えながら、橋本は摩訶不思議な感覚を抱いていた。遠征メンバーに名を連ねれば、相手は古巣FC東京、向かう先はかつてのホーム、味の素スタジアムになるからだ。
「僕がアウェーの立場で、味スタでプレーするのはもちろん想像がつかない。ただ、今はヴィッセル神戸の一員だし、チームがなかなか勝てない状況でとにかく力になりたい。特にFC東京に関しては何も考えず、チームの勝利へ向けて頑張りたい」
京都戦翌日に行われた取材対応で、橋本はこう語っていた。いざ遠征メンバーに入り、宿泊先のホテルからバスで味の素スタジアムへ到着すると、それまでとはまったく異なる思いが頭をもたげてきた。FC東京戦後の取材対応では、こんな言葉を残している。
「味の素スタジアムに到着した時やピッチに入った時は、いろいろな感情が湧いてきた。僕がFC東京で育ったのは間違いないし、本当に不思議な気持ちだった」
ウクライナと国境を接するロストフ。経験したことのない不安
ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が、隣国ウクライナへの軍事作戦開始を表明した現地時間の2月24日未明に、運命の歯車が大きく変わった。
「ご心配をしてくださっている方々へ。いろいろとニュースが出ていると思いますが、僕も何が起きているか詳しくは把握できていません。身の危険は感じていませんし、生活も特に変わらず、練習も普通に行われています」
西側でウクライナと接するロストフ州の州都、ロストフ・ナ・ドヌを本拠地とするクラブに所属する橋本を案じるファンや関係者の声が届いていたからだろう。
軍事侵攻開始から程なくして、橋本は自身のインスタグラム(@kento_hashimoto_18)内のストーリーズを更新。その上で経験したことのない不安も投稿している。
「試合は3日後に行われる予定でしたが、空港が閉鎖されたため不透明という感じです。正直この先何が起きるか少し怖いですが、僕は何もできないので試合に向けて準備をするだけです」
27日にホームのロストフ・アリーナにクリリヤ・ソヴェトフを迎えるはずだった、ウインターブレーク明けの初戦は橋本が危惧していた通りに中止となった。他に中止になったのは1試合だけ。都市によってロシアでも明暗が分かれた。
一転して敵地に乗り込んだソチとの次節は開催され、橋本もインサイドハーフで先発出場、84分までプレーした。昨年10月、1ゴール1アシストをマークしながら負傷で前半終了間際に交代したアルセナル・トゥーラ戦以来の復帰戦だった。
新天地の選択肢を海外ではなく日本に限定する決断。その理由は…
しかし、ソチ戦が行われた3月7日に国際サッカー連盟(FIFA)が発表した緊急声明が、ウクライナおよびロシアのサッカー界における状況を一変させた。
両国のクラブに所属している外国籍の選手および指導者が、現在結んでいる契約と関係なくフリーの状態となって、他国のクラブと契約できる特例措置が取られたからだ。
ロシアでは各クラブに所属する外国籍選手および指導者と、3日後の10日までに再契約を結ぶ通達が発出。その上で合意に達しなかった場合には、6月30日まで雇用契約が停止されると保証された。
結果として橋本は再契約には応じず、期間限定でロストフを離れる決断を下した。ソチ戦以降の2試合では、一転してリザーブにすら名を連ねていない。そして、神戸への加入とともに、橋本は新天地を通じてこんなコメントを発表している。
「ここ1カ月間難しい状況だった僕に声を掛けていただき、仲間に入れてくれたヴィッセル神戸さんには本当に感謝しています」
FIFAの通達からどのようなやりとりがあり、日本への帰国と神戸への移籍に選んだのか。3日の取材対応で経緯を問われた橋本は、意外な答えを返している。
「最初はロシアでプレーを続けるつもりでいたんですけど、状況も状況だったので。次のクラブを決める前にまず日本に帰ると決めて、そこからヴィッセル神戸さんのオファーが届いた。ヴィッセル神戸に来た理由はたくさんあるけど、熱意というものがすごく伝わってきて、すごくやりがいのあるクラブだと感じました」
