大学サッカー部に未所属で卒業後はフリーター。そこから海外でプロ選手になった男の意外
2020年5月に立ち上がったオンラインサロン『蹴球ゴールデン街』では、「日本のサッカーやスポーツビジネスを盛り上げる」という目的のもと、その活動の一環として雑誌作成プロジェクトがスタートした。雑誌のコンセプトは「サッカー界で働く人たち」。サロンメンバーの多くはライター未経験者だが、自らがインタビュアーとなって、サッカー界、スポーツ界を裏側で支える人々のストーリーを発信している。
今回、多様な側面からスポーツの魅力や価値を発信するメディア『REAL SPORTS』とのコラボレーション企画として、雑誌化に先駆けてインタビュー記事を公開する。
第6弾は、近年プロサッカー選手になるための新しいルートとして注目されている、選手とクラブをつなげるマッチングアプリの一つ、「DSFootball」を手がけるdreamstock社で働く元プロサッカー選手の石津大輝氏に話を聞いた。
(インタビュー・構成=髙田麻理子、写真提供=石津大輝)
※トップ写真:伊藤壇氏の前所属チームである香港の傑志(キッチー)とイベントを企画・運営した時に撮影。右が石津氏。中央が伊藤氏。
クラブオーナーが防衛大臣に!?「アジアの渡り鳥」に感化され向かったタイで積んだプロのキャリア
――石津さんはフリーターからサッカー選手になったという、変わった経歴を持っているそうですね。
石津:私は、大学サッカー部でのプレー経験はありません。中央大学在学時はサッカー部ではなくサッカーサークルと社会人リーグでプレーしていました。日本でプロを目指すには厳しいキャリアですね。でも、諦めたくありませんでした。どこの国でもいいからプロになりたかった。サッカーを続けたかったから。大学卒業後はフリーターをしながら、チャンスをうかがっていました。その時に出会ったのが伊藤壇さんの記事です。
――日本を含む22の国と地域のリーグでプレーし「アジアの渡り鳥」と呼ばれて活躍した伊藤壇さんですね。
石津:アジアならチャンスがあるかもしれないと思い、当時壇さんがプレーしていた香港のスタジアムに行きました。試合終了後、壇さんに通路で話しかけたところ最初は警戒されたんですが、話は聞いてもらえました。親身になってくれて、壇さんを通じてチームの練習参加まではこぎつけましたが、肝心の労働ビザがおりなかったんです。結局、香港への移籍は断念せざるを得ませんでした。
――厳しいですね。そこで諦めるという展開にはなりませんでしたか?
石津:サッカー選手になりたい気持ちは、チャンスが一度くらいダメでも変わりませんでしたね。少し考え方を変えて、アジアではなくカナダのチームのセレクションを受けることにしましたが、結果は不合格。その後ラストチャンスに懸けようと思い、タイのチームに直接売り込みに行きました。結果、3チーム受けた中でタイリーグ2部のラパチャ・ノンタブリーFC(現ラパチャFC)への入団が決まりました。
――サンフレッチェ広島や清水エスパルスでプレーしたティーラシン・デーンダー選手、現在横浜F・マリノスでプレーしているティーラトン選手も所属していたチームですね。
石津:当時、ムアントン・ユナイテッドと業務提携があったチームでもあります。そこで、目立った活躍はできなかったもののひたむきな姿勢を買われて、オーナーからの信頼は勝ち得ていました。翌年もオーナーから残ってほしいと言われていたんですが、オーナーが防衛大臣になってしまったんです。
――防衛大臣!? びっくりな展開ですね(笑)。
石津:驚きました(苦笑)。サッカーはタイで最も人気のあるスポーツです。その人気にあやかって地元チームを応援する人々の心をつかむという目的があるのか、特権階級や権力者がステータスの一つとしてクラブを所有していることも多いんです。結局、オーナーが変わったこともあり、ラパチャFC退団が決定しました。その後、テストを受けてタイリーグ3部のシンブリー・バンラチャンFCへ移籍しました。
――シンブリーではどんな感じでしたか?
石津:シンブリーでも目立った結果を出すことができず、1年で退団することになりました。アジアでプロとしてプレーする中で、やっぱりヨーロッパでプレーしたいという思いが強くなり、その思いを胸にヨーロッパへ向かいました。ラストチャレンジです。ヨーロッパのクラブのテストを受けましたが、結局、契約に至らず。憧れのヨーロッパでのプレーがかなわなかったことで、プロサッカー選手としての諦めがつきました。時間的にも実力的にも限界を感じたんです。こうして私のプロサッカー選手人生は、幕を閉じました。
まるで『ワンピース』のような世界でスタートしたセカンドキャリア
――紆余曲折のサッカー選手人生を過ごしてきた石津さん自身、プロサッカー選手になるにあたって苦労した経験があったから、仲介人を目指そうと思ったんですか?
石津:実はそうではないんです(笑)。私は、サッカーに関してはそんなにうまいほうではなかったのですが、英語は話せました。チームとの交渉も英語でスムーズにできたので、チーム探しやテストを受ける時などに言葉の壁で苦労したことがなかったんです。
――英語はどこで身に付けたんですか?
石津:幼少期にカナダで4年間過ごしました。いわゆる帰国子女です。帰国後も受験勉強をがんばったこともあり、英語はずっと得意でした。普段の感覚は日本人なんですけど、英語を話している時は変わります。しっかりと自己主張ができるんです。英語圏では何か言われた時に、言い返さないと即負けですから。
――英語が話せるというのは強みですね。サッカー選手を辞めて、セカンドキャリアを考える時も仲介人になるという方向性で考えていたんですか?
石津:最初はそういうわけではなく、帰国後はサッカー関連の仕事を探していました。指導者をやろうと思ったんです。そして、知り合いを介してフットサル場で働くことになったんですけど。ただ、早々に自分に向いていないことに気づいてしまって。
――それはなぜですか?
石津:人に教えるということが得意ではなかったんです。自分の意図をうまく伝えられず、このまま指導者としてやっていくべきか悩んでいました。フットサル場で働いて1年ほどたった頃、英語を話せる本社勤務の社員が退社することになって。その社員がやっていたのが、仲介人業だったんです。そのタイミングで会社の打診もあったので、仲介人業をスタートさせました。
――運命的ですね。仲介人業に対して最初の印象はどうでしたか?
石津:仲介人業をやっている人たちは、野心家が多い印象がありました。特に海外の仲介人はそうです。まるで、漫画の『ワンピース』のような世界。海賊たちが一つの宝物に向かって競い合うような感じです。「自分が見つけた選手を、できるだけ良い条件で良いクラブと契約をさせよう」「サッカー界の中でのし上がってやろう」というふうに思う人が多いんです。仕事を通じてたくさんの刺激を得られる仕事だと思いました。
――仲介人業は自分に向いていると思いましたか?
石津:向いているかはわかりませんが、とにかくやりがいを感じました。サッカー選手を目指す選手たちの中には、大学・高校を卒業してプロになれなかった昔の自分の境遇に似ている選手がたくさんいて。自分はそんなに苦労はしなかったのですが、アジアや世界に挑戦しようとして四苦八苦している選手が多くいたのです。
サッカー選手として自分のやってきた経験が生かせると思いましたし、そういう選手たちに対して、自分の経験を基に業務に取り組んだ結果、次々に実績も生まれていきました。自分のやりたいことと仕事がハマったんですね。
――仲介人としてどんな目標を置いていたんですか?
石津:仲介人として、世界ランキングに入りたいと思いました。ただ、当時の業務形態だと仲介人以外の業務もやっていたので、時間もリソースも足りませんでした。そこで出会ったのが、dreamstock社だったんです。自分のやりたい業務に専念できるというのも入社の決め手となりました。
仲介人として選んだ「マッチングアプリ」の会社で働くということ
――石津さんは今、dreamstock社でどういったお仕事をされていますか?
石津:マッチングアプリ「DSFootball」を通じて、プロとしてプレーをしたい選手と、選手を探しているクラブをつなげる仕事をしています。現在、dreamstock社は海外営業に力を入れているので、海外事業を担当しています。今までやっていた仲介人の仕事と同じような領域なのですが、アプリを通じてやることで一人ではできなかったことができている感じですね。今年の2月に入社したばかりなのでまだよくつかめていない部分もありますが。
――近年、さまざまなマッチングアプリが登場していますが、「DSFootball」の特徴は?