橋本が言及した「状況」とは、その後もさまざまな方面から寄せられた、自身を心配する声だった。依然として身の危険は感じなかったが、日本がロシアへ経済制裁を科している以上、いつ何が起こるかが分からないと案じる声が絶えなかった。
ようやくけがからの復帰を果たしたサッカーにより集中して臨むためにも、プレーする環境を変える決断を下した。その際に選択肢からヨーロッパをはじめとする海外を真っ先に外し、新天地を日本に限定した理由は、まだ見ぬFIFAワールドカップという存在だった。
昨年6月から遠ざかる日本代表。「常にアピールしていかなければならない立場」
ロストフで負ったけがで長期離脱を余儀なくされ、昨年6月シリーズを最後に森保ジャパンから遠ざかっている橋本は、3日の取材対応でこんな言葉を残している。
「日本は11月までシーズンが続くじゃないですか。ヨーロッパだとあと数試合で終わってしまうし、オフとか休んでいる時間は僕にはないので。再び代表チームに入っていけるように、自分は常にアピールしていかなければいけない立場だし、とにかくプレーしている姿を、活躍している姿を代表スタッフの方に見せ続けないといけない。いろいろと考えたけど、その中にはもちろんワールドカップのこともあった」
J2のロアッソ熊本へ期限付き移籍して武者修行を積んだ期間を除けば、小学生年代のスクール時代から情熱の全てをささげてきた、サッカー人生そのものだったと言っていいFC東京を離れる決断を下したのもワールドカップのためだった。
年齢的にも海外からのオファーはないだろうと、夢の一つを半ば封印していた2020年の夏。ロストフから届いた望外のオファーに心を揺れ動かされ、完全移籍とともにFC東京と別々の道を歩むと決めた理由を橋本はこう語っていた。
「今まで指導してくださった方々やお世話になった方々が近くにいる、FC東京でプレーしていく方が確かに幸せだと感じていた。それでも僕自身が目指してきた、ワールドカップの舞台で活躍する自分の姿、という夢をあらためて考えたときに、もっと自分に厳しい環境に身を置かなければいけない、もっとタフな選手になりたい、もっと自分のレベルを上げたいと思ったのが一番の理由だった」
「そこは成長した部分かな」。ロシアで変わったスタイル
文化や風習などの全てが異なるロシアで、いかに身を粉にしてきたか。ロストフ移籍から約10カ月後の昨年5月。森保ジャパンに招集された橋本は、世界中の言語の中で最も難解な一つといわれるロシア語について笑顔でこう語っていた。
「もう全然、しゃべれます。何でもしゃべれます」
2002年日韓共催大会で日本が悲願のワールドカップ初勝利を挙げた相手、ロシア代表の主力だったヴァレリー・カルピンがロストフの監督を務める縁にもこう言及した。
「めちゃめちゃ厳しいですよ。球際に一回負けただけでめちゃめちゃ怒られるし、僕は常に『戦え』と口酸っぱく言われている。私生活でも厳しいというか、体重が少しオーバーしただけで呼び出されて怒られる。ただ、すごくカリスマ性があって尊敬されている監督なので僕も刺激を受けてますし、すごく成長させてもらっている」
任されたポジションは、FC東京時代のボランチやアンカーからインサイドハーフに変わった。必然的に要求も変わってくる。1年目でキャリアハイの6ゴールをマークしたのも、ポジションに合わせて必死にプレースタイルを変えた成果だった。
「ロシアに行く前は割とバランスを取るというか、ゲームをコントロールするようなプレーを心掛けていたけど、ロシアへ行ってからはゴール前へ入っていくところとか、よりアグレッシブなプレーを磨いてきた。そこは成長した部分かなと思う」
神戸への移籍を決めた理由。「自分の成長を一番に考えたときに…」
2年目ではさらに2つのゴールを積み重ね、アシストも2シーズンで「3」をマークしていた途中でロシアにおける挑戦の軌跡は途切れた。プーチン大統領に翻弄(ほんろう)された、と言っていいサッカー人生は、日本復帰にも小さくない影響を与えている。
アンカーのセルジ・サンペールが右膝前十字靭帯(じんたい)を損傷し、今シーズン中の復帰が絶望となった神戸は、その穴を補って余りある補強として橋本獲得にすぐに動いた。