石津:「DSFootball」の最大の特徴はブラジル人選手の登録の多さです。サッカー選手のマッチングアプリの中で最多の南米選手の登録者数を誇っています。代表(松永マルセロハルオ氏)がブラジルのサンパウロ出身ということも影響しています。
皆さんご存じの通り、ブラジルは世界有数のサッカー大国です。ただ、日本の22.5倍と国土が大変広く、クラブもスカウティング活動を行っているんですが、目に留まるのは一定の子どもたちにすぎません。才能あふれる子どもたちが埋もれてしまっています。そんな現状は、クラブにとっても選手にとっても機会損失です。
――なるほど。今までブラジルからたくさんのスター選手が出てきましたけど、埋もれてしまった原石も多かったということですね。
石津:そうなんです。このアプリが登場することでクラブもたくさんの選手たちのプレーが見られるようになりました。チャンスが欲しい選手側もクラブの目に留まりやすくなります。両者がWin-Winの関係性が築けるようになりました。ボール一つ、スマートフォン一つで簡単に登録ができることも魅力です。誰でも動画を投稿することで、dreamstockが提携する世界各国のチームが開催するセレクションの審査を受けることができるようになりました。
――石津さんがdreamstock社に入社するきっかけは何でしたか?
石津:マッチングアプリというプラットフォームに将来性を感じて入社を決めました。2020年の2月ごろ、会社自体との出会いはありましたが、その時はタイミングが合わなかったんです。コネクションが肝になるビジネススキームの中で、自分の働く姿が明確に描けませんでした。11月に再びdreamstock社と仕事をする機会があり、その中で今後海外営業を増やしていくという話を聞きました。
――海外をフィールドにした業務というのは石津さんのこれまでのキャリアが生かせますね。
石津:そうですね。海外を舞台にして自分の力を発揮していくのは自分のキャリアビジョンに合いました。そして、コロナ禍の中でもこのプラットフォームは最終的に残りそうなビジネスモデルだと思いました。
ブラジルというサッカー大国に強いマッチングアプリで成果を出したら、仲介人としても世界一を目指せるかもしれません。40歳までになんとか結果を出したいと思う、34歳の自分の心に深く刺さりました。そして縁があり、出会いから1年後の2021年2月に入社が決まりました。
コロナ禍で変わる仲介人業、そしてこれからの夢
――新型コロナウイルスの影響で世界が一変してしまいましたが、サッカー界や石津さんの仕事の中で変わったと感じるところはありますか?
石津:各国のリーグが中断し、再開後も観客を入れていないリーグも多いので、経営難に陥るクラブも出てきそうです。しかし、その中で生まれてくるチャンスもあります。今までだといろいろな国からチャレンジしたい選手たちが、向こうからやってきました。ところが現在は渡航制限があるので、仲介人もスカウトも移動しにくい状況です。
――そういう状況下でも役立つのが、石津さんが携わっているようなマッチングアプリなんですね。
石津:アプリを活用することで、選手側もクラブ側もチャンスが広がると思います。しがらみなくフラットな視点で評価することができるので、クラブの目的とも合理的にマッチングができるのもメリットです。若手だけど期待されている選手、キャリアを積んだ選手、老若男女問わず、平等にチャンスは与えられるようになりました。
――アシックス社やサッカー日本代表の長友佑都選手もdreamstock社に出資しているそうですね。どういったプロモーションを展開してアプリの認知度を高めているのですか?
石津:特にマスメディアでの発信はしていないので、SNSを中心に発信していきながら、アプリを使った選手たちの口コミによっても広がっています。長友選手の出資はありがたいことに、世間に対する大きなアピールになりました。
――現在、チャレンジしていることはありますか?
石津:今、dreamstock社はブラジル人選手の登録においてマッチングアプリ最大級となっていますが、徐々にブラジル以外の海外のクラブでの活動も広げている状況です。ブラジル人で成功したケースを水平展開して、世界中に広めていくのが最終目標です。
――石津さんの「世界一になりたい」という目標につながるチャレンジですね。
石津:自分一人では、仲介人として選手の夢をかなえるには限界がありますが、マッチングサイトならその数は格段に増えます。少しでも多くの選手にこのプラットフォームを使ってプロの選手になってほしいと思っています。今はまだ、小さな契約が多いというのが自分の中での課題。やっぱり、やるからには大きい契約を決めたいですよね。今やっていることの積み重ねがいつか大きな契約になると信じてやっています。そして、DSFootballがサッカー選手のマッチングプラットフォームで世界一になること。それが今描いている夢です。
<了>
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PROFILE
石津大輝(いしづ・たいき)
1987年生まれ、静岡県出身。中央大学卒業後、1年のフリーター期間を経て2010年タイ2部リーグのラパチャ・ノンタブリーFC(現ラパチャFC)に加入し、サイドハーフとしてプレー。2011年、タイ3部のシンブリー・バンラチャンFCに移籍し、2012年に引退。引退後はサッカードットコム株式会社にて、指導者や仲介人業などを経験。2021年にdreamstock社に入社し、プロサッカー選手を目指す選手とクラブをつなげるマッチングアプリ「DSFootball」の海外事業を担当している。
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