対照的にFC東京は検討を重ねたものの、橋本にオファーを出す結論には至らなかった。ロストフへ旅立つ際に「必ず大きくなって、また味スタに帰ってきたい」と古巣となるFC東京への思いを語っていた橋本には、少なからず批判的な視線が向けられた。
もちろん日本へ復帰するまでの詳しい舞台裏を、橋本は絶対に言及しない。一人のプロサッカー選手として、神戸への移籍を決めた最大の理由をこう語っている。
「経験のある選手が多いし、僕に対して高い要求をしてくれる選手が、僕がミスをしたときには怒鳴りつけてくれる選手がたくさんいるだろうな、と。自分の成長を一番に考えたときに、一番いいクラブだと思ってここに来ました」
「18」を継承したFC東京のレジェンド、石川直宏の言葉
だからこそ、神戸戦でFC東京のファン・サポーターから降り注いだ拍手と試合後に掲げられた横断幕は、再出発を期す橋本の背中を強く押した。ゴール裏のスタンドを前にして一礼した橋本の両目は、心なしか潤んでいるように見えた。
そして、もう一つ。試合中に使用していたスパイクを履き替えて、橋本はゴール裏に向かった。アップシューズの柄は、FC東京のチームカラーでもある青と赤。神戸の一員になった橋本にできる、古巣へ向けた精いっぱいの愛情表現だった。
2017シーズン限りで引退し、自身の象徴でもあった「18番」を橋本の直訴もあって受け渡したレジェンド、石川直宏さんは自身のTwitter(@sgss18)を更新。サポーターが掲げた「無事でよかった! 頑張れ拳人!」を目の当たりにした思いをつづっている。
「この言葉が全て。涙するのはまだ早い。と思っていたけど、俺もあの場であの言葉を、あのサポーターの姿勢を見たら、涙していたと思う。拳人の姿を、皆が見ていた。サポーターも、後輩たちも、選手・スタッフも。さまざまな想いはある。でも、この言葉が全て。もっとデカくなって帰ってこい!」
開幕から苦戦の続く神戸。橋本は現状をどう見ているのか
新天地でのデビュー戦は、交代が告げられるのを待っている刹那に勝ち越しゴールを決められ、橋本がピッチに入った後にも追加点を奪われて一敗地にまみれた。
「難しい状況での交代出場だったけど、結果が出なかったことは残念だし、自分自身が貢献できなかった悔しさもある。どのチームにもいい時間帯、悪い時間帯がある中で、ここ2試合は3失点が続いている。まずはしっかりと安定した守備から攻撃へ、という部分を出していかなければいけないと感じている」
開幕から4分5敗と9試合連続でリーグ戦の未勝利が続く神戸は、従来のクラブワーストだった1999シーズンの開幕5試合連続未勝利記録をすでに大きく更新している。
泥沼から抜け出せなかった過程で、2020年9月から指揮を執ってきた三浦淳寛監督を解任。トップチームの若手に特化して指導に当たってきた、スペイン出身のリュイス・プラナグマを暫定監督に据えるも流れを好転させられない。
8日には東京ヴェルディ、セレッソ大阪、清水エスパルスを率いたスペインの知将、ミゲル・アンヘル・ロティーナ監督に再建を託すことが決まった。目まぐるしく変わる体制の中で、自身が果たすべき役割は変わらないと橋本は前を向く。
「チームのために走って戦うのが自分の特長であり、そういうプレーがいい流れをつかむことにつながる。華麗なプレーは出せないかもしれないけど、泥臭いプレーでチームに貢献したい。今の自分は得点も取れると思っているので、攻撃面においてゴール前の迫力であるとか、前への推進力というところを出していきたい」
FIFAの通達では、神戸との契約が期限を迎える6月30日の段階で、ロシアによるウクライナ侵攻をめぐる情勢が正常に戻っていればロストフへ復帰しなければいけない。対照的に逆の場合にどうなるかは、現時点で何も決まっていない。
7月以降を見渡せない状況で、それでも橋本はサッカーに集中できる“今”だけを見つめる。16日からはAFCチャンピオンズリーグ・グループステージの全6試合がタイで集中開催される。古巣のファン・サポーターにエールをもらった橋本に、立ち止まっている時間はない。
<了>
橋本拳人が追い続けた、石川直宏の背中 14年前に始まったFC東京「18」の物語
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